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メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第22回 「新宿リトルバンコク」(岩本 宣明 著、取材協力:佐藤 祥子)
- 2004/8/10
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メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第22回 「新宿リトルバンコク」(岩本 宣明 著、取材協力:佐藤 祥子)
「新宿リトルバンコク」(岩本 宣明 著、取材協力:佐藤祥子、労働旬報社、1996年10月発行)
<著者紹介> 岩本 宣明 (いわもと・のあ)
1961年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。宗教学専攻。舞台照明デザイナー、毎日新聞社社会部記者を経て1993年よりフリーランスで執筆活動。1993年現代劇戯曲「新聞記者」で菊池寛ドラマ賞を受賞(文藝春秋社、高松市共催)。著書に『新聞の作り方』(1994年社会評論社刊)。⇒ノンフィクション作家 岩本宣明 Noa’s Room 公式サイト<取材協力者紹介> 佐藤 祥子(さとう・しょうこ)
1970年生まれ。東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業。タイ語専攻。1992年5月から1年間、文部省の国費留学生としてタイ国立シーナカリンウィロート人文学部に留学。YMCA勤務を経て、1996年4月から国際交流基金バンコク事務所勤務。<本書紹介より、本書発刊当時>
本書は、1993年菊地寛ドラマ賞受賞作家の著者が、東京の新宿・歌舞伎町で生活をしているタイ人がどんな生活をしているのか、その等身大の生活をルポしたいと、1993年から1996年までの3年間、新宿のタイ人社会を密着取材したノンフィクション。1993年春の取材開始にあたり、東京外語大のタイ語科の学生で、バンコクでの1年間の留学から帰ってきたばかりという佐藤祥子さんを、取材協力者として見つけている。
本書によれば、「新宿にタイ人が流入し始めたのは1980年代の半ばに入ってからだ。バブル景気で日本中が浮かれていた80年代後半から90年頃にその数はピークを迎え、1万人近くのタイ人がこの街を舞台に生活」し、レストラン、タイの野菜や干し魚やインスタントラーメン、調味料などを売る食料品店、洋品店、タイ語のカラオケ、タイ語で探せる不動産屋、タイ人向けの国内観光代理店、レンタルビデオ、金貸し、送金代行、ディスコ、ホストクラブなど、新宿に住むタイ人を相手にしたありとあらゆるビジネスが育ち、新宿なら日本語を全く知らなくてもタイ人が暮らしていくのになにも不自由はないといえるほどのタイ人ネットワークが、新宿には出来上がっていた。
まさにリトルバンコクといえる世界だ。本書に引き合いに出されているが、あるタイ人ホステスが、「日本に来るのに不安はなかったの?」との問いに対して答えた言葉が印象的だ。「新宿はバンコクと同じって聞いてたから。食べもの大丈夫。タイ人いっぱい。タイお金使える。ビデオ大丈夫。なんでも大丈夫」と。本書の主な舞台は、新宿・歌舞伎町の区役所通りを奥に入った風林会館の近くにあるマンションの9階にある、タイ人が経営者で、タイ人美容師がいる、タイ人相手の美容院「Kビューティー」だ。
このKビューティーと、その美容室初代オーナーのケイとその姉・弟、歌舞伎町のクラブでホステスをしていたタイ人女性たち、計6人が最初住んでいた、美容室の隣のワンルーム903号室に、新宿で生活する様々なタイ人が出入りする。超過滞在(不法残留)で数々の商売を始めては失敗を繰り返しそれでも羽振りのいい謎のタイ・台湾混血児のケイ、成城の弁当屋で働いていたオカマの美容師バード、タイの北部、南部、東北部、東部とタイ各地から日本にやってきて歌舞伎町で働くタイ人ホステスたちなど、各人いろんな事情でタイから日本にやってきて日本に来てからの暮らしぶりも様々だ。またタイ人クラブに通いタイ人女性に恋する日本人男性たちも登場する。
このKビューティーの初代オーナーのケイ自身もすごい。タイ北部の国境地帯で台湾の軍人の父とタイ人の母の間に生まれたケイは、中学卒業後、台湾に渡り弱冠16歳で1988年春、単身日本に向かう。所持金わずかに2万円で、まず洋服の行商から身を立てようとまずは横浜の中華街を目指すが、横浜での職探しを諦めた後はタイ人を頼りに新宿に流れ着く。新宿の居酒屋のバイトをしながら洋服の行商に夜のスナックを歩き回り、その後クラブの雇われ店長からホストクラブやディスコなどいろんな商売にも手を出し、1992年に新宿で美容院の事業を始める。そして観光ビザで入国したまま、足かけ8年も日本に超過滞在(不法残留)して、1995年4月に入国管理局に出頭し「退去強制」の手続きを取ってタイに帰国している。数々の商売を始めては失敗を繰り返しそれでも羽振りがよかったという謎は本書の終盤で明らかになる。
新宿で暮らしている多くのタイ人のように、観光ビザで日本に入国しそのまま居座っている超過滞在(不法残留)の外国人が日本を出国するには、入国管理局に自主出頭し、「退去強制」の手続きをとることとなるが、1996年発行の本書でも法務省東京入国管理局第二庁舎のあった東京・十条のことが”入管城下町”として書かれているが、2003年2月、東京・北区十条にあった東京入国管理局は、港区港南(天王州アイル)に移転している。退去強制や外国人登録証明、国際結婚の手続きも本書に実例紹介されているが、日本人父と外国人母(未婚)の婚外子の場合に出生後に日本国籍を取得できる「胎児認知」の制度については、タイ人女性レックと日本人男性との間の子供のケースで紹介している。⇒関連サイト「入国管理局」
3年間もの密着取材が可能となったのも、タイ語を自在に操り、タイ語でザボンという意味の「ソムオー」という愛称でタイ人たちから親しまれ頼られた取材協力者の佐藤祥子さんの存在があってのことだと思うが、台湾人ママ、タイ人がチーママのクラブで、他のタイ人女性ホステスたちと一緒に、タイ人風カタコト日本語で「ヒトミ」の源氏名でホステスとして登場する場面には驚いた。取材協力者という立場だけでなく、高校時代にタイに興味を持ったという佐藤祥子さん自身が新宿で暮らすタイ人たちと深く接して感じた新たな認識や素直な感想が、随所に現れている。
目次
Kビューティー・1995年秋 /出会い /リトルバンコク /ケイ /903号室/ソムオー/真珠/我が家の決まり/レストラン・サイアム/恋?それとも欲?/アジアの子/もてない女/業/里心/オカマという生き方/バード/無国籍児/暑くて長い夏の夜/ノックと亜子/新宿浄化作戦/外国人登録/強制送還/入管城下町/マキ客死す/ 国際結婚/「サリン モテルダカラ ツカマエテ」/パスポート/ボス/ホステス/エピローグ
■文中に登場する主なタイ人たち。
◆ケイ
Kビューティーの初代オーナー。903号室の住人
◆バード
Kビューティーのオカマ美容師。2代目オーナー。タイ東北部出身
◆ジョー
Kビューティーの2代目オーナー。お喋りなオカマ。あばた面で色黒
◆マキ
ケイの姉。ケイの後を追って来日。タイ北部出身。903号室の住人
◆ウィム
ケイの弟。903号室の住人。歌舞伎町のディスコといホストクラブで働く
◆レック
タイ北部出身。903号室住人。妻子ある日本人男性との間に子供ができ日本で出産(名前は亜子)・・・
◆ファー
903号室住人。結婚と離婚の経験があり、故郷に子供がいる。日本のタイレストランで働けるという話で騙されて新宿にやってきたが・・・。やがて大久保でマレーシア人と新婚生活を送る。
◆セイコ
903号室住人。故郷はカンボジア国境近くの村
◆ケン
中国系タイ人。れっきとした在留資格と外国人登録証を持っている。学生ビザで滞在して、タイ人相手にいろんな商売をしていて永住資格を欲しがっている
◆リエ
タイ北部出身の女性、細身のスタイル、色白の肌、静かな物腰で喋り過ぎない
◆メーウ
Kビューティーにたむろしているタイ人女性。夜はホステスをしていて、32歳と歌舞伎町のホステスとしては若くないが、社交家。店のお客として知り合った日本人サラリーマンと同棲
◆エーク
Kビューティのすぐ近く、歌舞伎町の最深部にあるビル一階のタイレストラン「サイアム」のタイ人ウエイター。実家は北部の小作農。当初、日本語就学生だったが・・
◆ウアン
タイ南部出身の女性。14歳で17歳のインド人と結婚し、2人の子供を生んで、17歳で別れて・・・偽装結婚して来日。
◆ティア
ウアンに一目ぼれし、ウアンの借金の残りを肩代わりし、一緒に暮らし始めたタイ人男性。出身はアユタヤ。来日後、東京や大阪で肉体労働をしていたが、その後都内のホテルで宴会係の仕事をして同じホテルで働く外国人従業員のリーダー役
◆サーオ
バンコクから呼び寄せた女性美容師。資格外活動(不法就労)だけど、ブローカーの仲介なしに日本で仕事を見つけることができた
◆メグミ
タイ人と父親が日本人のハーフの女性。両親は離婚、日本国籍。
◆ノック
病院が発行する出生証明上では実の姉弟であるタイ人マキと台湾人ケイの子供という奇妙な関係を背負った,無国籍児
◆ニット
Kビューティーがオープンした頃、しばらく美容師をしていたエムという男のガールフレンド。警察に捕まり、東京都北区の十条にある入国管理局に移送され、更に身柄は東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に移送された。
◆ムー
ノックの母親
◆アキ
クラブでホステスに采配を振るチーママ
◆アケミ、ミミ、ノリコ
タイ人ホステス