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メコン圏現地作家による文学 第6回「12のルビー ビルマ女性作家選」(マウン・ターヤ 編、 土橋泰子/南田みどり/堀田桂子 訳)後編
- 2002/7/10
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メコン圏現地作家による文学 第6回「12のルビー ビルマ女性作家選」(マウン・ターヤ 編、 土橋泰子/南田みどり/堀田桂子 訳)後編
「12のルビー」ビルマ女性作家選 後編 (マウン・ターヤ 編、 土橋泰子/南田みどり/堀田桂子 訳、1996年2月(新装版)、段々社)
この邦訳書のタイトルは『12のルビー』と題されているが、原書は、ビルマの作家・編集者であるマウン・ターヤ(Maung Thaya)氏が編集した『Yane Myanmar Wuthtudomya』(ヤーネ・ミャンマー・ウットゥドゥ)。ビルマ語の意味は「現代ビルマ短編小説集」で、1985年Sapay Lawka Pressより刊行されたもの。本邦訳書は、選考された12作品の現代短編小説集となっているが、すべてビルマ人女性作家によるもので、12人の様々な作家の作品が味わえる。本書の概要・特徴及び3名の作家の作品紹介(ベテラン女流作家キンスェウーの短編小説『行列』、1925年生まれで1948年から文壇に登場した戦後ビルマの女性作家の先駆者的存在であるキンフニンユの作品からは、『ゆりかごを揺らす手』、設計技師として勤務する兼業作家のマ・サンダーの作品『「諸々の愚者に近づくことなかれ』とは言うけれど・・・」)については、前回記したので、今回は本書掲載作家残り9名の作品を紹介する。
21歳の若さで1967年に長編小説『国民文学賞』を受賞したマ・フニンプエの本書掲載作品は、『持たざる者の愛』。夫も子どもも亡くし田舎から出てきたばかりの若い女性が、ラングーンの豪壮なお屋敷に暮らす奥さまが産んだばかりの子どもを、これから3年間外国に留学する奥さまに代わり、ナニー(子守)として屋敷に住み込みで愛を注ぎ育てるが、やがて奥様が留学を終え屋敷に戻ってくる。「持たざる」者の愛というタイトルがやけに哀しい話だ。
会計監査局に勤める兼業作家キンミャズィンの作品『母なる先生』では、人生観の違う夫と別れ3人の子どもを育てながら年老いた母親の面倒を見ている安月給の田舎の女教師が主人公。子どもたちに実直・誠実に接しようとする先生であるが家庭では経済的に苦しい中で自分の子どもともぶつかる母の姿が描かれる。ラストのシーンは、なかなか胸をうつものがある。”・・・この子たちの人生がまっすぐ進んで行くよう見守ること、それだけが私の役目。”の文章で終わっている。
高校在学中より詩、小説、戯曲、エッセイを書き始め、39歳の1981年に短編集『ジャスミンの花輪とガモン花』で国民文学賞を受賞したチューチューティンの作品としては、『太陽と月』が掲載されている。冒頭、”夜出る月と昼出る太陽はどうして会えましょう”と、歌手のピューティーの歌のフレーズから書き出しが始まる本書では、”夜出る月”のような一晩中夜警をつとめ、日中ずっと眠り呆ける若者トゥと、”昼出る太陽”のような日がな一日市場で商う何でも売りの娘キンメーという、普通であれば出逢わないないような2人の奇妙な出会いをし、やがて結ばれ祝儀をあげる様子が描かれている。キンメーという娘の威勢の良さも楽しいし、祝儀の場面もにぎやかだ。
ウィンウィンラッは、医学生の1974年から短編小説を書き始め、本書刊行時には、ラングーン病院と協同組合の診療所に勤める傍ら、小説を書いており、テーマも医療に関するものが多い。本書に収録された『切葉丸扇の葉を傘にして』も、医学を学び当初診療所の勤務医として働くが、すぐに個人診療所を開いた若い女性医師が主人公。セーダナー・ピュー(”白い誠意”)という名の個人診療所を開き医療事業を続ける主人公の奮闘ぶりが描かれている。ヤシ科の小木でその葉の葉面の半径90cmと小さくないが、、葉には数箇所に切れ目がある”切葉丸扇(キレハマルオオギ)の葉”を作品のタイトルに使ってある。開業した自らの診療所を、安心してやどれるほど包容力のある傘ではなく、被いとは名ばかりの代物だろうが、今後歩き続ける大砂漠の長旅と言う人生において、この切葉丸扇の葉を傘と思ってかざし、歩み続けていかねばなるまいという強い自立への決意と希望が、作品のラストで表されている。また本作品では、国営の病院、協同組合の診療所と個人経営のクリニックに大別できるビルマの医療機関や、学業終了後の求職が厳しい様子、無免許医の存在、医療機関の台所事情と経営など、ビルマの医療をとりまく事情を色々と窺い知ることができる。
『ロマンティック・ゴースト』の作者・ジューも、マンダレー医科大学を卒業し、本書刊行時には、出身地のイェナンジャウン市の協同組合診療所で医師として働きながら小説を書いている。この作品は、他の作者の作品とはかなり趣を異にしており、作風・文体の違いは明瞭だ。「空想世界から抜け出そうともがくが抜けきれない女性の感覚をこの作品で描きたかった」そうであるが、現実とも夢想ともおぼつかない不思議な意識の世界にひきずりこまれる。
身にまとっていたタメイン(女性用ロンジー)が魚を取りに行った川で流されてしまい恥ずかしい思いをしながら走って家まで駆けて戻る少女の話『一枚のタメイン』は、1993年、長編小説『ミャセインビャー通りの人々』で国民文学賞受賞のヌヌイー(インワ)の文学界デビューとなった1984年の短編。母を亡くし3人の幼い妹と舟の渡しを業とする父の家事を行い家計のやりくりを心配するしっかり者の少女でもあるが、思春期の年頃の娘がみずみずしく描かれている。
高校教師の傍ら作品を発表してきたモウニェインエーの作品『そのまなざし』は、多くの人が自らの心の弱さを見透かされえぐられるような鋭さを持った作品ではなかろうか?子どもの時大人が子どものお金を取るのを見てそ知らぬ顔を決め込む他の大人の前で、恐れ知らずに一人で大人たちの中でやりあった主人公が、20年以上経ち教師になった今、似たような場面に遭遇するが・・・。盗みを働いたサイカー運転手の主人公へのまなざし。そして主人公はその場面のどのように見ていたのか?。本作品のラストはこう結ばれている。「今や私には、考えるべきことが一つ生じています。翌日私の生徒たちに「道徳」を教えるとき、私は品行のご利益だけを単に教えるべきか。品行の真因までも、手さぐりしながら組み入れて説明すべきなのか。それとも私の十八番たる、”誰が法を破ろうと自分自身は破るな”という我関せずの教訓をまず教えるべきであろうか。生徒たちに教える前に、私自身道徳学についてしっかり勉強しなければなりますまい。”
『ケッガレイの耳飾り』の作者ミャフナウンニョーもまた、医科大学に学び、医師として勤務しながら作品を発表しているが、本作品そのものの初出も、一般の文芸誌ではなく「第二医科大学年刊雑誌」だ。ダイヤの耳飾り一対を結婚の贈り物として恋人からもらった娘が、他のビルマの女性と異なり、どうして自分の場合、母が自分の耳に孔をあけてこなかったかの理由を尋ねる。母一人娘一人のこの親子が、一つの布団に入りながら、母親が自分の結婚の時からの話を語りだす。母の娘への愛情と娘の母親への理解が暖かい。
本書の最後に収録されている作品『ニョウピャーはコーリャ川のほとりに住む』の作者は、ビルマで4度も国民文学賞を受賞した代表的な女性作家モゥモゥ(インヤー)。本書収録作品は、どれもそれぞれが短編小説の面白さが十分発揮されたインパクトの強い作品ばかりであるが、個人的には、長編とはいえないが本書収録の他の作家の作品よりは多少長めのこの短編小説が、読後いつまでも気にかかっている。この作品は故郷への愛着と故郷を離れての生活、親孝行と親の死、農村と都市生活、学業と仕事、教育と環境、故郷での女友だちなどといったことをしんみりと深く考えさせる味わい深い作品。& 各短の原著者紹
本書の目次 & 各短編の原著者紹介
<日本の読者のみなさんへ> マウン・ターヤ■行列 キンスェウー(『スィッピャン』誌1980年7月号初出/土橋泰子 訳)
原著者:1933年、上ビルマのザガイン市に生まれる。父親は作家の故マハースェ。マンダレー大学で学士号を取得。高校教師となる。の後教育大学で教育学士号を取得。現在は婦人雑誌『ザベーピュー(白いジャスミン)』を自ら編集、発行している。25歳の時から雑誌などに短編小説を書き、28歳で最初の長編小説『わが祖国』を発表。今日までに長編小説60編以上、短編小説300編以上を発表している。■ 「諸々の愚者に近づくことなかれ」とは言うけれど・・・ マ・サンダー(『チェリー』誌1984年9月号初出/堀田桂子 訳)
原著者:本名はチョウチョウティン。1947年、ラングーン市に生まれる。父親は作家のマンティン。ラングーン工科大学に学び、建築学士号を取得。現在は建築省第二建設公社の設計技師。1965年に短編小説を書き、文学界にデビュー。今日までに単行本11冊、その他雑誌などに短編小説50編余を発表している。■ 持たざる者の愛 マ・フニンブエー(『グエーターイー』誌1974年2月号初出/南田みどり 訳)
原著者:本名はミャミャタン。1946年、モウゴウ市に生まれる。ラングーン大学に学び、理学士号を取得。1968年から80年までラングーン病院放射治療科にて技師として勤務。現在は情報省出版局副編集長。1967年に長編小説『霞たなびくところ』で国民文学賞受賞。現在も短編、長編小説を発表している。*1990年ドイツでジャーナリズム学博士号取得。■ 母なる先生 キンミャズィン(『モーウェ』誌1979年6月号初出/堀田桂子 訳)
原著者:本名はティティミン。1956年、シンビュウヂュン市に生まれる。ラングーン経済大学に学び、経済学士号を取得。1975年、『経済大学年刊雑誌』に短編小説を書き、文学界にデビュー。1979年から数多くの雑誌に短編小説を発表している。■ 太陽と月 チューチューティン(『グエーターイー』誌1982年12月号初出/南田みどり 訳)
原著者:本名はキンタンウィン。1942年、イラワジデルタ地帯のワケマ市に生まれる。ラングーン大学に学び、文学士号を取得。1957年の高校在学中より詩、小説、戯曲、エッセイを書き始める。1981年に短編集『ジャスミンの花輪とガモン花』で国民文学賞受賞。今日までに長編の単行本14冊、短編180編余を発表している。■ ゆりかごを揺らす手 キンフニンユ(『マヘティー』誌1984年10月号初出/土橋泰子 訳)
原著者:本名はマ・キンス。1925年、ワケマ市に生まれる。22歳の時、当時の政権政党反ファシスト人民自由連盟(パサパラ)本部で職務に就きながらニュース解説文などを書き始める。その後ウー・ヌ元首相の秘書官を務める傍ら大学生活を続ける。ラングーン大学で学士号取得。1948年から短編小説を書き始める。1960年にサーペーベイマン賞委員会から短編小説集賞受賞。諸事情により約10年間、休筆後、いま再び短編小説を書き始めている。■ 切葉丸扇の葉を傘にして ウィンウィンラッ(『シュマワ』誌1982年8月号初出/南田みどり 訳)
原著者:本名はウィンウィンシェイン。1951年生まれ。軍幹部の父親の転勤で、幼少より各地で教育を受ける。ラングーン第一医科大学で医学士号をを取得。その後ラングーン病院などで医師として勤務。医学生の1974年から短編小説を書き始めて現在に至る。■ ロマンティック・ゴースト ジュー(『シュマワ』誌1982年3月号初出/堀田桂子 訳)
原著者:本名はティンティンウィン。1958年、イエナンジャウン市に生まれる。マンダレー医科大学卒業。現在はイエナンジャウン市協同組合診療所にて医師として勤務。1979年、『マンダレー医科大学年刊雑誌』に短編小説を書き、文学界にデビュー。現在は雑誌に短編小説を発表している。■ 一枚のタメイン ヌヌイー(インワ)(『シュマワ』誌1982年3月号初出/堀田桂子 訳)
原著者:本名はヌヌイー。1957年、インワ市に生まれる。マンダレー文理科大学に学び、理学士号を取得。1984年に本短編で文学界にデビュー。現在は短編と長編小説を執筆している。*1993年に長編小説『ミャセインビャー通りの人々』で国民文学賞受賞。■ そのまなざし モウニェインエー(『シュマワ』誌1978年12月号初出/南田みどり 訳)
原著者:本名はティンモウエー。1944年、ラングーン市に生まれる。ラングーン大学に学び、文学士号を取得。現在は高校教師。1961年に詩と短編小説で、文学界にデビューした。*高校教師の傍ら長短編30編を発表。1993年没。その後、短編集と長編小説が1冊ずつ刊行された。■ ケッガレィの耳飾り ミャフナウンニョー(『第二医科大学年刊雑誌』1982年刊初出/堀田桂子 訳)
原著者:本名はキンレィニョー。1949年、タウンジー市に生まれる。ラングーン第二医科大学に学び、医学士号を取得。現在はインセインの協同組合診療所などで医師として勤務。1978年から文芸雑誌に短編、長編小説を発表。1984年に長編小説の単行本を3冊出した。■ ニョウピャーはコーリャ川のほとりに住む モゥモゥ(インヤー)(『サーペィロウッター』誌1981年5月号初出/土橋泰子 訳)
原著者:本名はサンサン。1945年、ダイウーに生まれる。ラングーン大学に学ぶ。大学時代、女子学生寮インヤー寮に暮らしたのに因んでモゥモゥ(インヤー)というペンネームをつけた。1974年に最初の長編小説『道なき道を手探りで』で、80年に『雑誌発表長編小説集』、82年『短編小説集1』、87年『短編小説集2』でそれぞれ国民文学賞受賞。今日までに、長編小説約20編、短編50編以上を発表している。*1990年没。訳 注
巻末付録 原田正美(はらだ・まさみ)
(1986年10月~88年10月、文部省派遣留学制度でビルマに留学。現在<発刊当時>、大阪外国語大学ビルマ語学科非常勤講師)訳者あとがき
作家たちの経歴について初版から特筆すべき変化のあったものは、それぞれの訳者が作者紹介の欄に加筆(*の部分)。
編者紹介:マウン・ターヤ(Maung Thaya)
1931年マンダレー市生まれ。マンダレー大学に学ぶが1953年治安維持法違反で投獄、大学より永久追放処分される。その後、雑誌編集者の傍ら100編以上の長短編を発表。ビルマ文学界の実力派作家の一人だが、1989年以降小説の執筆は禁止されている。(本書紹介文より ー発刊当時)訳者紹介(本書紹介文より -発刊当時)
土橋泰子(どばし・やすこ)
1935年生まれ。大阪外国語大学ビルマ語学科卒業。同大学専攻科修了。1957~58年ビルマに留学。現在、東京外国語大学ビルマ語科非常勤講師、外務省研修所講師。訳書に『母・道なき道を手探りで』、『ビルマの民衆文化』など。
南田みどり(みなみだ・みどり)
1948年生まれ。大阪外国語大学ビルマ語学科卒業。同大学院修了。現在、大阪外国語大学地域文化学科教授。訳書に『路上にたたずみむせび泣く』、『剣の山を越え火の海を渡る』、『東より日出ずるが如く』、共著に『女たちの世界文学』など。
堀田桂子(ほった・けいこ)
1957年生まれ。本名土佐桂子。大阪外国語大学ビルマ語学科卒業。同大学院及び総合研究大学院大学修了。1982~84年ビルマに留学。現在、上智大学客員研究員、東京外国語大学ビルマ語科非常勤講師。訳書に『欠けているところを埋めて下さい』など。
各作品の主な登場人物
●「行列」
・年金生活の退役軍人(主人公)
・哲学的な女教師
・20歳ぐらいの若者
・電気料金支払所事務所職員
・モンセインバウン(ビルマの蒸し菓子)売りのおばさん●「『諸々の愚者に近づくことなか れ』とは言うけれど・・・」
・ワイン(主人公の老婆)
・ピョンウェイ(ワインの娘)
・セインマウン(ワインの娘婿)
・キンマウン(ワインの夫、教師)
・トーマウン(ワインの孫)
・タン(近所に住む魚を売る女)
・エイサウン(セインマウンの友人でサイカーの運転手)
・キンマー(トーマウンの恋人)
・(トーマウンの学友)
・ティンアウンタン
・アウンルィン
・ミャミン・テッマウン●「持たざる者の愛」
・ノートゥー(主人公の若い子守)
・アモウ(奉公人の手配人)
・ソーテエレー(ノートゥーの子)
・「月坊や」という愛称の子ども
・奥さまとその夫
・おお奥さま
・飯炊きの小母さん
・庭師
・医師●「母なる先生」
・私(主人公の女教師)
・ニーニー(主人公の長女)
・主人公の長男
・主人公の末息子
・主人公の別れた夫
・ティンチュー(同僚の女教師)
・チョウチョウ(同僚の女教師)
・トゥンアウン(同僚の男教師)
・ポーニョ(トウモロコシ畑所有者)
・トゥーマー(1年生の子ども)
・トゥーマーの母親
・ポートゥツ(主人公の別れた夫の子)●「太陽と月」
・トゥ(夜警の若者)
・キンメー(市場での物売り娘)
・ピョン(トゥのすぐ下の妹)
・キンメーの両親
・チッ、ポウ、、イイ(キンメーの兄妹)
・ミャウィン●「ゆりかごを揺らす手」
・ミャメイ(主人公)
・スェ(主人公の姉)
・ミャメイの母
・ミャメイの父
・プースゥ(主人公の妹)
・ニョウ(主人公の妹)
・トゥエトゥエ(主人公の末妹)
・キンチョ(産婆)
・サンシュエ(サイカー屋)
・トゥンルイン●「切葉丸扇の葉を傘にして」
・ピュー(主人公)
・ラージュー(インド人の洗濯女の息子である10歳のインド人少年)
・サン(ピューの姉)
・スエー(ピューの妹)
・ラッ(ピューの友人)
・老華僑の個人診療所経営者
・ピーター(医師)
・よろず屋の母親と息子の青年
・イー小母さん(家主)
・薬店主の中国人
・田舎の富豪中年夫人●「ロマンティック・ゴースト」
●「一枚のタメイン」
・ミドー(主人公)
・ミドーの3人の妹
・ミドーの父親
・エィマウン(寺の小僧)●「そのまなざし」
・私(学校の教師)
・サイカーの運転手
・豚肉の籠の持ち主の少年
・レッチャミー(モントゥンザ売りのインド人少女)
・揚げもの屋の女
・モンレッサウン屋
・かき氷屋のおじさん●「ケッガレイの耳飾り」
・ケッガレイ
・ボーボー(新米の医者、ケッガレイの恋人)
・ケッガレイの母親
・ボーボーの父親
・ケッガレイの伯母●「ニョウピャーはコーリャ川のほとりに住む」
・アゥンカイン(主人公)
・レィチッ(主人公の母)
・主人公の父
・主人公の姉、妹
・土地の産婆セェ
・ニョウミャ(主人公の女友だち)
・ニョウピャー(ニョウミャの娘)
・ティンフラおじさん(主人公の父の従兄)
・ワーワー(主人公の妻)
・エィアウン(ニョウミャの夫)
・アゥンングエ(ニョウミャの息子)
・ボゥボゥ(主人公の姉が生んだ子)
掲載の訳注一部解説
・サイカー サイドカーの略。自転車の横に客の乗る台車を取り付けた乗り物
・タマリンド ビルマ名はマジイ。豆状の実に酸味があり調味野菜となる他、葉も食される。
・モウセインバウン ビルマの蒸し菓子。繁華街の道ばたで、コンロや蒸し器などを持参して蒸したてを売るのは、だいたい主婦の内職
・モヒンガー屋 モヒンガーとはビルマ人の代表的スナック。米粉で作ったそうめんのような麺に、魚肉を主材料にしたソースをかけて食べる。屋台や、天秤棒で材料をかついで来たりの簡易モヒンガー屋は、人通りの多い所で良い商いになる。
・モントゥンザ 米粉を水でねり、蒸して糸状に絞り出して砂糖やココナツ粉をまぶして食べる食べ物。
・モンレッサウン 蒸したもち米を小さく丸めて湯通しして、ココナツミルクまたは砂糖水に入れて食べる夏向き伝統菓子。
・ピアスの孔 普通ビルマの女性は、一種の通過儀礼として穿耳式を行い、耳たぶに孔をあける。『ケッガレイの耳飾り』に言及されるように生まれてすぐミードウィン(子どもが生まれてから7日目までの間のこと)に穿耳をすることもあるが、6歳ぐらいから12,3歳頃にかなり大々的に穿耳式を行うことが多い。
・コーリャ川 ペグー管区南東部でシッタゥン川に合流している川。著者のモゥモゥ(インヤー)の出身地ダイウーの近くも流れている
・イエナンジャウン ビルマ中部、マグェ管区にある市の名前。石油産出で有名
・シンムエヌン王女 伝説上の王女の名前。シンムエヌン王女には恋人のナンダー王子がいたが、彼は家来の鰐に誤って飲み込まれて死んでしまう。そのことを知って、シンムエヌン王女は悲しみのあまり胸が張り裂け死んでしまったといわれる。
・切葉丸扇 ヤシ科の小木。幹径9センチ、葉面の半径90センチ。葉は数ヶ所に切れ目があるので、雨が降っても傘代わりにもならない。
・タメイン 女物のロンジー。特に田舎では、下着をつけずにタメインを着用することが多い
・オンノゥ・カゥスェ ゆであげた中華ソバの上に、ココナツミルクで鶏肉や玉ねぎを煮込んだソースをかけて食べる。スナックではあるがココナツミルクを絞る過程が面倒なためか、ちょっとご馳走という感じで、結婚式とか葬式とか男児の得度式などの際のおふるまいによく出される。