メコン圏を舞台とする小説 第46回「あるヴェトナム人」(堀田善衛 著)


「あるヴェトナム人」(堀田善衛 著、新潮社、1970年9月発行)
*初出(発表誌年月)「あるヴェトナム人」≪文学界≫ 1964年3月号

<著者紹介> 堀田善衛(ほった・よしえ) <*1918(大正7年)~1998(平成10年)>
1918年、富山県高岡市に生まれる。1942年、慶応大学文学部フランス文学科 を卒業。1952年、「広場の孤独」その他の作品により芥川賞を受賞。主な作品に『海鳴りの底から』、『若き日の詩人たちの肖像』、『方丈記私記』、『ゴヤ』、『スペイン断章』、『定家明月記私抄』、『ミシェル 城館の人』などがある。1998年没。

富山県高岡市(生家は富山県伏木港の廻船問屋)出身の戦後派を代表する作家・評論家の堀田善衛(1918~1998)は、1942年、国際文化振興会に就職し1945年に中国に渡り上海で上海で敗戦を迎えた体験から『広場の孤独』(1951年)その他の作品により1952年に第26回芥川賞受賞し、その後も国際的な視点から歴史や戦争を描いた作品が多いが、アジア=アフリカ作家会議へも力を入れ、1959年にはアジア・アフリカ作家会議日本評議会の事務局長に、1974年に結成された日本アジア・アフリカ作家会議でも初代の事務局長を務め国際的に活躍の場を広げた作家。また、「べ平蓮」の発足の呼びかけ人でもあった。1974年~1975年に『堀田善衞全集・全16巻』が刊行されているが、1975年以降の作品も収録し1993年~94年に刊行された『堀田善衞全集・全16巻』(筑摩書房)に、50年に及ぶ文業が集成されている。1998年には「国際政治の問題点を浮き彫りにした活躍」が評価され日本芸術院賞を受賞するが、同年病没。

本作「あるヴェトナム人」は、その堀田善衛が、『文学界』1964年3月に発表した短編作品。ストーリーの舞台は、1960年代前半のある年の1月のフランス・パリであるが、ストーリーで一番重要な人物が、パリ在住のあるヴェトナム人男性。本作品のタイトルを付けた単行本「あるヴェトナム人」は、新潮社より1970年9月に刊行され、短編「あるヴェトナム人」以外に、1956年、1962年~1967年に『文学界』に発表した他短編5編も収録されている。

本作「あるヴェトナム人」は、1960年代前半と推察される年の1月、無気力な旅行者である50歳に近い物書きが仕事の日本人男性からの視点で描かれる作品で、この主人公となる物書きの日本人の中年男性は、飛行場の案内所で決めたパリの下町の学生街の三流ホテルに滞在しているが、中近東や東欧をごろごろ転がり歩いてきて、既に懐も寂しくなり、このパリの下町の三流ホテルで疲れが抜けるのを待って帰国しようとしていて、観光地に出かけるわけでもなく毎日寝てばかり。この下宿屋兼業の宿の太った玄関婆さん(コンシェルジュ)が、あれこれと親切に、観光見物に出かけることを勧めたり、宿の向かいにあった植民地の書き手たちの原稿も集まる出版社の事も教えてくれる場面からストーリーが始まる。

どこへも見物に行く気がない主人公の旅行者は、ある日、シナ料理を食いたいな、と思いながら歩いていて、ある惨めな建物に、ヴェトナム料理、という看板が出ているのを見つけ、偶然入った、中は暗くテーブルは6つほどしかないヴェトナム料理店で、20年ぶりに、あるヴェトナム人の男性と再会する。物書きの日本人男性は、仏文科出身という事で、若い頃、20年前の太平洋戦争中に、東京で、ベトナムからの若い留学生8名(男性5名、女性3名)の世話をさせられたことがあったが、パリで20年ぶりで再会したのは、その戦時中の日本で世話をした留学生の中の一人の男性だった。

8人の留学生たちは、みなベトナムの王族の子女で、いずれも小学校はサイゴンのフランス人学校を、そうして中学校はパリで学び、みな完璧なフランス語を話し、欧州での第二次大戦の開始と同時にサイゴンへ帰り、そこで日本軍の仏印進駐によって、ほとんど強制的に、日本の軍当局に東京へ連れてこられたというに近かった。世話をしていた日本人男性は、その後招集となり、一時日本に暮らすことになったそのヴェトナム人の若者たちとの縁は切れ、その後の彼らの消息も全く知ることはなかった。

ヴェトナム料理屋を出た後に、外で待っていたそのヴェトナム人男性から声をかけられ、別の小さなカフェで、その王族の子女だったヴェトナム人男性から、この20年間、次々と襲いかかる歴史の転変に翻弄されてきた半生が語られる。日本軍の仏領インドシナ進駐によって一時日本に暮らすことになったそのヴェトナム人は、”日本の敗戦で広島の呉港から英軍の船で、その頃英軍が仏軍にかわって管理していたハノイへ帰され、刑務所にたたきこまれた。そして、フランス軍が復帰し、フランス軍に協力することを誓って刑務所から出たが、ディエン・ビエン・フーの戦いとフランスの撤退で、フランス軍による拷問の通訳までさせられるようなことになっていたために、ホー・チー・ミンの軍隊に裏切り者として逮捕される。

刑務所を抜け出してサイゴンへ下った。ヴェトナムは独立し北と南にわかれた。南へはフランスにかわってアメリカが乗り込んだ。アメリカは相手にしてくれなかった。別の貴族が政権を握っていた。そのアメリカ系の政権に追い出されて、フランスへやっとの思いで辿り着いた。そして、今はアルジェリア戦争に揺れるパリで、フランス当局の走狗として、アルジェリア人とOASに対して二重スパイをしている”と、告白する。そして、それを受けて「一番汚い、一番危険な仕事を、行きどころのない、旧植民地人であるヴェトナムの旧貴族にやらせる」という文章が続く。

小説の中で、主人公の日本人男性が、ヴェトナム王族の子女の戦時中の日本留学生たちを思い出し始めた時、”生きているとすれば、もう40にほど近かろう。あれらの学生たちは王族であった筈であるから、パオ・ダイ皇帝の引退とともに、あるいはこのパリか、避寒をしているとしてニースにでも行っているか”と思う場面があるが、阮朝大南国の第13代にして最後の皇帝・バオ・ダイ(1913~1997)が、1955年4月、ゴ・ディン・ジェムにより廃位され、フランスのパリに亡命したが、そのことを指しているかと思うが、バオ・ダイは、その後もフランスに住み続け1997年パリで死亡。

第一次インドシナ戦争(1946~1954)に敗退しベトナムから撤退したフランスは、次はフランス領アルジェリアで勃発したアルジェリアの独立戦争(1954年~1962年)が大きな問題となるが、「アルジェリアは永遠にフランス」をモットーとするアルジェリアの独立を阻止するための武装闘争を展開するフランスの武装地下組織がOAS(秘密軍事組織)。尚、上述のヴェトナム人男性による告白の箇所では、史実は、連合国一般命令第一号(1945年9月2日公布)に基づき、終戦直後は、北緯16度線以北が中国国民党軍に、以南がイギリス軍に割り当てられ、フランス軍が本格展開するまでの間、進駐していたので、英軍が仏軍にかわって管理していたハノイへ帰されたという点は、フィクションとはいえ、気になった。

ヴェトナム料理店で、ヴェトナム料理のメニューの説明がやや詳しいことは不思議な印象を持ったが、短編の書き出しや、終盤の文体表現には深い印象が残った。”冷たい意地悪な面構えの石造りの町筋を歩いていると、妙に不具者や、せむしの男女が眼につき、一向に精がつく、あるいは精が恢復するような景色にはぶつからない。心の底まで灰色に、蕭条として来て、葉を悉く失いつくした並木のどす黒い木立ちまでがまるで自身の胸の底に生えているかに思われて来る。”とか、”街路はもう暗い。早い、早すぎる夜のなかの、どす黒い石の町を黒いオーヴァーを着て彼は ーその彼は(中略)いまの日本で言えば高校生の頃から、ほとんどの日々をいのちがけで、そうして化物のように、年老いた猿のように皺だらけになって・・・。冬の北国の石だたみに、男は自分もがめり込んで行く、と思っていた。かれもわれも、そのうち石に土にめり込んで行く。”という文章。

尚、本書のストーリーと関係するが、堀田善衛の自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』(1966年から2年余りにわたって雑誌に連載され、1968年9月に単行本として刊行)の第4部第3章で、主人公の男が大学卒業後に国際文化振興会調査部に就職するが、仏印から安南貴族の子女5人、女3人に男2人が留学に来ることになり、その世話をすることになる、留学生の人数こそ違え、本書の同じ場面がある。この自伝的小説では、この戦時中の様子がより詳細に描かれている。ほぼ強制的に日本に留学とあって、彼らは日本語を覚えようという気は全くなく、そのベトナム王族の子女たちは、パリではない戦時下の東京を嫌い「大東亜共栄圏などというものは日本人の夢のなかにだけあるのであって、そんなものは現実には存在しない」ともはっきり言い切っている。

◆単行本「あるヴェトナム人」(1970年9月発行、新潮社)収録
・もりかえす (発表:≪文学界≫ 1956年10月号)
・黒い旗 (発表:≪文学界≫ 1962年8月号)
・風景異色 (発表:≪文学界≫ 1963年6月号)
・あるヴェトナム人 (発表:≪文学界≫ 1964年3月号)
・ルイス・カトウ・カトウ君 (発表:≪文学界≫ 1966年5月号)
・墓をめぐる (発表:≪文学界≫ 1967年1月号)

関連テーマ・ワード情報
・日本軍の北部仏印進駐(1940年9月)と南部仏印進駐(1941年7月)
・終戦後の連合国軍のベトナム進駐(中国国民党軍とイギリス軍)
・第一次インドシナ戦争と1954年のディエン・ビエン・フーの戦い
・バオ・ダイ帝の1955年の廃位とパリ亡命

ストーリーの主な展開時代
・1960年代前半のある年の1月 ・1940年代前半(回想)
ストーリーの主な展開場所
・フランスのパリ
・太平洋戦争中の日本(東京、鎌倉、京都、奈良、箱根の仙石原・宮ノ下)(回想)

ストーリーの主な登場人物
・物書きの50歳に近い日本人の男
・色が黒く皺だらけの、くちゃくちゃの顔をしたパリ在住のヴェトナム人男性
・パリのヴェトナム料理店の料理人らしい黒いトックリセーターの青年
・宿の太った50歳近い玄関婆さん(コンシェルジュ)
・パリのP・・・書房の秘書の女
・P・・・社の顧問らしい有名な作家の長身の細い顔つきのC・・・
・ヴェトナムからの王族の子女の若い留学生たち<回想>
・ゴー・ティ・ヴィエト・ハン(Ngo thi Viet Hang、ヴェトナム人女性留学生)<回想>

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