論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」(17)

論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」
参考文献 翻訳「ワット・プーミンにみる寺院壁画の歴史的考察」

(蔵屋敷滋生 くらやしき・しげお 投稿時:出版社役員,59歳、千葉県柏市在住)

以下は、David K.Wyatt『Temple Murals as an Historical Source  The Case of Wat Phumin,Nan』の要約である。D.ワヤット氏は1937年、アメリカ・マサチューセッツ州の生まれ。執筆当時はコーネル大学歴史学教授であった。

タイ国で最も高く評価された芸術的な文化財の一つは、国中の至る所に点在する仏寺に飾ってあるバラエティに富んだ無数の壁画である。それらの中には著名で研究の対象になっているものもあれば、一方では鑑定家や骨董品の店主によって、不幸にも商品として“鑑定”されるものもある。また、中には宣伝用のバンフレットやポスターとして利用されたり、ドンムアン国際空港でも目にする壁画もある。

しかし、壁画は芸術的価値――構成、線、色の交錯、仏陀の一生といったような宗教的背景の繊細な表現――に重きが置かれているはずだ。壁画はタイ人の歴史を証明するものであり、宗教観やそこに住んでいた人々の生活の歴史に光を当て、今に伝えるものだとも言える。壁画の歴史的価値を解明することは今に始まったことではない。タイの歴史学者はしばしば壁画を自分達の研究成果や、民族の宗教的信仰を説明するために用いてきた。

この論文は、寺院壁画を歴史的視点から、またその土地の人々の感情や感傷について深く考察するために研究し、論じるための試みである。

私はここ数年間、ナーン朝王であったスリヤーポン・パリットデットの宮廷に仕えるソウェンルワン・ラチャソンファンによって編纂された長い歴史的研究書(ナーン年代記)を読んできた。1988年には「年代記」の追跡調査と記載されていた場所を調査するためにナーンを訪れた。そこで、プーミン寺やノーンブア寺で初めて壁画を観て、感動し、衝撃を受けた。私は壁画の写真をたくさん撮り、撮った写真をもう一度確認する作業を繰り返してきた。そして、年代記と壁画について交互に研究し続けること3年、私は二つの壁画が密接に関係していることと、相互の存在を引き立てている事実に気がついた。

初めにナーン国とその壁画について考察しておきたい。まず壁画の実態調査を、次に描かれた時代背景の解明、そして、歴史的起源を特定するために制作方法についての答えを出したい。そのためにもまず歴史的な背景を調べることで壁画がどのような意味を持っているのかを確かめる必要がある。

1.     ナーンとプーミン寺の壁画

ナーンはタイ国内では今一つ知名度が低い。というのもそこにはタイ人も、外国人観光客もめったに訪れないからだ。高速道路や鉄道はもちろん、道路すらも十分に整備されていない。そのうえ地理的に孤立している。ほとんど完全といっていいほど山の中に取り囲まれてしまっている。その田舎へ続く中心の道はプレーよりもさらに山の上にある。ナーン川の下流の南部に位置するウッタラデットの古い水路はシリキットダムとその背後の貯水池にふさがれている。

そのように地理的に孤立しているため、タイの他の地域で見られるような急速な経済的発展から取り残されてきた。そして、全く手つかずの街並みや自然が何箇所も残ったままにある。今では、牛車がいつも道路を走っているところはタイではほとんど見かけなくなった。産業として伐木量が多いのにも関わらず、ナーンの大部分の地域には森林が残っている。そしてナーンの人口の半数は、ナーン川西岸の支流に沿った盆地に集中している。

山々や森林と大地といった自然美に加えて、ナーンはまた無数の寺院が残されている。ナーン川の東に位置し市内から数キロメートル離れたところには伝統的な重要文化財・プラタート・プーピェアン・チェヘーン寺がある。ドイ・ステープがチェンマイを、タート・パノムがタイ東北部を、もしくはナコーン・シー・タマラートが仏舎利塔を象徴するように、チェ・ヘーン仏舎利塔はナーンの歴史的文化財の代表として存在する。しかしながら、今からわずか100年余も前にナーンの存在価値を決定づける文化財と同等に重要であるもう一つの寺院が存在していたのだ。それがナーン市内の中心地にあるプーミン寺である。

かつて1バーツが紙幣だったころ、プーミン寺の建物(本堂と布薩堂を兼ねる)がバーツの紙幣の裏面に描かれていた。本堂は四方全てに入口があり、それぞれに階段がつけられ、とりわけ両翼の階段はナーガが訪れる者を導く。そして堂内に入ると本尊である四面仏が四つの戸口に相対し座している。

1886年12月にチェンマイのイギリス人執政官であるC.ストリンガーはナーンを訪れていた。彼の旅全体を通して、彼は仏寺について次のように記録している。

この街の最も重要な”寺院”は中心に置かれている四面仏を含めた

ワット・プーミンタラチャという四角い建造物である。ここで我々

は、3~4年前にイギリスに住んだことのある年老いた牧師と出逢った。

彼は高価な石を売っている幾人かのビルマ人を引き連れて、今でも、

彼らは彼(牧師)とともに旅(注1)をしている。

(注1)『シャム、ナーン、ラオスに向けての旅』、1888年の報告

以上はストリンガー氏のプーミン寺(もしくはシャム北部の寺院)についての記録である。プーミン寺を訪れる観光客はその四面仏について感慨をもって見つめ、彼らは寺院内部に彩られた並々ならぬ素晴らしい壁画をまず目の当たりにするはずだ。

プーミン寺の壁画は並外れて素晴らしい。その色彩の交錯はこれといって複雑ではないのに。たった4色の色―――赤、青、黒、そして茶―――だけを用いて描かれている。そのどれもが構図的に必ずしも洗練されているわけでもない。一連のシーンが時折不連続で、奇妙に壁に並んでいるが、そこがまた私たちを惹きつける。壁画に存在感を与えているものは、個性的で、リアリズムを超越し、時には超現実主義すれすれの個性の集合体を描く芸術家の卓越した才能であろう。壁画に登場する人物には個性や感情が備わっている。描かれたただの動物すらも独特の個性が感じられる。そこには輝きがあり、当時の画家の並外れた才能を見せられ、我々を感動させてくれる。

プーミン寺の壁画には印象的なシーンが3つある。まずは壁画の中でも最も有名なシーンと扱われてきた埠頭の近くに立つ8人の女と4人の男の場面だ。男性の方は一様に女性陣の方に関心を持って見ているが、女性側は各自異なる姿勢と表情をしていて、その関心の対象もバラバラである。

二つ目は、少年と中年女性のたった二人の人物が描かれているだけだが、これもまた興味深い(写真2)。このシーンで、絵の構成的にとりわけ目を引くのは線の交錯だろう――二人の人物の腕、女性が担いでいる天秤棒と少年が持っている剣のラインなど―――である。前を歩く女性の足元に象の足跡があり、左肩に天秤棒を担いでいる女性は、右手でその足跡を指し、それを少年が興味深く眺めている。登場人物のポーズに重点を置き、そこから物語を解釈することの重要性を示す好例である。なぜ女性が指さす象の足跡に焦点を合わせなければならないのか。

三つ目は対照的な二つのシーンで興味深い(写真3、4)。そのシーンは東側の壁の高い位置に描かれている。観客の向かって左側にある壁の高い位置に、華美な装飾品に囲まれた一人の人物がいる。ノ・ナ・バク・ナム氏は、この人物についてこう記述している。

この人物はナーンの王族に関わる高官の一人であることは

恐らく事実だろう。彼の格好は正装で、剣を手にしている。

そして耳飾りとしての花を身につけている。

(注2)No Na Pak Nam『Wat Phumin and Wat Nong Bua』1986年刊の

キャプションから。

衣装と剣、そして上流階層の象徴である耳飾りを誇らしげにしているその姿は、自信に満ちた余裕と一種の自己顕示さえ漂わせている。

その“ナーン王”の姿と対照的なのは、観客から向かって右側に位置する西洋人の姿である。彼はほとんど裸に近い状態で、食べ物をつかむ道具を左手に持っている。(つまり彼は絶食し、衰弱しきっているといった方が適切かもしれない)

この3つの作品をそれぞれ鑑賞してみると、次々と絵に対する興味が湧いてくる。それがまた面白く想像をかきたてる。埠頭に立っている男女の集団の壁画は有名なシーンだ。しかし、なぜこの作品がプーミン寺を「象徴する」壁画なのか。中年の女性と少年の作品は、二人のストーリーについての興味を掻き立てる。なぜ象の足跡に感心を寄せているのだろうか。二人の人物の対照的な姿――高貴な男性と絶食し衰弱している西洋人――は、当時のナーン「朝王」あるいは「王子」と西洋人の政治的身分の違いについての関心を持たせてくれる。

それらの疑問を解くためには、壁画に描かれた出来事を解釈する必要がある。もっとも壁画の背景にもなっている文字(吹き出しの文字)は思った程には役立たないことを知らされた。

*本原稿は再整理中で、掲載部分は、一部)

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