メコン圏関連の図録・報告書・資料文献 第8回「The Battlefield 戦場 二人のピュリツァー賞カメラマン 澤田教一・酒井淑夫 写真展」図録


「戦場 二人のピュリツァー賞カメラマン」(澤田教一・酒井淑夫 写真展図録)

  1. 横浜展
    ◆会期:2002年3月26日(火)~5月19日(日)
    ◆会場:日本新聞博物館 企画展示室
    ◆主催:日本新聞博物館、神奈川新聞社、共同通信社
    ◆後援:日本写真家協会、テレビ神奈川、NHK横浜放送局、
    ■写真提供:澤田サタ、酒井秀子、一ノ瀬信子、アンリ・ユエ、共同通信社、
    ■協賛:株式会社ニコン、フジ写真フィルム株式会社
    ■協力:くれせんと、株式会社写真弘社、株式会社タムロン
    ■企画構成・編集協力: 鍵和田良輔、新藤健一、佐藤昭彦、長島久明、澤田偉治雄、飛山将
    ■ポスターデザイン:西垣泰子

・本書表紙やポスターに使われている2枚の写真は以下の通り。
(上)澤田教一氏作品「米軍ヘリ部隊=騎兵師団」(1965年3月、ラクソイ)(写真目録作品7)
(下)酒井淑夫氏作品「第9騎兵師団」(1970 年、メコンデルタ・カント)(写真目録作品84)

澤田教一・酒井淑夫 プロフィール
Sawada Kyoichi
 (1936-1970)
Born in 1936,he joined UPI in 1961 and was dispatched to the Saigon Bureau in 1965.He won the Pulitzer Prize for his work” Free to Safety”, a photo depicting a mother in her desperate attempt to cross a river with her children. Sawada temporarily moved to Hong Kong in 1969,but returned to South Vietnam the following year. He was sniped while taking photos in Cambodia on October 29,1970, aged 34.
Sakai Toshio (1940-1999)
Born in 1940, he joined UPI in 1965 and was posted at the Saigon Bureau in 1967. He won the Pulitzer Prize in 1968 for his work “Dreams of Better Times,” a photo portraying a solder taking rest on sandbags and his mate standing sentry in the battlefield during the rainy season. Sakai moved to Agence France Press (AFP) later and assumed the post of News Photo Editor at the Tokyo Bureau. He died in 1999, aged 59.

澤田教一 プロフィール
1936年:
2月22日、青森県青森市に生まれる
1950年:
4月、青森高校入学。同級生に寺山修司、京武久美がいる。
1954年:
米軍三沢基地内の写真店で働く。
1956年:
結婚。米軍直属のPXでポートレートを撮るようになる。
1961年:
12月、三沢時代の米軍将校の紹介でUPI通信社東京支社へ入社。
1965年:
2月、休暇をとってベトナム戦争を自費取材。7月、自費取材が認められ、UPI特派員としてサイゴン支局に赴任。9月「安全への逃避」を撮影。「安全への逃避」で第9回ハーグ世界報道写真展ニュース写真部門グランプリ。「安全への逃避」で第23回USカメラ賞受賞。
1966年:
4月「安全への逃避」でピュリツァー賞受賞(ニュース写真部門)。「安全への逃避」でアメリカ海外記者クラブ賞受賞。「泥まみれの死」で第10回ハーグ世界報道写真展ニュース部門第1位、「敵を連れて」で同第2位。第24回USカメラ賞受賞。
1967年:
アメリカ海外記者クラブ賞受賞。
1968年:
「フエ城の攻防」で第26回USカメラ賞受賞。
9月、UPI香港支局に写真部長として赴任。
1970年:
1月、UPI特派員としてサイゴンに再赴任。
10月28日、F・フロッシュUPIプノンペン支局長とともに取材中のカンボジア国道2号線で狙撃され殉職(34歳)。
1970年: ロバート・キャパ賞、講談社文化賞、アサヒカメラ賞受賞。

酒井淑夫 プロフィール
1940年:
3月31日、東京で生まれる。
1961
年:
明治大学在学中、PANA通信社の暗室でアルバイトをする
1965年:
4月、UPI通信社東京支局に入社。
1967年:
4月、UPIサイゴン支局に赴任。881高地などインドシナ戦争を取材して回る。
6月、雨季の南ベトナムで「より良きころの夢」を撮影。
1968年:
4月、「より良きころの夢」でピュリツァー賞受賞(第1回企画写真部門)
1970年:
10月、殉職した澤田教一の遺骨を香港のサタ夫人に届ける
1971年:
2月、ケサン基地を拠点にラオス侵攻作戦を取材。南ベトナム政府軍のヘリコプターでランブイエに飛ぶが、連れ戻される。
5月、ラオス侵攻作戦の終了後、UPIを一時退社し、渡米
1973年:
1月、フリーでサイゴンに入る。
2月、パリ和平協定による停戦のため、タクハン河での捕虜交換など取材。一ノ瀬泰造が同行。
5月、UPIサイゴン支局に写真部長として復帰。
10月、共同通信のプノンペン支局長石山幸基に続き、
11月、一ノ瀬泰造もカンボジアへ取材に向かったまま行方不明になる。
1974年:
12月、フィリピン・ミンダナオ島でモロ民族解放戦線を取材
1975年:
1月末、陥落迫るサイゴン、カンボジアなどを取材後、3月初旬、帰国。
9月、ソウル支局へ転任し、朴政権下の韓国を取材。
1976年:
UPIを再退社、フリーに。ニューズウィーク誌、タイム誌、ロイター通信社を媒体に活動。
1979年:
難民取材でタイへ。ラオス、カンボジア国境近辺で取材。
1985年:
2月、テレビ朝日の番組取材で安藤優子とベトナムに行く。
1986年:
AFP通信社東京支局写真部長に就任。その後、ソウル五輪、フィリピン政変、天安門事件などを取材。
1989年:
8月、AFPを退社。以後、ビデオ企画会社ウッドストックを主宰。
1999年:
11月21日、鎌倉の病院にて死去(59歳)。

すぐれた報道カメラマンに贈られるピュリツァー賞(The Pulitzer Prize)を受賞した澤田教一氏と酒井淑夫氏(いずれも故人)の展覧会「二人のピュリツァー賞カメラマン『戦場』澤田教一・酒井淑夫写真展」が、20023月26日から5月19日まで、横浜市の日本新聞博物館で開かれた。この写真展は2001年秋のアメリカ同時テロをきっかけに、「平和について考えよう」と企画され、会場には2人の作品各60点と愛用のカメラやヘルメットなどが展示された。本書はこの展覧会に際し共同通信社より刊行されたもので、写真展に展示されたのと同じ2人の作品各60点計120点が掲載された写真集である。

ジャーナリストにとって栄誉あるピュリツァー賞は、アメリカの新聞王ジョゼフ・ピュリツァー氏(1847年~1911年)の遺言に基づき、1917年に創設されており(ピュリツァー賞の英文サイトは、こちら)、アメリカのUPI通信社のカメラマンだった澤田教一氏と、後輩の酒井淑夫氏は、ともにベトナムの戦場での写真で、同賞を受賞した。ベトナム中部のクィニョン北部で米軍の銃撃から逃れ、アン川を必死に渡る2組の母子を1965年9月6日に撮った澤田氏の「安全への逃避」(FLEE TO SAFETY)は1966年度のピュリツァー賞。雨の中、くぼ地で仮眠する兵士を1967年6月17日、南ベトナム・フォックビン北東60キロ地点で撮った酒井氏の「より良きころの夢」(DREAMS OF BETTER TIMES)は、1968年度ピュリツァー賞(第1回企画写真部門)。もちろん本写真集にも、両氏の代表的なこれらの作品は大きく掲載されている(本書写真目録112、61)。

25歳の時(1961年12月)UPI通信社東京支局に入社した澤田教一氏は、会社にサイゴン支局行きを志願したがなかなか許可がおりず、ついに1965年2月、1ヶ月の休暇をとって南ベトナムに飛び、ベトナム戦争を自費取材する。彼の熱意と休暇中の仕事が認められ、更に在ベトナム米軍の強化などの動きがあったためであろう、1965年7月UPI特派員としてサイゴン支局に赴任する。このサイゴン支局赴任の2ヵ月後に、1966年度ピュリツァー賞を受賞する事になる「安全への逃避」を、中部ベトナムにおけるアメリカ軍の作戦展開中に撮影している。

この「安全への逃避」を含め澤田氏の写真は、ベトナム戦争の戦況が激化した1965年からカンボジアで亡くなる1970年までに撮った60点が本書に掲載されているが、60点のうち、20点は1968年2月のフエ攻防の写真(本書写真目録39~58)となっている。本書最初に掲載されているのは1965年2月最初に南ベトナムで自費取材していた頃に撮影した写真で、ダナンで解放戦線容疑者の処刑の前後の連続写真はショッキングだ。掃討作戦で壕から負傷した解放戦線兵士を引きずり出す米軍兵士を撮った「敵を連れて」(本書写真目録16)や、米軍の装甲兵員輸送車に引きずられる解放戦線兵士の死体を撮った「泥まみれの死」(本書写真目録作品18)は、共に世界報道写真展での受賞作となった作品だけあって、ひときわ強烈なインパクトを放っている写真だ。澤田氏は、1970年10月プノンペンから南部タケオに通じる国道2号線をジープで通行中、同僚記者と共にクメール・ルージュに撃たれ亡くなるが、その年(1970年)の5月カンボジア・トンレベトの戦災で家を失った老人たちを避難させる若者を撮った作品(本書写真目録作品58)は、澤田氏の死後、贈られた1970年度のロバート・キャパ賞受賞作。

一方、澤田氏(1936年生まれ)より4年後輩の酒井淑夫氏(1940年生まれ)は、1965年4月、澤田氏が既に働いていたUPI通信社東京支局に入社。先輩の澤田氏が1965年に撮影した作品で1966年4月ピュリツァー賞を受賞していたが、ベトナム特派員を希望していた酒井淑夫氏も、1967年に、6ヶ月のベトナム出張を命じられ、同年4月UPIサイゴン支局に赴任する。そして酒井氏もサイゴン支局赴任後の2ヵ月後に、1968年度ピュリツァー賞を受賞することになる「より良きころの夢」を雨季の南ベトナムで撮影する。豪雨で交戦は一時中断し、その激しい雨の中でつかの間の仮眠をむさぼる米軍兵士を撮った作品で、この時の関連コマ写真も掲載されている(本書写真目録63)。

本書掲載の酒井氏の作品60点の中には、カンボジア、ラオス領内の北ヴェトナム正規軍の南ヴェトナム解放戦線への補給基地を破壊する事などを目的に米軍が1970年、71年に展開したカンボジア侵攻作戦、ラオス侵攻作戦に関連した写真が10点近く含まれている。戦場や戦闘、基地での写真以外にも、混血孤児たちを撮った作品も数点掲載されているが、1970年の作品で、カンボジア国境で目の不自由な裸足の父親の手を引くベトナムの少女を撮った写真(本書写真目録作品94)は特に物悲しい。更に酒井氏の掲載作品には、1975年サイゴンが陥落しベトナム戦争が終結した後の1979年秋、カンボジア、ラオス国境付近のタイで、カンボジア、ベトナム、ラオス難民を取材した折の写真が26点も含まれている(本書写真目録作品95~120)

澤田教一氏と酒井淑夫氏の2人は、共に日本人としてピュリツァー賞を受賞した写真家同士というだけでなく、同じUPI通信社で働いており、1970年10月カンボジアで殉職した澤田教一氏の遺骨を、酒井淑夫氏が、当時香港在住であった澤田サタ夫人に届けている。本書の表紙をめくった一番最初のページには、1967年5月に撮られた、ダナンへの米軍ヘリに隣り合って乗り込んだ澤田教一氏と酒井淑夫氏の写真が掲載されている。巻末の2人のプロフィール紹介頁に掲載されている各人の写真も小さくはあるも見落とせない。澤田氏の場合は、路地で物を売っているであろう女性の人たちにしゃがんでカメラを構えている写真であり、酒井氏の場合は、ベトナムの子供たちが後ろに寄って来ていて笑顔で立っている酒井氏の写真だ。酒井氏を撮ったこの写真は、「地雷を踏んだらサヨウナラ」で知られるフリー・カメラマンの一ノ瀬泰造氏が1973年サイゴン市内で撮ったもので、一ノ瀬泰造氏自身、同年の1973年11月、アンコールワットへ単独潜行したまま消息を絶ち、後にその死亡が確認されている。

本書では、2人の計120点に及ぶ写真以外に、田沼武能氏(写真家、現日本写真家協会会長)、エディ・アダムス氏(カメラマン)、石川文洋氏(報道カメラマン)、安藤優子氏(ニュースキャスター)、池内秀樹氏(元共同通信社サイゴン支局長、外信部長)と、いろんな方が文章を寄せており、こちらも大変価値がある。2人との思い出・かかわり、興味深いエピソード、ベトナム戦争報道の背景や戦場カメラマンについて語られている。更に巻末には、桜井由躬雄氏(東京大学文学部教授)による「忘却の教訓 ベトナム戦争とは」と題した11頁の解説文が掲載されている。

本書の目次

はじめに
二人のカメラマンが後世に残したもの  田沼武能
撮らなかった写真  エディ・アダムス
報道カメラマンの「戦場」 石川文洋
「ベトナム戦後10年」の取材で 安藤優子
ベトナムで会った戦場カメラマンたち 池内秀樹

写真: 澤田教一
写真: 酒井淑夫

忘却の教訓 ベトナム戦争とは                   桜井由躬雄
写真目録
澤田教一プロフィール
酒井淑夫プロフィール

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