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私にとっての思い出の一冊

『MEKONG』(PAUL ADIREX著、1995年)
日本語翻訳版『竜王のメコン河』(野中 耕一訳、燦々社)

*依頼を受け、後藤由美さん運営サイトのBOOKS@REMINDERS コーナーに2021年5月、初出掲載
バンコクの書店で見かけた英文のペーパーバックス
私にとっての思い出の書籍といえば枚挙に遑がないが、37歳の年齢で出会った本書『MEKONG』は、自分の人生を大きく変えるまでに至った書籍と終生言い切れるであろう数少ない書籍の一つだ。

 本書との出会いは、決してドラマチックな恋愛のように電撃的な一目惚れでもなく、「天の啓示」があったわけでもなかった。バンコクの書店に置かれた英文のペーパーバックスの本書を何度も見かけてはいたが、そのタイトルと著者名から、どうせタイに長らく住む「不良」西洋人が、東南アジア大陸部を舞台に麻薬やセックスを絡ませて書いた軽いエンターティメント小説ぐらいであろうと高を括り、なかなか手にとって読んでみようという気にはならなかった。

 総合商社の情報通信マルチメディア部門で主に東アジア・東南アジアを担当していた私は、中国駐在を終え次はタイ駐在をと狙っていて、なんとか数千億円の事業規模のインフラ民活事業に参画することができ、1993年秋にはタイ・バンコクに赴任していた。そして1995年には別のプロジェクトでタイ北部のチェンマイを頻繁に訪れる事になり、やがて長期のホテル住まいから、プロマネとしてチェンマイ郊外に家族と移り住んだ。

チェンマイでの生活が転機に
チェンマイ郊外での生活は、故郷・福井に似た清新な空気、青々とした山々と華麗に咲き誇る花々、しっとりとした北タイの人々に囲まれ、静かで落ち着いた時間となった。それは、ゴルフ場とタニヤなどの日本人用クラブに通うことに忙しい駐在員生活でもなく、利権あさりや金・ポスト獲得に血眼になっている人たちとも距離を置き、NHKや日本の新聞が伝える日本各層での傲慢や放逸な事象に憤ることもなく、排気ガス・騒音・交通渋滞・水質汚濁などにいらいらすることも無かった。

 この間、穏やかな時間と気持ちの中で、北タイ各地の山や村に遊び、川の流れを眺め、古寺や遺跡を訪ね回った。バンコクでは見えにくかった人びとの暮らしや自然との共生、歴史や伝統・文化を強く感じていき、そしてチェンマイや北タイだけでなく、中国西南部・南部も含んだ東南アジア大陸部という地域圏の多彩な魅力に惹かれていった。

 そして、そうした地域圏を形容するにふさわしいメコンの名を使った、例の長らく見かけながら手にしてこなかった書籍「MEKONG」を、英語のブラッシュアップのつもりもあって購入し読み始める。これまでの英語のペーパーバックスと異なり、意味の分からない英単語など気にならずに夢中になって一気に読み通した。北タイ、北ラオスを舞台とした冒険小説ではあるが、タイやラオスの歴史や社会により深く関心を持たせてくれるような内容の本であった。

タイの著名な政治家が書いたミステリー
驚いた事にこの英語の書籍の著者は、「不良」西洋人ではなく、本名Pongpol Adireksarnというタイの著名な政治家であった。1992年には外務大臣、1997年からは農業・協同組合大臣を務め、現在のタクシン内閣の下では副首相にある人で、タイ政治通の人には、タイ国民党(チャートタイ)創始者のプラマーン氏の息子でバンハーン氏が党首の時は幹事長を務めていたが、バンハーン氏と袂を分かち、タクシン氏がタイ愛国党旗揚げの際に参加協力した人物と言った方が分かりやすいかもしれない。

 本書は、アメリカ・インディアンのショーニー族の末裔でメコン河に架ける橋の建設工事の現場監督を務める男を主人公に、ラオス革命前にメコン河で消失した「ラオス王室の財宝」とそれを奪おうとする在タイのラオス右派解放戦線参謀長、ベトナム戦争時の行方不明の米兵たち(MIA)と彼らを捜索するアメリカ国防情報局員、「メコン河に消えた謎のプーリー 族」とかれらを探す チェンマイ大学文化人類学の女性教授らが絡んで展開する冒険ミステリー。

 エンターティメント小説としても充分楽しめるが、善業と悪業、宿命、輪廻転生など、タイやラオスの人たちが日常の社会生活で向き合っている仏教の教義が全編にちりばめられ、メコン河の主であるナーガ(竜蛇)が、メコン河の誕生の伝説、財宝の守護神、仏法の守護、仏法の聴聞者、ブッダの前世のプーリタット伝説、プーリ族の守護神として、この物語りの展開において中心的な存在になっている。行脚と瞑想止観を実践し知恵にすぐれ人々の畏敬を集める「森の僧」や、厳しく五戒を守り平和と幸せな生活を営むプーリ族の村人たちの言行は、人間社会の強欲・傲慢・放埒・身勝手・無責任などに多少辟易していた私には、効果のある清涼剤にもなった。

ナーガに魅せられて
政治の世界に身を置きつつ、心の琴線に触れるような文筆活動を続ける本書の作家、勇気と知恵と優しさのある主人公や彼を取り巻く一部の登場人物、努力と忍耐、強い精神力を持つ行脚僧、周囲に惑わされないで大切なものを守り伝えていくプーリ族の村人に力付けられでもしたのか、本書読後の私は、メコン圏への思いが非常に強くなり、もっといろんな本を読みたい、各地域を旅したい、多彩な歴史や文化を深く知りたい、圏内の各言語を学びたい、土地の人々とふれあいたいなどという欲求が急速に高まり、抑えきれなくなっていった。

 そして、チェンマイからバンコクに戻って商社マンとしての駐在員生活をしばらく続けた後、先行きに対する確固たる考えや目標などもないまま、1997年秋、14年半、勤務してきた会社を海外赴任先のタイで退職した。田舎の長男でもあり、日本の地方の様々な良さを小さいときから体感してきた自分はいずれ、東京、更に故里に戻るものと思ってはいたが、ただただメコン圏にもう少し浸っていたい、日本に戻っても日本社会の風潮に動じないメコン圏で感じた価値のようなものを強く体に刻み込んでおきたいといった気持ちであった。

 1999年秋、私は東京に本帰国し、自分のEメールアドレスにも、ナーガとメコンを冠するといった具合に本書との精神的なつながりは今でも続いていると思っているが、実は、本書を初めて手にして読んだ時から約3年経った1999年、思いがけない展開となって新たな本書との関わりが生まれることとなった。

著者ポーンポン・アディレークサーン氏の人と作品
こうして北タイ、北ラオスを舞台とする冒険小説『MEKONG』にすっかりはまった私は、著者PAUL ADIREXことPongpol Adireksarn氏の他の作品も、原著の英語版、タイ語の翻訳版ともに、バンコクの書店で買い揃えていった。『MEKONG』は、1995年に初版が刊行されたが、実は本書は著者PAUL ADIREX氏による第2作目で、第1作目は、アンダマン海に浮かぶタルタオ島(南タイ)を舞台とした『The Pirate of Tarutao』で1994年に刊行されていた。更にその後も、ビルマの少数民族をめぐる謀略を扱った『Until the Karma Ends』が1996年に、そしてアンダマン海のアンボイア貝の毒物とそれを巡る陰謀を扱った『The King Kong Effect』が1998年と、これまで4作品が発表されている。

  いずれも、エンターティメント小説として楽しめるものでありながら、と同時にタイや隣接国をも含めた東南アジア地域の政治・社会、歴史・民族・文化への理解と関心を自然と高めてくれる作品に仕上がっている。多忙な政界での活動の中で、タイ人である著者が原著を最初から英文で発表しつづけているということは、広く日本人も含め外国の人にタイや隣接国の東南アジア地域に深い理解と関心を持ってもらいたいという気持ちの表れでもあろう。

   著者ポーンポン・アディレークサーン(Pongpol Adireksarn)氏は、プラマーン・アディレークサーン元チャートタイ(タイ国民党)党首が父親、チャチャイ元首相は叔父にあたるというタイ政界名門中の名門の出(1942年3月生まれ)で、自らも1983年に政界入りし、その後、外務大臣、首相府大臣、農業・農業協同組合大臣の要職に就き、そして現タクシン内閣の下では、タイラックタイ(タイ愛国党)の重鎮として副首相の座にある現役の著名なタイの政治家である。数年前ではあるが、タイの新聞・雑誌・テレビなどに政争絡みで取り上げられる時は、いつも苦虫を噛み潰したような苦々しい表情であったのに、文筆活動や趣味のヨットなどのインタビューには自宅の数多くの書籍が揃えられた書斎の前で、カジュアルな格好で優しい表情で応えていたのを何度か目にしたことがある。その表情の違いに、醜い政治の争いや人の権力や金への強欲に倦み疲れ、もっと違った世界で自然に自由にありたかったのではないかと、私は勝手に思い込んだものであった。

   ポーンポン・アディレークサーン氏の描く世界にすっかり魅せられた私であったが、周囲のタイ人をはじめ、在タイの日本人の多くが、その作品の存在だけでなく、政治家ポーンポン・アディレークサーン氏の別の一面さえ、知らないことに対し、もっと多くの日本の人にポーンポン氏の作品を読んでもらえないかとの思いを抱いた。しかし、大した能力も無く特別な人脈も持たない一介のサラリーマンの私には、なんら為すすべが無く、ただただ同じ思いを持った日本の出版社や翻訳家・研究者の方が、ポーンポン氏の『MEKONG』をはじめとする作品を取り上げて日本語訳本化の話を著者と進めてもらえないかと期待するだけであった。

野中耕一氏との出会い
学生時代からの関心事である日本・アジアの教育・福祉、農業、地域社会、歴史・民族・民俗などというテーマに加え、商社勤務時代に、主にシステム・ハード機器という側面から情報通信メディア分野に関わってきた私は、次第にソフトコンテンツや新しいメディアというものにも関心を持ち出していた。14年半勤めた総合商社を海外赴任先のタイで退社した私は、邦字誌“バンコク週報”発行や英字旅行誌”Traveller”発行、テレビ番組制作などを手掛ける現地メディア会社で取締役企画事業部長として新しく働き出した。

  そして、1998年の6月頃、この新しい仕事の関係で、タイ小説(ワシット・デーチクンチョン警察大将の作品)の日本語翻訳本『巨象の舌を引き千切れ -タイ国秘密情報機関』(上・下)を刊行されたばかりの発行者兼訳者の野中耕一氏(1934年生まれ)にお目にかかる機会を得た。コミュニストと腐敗した警察組織内部の敵と戦うタイ国境警察の主人公を描いた日本語翻訳版『最後のパトロール -タイ国境警備隊』(上・下)(ワシット・デーチクンチョン警察大将著、燦々社)や、『村は自立できる -東北タイの老農―』『村の衆には借りがある -報徳の開発僧―』などの“燦々社のNGOと開発シリーズ”本、そして井村文化事業社から発行された『ソーイ・トーン』『生み捨てられた子供たち』『農村開発顛末記』『タイ村落経済史』というタイ小説やタイの経済研究書のそれぞれ訳者であられるということで、野中氏のお名前は知っていたが、どの作品も手に取ったことがあるだけでしっかり読んだ事はなく、また詳しい経歴なども存じ上げなかった。

   バンコクのナライホテルでの初対面の日、タイやタイ人への思い、タイ人が著す作品の翻訳取り組み、更には野中氏のこれまでの経歴を幼少の頃からのお話も含め色々とお話を伺い、その淡々とした口ぶりながら重みのある語りにすっかり惚れ込んでしまった。その後も何回かお会いする機会を得、また初対面の日に同席いただいた、私のバンコクでの兄貴分的存在でもある佐藤正喜氏(バーンラック幼稚園園長)からも野中氏の考え方や姿勢などにつき色々と話をお聞きし、野中氏への敬慕の念はますます強まっていった。

 タルタオ島(南タイ)で実際に起こった歴史的事件が引き金に
そして、翌年1999年の6月、野中耕一氏は、1997年度「東南アジア文学賞」(SEA WRITE AWARD)を受賞したタイの作家ウィン・リヨウワーリン氏の作品『平行線上の民主主義』の日本語翻訳本『空劫の大河 -タイ民主革命綺談』を燦々社発行として自費出版された。本書は1933年から1992年までの数々の実際に起こったタイ政治事件を背景に数奇な運命を辿る2人のタイ人を主人公にした小説で、日本人があまり知らないタイの現代史を彩る数々の政変を理解するに優れた書である。本書の第3章を読んでいると、王党派による反革命の企て失敗で南タイのタルタオ島に流されていた大物の政治犯ら5名がタルタオ島から英領のランカウイ島に国外脱出した事件の事が書かれてあり、私はここで突然はっとすることになる。

  ポーンポン・アディレークサーン氏の第1作『The Pirate of Tarutao』では、まさにこの事件がより大きく詳細に取り上げられていたからだ。タルタオ島の政治犯収容所からの国外脱出の話も大変興味深いが(この脱出組のうち、大政治家プラヤー・サラパイは後に教育大臣に、元知事のプラヤー・スラパンはのちに国会の副議長を務めた)、個人的には、国外脱出の企てに加わらずタルタオ島に残り、タイ英辞書を作り上げた元枢密院事務局長のソー・セータブット(ルアン・ハマーシッティウェーハーン)や、タルタオ島の収容所で農業などの知識・技術を生かして生活改善などを実践したシッティポン殿下の生き方や考え方を本書から知り、非常に心を動かされたものだった。

  私の中では、『空劫の大河 -タイ民主革命綺談』を手にして、ポーンポン・アディレークサーン氏と野中耕一氏が繋がった。元アジア経済研究所理事で、タイ国カセサート大学留学(1965~67年)、アジア経済研究所バンコク事務所代表(1977~79年)、JICA専門家としてタイ国メイズ開発計画に参加(1979~80年)、タイ国チュラロンコン大学客員研究員(1990~92年)と長らくタイと関わり、また数々のタイ人による著作の日本語訳を手掛けてこられたタイ専門家の野中氏であれば、ポーンポン氏も、『MEKONG』をはじめとする著作の日本語訳本の出版を認めてくれるのではないか、また野中氏も、第2次世界大戦前後の時期にこのタルタオ島で起っていた実在の事件をはじめ、ポーンポン氏の作品のテーマや題材などに、興味を示されるのではないかと思ったのだ。

日本語翻訳本『竜王のメコン河』の誕生
まもなくして、ポーンポン氏の書籍を一揃え抱えながら日本に一時帰国した私は、東京・葛飾区の鮨屋で、野中氏と杯を傾けながらポーンポン氏の作品を紹介させていただいた。やがて野中耕一氏より『MEKONG』や『The Pirate of Tarutao』などポーンポン氏の作品の翻訳をしてみようと話があったこと、更にポーンポン氏からも日本語翻訳の了承を取り付けたとの連絡をいただいたときは、とても嬉しかった。

  更に1999年秋に6年振りに日本に本帰国し、別の新しい仕事に就く前で時間のあった私に、野中氏は『MEKONG』翻訳のチェック作業の機会を与えてくれた。原書を理解し日本語訳するにあたり、背景の事象や言葉の意味の理解・確認をしていくことは、私にとってとても楽しく充実した作業となった。多方面の深い知識と旺盛な知的探究心を持ちあわせた翻訳経験豊富な野中氏との数度にわたる意見交換や調査確認作業などは、大変ためになり、貴重な経験をさせていただいた。

  こうして、私がタイで出会い、メコン圏への思いが急速に強まっていった時期に時を同じくして読んだ思い出の本『MEKONG』は、2000年7月、野中耕一氏による翻訳で、日本語版『竜王のメコン河』として燦々社から出版された。自分が心を動かされ、少しでも多くの日本の人にも読んでもらいたいと思った書籍の日本語版が実現したこと、しかもその過程に自ら多少なりとも関与できたことは、大変嬉しいと思うと同時に、これでますます自分にとってより深いつながりを持つ思い出の書籍になったという感慨を抱いた。

  尚、ポーンポン・アディレークサーン氏の第1作『The Pirates of Tarutao』も、今年(2001年)5月に、野中耕一氏の手により『業火の海 -タルタオ島の海賊』として日本語翻訳本が燦々社から無事刊行となった。本書の翻訳チェック作業にも『竜王のメコン河』同様、関与させていただいた。ポーンポン氏の原書『The Pirates of Tarutao』は、ハリウッド映画化が決定し、今年の9月から撮影に入るということで、いずれ日本にも紹介される日がくるのではと、今からその時が待ち遠しい。 <注:文章は2001年5月執筆当時のまま>

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