メコン圏関連の図録・報告書・資料文献 第11回 「浅羽佐喜太郎公碑建立100年 特別展」パンフレット(編集・発行:袋井市歴史博物館)

メコン圏関連の図録・報告書・資料文献 第11回 「浅羽佐喜太郎公碑建立100年 特別展」パンフレット(編集・発行:袋井市歴史博物館)


「浅羽佐喜太郎公碑建立100年 特別展」パンフレット(2018年発行、編集・発行:袋井市歴史文化館)

浅羽佐喜太郎公建立100年特別展
2018年7月3日(火)~2018年11月30日(金)
会場:袋井市近藤記念館(静岡県袋井市浅名1021番地/袋井市郷土資料館に併設)

主催:袋井市歴史資料館(歴史文化館・郷土資料館・近藤記念館)
共催:浅羽佐喜太郎公碑建立100周年記念事業実行委員会

静岡県袋井市梅山の常林寺に建つ「浅羽佐喜太郎公紀念碑」は、ベトナムの民族運動家で20世紀初頭の東遊運動を主導した潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ、1867年~1940年)が、東京で活動していた潘佩珠や日本に入国していたベトナム人留学生たちを、かつて支援してくれた、東浅羽村出身で小田原で開業医をしていた浅羽佐喜太郎(1867年~1910年)への生前に受けた恩に報いるため、1914年から1917年春までの広東での監獄収監から釈放後、1917年に密かに再来日し、1918年(大正7年)3月、東浅羽村を訪れ、東浅羽村の人々の協力を得ながら建立した石碑。浅羽佐喜太郎は、慶応3年(1867年)3月、遠江国山名郡梅山村(現・静岡県袋井市梅山)に生まれ、帝国大学医科大学を卒業後、前羽村(神奈川県小田原市)に浅羽医院を開業し、物心ともに地域の人々を支えた篤志家で、1907年(明治40年)の春、単独で日本に入国したベトナム人留学生の阮泰抜が路頭で行き倒れになり苦しんでいたところを助けたところから、東遊運動の志士たちとのかかわりが始まるが、浅羽佐喜太郎は、潘佩珠がフランスの圧力で国外退去命令を受け1909年3月に日本を去った翌年の1910年9月25日に、43歳で病死。

「浅羽佐喜太郎公紀念碑」が建立されてから、ちょうど100年目に当る2018年、この節目の年を記念して、浅羽佐喜太郎と潘佩珠の特別展「浅羽佐喜太郎公碑建立100年特別展」が、静岡県袋井市近藤記念館(静岡県袋井市浅名1021番地/袋井市郷土資料館に併設)にて、2018年(平成30年)7月3日から同年11月30日まで開催。主催は、静岡県袋井市歴史資料館(歴史文化館・郷土資料館・近藤記念館)で、共催は浅羽佐喜太郎公碑建立100周年記念事業実行委員会。本書は、「浅羽佐喜太郎公紀念碑」建立に関わる資料を数頁にまとめたもので、編集・発行は、静岡県袋井市歴史文化館によるもの。数頁のパンフレットながら、まず、何より、袋井市歴史文化館の公式サイトの中の資料の頁で、「浅羽佐喜太郎公碑建立100年特別展」パンフレットの全文が公開されているのが有難い。実物の石碑の前面の碑文の文字も非常に判読しにくい状態だが、本書では、まず、碑文の文字がくっきり判読できる石碑の写真が掲載され、更に、石碑の前面の碑文の原文及び読み下しが掲載されていることが、何より嬉しい。

尚、慶応3年(1867年)3月に生まれた浅羽佐喜太郎の出生地は、遠江国山名郡梅山村(現・静岡県袋井市梅山)となるが、東浅羽村出身とも紹介され、また、潘佩珠が1918年3月に浅羽佐喜太郎の石碑建立に訪れた東浅羽村(ひがしもあさばむら)は、1889年の町村制の施行により静岡県山名郡東浅羽村が発足している。その後、1896年に所属郡が変更し、静岡県磐田郡東浅羽村に変更。この東浅羽村は、その後、1955年3月に隣接村と合併し浅羽村が発足し東浅羽村は廃止。1956年に町制となり浅羽村が浅羽町となったが、2005年4月1日、袋井市と合併し、浅羽佐喜太郎公紀念碑の建つ常林寺の住所も、現在は、静岡県袋井市梅山となっている。

本書パンフレットの一番、特筆すべき点は、浅羽佐喜太郎と潘佩珠が広く知られるようになるまでの研究史が、”「報恩の碑」を歴史の舞台に載せた人々”として、関係年譜や関係者の貴重な写真掲載も含め、詳細にまとめられている事ではないだろうか。今でこそ、浅羽佐喜太郎と潘佩珠のことが、ベトナムや日本でも広く知られるようになり、当時の天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)が、前年の2017年(平成29年)にベトナムを訪問された折、浅羽佐喜太郎と潘佩珠の交流に感銘され、2018年(平成30年)11月27日には、私的旅行として、常林寺の浅羽佐喜太郎公紀念碑をはじめ、郷土資料館・近藤記念館に足を運ばれ、「浅羽佐喜太郎公碑建立100年特別展」も見学されたことが大きく報じられるようになったが、この浅羽佐喜太郎公紀念碑の存在は、1968年(昭和43年)まで長く忘れ去られていたという。

「ヴェトナム独立運動家 潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)伝 日本・中国を駆け抜けた革命家の生涯」(著者:内海三八郎、編者:千島英一・櫻井良樹、芙蓉書房出版、1999年3月発行)は、内海三八郎(うつみ・さんぱちろう、1891年~1986年)氏の潘佩珠の自伝解説原稿を主として編まれた書だが、内海三八郎氏は、戦前からの、日本では数少ないベトナム通で、日本人として初めて潘佩珠の書き残した「自判」の漢文原稿を手に入れ、その訳を試みた人物。この内海三八郎氏が、長年、存在が忘れられていた浅羽佐喜太郎公碑を探索すべく、1968年(昭和43年)1月、静岡県の浅羽町役場を最初訪問。庁舎中の職員に確認してもらうが、誰も聞いたことすらなく、そこで、当時、浅羽中学校の社会科教師であった柴田静夫(1919年~2009年)を紹介され、梅山常林寺で潘佩珠の自伝『自判』に記載された「浅羽佐喜太郎公紀念碑」を確認し、浅羽家への訪問も実現。この二人のエピソードもなかなか興味深いが、地元の柴田静夫氏も、この内海三八郎氏との出会いで、これ以降、浅羽佐喜太郎と潘佩珠の研究をライフワークとして取り組み、その後も、浅羽家に伝えられてきた「秘話」も含め、浅羽佐喜太郎と記念碑についての本格的な研究を発表していく運命も面白い。

”潘佩珠の東遊(ドンズー)運動と浅羽佐喜太郎”についても、解説や関連年表・写真・資料など紹介されているが、浅羽佐喜太郎の出身地での特別展のパンフレットということもあり、”浅羽義樹(よしき)と佐喜太郎”の項目も、浅羽佐喜太郎だけでなく、生家の梅田村浅羽家や、父親の浅羽義樹(1835年~1912年)についても、なかなか詳しい紹介もあり、浅羽佐喜太郎の家系図、浅羽義樹・浅羽佐喜太郎の年譜も掲載されている。浅羽佐喜太郎が生まれた梅田村(袋井市梅山)の浅羽家は、浅羽地区では最も格式が高い梅田村八幡宮(常林寺から数百メートルの距離の現在の梅山八幡神社<静岡県袋井市梅山>)の宮司を世襲し、神祇管領を務める京都吉田家から神主としての訴状を受ける家柄。浅羽義樹が参加した、徳川幕府を倒すために官軍に同行協力した、神職を中心として尊王思想を掲げて結成された有志隊である、遠州報国隊についても、囲み枠で紹介があり、佐喜太郎の父・浅羽義樹は、遠州報国隊員として、有栖川宮熾仁親王を警護して江戸城に入城。報国隊解散後、東京に移住し、明治政府に勤務する。

更に、本パンフレット資料の特色としては、潘佩珠『自判』に記されている、佐喜太郎との交流についてと、同じく、潘佩珠『自判』に記された「浅羽佐喜太郎公記念碑」建立の経緯について、漢文が原文の現代語訳を引用紹介している点。『自判』は、潘佩珠がフランス領インドシナ政府に徒られられた後、軟禁中の住まいで執筆した自伝で、研究者の間では「潘佩珠年表」とも呼ばれていて、潘佩珠が石碑建立後に自ら記載した、浅羽佐喜太郎との交流を示す唯一の史料。石碑建立のいきさつについても、なかなか感動的で、潘佩珠の石碑建立したいという思いと実行力にも感服するが、潘佩珠の『自判』には、石碑建立の経緯が、日本人の義侠心を伝える事例として書かれている、当時の東浅羽村長や村人達の話も感動的だ。

「浅羽佐喜太郎公記念碑」碑文 原文・読み下し文

「報恩の碑」を歴史の舞台に載せた人々
内海三八郎(うつみ さんぱちろう)と柴田静夫 石碑建立から50年
マスコミに取り上げられ、やがて『磐南文化』創刊号への掲載へ
科学研究費補助金研究「東遊運動以後の日本とベトナムの関係」の研究グループとその成果
総合調査がもたらしたもの

浅羽義樹(よしき)と佐喜太郎(さきたろう)
梅田村浅羽村
浅羽義樹(1835年~1912年)
浅羽佐喜太郎(1867年~1910年)
<家系図>浅羽佐喜太郎の家系
<補足>遠州報国隊
<年表>浅羽義樹・浅羽佐喜太郎 年譜

潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の東遊(ドンズー)運動と浅羽佐喜太郎
<補足>東遊(ドンズー)運動
<補足>その後の潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)(1867年~1940年)
<年表>浅羽佐喜太郎・ファン・ボイ・チャウ年譜

潘佩珠『自判』に記された佐喜太郎との交流
潘佩珠『自判』に記された「浅羽佐喜太郎公記念碑」建立の経緯

「報恩の碑」を歴史の舞台に載せた人々 年譜
●1941~42年(昭和16~17):
新聞発行の「報恩秘話」。初めて報恩の碑がマスコミに取り上げられる。しかしこの後、長年にわたり碑のことは忘れられることになる。
●1966年(昭和41):
潘佩珠著、長岡新次郎・川本邦衛編『東洋文庫73 ヴェトナム亡国史他
』(平凡社)が出版される。「ヴェトナム亡国史」他3点という潘佩珠の著作が初めて日本語に翻訳出版される。これにより、日本での本格的な潘佩珠研究が始まる。
●1968年(昭和43):
内海三八郎が浅羽街を訪問。1月23日、柴田静夫に紹介され、梅山常林寺で潘佩珠の自伝『自判』に記載された「浅羽佐喜太郎公紀念碑」を確認し、浅羽家を訪問。
●1973年(昭和48):
11月3日、NHK国際放送で、「二つの墓碑(陳東風、浅羽佐喜太郎)」がベトナム語で東南アジアに向けて放送される。
●1976年(昭和51)6月24・25日
2日にわたり「静岡新聞」が磐南特集号を組み、その中の「浅羽の人物」で柴田静夫が浅羽義樹と佐喜太郎を取り上げる。これにより、父義樹と佐喜太郎のことが地域の人々に知られるようになる。
●1977年(昭和52)
柴田静夫「ベトナム独立運動の亡命者を助けた浅羽佐喜太郎」が『磐南文化』創刊号に掲載される。浅羽佐喜太郎と紀念碑についての初の本格的研究であった。
●1979年(昭和54)
文部省科学研究費補助金研究「東遊運動以後の日本とベトナムの関係」が始まる(~1981年)。この調査以後多くの研究者が、梅山常林寺の浅羽家墓地と紀念碑を訪ねるようになる。
●1983年(昭和58)
日越学術交流(第1回)の日本政府招聘歴史学者として、社会科学委員歴史学院長の阮文造(グェン・ヴァン・タオ)氏が慶応大学に3カ月在籍。阮氏はこの年の7月19日に調査のため袋井訪問。ベトナムの研究者として初の訪問。これ以後ベトナムで浅羽佐喜太郎と報恩の碑の存在が知られるようになる。

「報恩の碑」を歴史の舞台に載せた人々
内海三八郎(1891年~1986年)
横浜生まれ。東京外国語学校卒業後、戦前は商社員、後に外務省嘱託としてエジプトやフランス領インドシナに駐在。戦後もベトナムに残り、貿易商として1963年(昭和38年)までベトナムに滞在した。戦前からの、日本では数少ないベトナム通であった。内海はベトナムでの生活に慣れるにしたがい、建国の英雄と慕われている潘佩珠に強い関心を持ち、軟禁状態となっていた潘の自宅に伺い面会を求めたこともある(同志以外には会いたくないと断られた)。恐らく日本人として初めて潘の書き残した「自判」の漢文原文を手に入れ、その訳を試みた人物。内海が浅羽町を訪れた1968年(77歳)は、潘佩珠の伝記執筆の真最中であったが、高齢のため、清書が完成したのは1984年(昭和59)のことであった。
柴田静夫(1919年~2009年)
静岡県袋井市松原生まれ。長年教職にあり、退職後は浅羽町史編纂室の嘱託として『浅羽町史』本編の編集と、資料集の編纂にあたった。昭和43年(1968年)の内海三八郎による紀念碑探索時に常林寺へ案内してからは、浅羽佐喜太郎と潘佩珠の研究をライフワークとして取り組み、多くの研究者の仲介を行った。

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