論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」⑬

論考「遥かなるメコンを越えて ナーンの旅、そしてプーミン寺壁画」
第7章 いよいよ  ナーンの地へ  後編

(蔵屋敷滋生 くらやしき・しげお 投稿時:出版社役員,59歳、千葉県柏市在住)


(写真: ナーン郊外。ワット・ノンブア)
ナーン郊外ではターワンパー郡にあるワット・ノン・ブワだろう。ここにも寺院壁画の代表作がみられる(建立は1862年、壁画の完成は1888年)。ただワット・プーミン以上に剥落が目立ち、保存策など講じられていないので、気分的にどうしょうどうしょうと思いながら拝見させて貰っています。ナーン市内のプーミン寺の壁画と双璧をなす傑作です。

画家はルーの同一グループだとみられる。印象的なのは、本堂に必ず壁画を守るように老人が居ることです。ボクのタイ語ではまったく通じなかったのですが、なにか話しかけることをお薦めします。この本堂も重層の屋根の美しさに見とれるはずです。寺のある村は昔からルーの居住地で、ルーの英雄の銅像も村内にあります。


(写真: ワット・ノンブアのご本尊。背後に壁画が見える)

(写真: ワット・ノンブアの壁画。男と女の頭髪の違いに注意。子供達か?)

(写真:  ワット・ノンブアの壁画。本尊背後にある極彩色のブッダ?)

(写真: ワット・ノンブアの壁画。象戦車に乗って戦う王と女王?)

(写真: ワット・ノンブアの壁画。女王郡の出陣?。同寺の最高傑作)
そのほかにも「ナーンへの道 その2」で紹介としたナーン建国の地・プア。山間の自然豊かな静かな街で観光名所などはありせん。ゲストハウスのオーナー夫婦との酒盛りが楽しみぐらいでしょうか。プアから1080号線で75キロ北上したラオス国境マーケットのホォイ・コン(マーケットは土曜日のみ)。ここまでは車をチャーターしても出かける価値あり。買い物なら午前中が勝負ですから、早出をお薦めします。とにかく何もかもが安いのです。

それから、自然いっぱい過ぎるドイ・プーカー国立公園(2月中旬にはチョンプー・プーカーの木に赤い花が咲きますが、見るには長時間の山歩きが必要)、山塩の生産地・ボー・クルアなどなど、とてものんびりなどしていられないほど見所は山盛りです。だから4~5日は滞在して欲しいものです。以下のサイトにも珍しいナーン(こだわり)紀行があります。

バンコクで生きてみて・その109回 ナーンってそれどこ?

http://www.liveinbkk.com/sono109.html

ある人からデビット・ワヤット教授の『ナーン ワット・プーミンに見る寺院壁画の歴史的考察』(David K.Wyatt『Temple Murals as an Historical Source  The Case of Wat Phumin,Nan』)をお借りした。

読んでいるうちに自分も欲しくなった。そして所有者に無断でコピーを取った。だが、寺院壁画の極彩色はモノクロで再現できるわけがない。結局、買うことにした。「1993年刊行だし、マニアックな本だし」と思いながらも、チェンマイを訪れた際にSURIWONGブックセンターで探してみた。店員から「在庫はありません」といわれて、即注文した。ただし店員には「受け取りは半年後」とお断りした。

ところが半年後に手に入れることができたのだ。感激したのはいうまでもない。その旨伝えるとトレイを出してくれて椅子まで用意され関連の書籍を並べてくれた。一変にこの本屋が好きになったが、残念ながら欲しいものはなかったので失礼した。

チェンマイ博物館でも『Wiang Ta Murals』を買った。館の入り口で所在げにしていたおねえさんに進められたものだ。さきほどのある人に自慢げにお知らせすると「700バーッでしょ。持っています」と返事がとどいた。世の中には不思議な人がいるものだ。なんでも持っていやがる。

ワヤット教授の『プーミン寺院壁画』には、壁画の制作年次は1894年と断定している。また壁画の主題は「ラタナコーシン王朝からも見捨てられ、“孤児”となったナーン朝の史的哀愁話にある」と説いている。

従来、プーミン寺は、ビルマ統治下の領主チャタプトラ・プローミンによって1596年に建立され、1867~1875年にかけて改修復されたといわれてきた(プーミン寺ガイドプレートでは1867年に領主アナンタ・バラリッティデッチによって改築と記されているが)。当然、寺の改修復後に壁画は描かれたわけだから1875年か翌1876年以降では、とみられてきた。ワヤット教授はなぜ改修復されてから約20年も後だと研究報告したのか?。それは後ほど紹介する。

では彼が論文で述べている「ナーンは悲劇」(便宜的にそう呼ぶことにした)とはなんのことなのか?。タイの歴史をみれば大凡の想像はつくが……。

ナーンの建国は13世紀末か14世紀初め(ナーン博物館での説明書書き。伝承では13世紀前期にプーカー王によって建国)。すでに北東のラオスには12世紀初、ルアンパバーンにラオのムアンがあった。7世紀以前から中国西南部を出て南下した「タイ族」が現在のラオスにつくった連合体である。そのランサン王国は13世紀前期に建国されている。

ビルマ族のタイ国への侵攻は16世紀央に開始され、タウングー朝のバインナウン王は1558年にチェンマイを攻略し、1568年にはアユタヤをも陥落させた。

その後、トンブリ王朝をへてラタナコーシン王朝はチャオパラヤー・チャクリによって1782年開かれた。それから100年経った19世紀末、イギリス、フランスなど西側列強のインドシナ植民地化攻勢に破れ、まず、1888年、フランスはラオス全域を獲得しようと声明を発表し、軍隊を駐留させる(実質的な植民地支配)、そしてタイは自国の自治は守った代わりに、1893年10月に屈辱的なフランス・シャム条約を結ばされ、メコン左岸(ラオス)、タイ領右岸25キロ以内の非武装化と非徴税地帯化、河中にある全島嶼の権利放棄、1904年2月にもルアンバパーン、パークセーの両対岸(タイ)を割譲した。現在のタイ・ラオス国境はその時からのものである。また、当時盟友だと信じていたイギリスにも、直接ナーン王朝の領土とは関係ないがスルタン領マレー四州を割譲している(1909年3月)。

つまりワヤット氏の「ナーンの悲劇」とは、同じタイ系民族の強国(ラーンナー国、パヤオ国など)や異民族であるビルマ、そして最後には頼みとするタイ統一王朝から見捨てられるという歴史的事実に起因する「悲劇」を指している。

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