メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第3回 「タイ山岳民族カレン」国際保健医療活動の現場から(大森絹子 著)

メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第3回 「タイ山岳民族カレン」国際保健医療活動の現場から(大森絹子 著)


「タイ山岳民族カレン」国際保健医療活動の現場から(大森絹子 著、朱鷺書房、1997年1月発行)

<著者紹介> 大森 絹子
1953年9月、大阪府堺市生まれ。高校卒業後の1972年、大阪市立大学医学部看護専門学校に入学。保健婦、助産婦、看護婦、メディカルソーシャルワーカーとしての臨床と地域保健看護を1976年、日本基督教団阿倍野協会で受洗。日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)ワーカーを志願する。

1982年4月~1986年4月の4年間、保健医療ワーカーとしてJOCSからタイに派遣される。バンコクでのタイ語研修を経て、任地先の北タイ・メーサリアンにて山岳民族カレンを主対 とする地域保健医療に従事。その後、ケース・ウエスタン・リザーブ大学大学院(米)にて医療人類学と国際保健学を専攻。1990年より1992年まで再びメーサリアンで、巡回診療班の現地スタッフへの教育と指導。それに並行してポーカレン族とスゴーカレン族に対する医療人類学的栄養比較調査を実施。

1994年5月よりタイとミャンマーにおいてエイズ教育とカウンセリングプログラムに取り組んでいたアメリカのNGO団体・ワールド・コンサーン・インターナショナル(WCI)に協力。エイズプログラムのコンサルタント兼プログラムコーディネーターとして北タイ・チェンマイにあるWCIの組織下の現地エイズ・カウンセリング・アンド・トレーニングセンター(ACT)で活動。

本書は、国際医療活動に取り組みつづける著者が、北タイ・メーサリアンを拠点にタイの少数山岳民族カレンの部落に入り、巡回診療活動を続けた記録を柱に、自らの生い立ちから、北タイでの活動後に新しい学問である医療人類学をアメリカで学び、その後再び北タイでエイズ問題に関わる事になるまでの半生史である。と同時に、北タイのカレン族をはじめとする人々の暮らしや環境について、医療の面に限らない様々な事実を知らせてくれる記録でもある。

大変な苦労や私生活上での苦しみ・不幸の中でも、くじけずに自分の意志を貫き、さらに高い目標に向けて頑張る著者の姿勢・生き方には、心を揺さぶられ、ただただ感服する限りだ。

病気や障害で苦しんでいる人の世話ができる人間になりたいと看護の道に入った著者は、病院実習で受け持った骨肉腫に苦しむ16歳の少女の死をきっかけに、キリスト教と出会い、また同じ頃、マザーテレサに非常に感銘を受ける。そして家族の反対を押し切って、22歳になる頃、一人でインドに旅立ち、カルカッタにあるマザーテレサの修道会を訪ね<死を待つ人の家>と<孤児の家>でボランティア活動に加わる。この旅によって、アジアの開発途上国で、医療の行き届かない人たちと共に生き、その地域に根ざした保健医療協力のできる人間に成長したいと決意する。そして国際保健協力者として活かしてくれる派遣団体を見つけるために情報収集に努め、JOCSに加入する。積極的な人であればここまではできようが、著者のすごい点は、近い将来東南アジアのどこかの僻地で現地の人と交わって一人で働く時に遭遇するであろういろいろな問題を想定し、それらをクリアーするために必要な準備として、8項目を5年間の期限を切って生き方の目標設定をし、その志を実現するために、日々努力を続けたことだ。

そしてタイ国北部のメーホンソン県メーサリエン郡にあるメーサリエン・キリスト教病院から、JOCS東京事務局に、少数山岳民族カレンに対する巡回診療班のワーカーとして働くことのできる熟練した保健医療の専門家を派遣してほしいという要請があり著者に打診があった。まだ自信が持ちきれず悩みもしたが、3回目の要請があった1981年末、遂に著者は承諾する。

バンコクでの約10ヶ月間のタイ語研修があったが、タイ語習得に苦しみ、期待と不安が入り乱れるまま、1983年1月末にはいよいよメーサリエンに赴任する。落ち着く暇もなく、すぐにメーサリアン病院で外来患者を見ることになるが、まず言葉の問題が海外での活動を行う上で大きなネックになる。まして場所が場所だけにバンコクで話されている標準タイ語とはアクセントも言葉自体さえ異なる言葉がある北タイ語、ビルマ語、英語であり、患者の大多数はカレン語で、それも大別してスゴーカレン語とポーカレン語に分かれる。また言語、文化、生活習慣、生活様式が違うスタッフとの共同ワーク、日本では普通考えられないような患者の病状の原因及び家族を含めた周囲の対応など、このタイ辺地の町での病院勤務だけでも色々と大変なことは容易に窺い知れる。

更に驚かされるのは、山地部落への巡回診療だ。山地部落での食事やトイレ、宿泊、水利用などだけでなく、部落への行程でさえ尋常ではない。しかもほんの数日だけでなく、月の半数近くはこうした山地に入り、各部落での巡回診療を継続して行っているわけで、肉体的にも精神的にも厳しいこの山地部落での診療活動の詳細な記録には、圧倒されてしまう。決して「独り善がりの使命感」による個人の善行記録となっておらず、カレン社会への理解と思いも随所に散りばめられている。また今後のタイ政府の活動と民間側の活動、また「援助支援」側と現地側とのあるべき関係などにも考察し言及している。山地部落でのカレンの人たちとの交流で知りえたカレン社会や生活習慣・暮らし、「近代化」等周囲の環境変化の及ぼす変化なども色々と紹介されている。

著者は、北タイでの任期を終えた後、もう一度広い視野で後発地域の医療・保健のことを学ぼうと、アメリカの大学で医療人類学を学ぼうと決意を固める。当時の日本では、まだ一般的には知られていない学問であった医療人類学とは、本書によれば、「医療に関する様々なテーマを生物科学的にとらえるだけではなく、文化人類学的(社会文化的側面)に、特に主体を人間の行動パターンの中で、調査、研究していく学問」とのことだ。アメリカの大学で博士号をとった後、再度北タイに戻った彼女は、今度はエイズの問題に取り組んでいくことになる。本書全般を通じ、著者の凄さにとにかく圧倒されるが、個人的な能力もさることながら、それに加え、いろんな過程で生じる不安や悩み・苛立ち・「放棄」への誘惑などを乗り越える精神の強靭さが凄い。キリスト教の信仰や有志からなる「大森さんを支える会」の存在なども、精神的な支えになったことであろう。

社団法人 日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)
アジアへの保健医療協力を行っている民間の海外協力団体(NGO)。事務局は東京と大阪にある。
海外での活動
(1)医療の行き届かな地域へ、保健医療従事者(ワーカー)を派遣
(2)現地医療従事者の人材育成協力

国際保健医療者として活躍する準備として、大森さんが設定した目標8項目
①東南アジアの地域保健医療分野で働く人たちを訪問し、現地研修を積む
②日本の僻地や離島で働く保健婦・助産婦業務の役割と現状を知り、実地研修を積む
③熱帯医学全般に関する知識の研鑚と実習を積む
④病院での分娩介助件数を増やし、異常分娩にも対処できるよう応用能力を身につける
⑤基本的な救急医療と外科処置をマスターする
⑥語学の学習と訓練を行う
⑦信仰を深め、心の鍛錬をしていく
⑧家族に少しでも働きかけ、私の人生観を理解してもらうよう努力する

ポーカレンとスゴーカレンに対する医療人類学的比較調査結果からの一部引用紹介
年齢5歳以下の乳幼児とその母親にとりわけ関心が向けられており、調査結果は、乳幼児の栄養摂取量や発育状態は、クリスチャン・スゴーカレンのほうが、アニミスト・ポーカレンより良く、死亡率と罹患率も低いことが判明。そしてこの2グループの差には、社会文化的要素が大きく影響している。詳細は本書を参照していただきたいが、主としてアニミストポーカレンにおける数々の事象を報告している。具体的には、出産直後の宗教的儀式や離乳食に対するタブー、乳幼児が病気になった場合の食事のタブー、マラリアに対する伝統的対処法、乳幼児の病気の原因はほぼ悪霊によるものと考え、治療には部落の伝統治療師(祈祷師)に頼ること、乳幼児の健康を支配する体霊と注射部の発赤、痛みなどを関連付け予防注射を拒絶することなど。

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