論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」⑭

論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」
第8章 ナーンの「悲劇」の背景 ー北タイ民族史 前編

(蔵屋敷滋生 くらやしき・しげお 投稿時:出版社役員,59歳、千葉県柏市在住)

すでに中国の史書が辺境の地にいたタイ族(Tai)をどう著してきたかは紹介した。ここでは北タイに移動したタイ族が書き遺したセーマーと呼ばれる石(碑)文とか刻文(貝葉文書)、紙の文書から北タイの歴史をまとめてみた。むろんボクは、原書や原文を読むことはできないので、それらを紹介したいろいろな資料からの「まとめ」である。参考とした資料は章末に一覧した。

 北タイ民族史といっても定説に類する明確なものがあるわけではない。タイの歴史自体に不明瞭な事柄がまだ多いこと、歴史学者の関心がこれまで薄かったこと、などが原因だと思っている。加えて原文が古タイ言語、タイユアン語、パーリ語、モーン語など多岐にわたる点もあげられる。

たとえば北タイの歴史上の人物で最も有名なのはランナーを建国したマンラーイ王であるが、この人物の出自さえ明確ではないのだ。出自が不明瞭だと「本当にタイ族なの?」との疑問が残る。

このサイトでも紹介されていた『A Brief History of LAN NA』の付録にランナー国の王統譜系が掲載されている。出典は『チェンマイ年代記』と『ジナカーラマーリー』だと書かれている。しかし内容は単に両書からの併記にすぎないが、しかも記述は顕著に異なる。王名が異なるし、片方だけに登場する王もいる。また両書に登場していても即位年次がズレたりする。

また2001年に刊行された『LANNA—Thailand`s Northen Kingdam』の巻末年表は明らかに上記の『ジナカーラマーリー』を重視し、引用が目立つ。年表類では異論の併記は資料自体の質に関わる。ために特定せざるを得なかったのだろうか。つまり作者がどの資料を重視引用したかによって紹介の仕方が違ってくる。当然、読者はそのことを知った上で読むことが大切だと思う。

もうひとつ重要なことがある。巷間知られていることだが『アユタヤ年代記』はその後のチャクリー王朝の正当性を強調したいがため、編纂者の手で歪められたという。「タイらしいや・・・」と言ってしまえばそれまでだが、一次資料がこのようだと何を信じていいのか、たぶん歴史学者は困っていることだろう。

最初から批判がましい話で恐縮だが、資料を読んでいて感じことを指摘したに過ぎず、大意はない。

いま三つの資料が登場した。『チェンマイ年代記』、『ジナカーラマーリー』と『アユタヤ年代記』である。『チェンマイ年代記』と『アユタヤ年代記』は国・王系の記録であり、『ジナカーラマーリー』は筆・編者が属する宗派の仏教史である。

『年代記』には『ラームカムヘーン刻(碑)文』『チェンマイ年代記』『ランサーン年代記』『チェンセーン年代記』そして『ナーン年代記』などが現存する。これらは石(碑)文や貝葉(パルミラ椰子の葉に文字を刻んだ文書)や紙に書かれたものである。むろんリアルタイムで書かれたものではない。『チェンマイ年代記』は19世紀前半の作だといわれる。

このほか「年代記」に類するものに民間伝承(Fork Lore)が地方に遺されている。これらは古刹の由来などガイドプレートに引用されることが多い。のちほど一例を紹介する。

碑文の中で最も有名なのは「わが父の名はシーインタラーティット、母の名はスアンといい……」で始まる『ラームカムヘーン刻(碑)文』だろう。1292年の製作と考えられているが、19世紀の偽作という説もある。現物はバンコク博物館にあって出土地のスコータイには精巧なレプリカが展示されている。例の頂点で屈折した四角型の石碑である。

刻まれた文字はラームカムヘーン王が考案したとされる「古代タイ語」なのだそうだ。古タイ語はクメール文字を基に作られている。そのクメール文字はパーリ文字のアルファベットを借用したものである。いずれにしろタイ文字の刻文資料はこの時から作られることとなる。

一方、仏教史には『ジナカーラマーリー』のほかにも『ムーラサーサーナ』(1457年製作。チェンマイ県。スワンドーク寺院の僧侶が著作)、『プラユーン寺刻文』(1370年製作。ランプーン県。スコータイの名僧・スマナ著作)、『バーン・サヌック寺刻文』(プレー県。1339年製作といわれてきたが、北タイ刻文では最古の1219年作との説もある)などが遺され、独自の史書として引用されることが多い。政治と宗教が不可分の関係にあった時代のことだから貴重な資料として存在する。

なかでも『ジナカーラマーリー』は、「ある理由」から大いに引用されてきた。同書はスリランカ仏教の拠点であったバーデーン寺派の仏教史で、16世紀前半に同派の仏僧がパーリ語で書いたといわれている。「ある理由」については後述したい。

さて資料が出揃ったところで話を前に進めることとする。

まず北タイの先住民がモーン(Mon)、ルワであったことはよく知られることだ。ルワはいまでこそタイ化が進み、独自民族文化の後退は否めないが、ボールアン高原やクンユームの山懐に現存する。ボクもビルマ国境沿いの108号線をメーサリアンからメーホンソンに向け走っているとき、彼らの集団に出会ったことがある。またモーンは8世紀末(伝承では661年)、現在のランプーンに女王チャーマティウィの国・ハリプンチャイを建国した。北タイでは初めての独立国家である。

チャーマティウィは中央タイのロッブリーにあったドヴァラヴァティ王国の王女でもあったと書かれている。ランプーンにあった寺院の僧を中心とするムアン(部族の緩やかな連合体)の指導者として招かれたらしい。

女王を祀るワット・プラタート・ハリプンチャイ(創建は897年)、ワット・ククット(同8~9世紀頃)は有名な寺院でもある。いずれも現在のランプーン市内にある。またランプーンからランパーンに抜けるコ・カー郡(ハリプンチャイ当時の要塞があった)にもワット・ポン・ヤン・コックなどのチャーマティウィを祀る古刹が集中する。

ドヴァラヴァティ国はチャオプラヤー川下流域のみならずビルマ西部(タトーン、ペグー)、タイ中央部(ナコンパトム、ロッブリー)を支配した大国であった。

女王の国ハリプンチャイの政治中枢には周辺山岳部を支配していたルワも参画していたという。その宗教文化は初期のバラモン色の強いものから、その後、スリランカ・シンハラ派の仏教に帰依する(上座部仏教)。タイ族のこの地への到着はあと300年以上も待たなければならないが、タイ仏教の礎はすでに確立していたことになる。ハリプンチャイの支配地は隣のランパーンにも及んでいた。

そして次に登場するのが1081年に成立したパヤオ。そして11世紀末成立のプレーである。両国ともウィアンと呼ばれ、四方に環濠をめぐらし、堅固な城門備えた城塞都市であった。ハリプンチャイはランパーンを支配下に置いた後、たびたびブレーに侵攻したが堅固な城壁に阻まれ、支配できなかったとの記録が残されている。しかしハリプンチャイ国のパヤオ進攻の記録はない。たぶんパヤオまでのルートに(クンターン峠など)急峻な山越えがあったために免れたのかも知れない。パヤオは三方山に囲まれた天然の要塞でもある。

パヤオ、プレーはタイ族のムアンだという。なぜならパヤオはチェンセーンのタイ王族・ポー・クム・チョーム・ダームが周辺をまとめた都であるからだ。またプレーについては記述も少なく詳細は不明だが、後世になってランナー、パヤオ、プレーの軍事的連合などから考えると、こっちも同じタイ族であったのではと思われる。

そこで問題になるのがチェンセーンのタイ族である。北タイの盟主となるランナーはマンラーイによって1263年、まずチェンラーイに建国される。だが、伝承によると、彼の始祖はかなり早い段階にメコン河流域を南下したタイ族の1グループで、6世紀頃にはすでにチェンセーンの地にムアン・グン・ヤーンを成立させていたとされる。詳細は後述に譲るが少なくともランナーの建国の約200年も前にタイ族の支配地が北タイのパヤオ、プレーにあったのだ。メコン河に沿って南下したタイ族は、タイの地に波状的に進出していく様がうかがえる。

タイの教科書では最初の王国はスコータイだとする。建国は1236年、シーインタラーティット王による。彼はもともとクメールが支配していたムアン・バーン・ヤーンの首長にすぎなかった。つまりクメールの支配地にタイ族が進出し、アンコール王の信任の下で一定の勢力が生活基盤を築いていたことを意味する。

クメールの遺跡は東北タイに集中しているが、北タイにおいても7~12世紀までその勢力を伸張させていた。しかしなぜかチェンセーンやチェンラーイ、チェンマイなどランナー地域にはクメールの足跡は薄い。あの独特のとうものこしのようなプラーン(堂塔)の痕跡を知らない。しかし、チェンマイの真北約130キロのところにファーンの町がある。ここにクメール帝国の先遣隊駐屯地があったと記録されている。

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