論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」(15)

論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」
第8章 ナーンの「悲劇」の背景 ー北タイ民族史 中編

(蔵屋敷滋生 くらやしき・しげお 投稿時:出版社役員,59歳、千葉県柏市在住)

話を本筋に戻そう。スコータイでクメール同士の権力争いがあった。シーインタラーティットは大いに活躍し、アンコール王からスコータイの支配を任せられたのが、建国(1237年)のきっかけだという。この背景にはクメール王国の衰退が関係していたと思われる。そうならスコータイ王国の初期にはクメールの影響(宗教=バラモン教と大乗仏教、文化など)を色濃く残していたことも理解できる。建国の父・シーインタラーティットの妻はナーン・スアン。三人の王子の三男がラームカムヘーンである。

『ラームカムヘーン刻(碑)文』には、王に忠誠を誓ったムアンやバーンの首長としてマーン(マー川の谷間に住む)、プレー、カーオ、ラオなどタイ族の部族名が記載される。マーンはベトナムに移動した黒タイの集団、プレーはウィアン・プレーを、カーオはウィアン・ナーンを、ラオはランサーン王国建設前のタイ族集団を指すとみられる。

  タイ北部の地図をご覧いただければ上記のムアンはスコータイからほぼ直線に北に向かって並ぶことがわかる。このネットワークがベトナム、ラオスを経由して南下したタイ族のルートではなかったのか。そんな気がしてならない。

また碑文には彼の始祖、出自についての記載はない。また不思議なことにほぼ同時期に建国していたランナータイ国に関する記述はない。そして北タイでは最後の独立小国家ナーンはナーン渓谷の上流プアで1282年に生まれる。

もうひとつ忘れてはならないのがランサーン王国である。1353年、ファ・ングァムによってルアンパバーンの地に建国された。ランサーン王国の来歴を伝える『クン・ブーロム年代記』には、ファ・ングァムの父はカンポーンと呼ばれたムアン・ルアンパバーン21代目の王だと書かれている。ファ・ングァムはアンコール・トムで養育され、ルアンパバーンに政変が起こったとき、クメール王から借りた約1万の軍隊を引き連れ故郷・ルアンパバーンに凱旋したと言う。彼の妻はクメールの王女である。

伝承とはいえ21代続く王統であればその始祖(クン・ブーロム王)は、8世紀までさかのぼれる。つまりかなり古い時代から、ルアンパバーンにもタイ族のムアンがあったことになる。ただ北タイでのタイ族の国家成立の時期に比べ約100年遅れているのは・・・?。その背景には、14世紀後半に成立したアユタヤ王国の成立と、それに伴うランナー国の威信低下、崩れ始めたクメール支配、などが指摘できる。つまり大きな勢力の衰退の間隙をぬった建国だといえまいか。

これですべての北タイでのタイ族の国を紹介したことになる。そこで中心となる我らのランナー国についてもう少し触れておくことにする。

『チェンマイ年代記』ではランナーを建国したマンラーイは、グン・ヤーン(現在のチェンセーン付近)の首長であったラオ・メーンの息子だという。ラオ・メーンは初代のラワ・チャンカラート王から数えて24代目の王。名前からは移住先の先住民・ラワ族との融和、混住、混血を想像する説もある。母はムアンルーの王女ナーン・ウア・ミンチョムムアンである。ムアンルーは現在の西双版納・景洪を都としたタイ系民族の連合国家。グーン・ヤーンの王系の名前は残されており、王統が24代も継続したのなら建国は6世紀頃ではないかと推測される。

しかしチェンセーンには11世紀以前の遺跡はない。グン・ヤーンの成立を証明できるのは12世紀までなのだ。クン・チュアンが最初にチェンセーンを支配したのは12世紀の中葉だとする記述と、残された遺物の時代考証は合致する。むろんチェンセーンでさらに古い遺構が発見されるかも知れない。対岸のラオスには存在するからだ。

メコン河対岸のラオス国ボケオ県には5世紀頃とみられるスガァンナコームカム遺跡がある。遺跡は16世紀のビルマ族の侵攻で破壊されたが、現在、この遺跡の主は古代クメール人あるいはタイ族の「足跡」だとみられている。もしタイ族だとすれば北タイのメコン河流域に5世紀頃タイ族のグループが「独立国家」を建設していたことになる。

ラオス国ボケオ県スガァンナコームカム遺跡の詳細は以下をご参照ください

    http://www.mekong.ne.jp/directory/wat/suvannakhomkham.htm

5世紀にタイ族の国がメコン河流域にあった。漢族の史書では12世紀末にムアンルー(西双版納景洪が都)、13世紀初めにムアンマオ(雲南省瑞麗が都)の二つのタイ族の国家があったとされているが、それよりも遥かに古い。古いだけでなくすでに雲南の地を離れメコンを南下していたことになる。

先に紹介した『クン・ブーロム年代記』には、ランナー、スコータイ、ルアンパバーンの王統は同族だと書かれている。そしてナーン国の王も同族だとする記載もある。

 チェンセーン市内から9キロ離れたソップ・ルアクの丘に立つ廃寺プラ・タート・プー・カオの案内板には「759年、チャンカラート王の王子であって、二代王となったラオ・カオによって建立された」と紹介されている。つまり8世紀の中頃にはチェンセーンの地に寺院を建立するほどの力をグン・ヤーンは備えていたわけだ。プラ・タート(Phra That)は「偉大な仏舎利」の意味だから、仏塔には仏舎利が納められていることになる。またプー(Phu)は蟹、カーオ(Khao)は丘、小さい山のことである。

変な名前の寺だと感じていたが、案内板には寺の由来も記載されていた。チャンカラート王はこの地を豊かな農地に変えようと水路の建設を進めていた。しかし完成間近になると堤は大きな蟹によって壊される。王は三人の息子に蟹退治を命じる。何回かの失敗の後に、王子たちは首尾よく蟹退治に成功。蟹が潜んでいた穴を塞ぎ、その上にステゥーパを建立、仏舎利を納めたという。案内板には話の出典を『ヨーノック年代記』と『この地域に伝わる伝承』(Fork Lore)としている。またチャンカラート王の在位は120年間も継続したという。

2002年2月にこの寺に行ってきたが朽ち掛けたウィハーン(仏堂)、ほとんど崩壊したモンドップ(立方体の基壇を備えたチェディ)の大幅改修工事を村人がやっていた。

少しの脱線をお許し願いたい。これまでの東南アジア史は、フランス人の歴史学者ジョルジュ・セデスによる『インドシナ文明記』や『インドシナとインドネシアのインド化された国々』を下敷きに書かれたものが多いのだそうだ。彼は『ジナカーラマーリー』などの仏教史やセーマーと呼ばれた石(碑)文をテキストに著作をものにした。20世紀も60年代のことである。着眼点が良かったのか、彼の学説が東南アジア史の研究者に支持されることになる。各種の資料が『ジナカーラマーリー』を引用する理由がここにある。

ところが1980年代から日本の歴史学者などで刻文資料による研究が精力的に取り組まれ、彼の記述に対する多くの疑義が生まれている。また新たな事実が次々と発見された。つまり「下敷き」を見直す動きがでてきた。

最近刊行された岩波講座「東南アジア史」(第2巻)には、チェンマイ旧市街に立つ「三王の記念碑」(1287年に結ばれたとするランナー、パヤオ、スコータイ三国の友好同盟を記念したもの)にも「確証できない事実」として疑義が呈されている。

つまり歴史学のすべて共通することだが、なかでも東南アジアの歴史がまだまだ発展途上なのだ。そして東南アジア史の視点が変わろうとしている。この先、どんな事実が出てくるのか興味は尽きない。

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