メコン圏を描く海外翻訳小説 第15回「アップ・カントリー 兵士の帰還」(上・下)(ネルソン・デミル 著、白石 朗 訳)

メコン圏を描く海外翻訳小説 第15回「アップ・カントリー 兵士の帰還」(ネルソン・デミル 著、白石 朗 訳)」(上・下)


「アップ・カントリー  兵士の帰還」(上・下)(ネルソン・デミル 著、白石 朗 訳、講談社(講談社文庫)、2003年11月)

<著者略歴> ネルソン・デミル(Nelson Demille)
1943年ニューヨーク生まれ。1985年ヴェトナム戦争をテーマにした軍事法廷小説『誓約』で注目を浴びる。その後、話題作を次々に発表。特に軍事犯罪捜査部ポール・ブレナー准尉が女性大尉殺人事件を追う『将軍の娘』は大ベストセラーになる。アメリカを代表するミステリー&エンタテインメント作家のひとり。他の作品に『王者のゲーム』『ゴールド・コースト』『プラムアイランド』『スペンサーヴィル』などがある。
(本書著者略歴より、本書発刊当時)

<訳者略歴> 白石 朗(しらいし・ろう)
1959年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。訳書にキング『グリーン・マイル』(新潮文庫)、クーンツ『戦慄のシャドウファイア』(扶桑社ミステリー)、グリシャム『パートナー』『テスタメント』(ともに新潮文庫)、デミル『王者のゲーム』、バーンハート『殺意のクリスマス・イブ』、ドゥーリング『ブレイン・ストーム』(すべて講談社文庫)など多数。(本書訳者略歴より、本書発刊当時)

本書の原作は、ネルソン・デミル氏(Nelson DeMille)による2002年刊行の『Up Country』。ネルソン・デミル氏は、ヴェトナム戦争をテーマにした軍事法廷小説『誓約』(1985年作品、邦訳は文春文庫)で注目を浴び、その後、話題作を次々に発表しているアメリカを代表するミステリー&エンタテインメント作家のひとりだ。ヴェトナム戦争に従軍し1967年11月から1968年12月までの間、ヴェトナム中部のクァンチ省で歩兵中尉として軍務に服し、1997年1月から2月にかけて、2人の友人と共に29年ぶりにヴェトナムを再訪した作者自身の体験をもとに、ヴェトナム戦争の意味をさまざまな角度から問い続けた超大作で、文庫本上下巻あわせて1,600頁という分厚さで、大変読み応えがある作品だ。

 ストーリーは、半年前にアメリカ陸軍犯罪捜査部(CID)を辞めたという主人公ポール・ブレナーが、かつての上司カール・ヘルマン大佐に呼び出され、ワシントンDCのヴェトナム戦没者記念碑が待ち合わせ場所に指定されるところから始まる。そこで、30年も昔の、しかも当時戦場であったヴェトナムでのアメリカ軍人同士のある殺人事件について非公式の極秘捜査依頼を受ける。その依頼とは、テト攻勢の最中の1968年2月7日に、ヴェトナムのクアンチで、あるアメリカ軍大尉がアメリカ軍中尉を射殺したという情報が、陸軍犯罪捜査部に寄せられ、その事件の目撃証人たる元北ヴェトナム兵をヴェトナム北部の地で探すという、何やら謎めいた内容のものであった。1967~68年と1972年、2度にわたってアメリカ軍兵士としてヴェトナムの地で軍務に服していたポール・ブレナーは、1998年、テト正月を迎えるヴェトナムを26年ぶりに再訪することになる。

 ソウル経由でホーチミン(サイゴン)に入ったブレナーは、ホーチミンで働くヴェトナム語に堪能なアメリカ人女性のスーザン・ウェバーから接触を受ける。この米系投資会社のエリートビジネスウーマンで美人で魅力的な女性との関係がどう展開するかもこの小説の一つの読みどころであろうが、ブレナーはホーチミンを離れ、鉄路・陸路など様々な移動手段で、ヴェトナム各地を警察の目を避けながら、極秘捜査の目的を達するためにヴェトナム北部へ向かっていく。そして米軍中尉殺しの驚愕の真相と、なぜ30年もたった事件をアメリカ陸軍犯罪捜査部(CID)を辞めているブレナーが、情報も一部しか知らされない形でヴェトナム政府にも極秘で非公式にヴェトナムでの捜査依頼をされたのかの謎が、「共産党の一党独裁下にある警察国家」で警察に追われる過酷な旅路の終盤に明らかになる。

 本書は、著者ネルソン・デミルのミリタリー・サスペンスの傑作『将軍の娘』<原作『THE GENERAL’S DAUGHTER』1992年作品。邦訳は『将軍の娘』(上・下)文春文庫、上田公子訳、1996年12月>の続編にあたり、主人公も『将軍の娘』同様、サウス・ボストン出身のアイリッシュであるポール・ブレナーだ。『将軍の娘』は、ジョージア州フォートハドリー陸軍基地を統括する基地司令官の将軍の一人娘でエリート美人大尉が手足を杭に縛られ全裸で絞殺されたという猟奇事件を、アメリカ陸軍犯罪捜査官ブレナー准尉が捜査にあたるというストーリーであったが、本書ではその事件の約半年後という設定。CID本部でのポールの上司だったカール・ヘルマン大佐や、陸軍の犯罪捜査部時代のパートナーで女性捜査官のシンシア・サンヒルも、メインではないものの引き続き本書にも登場してくる。

 ベトナム戦争の意味をさまざまな角度から問い続けることが、本書の大きなテーマとなっていて、当然ヴェトナム戦争時の様々な様相への記述が多いものの、中でもヴェトナム戦争中の1968年という年が、クローズアップされている。本書ストーリーの冒頭でポール・ブレナーとカール・ヘルマンが会う場面があるが、ワシントンDCのヴェトナム戦没者記念碑の”壁”のなかでひときわ広い面積を占めている《1968》と記された部分の前になっている。1968年について本書の中でこのような記述がある。”1968年は、アメリカが最大の死傷者を出した悲しみの年で、テト攻勢、ケサン攻囲戦、アシャウ峡谷の激戦、そのほかそれほど有名ではないものの、恐ろしさではひけをとらない数々の戦闘。1968年はまた、アメリカ本土にとっても、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師とボビー・ケネディの暗殺、大学紛争、市街地紛争などがあった。どこでもかしこでも災厄の年。・・”と。

 原作者自身が1997年の1月から2月にかけて29年ぶりにヴェトナムを訪れたときの体験などをもとにヴェトキュー、元南ヴェトナム軍兵士、元北ヴェトナム軍兵士、山岳民族の人たちの話なども交えながら、今のヴェトナム社会の各様相も詳しく描かれていると同時に、サイゴン市内やサイゴン郊外、クチ、ニャチャン、フエ、主人公がヴェトナム各地の名所旧跡から主人公自身の思い出の場所までを訪ね歩き、ヴェトナムの旅紀行としても楽しめる内容になっている。ヴェトナム各地の観光都市・スポットがたくさん取り上げられているものの、下巻の前半部に書かれている、ヴェトナム中部のアシャウ峡谷、ケサン、クァンチといった1968年や1972年に激しい戦いが展開された戦地を訪ねる場面は、凄惨な戦場の記憶とあいまって特にたくさんの頁が割かれている。

 本書ストーリーの核となる問題の殺人事件が浮かび上がったきっかけは、殺人事件の目撃者だった北ヴェトナム軍兵士が、同じく北ヴェトナム軍兵士だった兄宛に目撃した事件を告げる手紙を出していて、その手紙をアシャウ峡谷で戦死した兄の死体から持ち帰り国内の実家に送っていた元アメリカ軍兵士が、30年近くたって、その手紙をワシントンに本部がある米国ヴェトナム戦争退役軍人会(VVA)に送ってよこしたことにある。興味深いことに、この本書ストーリー展開の発端とあまりに酷似していている実経験を原作者ネルソン・デミル自身が持っていることだ。巻末の「謝辞およびそれ以外の覚え書」によると、、原作者ネルソン・デミルは、1968年5月にアシャウ峡谷で北ヴェトナム軍兵士の遺体から手紙を発見し、最近になってそれをVVA(米国ヴェトナム戦争退役軍人会)に送付してハノイに転送してもらった経験があるという。

 この米国ヴェトナム戦争退役軍人会が推進しているプログラムのひとつに、<ヴェテランズ・イニシアティブ>というものがあり、退役軍人たちに戦場で見つけたり奪ったりしたヴェトナム軍の書類や軍用品などの返還や、ヴェトナム軍の死者についての情報の提供を呼びかけていて、こうしてあつめられた情報はハノイのヴェトナム政府に提供され、ヴェトナム人たちが行方不明になったままの兵士たちの運命を解明するための手がかりにされるというものだ。本書によれば、アメリカ側にしても、戦闘中に行方不明になっていまだに消息の不明な兵士は約2千人にのぼりこれらの戦闘中行方不明兵士を見つける手助けをヴェトナムに望んでいるが、ヴェトナム側の消息不明兵士は、30万人にものぼるとのことだ。

本書の目次
<上巻>
第1部  ワシントンDC
第2部  サイゴン
 第3部  ニャチャン
第4部  国道1号線
<下巻>
第5部  フエ
第6部  北部へ
第7部  ハノイ 

関連テーマ
●ヴェトナム戦没者記念碑
ケサン基地攻防戦
●アシャウ峡谷の戦い
●米国ヴェトナム戦争退役軍人会
●アメリカとヴェトナムの国交再開

ストーリー展開時代
・1998年1月~2月

ストーリー展開場所
・ヴェトナム
ホーチミン、スアンロク、カムラン湾、ニャチャン、ヴンロ、クィニョン、ボンソン、クアンガイ、ホイアン、ダナン、ハイヴァン峠、フエ、アルオイ、アシャウ峡谷、ケサン、クアンチ、ドンハー、DMZ、ベンハイ川、ドンホイ、ヴィン、タインホア、イェンチャウ、ソンラー、テュアンザオ、ディエンビエンフー、ライチャウ、サパ、ディンデオ峠、ラオカイ、ハノイ
・アメリカ合衆国
ヴァージニア州フォールズチャーチ、ワシントン・DC
・韓国(ソウル)
(回想)
ボストン、サンフランシスコ、オークランド、ミッドランド

主な登場人物たち
・ポール・ブレナー(元陸軍犯罪捜査部(CID)秘密捜査官)
・シンシア・サンヒル(CID秘密捜査官。ポールの恋人)
・カール・グスタフ・ヘルマン(大佐。CIDでのポールの元上司)
・チャン・ヴァン・ヴィン(元北ヴェトナム軍兵士。殺人事件の目撃者)
・チャン・クァン・リー(戦死した北ヴェトナム軍兵士。ヴィンの兄)
・ヴィクター・オート(元アメリカ軍兵士)
・米国ヴェトナム戦争退役軍人会の職員のひとりで元陸軍将校
・リタ・チャン(アシアナ航空の旅客ラウンジスタッフ)
・ダグ・コンウェイ(FBI捜査官)
・グェン・クィ・マン大佐(ヴェトナム出入国管理警察の捜査官)
・イェン(タクシーの運転手)
・ラン(レックスホテルのスタッフ)
・スーザン・ウェバー(アメリカン・アジアン投資会社社員)
・トゥアン神父
・ビル・スタンリー(スーザンの恋人)
・クチトンネルでの女性ガイド
・4組の元アメリカ空軍将校夫婦
・ルーシー(グランドホテルのウェイトレス)
・ニャチャンでのシクロ運転手
・ヴー船長
・ミン少年(ヴー船長の手下)
・スウェーデン人カップル
・ヴェトナム人カップル
・トゥック(ニャチャンの旅行社経営)
・カム(レンタカーの運転手)
・デップ(フエのセンチュリー・リバーサイドの女性スタッフ)
・ファム・クァン・ウィエンとその家族(フエの住民)
・チュオック・クィ・アイン(フエ大学の講師)
・ロク(フエでのレンタカー運転手)
・フエの出入国管理警察担当官
・ジョン(タオイ族の村長)
・ブル族の老人
・チャム(元北ヴェトナム軍の将校)
・テッド・バックリー(元海兵隊員)
・ティン(フエのセンチュリー・リバーサイドの若い男のフロント係)
・テュアンザオのガソリンスタンドの店主
・ディエンビエンフーのヴェトナム人男性ガイド
・キーム(バンヒン村の学校教師)
・ライチャウのスタンドの店員
・ヴェトナム人のツアーガイド
・ジョン・イーガン(在ヴェトナム・アメリカ大使館付きFBI捜査官)
・マーク・グッドマン(在ヴェトナム・アメリカ大使館付き武官)
・エドワード・ブレイク(アメリカ副大統領)
・パトリック・クィン(在ヴェトナム・アメリカ大使)
・アン・クィン大使夫人
・アメリカ大使公邸の警備員
・スコット・ロムニー(米副大統領の身辺警護を担当するシークレットサービス)
・ジェイン・ブレイク(アメリカ副大統領夫人)
(回想)
・ブレナーの両親
・ペギー・ウォルシュ(ブレナーのハイスクール時代の恋人)
・ベネット神父
・ジェニー(紡績工場の女工)
・エリザベス(スチュワーデス)
・パティ(ブレナーの元妻)
・ベニー(ブレナーの弟)
・デイヴィ(ブレナーの弟
・中隊長のロス大尉
・小隊長メリット中尉

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