論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」⑤

論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」

(蔵屋敷滋生 くらやしき・しげお 投稿時:出版社役員,59歳、千葉県柏市在住)

第2章 バンチェン遺跡の主は誰?

昨年(2000年)9月、バンチェン遺跡をみようとウドンタニーを訪れた。バンチェーンまでは車で約1時間の距離である。初の東北タイ・イサーン旅行。8年ぶりにドンムアン空港からタイに入国した。そのままシャトルバスで国内線ポートに向かう。ちょうど今着いたばかりの航路を戻る感じで1時間後にウドンに到着。イサーン=モーラム。どこでもモーラムが聞けると思っていたが、決してそんなことはなかった。

「3600年前の世界最古の金属器」出土地は、せいぜいさかのぼっても3000年前だろうと知らされた(バンチェーン文明の終末は5~7世紀とみられる)。重要なのは「肉薄の土器」(日本の弥生式土器は2500年前。薄での須恵器は1500年前)がその時代にすでに人間の手で造られ、使用されていたことだ。バンチェン土器の赤茶した肌地に渦巻きの水門模様を描く大胆さに驚嘆させられた。様子がオリエントの古壺に似ていたからだ。

(写真上:バンチェン国立博物館。館内撮影禁止)

(写真上:博物館はバンチェン歴史公園内にある)

発見当初、土器片が年代測定に出され「紀元前4000年前から紀元200年」との結果が出されている。同時に土器片から籾がらが見つかっている。測定とおりならば6000年前に稲作があったことになる。青銅製品も人骨と共に出土した。

時代考証はますます混乱する。青銅器は3000年前のメソポタニアからだ。アジアでは中国の殷は3500年前の文明だから、青銅器になると3000年を切るといわれている。銅に混ぜるスズはどこから?その時代にスズ鉱山の記録でもあるのか?と興味は尽きない(タイ国は近年までスズの輸出国で、とりわけアユタヤ朝は重要な交易品としていた)。

だが「疑問」は呆気なく解決された。今日では、当初の年代測定は誤りで3600年から1800年前の遺跡とされた(国立博物館の説明書きは3600年前)。それでも「青銅器」はつじつまが合わない。すると「何処かからもたらされ、埋葬されたもの」に訂正された。ちなみにベトナムの青銅器文化は中国との関係でかなり早い時期にもたらされたらしい。

博物館の説明にも笑った。土器発見のきっかけが「アメリカ人が地表に出ていた土器片につまずいて」としてあった。つまずくくらいに地表に出ていれば、畑を年中耕している農民が知らないわけがない。きっと地元の人達は昔から知っていて、それを「偉い人」に言っても誰も相手にしてくれなかったからではないだろうか。「権威」「外圧」にとっても弱い体質はどこかわが国と似ている。だから「タイ」が好きなのだ。

私の関心は直ぐに出土した多数の人骨に向けられた(ワット・ポー・シー・ナイ境内に発掘当時のまま展示されている)。「誰が造ったのか」に興味があったからだ。とりわけ東北タイには紀元後から大規模な環濠集落が爆発的に増加した、という。よほどタイは移住民にとって都合の良い環境がそろっていたのだろう。21世紀に生きるボクでさえも移住を考えている。

この時代に「タイ族」はまだ中国西南部の谷間に住んでいたはずだ。するとタイ先住民の誰かとなる。それが知りたかった。残念ながら博物館の解説にはない。少なくとも英文ものにはなかったような気がする。よく勘違いすることだが、遺物は出土した土地のご先祖が造ったものと限らない。ましてやタイのように「タイ系民族」「異民族」が入り乱れて今日を形成している国ではなおさらだ。

また、東北タイでは6~11世紀ころの先住民族モーン(Mon)、ラワやクメール遺跡も多い。

人骨は一様にガッチリした顔つきで、骨太でしかも長身であつた。別に「タイ族」の骨について研究したわけではないが、なにか「海洋民」の印象を受けた。メコン河下流に「扶南国」を建国し(3世紀初め)、海のシルクロードを快走したモーン族か?。彼らの痕跡はタイ中部・ナコンパトム、ロッブリーのドゥバァーラバァティ王国(6世紀末)、北部・ランプーンのハリプンチャイ王国(ラワとの融合。11世紀)と、各地に遺るモーン様式チェディにもみられる。

あるいはカム族はランサン王国が建国されるまでルアンパバーンの支配者だったという説もある(定説はモーンだが)。カムも南亜語族である。それとも「陸真臘」と呼ばれたクメールの民か?。不思議なことにバンチェンの民は西暦7世紀までに忽然とこの地から消え去ったという(わくわくさせるミステリーだ)。ひとつ、バンチェーンは人工の台地にあったという。高度の土木技術を備えた民族だったこともうかがえる。いま村に住むのは200年前にラオスから移住してきたラオの末裔だという。

タイ東北部の人口の95%はラオなのだそうだ。しかもラオは、ラオスよりもタイにより多く住んでいる。理由は簡単。タイの国策によって19世紀末にメコン川対岸のラオス領から強制的に移住させたことによる。東北タイに現存するラオ以外の南亜語を母国語とするクメール、クイ、ソー、ニャークルなどの非タイ系族は、おそくら3000年以上も前から住んでいたといわれる。しかし、現在のタイに住むモーンはタイ族と同化し、民族としての独自性は消滅している(現存するモーンは18世紀にビルマから移動してきた移民の末裔なので)。

ところで、ラオは「タイ民族」の一系。14世紀前半、メコン流域に割拠していた「タイ系民族」の支配圏・ムアンを束ねたランサン王国(14世紀中葉~17世紀)の末裔である。蛇足だが、主にメコン川を国境とするタイ・ラオスの現在の領土境界線は、タイ・ラオス間で決めたものではなく、19世紀末から20世紀初にかけての数度にわたるフランス・シャム条約の締結結果として一度決定されたものである。フランスの領土的野心が露になったインドシナ植民地政策を映じた話だが歴史の事実なのだ。この事実は本編でも非常に重要な意味を持つことになる。

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