メコン圏を舞台とする小説 第44回「スラム街の少女 灼熱の思いは野に消えて」(泰田ゆうじ 著)

メコン圏を舞台とする小説 第44回「スラム街の少女 灼熱の思いは野に消えて」(泰田ゆうじ 著)


「スラム街の少女 灼熱の思いは野に消えて」(泰田ゆうじ 著、文芸社、2010年1月発行)

<著者紹介> 泰田 ゆうじ(たいだ・ゆうじ)
東京都新宿区出身。明治大学法学部卒 <本書著者紹介より>

本書は2010年1月発行のタイを舞台とした日本人駐在員・木村譲と、バンコクのクロントイのスラムに育った7歳のタイ人少女ブンとの関係を中心に展開する物語だが、本書あとがきで、著者が書いているように、著者自身が本書の主人公の日本人駐在員・木村譲同様、1998年に日本人駐在員としてバンコクに赴任しており、クロントイのスラム街の近くに住むことになったとのこと。1995年1月に起こった阪神・淡路大震災の時、クロントイのスラム街に住む方々から、すぐに112万バーツもの義捐金が届けられたことが思い出され、私はふと覗いてみようと思い、最初にスラム街に入った時に、かわいらしい小さな女の子が、一人で遊んでいて、その子の笑顔がいつまでも忘れられず、駐在時代を思いだしながら、日本の仙台で物語を書き始めたという。

ストーリーの展開は、本書の主人公の木村譲が、1998年7月にタイ王国国際空港(ドンムワン空港)にバンコク赴任で到着するところから、物語が始まる。仙台の泉中央で生まれ育った木村譲は、高校卒業後、父親が務める大手電機メーカーの工場に就職したが、高校時代、番長を張っていた木村譲には1年ももたず、仙台の有名な歓楽街の国分町のクラブのボーイとして勤めるもうまく行かず、大学に行くことにし、大学卒業後、就職した海外調査専門の大手商社の子会社で働く32歳の独身男性。物語は、主人公の木村譲が1998年7月のバンコク駐在員としての赴任から、帰任までの3年間のバンコクでの様々なタイの人達との濃い愛と友情の物語。

木村譲がバンコクに赴任した日、出迎えの会社の車が空港からバンコクの中心街に入り赤信号で止まった時に、10歳くらいのはだしの男の子が7歳くらいの裸足の妹の手を引いて車の窓をたたき、手に持つ小さな白い花輪を買ってと訴えてきて、木村譲が、相場の10バーツか20バーツ(当時1バーツは約3円)に対し、小さな白い花輪を一つもらうとともに、二人の兄妹の子供に、靴を買いなと、1,000バーツをあげたことがあった。2週間後、交通事故で幼い兄妹の兄が死に、妹は軽症で近くの病院で手当てを受けていることを知る。そして木村譲は、その病院で患者の見受けとしたい引き取りの書類にサインをし、その幼い少女ブンがバンコクのクロントイのスラム街に住むことを知り、父親は死に、母親はスラム街を出て行ってしまい、寝たきりの初老の祖母だけの家に、幼い少女ブンを送り届ける。

「学校に行くことが夢で、たくさん勉強して字が書けるようになり、一生懸命に働くから、おかあさん一緒に暮らそうねと手紙を書きたいが、おかあさんがどこにいるかわからない」と幼い少女ブンは語っていたが、日本人向け歓楽街のタニヤ通りで、幼い兄妹の子供たちの母親マイを見つけることになる。が、そこから能天気ではあるが正義感も強い主人公の木村譲は、悪党たちに絡まれて、一旦、悪党たちはバンコク郊外の刑務所に収容されるも、出所し、刑務所で同房だった極悪人シーアも加わり、復讐計画が練られていた。

木村譲の周りには、タニヤの才女ニン、日本語と英語が堪能な才女で事務所の現地採用のタイ人女性秘書アップン、木村の運転手で元軍人で元ムエタイウェルター級チャンピオンのプラモートなど個性的なタイ人たちがいて一緒に行動を共にすることになるが、一方、親がいなくても兄が死んでもいつでも明るくしている幼い少女ブンも、スラム街の人達は大好きで、スラム街の希望の灯でもあり、スラム街の仲間たちにも支えられている。バンコクの日本人駐在員の日本人向け歓楽街のタニヤのホステス達との能天気なやり取り場面も少なくないが、本書では、タイの貧困、スラムの問題だけでなく、幼児売春や臓器売買という闇の問題も関係してくる。特に極悪人シーアの幼少期の思い出と絡むトンブリの少女売春宿での出来事やコラートから売られてきた少女ファイの壮絶な人生は哀しくいたたまれない。終盤にかけ、物語は驚きと感動の展開となっている。

幼い少女ブンの住むバンコクのクロントイのスラム街は、本書のストーリー展開で重要な場所となっているが、本書の中では、クロントイのスラム街は、タイ王国に千以上はあるスラム街の中では最大規模で、80年くらい前に現金収入のためバンコクに出稼ぎにきた農村の人々が、貨物船からの積荷運びなどの港湾局の仕事をするようになり、勝手に港湾局の国有地に住み始めたものらしいと紹介。トタン屋根に廃材を使って建てられたバラック小屋が密集し、スラム内は野良犬や野良猫も多数いて、時折、ごみと糞尿が混ざり合った独特のにおいが鼻をさし、うんざりするような退廃が澱み、実に重い空気。外からのぞくとバラック小屋の中では、タイでは禁止されているトランプでの賭けをしていたり、通りには屋台があり、クィッティオ(米粉で作った麺)や煙草をバラ(1本単位)で売っていた。道路の端にしゃがみこんでうまそうに煙草を吸っている老人と、そのそばで平然とシンナーを吸っている若者たちがいる。とスラムの中が描かれる。

スラム街の中には公立学校がある。この学校は、スラムの子供達への教育支援活動を評価され、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞したプラティープ・ウンソンタム・秦さんが始めた1バーツ塾が、後に公立学校となったもの。プラティープさんは、このスラム街で育ち、本書の主人公の少女ブンのように6歳から路上で物売りをしたそうで、彼女は、学校に行きたいと向学心に燃え夜間の中学・高校を出た。そしてみんなが貧困から抜け出すためには教育が必要と目覚め、夜間は師範学校に通い、昼は貧しい子や出生証明がなく公立学校に行けない子のために、スラム街に1日1バーツで読み書きを教える塾を開設。

第二次大戦後、国連は36,000人の日本兵捕虜を解放した際に、このクロントイで待機させ帰国させたそうだが、クロントイスラム街の人達は、戦争に敗れ心の支えを失っていた日本兵に果物や食料を親切に分けてくれたそうだ。また、1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災では、クロントイスラム街で112万バーツもの募金が集められ震災後間もない2週間後の2月1日には神戸に義捐金が届けられたそうで、この募金は、日本からの奨学金を受けていた子供たちが率先して募金箱を手に路地を回り集めたらしい。貧困の中でも人を思いやる心が子供たちに芽生えていることに、著者も主人公の木村譲も大切なことを感じとっている。

日本人駐在員の生活生態がバンコク駐在経験者だけに、とてもリアルで、1998年赴任当時の様子が再現されている。当時はまだドンムアン空港がバンコクただ一つの国際空港で。その時はまだバンコク市内と空港を結ぶ高速道路は開通されていなくて、その年、バンコクでアジア競技大会が開催され、現在の空港までの高速道路が開通された。また、本書の主人公は、海外調査専門の大手商社の子会社のバンコク駐在員として、来タイ。最初は仮住まいで、勤務する事務所がラーチャダムリ通りにあり、事務所のすぐ先のリージェントホテルが宿泊先で、1週間後に、スクンビット24通りのサービスアパートに移り、事務所のあるビルの地下には有名な日本食レストランがあると述べているが、ペンネームの著者自身の本職がどこであったかは、当時のバンコク日本人ビジネス社会を知っている方なら推測しやすいかもしれない。

目次
プロローグ
第1章 スラム街の少女プン
第2章 母親マイとの出会い
第3章 スラム街の対決
第4章 タニヤの才女ニン
第5章 モータサイ大作戦
第6章 カーオの復讐
第7章 極悪人シーア
第8章 臓器売買シンジケート
第9章 悪夢の日曜日
第10章 灼熱の思いは野に消えて
第11章 涙のドンムワン空港
エピローグ
あとがき

関連テーマ・ワード情報
・バンコクのクロントイ・スラム街
・幼児売春
・臓器売買

ストーリーの主な展開時代
・1998年7月~
ストーリーの主な展開場所
・バンコク(ラーチャダムリ通り、クロントイ、スクンビット、タニヤ通り、トンブリ地区、サトーン、シーロム通り、カオサン,ミンブリ-、エッカマイ、ソイナナ、ランシット、ウドムスック、オンヌット、ナウタニなど)・ホアヒン ・パパデーン ・アユタヤ

ストーリーの主な登場人物
・木村譲(能天気なタイ王国の日本人駐在員)
・ブン(クロントイのスラム街の少女)
・アップン(木村が勤務する事務所の現地採用のタイ人女性秘書)
・ニン(タニヤの高級カラオケ店「セプテンバー」の才色兼備なホステス。本名スーパンサー)
・ビッグベア(スラム街の用心棒の大男でクラブの用心棒)
・カーオ(タニヤのカラオケ店「大和」のボーイでムエタイ選手。マイとトンブリ地区で暮らす)
・シーア(幼児売春、臓器売買シンジケートの手先)
・プラモート(木村の運転手で元軍人で元ムエタイウェルター級チャンピオン)
・マイ(ブンの母親で、タニヤのカラオケ店「大和」のホステス)
・カイ(ブンの兄)
・ブンの祖母
・ミィアオ(タニヤのカラオケ店「大和」のちいママ)
・プー(カーオの腹違いの妹)
・プリック(カーオの父の後妻)
・プラー(アユタヤ出身のタニヤのカラオケ店「大和」のホステス)
・プー(「おでん屋マイ」の手伝い)
・ファイ(トンブリの売春宿のコラート出身の少女)
・パヌワット(ビッグベアの子分でパチンコの名手)
・クン(カラオケ店のホステスでカーオの愛人)
・カイ(プンの兄)
・ノック=サパロット(ビッグベアの娘)
・佐々木(木村譲のバンコク駐在員の前任者で同期入社)
・タニヤの高級カラオケ店「セプテンバー」の小(ちい)ママ
・タニヤの会員制高級クラブ「マリコポーロ」の小(ちい)ママ
・ヤー(バンコク生まれ21歳のバンコク貿易大学学生で、マリコポーロ」ホステス)
・ソム(タニヤのカラオケ店「大和」ホステスで、マイと同じアパートに住むマイの友達)
・ユング(カーオのイサーン出身の愛人でミンブリに住む)
・カノム(アユタヤから出てきたばかりのソイナナのカラオケ店ホステス)
・カーオの叔父(ムエタイのジム経営)
・カーオの叔父の経営するムエタイジムの選手たち
・タニヤの女帝、クラブ「恋」のグランドママ
・バンコクの総合病院の日本語堪能な医者
・カーオの仲間たち
・クロントイのスラム街の屈強な男たち
・ウィナー(タイ陸軍将軍)
・チャイキット(タイ陸軍将軍夫人で元女優)
・ビーンズ(ウィナーの長男)
・スチュワート(ウィナーの次男)
・マナーう(ウィナーの末娘)
・ウイワット(弁護士)
・タイ陸軍将軍自宅の家政婦
・浅田(木村譲が働く会社の東京本店の人事課長)
・小林(木村譲の後任のタイ駐在員)
・タニヤ通りの中央にある鮨屋のカウンターのタイ人の板前
・タニヤ通りの過度の近くの日本料理を出す居酒屋「酒の店」のタイ人女性店員
・レンタカー店の従業員
・シルバー・ウルフ(ビッグベアのカオサンの用心棒仲間)
・ワン(中華街の薬の売人)
・臓器売買シンジケートの殺し屋
・王立バンコク女学院の守衛
・木村譲の両親(回想)
・あけみ(木村譲の妹)(回想)
・真由子(仙台の泉中央駅近くのバー「ローズ」の常連客)(回想)
・お菓子屋の親父で木村譲の父親の友達(回想)
・シーアの父親(回想)
・トンブリの売春宿の主人(回想)
・ニンの父親(オーストラリアに国費留学し、大学で教鞭を執っている)
・ニンの母方の祖母
・日本に帰ったニンの以前の日本人の恋人
・ソイナナのカラオケ店のボーイ

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