論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」⑥

論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」

(蔵屋敷滋生 くらやしき・しげお 投稿時:出版社役員,59歳、千葉県柏市在住)

第3章 遥かに遠いナーンへ

チャンワット(日本の県に相当)・ナーンの人口はタイ北部では最小のメーホンソーン、ウタイタニー、ランプーンについで少ない45万4610人(2000年人口調査)。チェンマイの三分の一なのだ。一人当たり県内総生産2万9022バーツ、当然、所得はそれよりも低い。こっちはチェンマイの半分。だがこれは西側諸国のモノサシで絶対的な基準ではない。

  確かに所得も低いし、インフラも整備されていない(ただ、ナーンまでの道路は立派なものです)。観光には不便だが、環境や住み易さを考慮すればチェンマイよりも遙かに「豊か」ではないだろうか。物価も安いような気がする。今でも、パーコントーを5バーツ分売ってくれます。

  ボクはタイの北部がいいのだ。なかでもラオスと国境を接するタイ北部の北東部にあるチャンワット・ナーンは不思議なくらいに好きだ。ナーンに行きたいから北タイの旅を続けているのかも知れない。きっかけは、私の旅行にいつも同行する運転手が作ってくれた。英会話に不自由しない彼はチェンマイに住み、いつもは観光客相手のタクシーをしている。それだけでは生活が不安定なのか、ホテルと契約しエントランスや路上で待機することになる。

 ある時、チェンライ行きを約束した運転手が急病で来られなくなった。その時に定宿の紹介で彼を知った。もう彼の家族を含めた付き合いが8年になる。いまではホテルを介さないで直接電話やFAXで連絡し彼を雇っている。そのためにボクは定宿を変えざるをえなかった。ベルボーイに彼がコミッションを払いたくなかったためだ。

  車を所有するとはいえドライバーの立場は弱い。確実に顧客を確保する手段はベルボーイなどホテルの従業員の紹介である。だがその度にコミッションを要求される。当然、応じざるをえない。拒否すれば次から仕事が回ってこないことになる。

ちなみに車のチャーター料は一日1000バーツ。ここ6年間不動の安定価格である。最初の2年間は1200バーツだった。コミッションが含まれていたのだ。直接交渉になって彼が値下げしてくれた。経済原則を理解する見上げたヤツだと思っている。ただしガス代はこっち持ち(このところのガス代の高値安定にはネをあげている。しかも遠距離の旅だから尚更だ)。朝食を除く食事は一緒だから酒代も含めこっちが払う。運転手の宿代は彼の自腹(しかし時々宿代として一泊200バーツ見当を渡している)。

私の旅行は一回で10日以上になる。そうたびたび行けないから思い切って一週間を超える休暇を取る。「10日で1万バーツの収入は銀行の支店長クラスだ」と言うのが私の口癖である。彼はそんなお客を何人か抱えている。リピーターが多いらしい。時々、彼を介してメール友達になった彼、彼女らと情報交換をする。彼の「要望」を伝えることが多いが……。

 付き合いが深まるにつれて、彼の奥さん(正確にはチェンマイ奥さん。どうやらいろいろなところに奥さんが居るらしい)がナーンのタイルー出身だと教えられた。彼もラオソン(黒タイ)で生家はダムヌーンサドワックだと言っていた。そう告げられ半年後に、彼は英文で書かれた「ラオソンについて」と題する手書きのレポートをくれた。「図書館でまとめた」という。 

 ボクは別に民族主義者ではないので、この国では系統の異なる同民族、ましてや異民族(山の人)を軽視、差別、侮蔑する風潮があることを感じていた。そのことが「君の国の真の民主化(政治的、経済的に)の浸透を遅らせ、民力の均衡ある発展を阻害している」と意見を述べたことがある。そして「その背景にタイ族ではない華僑のネツトワークが……」と続けようとして止めた。彼に「タイルー、ラオ、ラオソン、シャンだってみんな同じタイ族さ。もしかすると最初のタイ文字はタイルー族が作ったかもしれないよ」と、応えたのを覚えている。

 なぜ彼がボクに「言いにくいこと」を教えてくれたかと言えば、彼に初めて逢った時からボクが北タイのパイ、メーホンソン、メーサリアン、ファン、タートン、ドイ・メーサロン、果てはヒンテークなどビルマ国境沿いの少数民族の村ばかりを訪れていたからだ。ファンからバロンを見つけるためドイアンカーンに何度も挑戦したこともあった。そのために彼は旅舎の駐車場で、車のチューニングをし、タイヤを交換し、安全を確認してくれた。山の中で車が立ち往生し、二人してドロドロになりながら引っ張り上げた経験もある。彼にしてみれば「よいお客だ」と思う前に「変わった日本人」だと思ったかも知れない。

 彼との付き合いがさらに深まるに連れ「ナーンは田舎だが、素晴らしくいいところだ。人は素朴で優しいし、しかも静かで観光客もいない」と散々言われた。ボクも「ピー・トン・ルアンもいたな」と思い出し、重たい腰を上げたのが始まりである。1998年のことである。

初めての訪タイは1987年、仕事であつた。その後もバンコクには仕事でたびたび訪れていた。自分ではバンコクを卒業したつもりでいたし、北タイのビルマ国境沿いの村々から興味の対象を広げて、「タイ族ってなんだ?」てなことも考えてみようとも思っていた。ようするにボクはタイの「田舎が好き」「国境が好き」「人間も好き」、そして「観光客がいなければ、もっと好き」なのだ。

そのナーンについてあれこれご紹介したい。とくに最近は「ナーン人の一種の気高さや自立性は、背景に同系民族に侵略、支配された歴史、そして中央から見捨てられた哀しい歴史がある」と思い始めている。そのほとんどはナーンの地理的条件からくるものだが、そんなことにも触れてみたい。

TGの午前便で成田からドンムアン国際空港へ。バンコクでは入国せずにトランジット約2時間、国内線でチェンマイ国際空港にてタイ入国。翌日、気心を知る運転手の迎えを待ってナーンに向け出発。チェンマイ滞在14時間、これがいつものパターン。とにかくナーンまでは遠い。大げさに聞こえるかも知れないが結構覚悟がいる。今年(2001年)の2月10日に行ったチェンマイ→パヤオ→チェンムアン→ナーンのコースでも約340キロもある。しかもこのルートで最短距離なのだ。チェンマイでガスを満タンにしても一日で大半を消費する距離でもある。

まず「ナーンへの道を」紹介しておきたい。上記の最短距離ルートとは別に以下の2コースも忘れがたい。これまでも与えられた時間に応じて道中を選択してきた。旅の醍醐味の一つは「寄り道」にある。寄り道するから旅にふくらみが持てて、思わぬ体験ができるというもんだ。目的地に直行したかったら飛行機があったら使えばいい。そんなことの出来るのも彼がいるからだ。

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