- Home
- メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ, 書籍紹介
- メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第34回「ミャンマー 失われるアジアのふるさと」(乃南アサ 著、写真 坂齊 清)
メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第34回「ミャンマー 失われるアジアのふるさと」(乃南アサ 著、写真 坂齊 清)
- 2025/11/20
- メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ, 書籍紹介
- 2007年ミャンマー反政府デモ, 2025年ミャンマー大地震, アマラプラー, インダー族, インレー湖, カウンムードー・パヤー, カック遺跡, ザガイン, サンウーポンニャーシン・パヤー, ジャパン・パゴダ, シュエウーミン洞窟寺院, タウンジー, タサウンダイン, パオ族, パガン, パガン王朝, ピンウールィン(メイミョー), ビンダヤ, マカーガンダーヨン僧院, 乃南アサ, 長井健司
メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第34回「ミャンマー 失われるアジアのふるさと」(乃南アサ 著、写真 坂齊 清)

「ミャンマー 失われるアジアのふるさと」(乃南アサ 著、写真 坂齊 清、文藝春秋、2008年6月発行)
<著者略歴> 乃南(のなみ)アサ <発行掲載時、本書著者略歴より>
1960年、東京生まれ。早稲田大学社会科学部中退後、広告代理店勤務を経て、1988年「幸福な朝食」が第1回日本推理サスペンス大賞で優秀作に選ばれデビュー。1996年「凍える牙」で第115回直木賞受賞。主な作品に「花散る頃の殺人」「鎖」「涙」「未練」「あなた」「晩鐘」「風の墓碑銘(エピタフ)」「いつか陽のあたる場所で」など。
本書は、1988年「幸福な朝食」が第1回日本推理サスペンス大賞で優秀作に選ばれデビュー、1996年「凍える牙」で直木賞受賞し、以降も、推理小説、サスペンス、大河小説、エッセイなど多彩な分野で数多くの著作のあるの人気作家・乃南アサ 氏によるミャンマー旅紀行エッセイ。乃美アサ 氏は、「美麗島紀行」(2015年11月、集英社)、「美麗島プリズム紀行 きらめく台湾」(2020年11月、集英社)の台湾紀行エッセイから、台湾を舞台とした小説「六月の雪」(2018年5月、文藝春秋)、さらには台湾の国立台湾歴史博物館および秋恵文庫の協力のビジュアル歴史クロニクル「ビジュアル年表 台湾統治五十年」(2016年6月、講談社)も刊行されるほど、台湾を隈なく旅し台湾愛が非常に強い作家としても知られる。台湾については、1911年の東日本大震災で多額の義援金を送ってくれた台湾に関心が生まれ、2013年から台湾を隈なく旅されているが、乃美アサ 氏によるミャンマー旅紀行の本書発行は、2008年6月で台湾に通い出す以前。2008年5月に書かれた本書の「まえがき」では、2007年ミャンマー反政府デモや、2007年9月27日に日本人ジャーナリストの長井健司さんが国軍兵士により射殺されたことにも多少触れているが、著者がミャンマー訪問したのは、2007年ミャンマー反政府デモが起こる前の2005年と2006年。1度目は雑誌の取材で、予定していた他の国に行けなくなり、急遽、代わりの取材地として候補にミャンマーが挙がったくらいだったが、その時の感動が忘れられず、また駆け足取材で不完全燃焼に旅に終わり、翌2006年に、できる限り急がずに、たくさん感じ、たくさん考えられる旅にしようと、ミャンマーを再訪。その時の旅紀行が本書のベースとなっている。
本書は、4部構成で、訪問エリアはミャンマーの中部エリアがメイン。微笑ましく親しめるエピソードも随所に盛り込まれ、非常にミャンマーの人々に優しく温かい視線に溢れた文章が綴られ、非常に読みやすく共感が持てるが、坂齊 清 氏 撮影の美しい写真もたくさん掲載されていて、写真集としても見応えがある。美しい「日没のエーヤワディー川」の見開きページ大の写真から始まる最初の章「たそがれ・かわたれ」では、土地としては、インレー湖にほぼ近いパオ族の村、インレ湖で水上生活を営むインダー族の村と、仏教聖地パガンが取り上げられている。”明るくも暗くもない。不思議な世界が広がっていた。いや、本当は不思議でも何でもないのだ。ただ太陽が西に沈んだだけのことだった。”という文章で書き出し、”何しろ私が暮らす都会の街では、日暮れが来る前に、もうあちらこちらに灯がともるのが当たり前になっている。・・・私たちは、それらの人工的な光の照らし出す世界ばかりを見て暮らしている。・・そんな調子だから、いつの間にかすっかり思い込んでいた。陽が落ちたら、すぐに明かりがないことには、何もかもが立ちゆかないと。日没の後には、瞬く間に闇が広がるものだと。”、といった調子の、こちら側も、改めてはっとする文章が、ミャンマーの中での当たり前の情景に触れて綴られ、いきなり新鮮な気持ちに引き込まれる。たそがれの中の村や夜明け、月光の夜道などの感覚は、懐かしい日本の昔の風景にも繋がる。この章では、軽妙なタッチで、ミャンマーのいろんな話題に筆が及び、ミャンマーの停電、電力事情、食事、アルコール、犬と狂犬病、日本の中古車の再利用など、身近な話題も豊富。よく話題になる、パオ族の女性が頭に巻いているのはバスタオルか?という事にも、著者はとても気になったようだ。その合間合間には、ミャンマーの歴史や多民族構成などの話も紹介されているが、パガン王朝の歴史の紹介はやや詳述。著者はパガンでは、有名なパガン遺跡の気球遊覧も楽しんでいるが、パガン遺跡群は壮大で本当に目を見張る風景。
2番目の章のタイトルは「ケの日ハレの日」。ミャンマー各地で地域のシンボル的な存在となり、人々の絶大な信仰の場として、祈りを捧げに来る人々の姿が絶えないよ仏塔の話から、”ミャンマーで見る仏像は、大抵が人間くさい。愛嬌たっぷりの顔つきをしている”として、日本の仏像とはイメージが大きく異なり、仏像というよりも人間の像にしか見えないものが数多く見受けられると、まず述べている。その流れで詳しく紹介されているのが、シャン州の中心、タウンジーの町から40kmほどの位置にあるカック遺跡。約2500もの様々な仏塔が林立する遺跡で、2000年9月に外国人にも一般開放されたエリアで、それまでは、ミャンマー軍政府とパオ族との戦闘地域となって、ミャンマー人さえ自由に足を踏み入れることは出来かなったといわれる場所にある遺跡。この章では、タイトル通り、ハレの日となるミャンマーの祭りが取り上げられ、11月(ビルマ暦では8月)の満月の日はタサウンダインと呼ばれ、仏教伝統の特別な祭りの休日となり、中でもシャン州のタウンジーでは、この日に各少数民族が様々な気球を飛ばすコンテストが開かれ賑やかな祭りを迎える様子が描かれている。著者は、インレー湖の北西に位置する高原の町・ビンダヤのシュエウーミン洞窟寺院も訪ねているが、8千体以上の仏像が納められている他鍾乳洞の中の洞窟寺院。この章では、資源大国なのにミャンマーの貧困や、タナカ、餅米が中に入った竹筒の食べ物、ミャンマーの僧侶なども話題にしている。
この章の終盤では、ミャンマーの人々の日々の暮らしぶりをみて、著者は、以下のような文章を掲載している。”私たちの国も、かつてはそういう暮らしをしていた。豊かでない時代を生きなければならない人々には、確かに日々の苦労がつきまとい、拭いがたい疲労を背負い続けなければならない重たさがある。だがその代わりに、実にささやかなことでも心から喜び、笑うことを知っていた。家族は老人から幼児までが肩を寄せ合って助け合い、互いに情けをかけることを忘れなかった。今、この国の人たちは、かつての私たちと同じような日々に加えて、さらに祈りを欠かさず、豊かな来世を願って僧侶への功徳を行い、そして、言葉も通じない旅行者にでも、こうして笑顔をむけることが出来ている。彼らは知らないに違いない。実は、豊かな国で暮らす私たちがとうに失い、今もさらに忘れ果てようとしている多くのものを、自分たちがきちんと持ち続けていることも、それらに包まれて暮らせることの幸福も。もしかすると、代表的な先進国で生きている私たちなどよりも、ある意味ではずっと豊かであることも。”
3番目の章のタイトルは「女・少女」。この章では、著者は、旧称メイミョーの名でしられる高原の街で避暑地のピンウールィンを訪ねているが、そこに向かう途中の花々の並ぶ店の前で起きたエピソードが、よほど著者に衝撃的だったようで、そこから、この章のタイトルの「女」が付けられたのかもと思える。著者の友人が、花屋の前で牛車の牛の糞に靴が汚れて困っているのを見た、バラックのような店で質素な暮らしぶりのような花屋の女性が、靴の汚れを落としてくれる、その献身的な心の豊かさに感動する。この章の前半部では、最初にヤンゴンのインド人街、マンダレーの街に触れた後に、ピンウールィン(旧称メイミョー)の街の話や、この街にに向かう途中でのエピソードの話になるが、この章の後半部では、マンダレーの対岸のエーヤワディー川沿岸の多くの僧院を擁する宗教都市ザガインの街の話に移る。外観は女性の乳房に例えられるカウンムードー・パヤーや、150以上のパヤーと僧院とが点在しているというザガインヒルの頂上にあるサンウーポンニャーシン・パヤーが紹介されているが、インワ鉄橋とともに、ザヒルのヒルのビルマ戦線で死亡した日本兵を慰霊するジャパン・パゴダの事にも触れられている。ちなみに、2025年3月28日にミャンマーのザガイン地域を震源地とする大地震で、このジャパンパゴダも大きく損傷してしまっている。この章では、ミャンマーの女性の地位や、出家、少年僧、尼僧の話などが、その他の話題に挙げられている。
最後の4番目の章のタイトルは「働く人々と考える僧たち」。前半部は、「働く人々」として、主に手工芸に携わる人々を取り上げている。インレー湖のほぼ中央部に位置するチャイカンという村で、蓮の繊維を使った織物工房を皮切りに、インレー湖での葉巻工房、パガンの漆器工房、マンダレーからほど近いアマラプラーでの絹織物工房、ビンダヤ付近の傘やノートなどを制作する紙漉き工房が紹介されている。このパートでは、その中で、ミャンマーの国内線の飛行機事情や鉄道、ミャンマービール、菩提樹、蓮、ビンロウ、葉巻、首長族のパダウン族、ナッ信仰などのトピックに話が及ぶが、印象的な話としては、この2006年の段階で、アマラプラーの絹織物工房では、織り子の若い女性たちが、それぞれ織機の片隅に、好きな韓国人俳優の切り抜きを男女を問わず貼っていたこと。後半部は、ミャンマーの僧侶の話に移るが、生糸の町であるアマラプラにあって、千人からの僧侶が暮らしている、ミャンマーで最大かつ最高位のマカーガンダーヨン僧院の話となる。僧院での僧侶の生活などの話の後に、日本語を勉強しているという若い修行僧との著者とのやりとりが掲載されているが、この場面はなかなか強烈。「日本はいい国です。豊かです。それに、自由です」「わたしは、ミャンマーは悪いと思います。政府が悪いです。今のミャンマーはいい国ではありません」「今、ミャンマーの政治は悪いです。最低です」「ミャンマーの政治は、ミャンマーの人のためのものではありません。軍人のためのものです。「みんな、とても困っています。ミャンマーは貧しいです。みんな、苦しんでいます」「日本は豊かです。私は、うらやましいです。私はミャンマーが好きですから、豊かになって欲しい。自由になって欲しい。人々は、幸せになって欲しいです」などと、ストレートに真剣に語る若い修行僧の話で、「考える僧たち」を紹介しながら、こちらもいろいろ考えさせられる話で、本書を締めくくっている。
目次
まえがき
たそがれ・かわたれ
ケの日ハレの日
女・少女
働く人々と考える僧たち











