調査探求記「ひょうたん笛の”古調”を追い求めて」⑤(伊藤 悟さん)

「ひょうたん笛の”古調”を追い求めて」⑤(伊藤 悟さん)第5章

さて、芸術学院の教授と僕はひょうたん笛のエン先生の故郷に着くと、早速ひょうたん笛を吹くのが一番上手いといわれている人や、歌手を探した。 村人が僕らをある家に案内してくれた。家の中にはいると、地面を掘って造ったいろりの側で独眼の老人が座っていた。


この老人がエン先生の師であるという。年は50歳後半といったところか、農村部ではすでに老人として尊まれる年齢である。その老人がエン先生の消息を知らないかと心配そうに尋ねてきた。家族も村人たちも長い間エン先生がどうしているか知らないという。村人たちの間では死んでしまった、とまで噂されていた。

僕は「エン先生の生徒です」と言いたかった。教授は耳元で「いわないほうがいい」とつぶやいた。おいおいわかっていくのだが、エン先生には複雑な事情があったのだ。  この老人が作ったという笛がいくつか机の上にあった。僕は無造作に吹いてみると、おじいさんは驚いたように「日本人のおまえさんが吹けるのかい」といった。

この時、僕は先生の師を目の前にして、何一つ言い出せなかった。僕らは老人にひょうたん笛で“古調”を吹いてもらった。何か語り掛けてくるような、旋律という枠を超えた何かがその曲には含まれていた。明らかにエン先生が吹く“古調”と似ているメロディー。でも、この老人とエン先生の吹く“古調”は含まれているものが違う気がした。

エン先生はひょうたん笛で“古調”を吹き、音楽のすばらしさを教えてくれた。この老人はひょうたん笛で“古調”を吹き、僕らに物語を語っているようだった。でも、震えも、感動も、何の感情も湧いてこなかった。なぜだろう、僕はずっと無心だった。 ただ、また戻ってくる、僕はそんな気がした。

村から戻り、僕はエン先生にこの老人が吹いた“古調”の録音を聴かせた。エン先生がブルっと震えた。僕もそれを見て震えた。先生は「これが本当の“古調”だ。この人以上の“古調”はない」と言って、黙ってしまった。

それから1年かどのくらいかたって、先生が里帰りをした。わずかな間でこの人は楽器を売り、演奏し、名を上げた。胸を張って里帰りしたのだと思う。 先生が村から戻ってきて、ある日、僕はいつものように先生がひょうたん笛を作っているのを横で座って見ていた。先生がふと手を止め、顔を上げて窓の外を見た。僕もつられて窓の外を見た。

「あの老人が死んだ。もうあの“古調”を聴くことはできない。」 僕に苦笑いして見せた。先生は刀を手にとり、また楽器を作りはじめた。

僕が村を去って間もなく、老人は病気になり亡くなったのだという。僕はあの時、先生の師を前にして僕が生徒であることすら言えなかった。そしてそのことを伝える機会も、あの“古調”を聴く機会も永遠に、二度とは来ないのだ

(C)伊藤 悟 2002 All rights reserved.

関連記事

おすすめ記事

  1. メコン圏を舞台とする小説 第37回「陽はメコンに沈む」(伴野 朗 著)

    メコン圏を舞台とする小説 第37回「陽はメコンに沈む」(伴野 朗 著) 第37回「陽はメコンに…
  2. メコン圏が登場するコミック 第5回 「サイボーグ 009 黄金の三角地帯 編」(石ノ森章太郎 著)

    メコン圏が登場するコミック 第5回 「サイボーグ 009 黄金の三角地帯 編」(石ノ森章太郎 著) …
  3. メコン圏に関する中国語書籍 第3回「云南境内的少数民族」(主编: 谢蕴秋、副主编: 李先绪,民族出版社)

    メコン圏に関する中国語書籍 第3回「云南境内的少数民族」(主编: 谢蕴秋、副主编: 李先绪,民族出版…
  4. 雲南省・西双版納 タイ・ルー族のナーガ(龍)の”色と形” ①(岡崎信雄さん)

    論考:雲南省・西双版納 タイ・ルー族のナーガ(龍)の”色と形” ①(岡崎信雄さん) 中国雲南省西双…
  5. 調査探求記「ひょうたん笛の”古調”を追い求めて」①(伊藤悟)

    「ひょうたん笛の”古調”を追い求めて」①(伊藤悟)第1章 雲南を離れてどれくらいたったか。…
  6. メコン圏を描く海外翻訳小説 第8回「外人部隊 ディエン・ビエン・フーの黄金」(ダグラス・ボイド 著、伊達 奎 訳)

    メコン圏を描く海外翻訳小説 第8回「外人部隊 ディエン・ビエン・フーの黄金」(ダグラス・ボイド 著、…
  7. メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第15回「消え去った世界」あるシャン藩王女の個人史(ネル・アダムズ 著、森 博行 訳)

    メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第15回「消え去った世界」あるシャン藩王女の個人史(…
  8. メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第23回「メコン街道」母なる大河4200キロを往く(鎌澤久也 著)

    メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第23回「メコン街道」母なる大河4200キロを往く(鎌澤久也 著…
  9. メコン圏現地作家による文学 第13回「愛と幻想のハノイ」(ズオン・トゥー・フォン 著、石原未奈子 訳)

    メコン圏現地作家による文学 第13回「愛と幻想のハノイ」 「愛と幻想のハノイ」(ズオン・トゥー…
  10. メコン圏対象の調査研究書 第24回「海のシルクロード」中国・泉州からイスタンブールまで(文・辛島昇、写真・大村次郷)

    メコン圏対象の調査研究書 第24回「海のシルクロード」中国・泉州からイスタンブールまで(文・辛島昇、…
ページ上部へ戻る