隣接圏アジア・マレー圏関連書籍 第1回「ハリマオ」(伴野 朗 著)


「ハリマオ」(伴野 朗 著、角川書店、1982年7月発行)
(初出:「野生時代」1982年4月号に一挙掲載されたもの)

<著者略歴> 伴野 朗(ともの・ろう)
1936年生愛媛県生。「五十万年の死角で乱歩賞受賞。本格的冒険小説の第一人者<本書掲載当時・本書掲載より>
*1936年~2004年。1936年、愛媛県松山市生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業。朝日新聞社の秋田支局を振出しに外報部、インドシナ特派員などを経て上海支局長を務めるかたわら執筆活動を並行した。1989年、朝日新聞社を退社。1976年『五十万年の死角』江戸川乱歩賞、1984年 『傷ついた野獣』日本推理作家協会賞受賞。2004年、心筋梗塞で死去。享年67歳

本書は、太平洋戦争迫る激動のマレー半島を舞台に、マレー独立のため闘った、快男児ハリマオの数奇に満ちた生涯を描く痛快冒険アクション。マレー語で虎を意味するハリマオは、太平洋戦争の開戦初期、日本陸軍の特務機関員として行動した谷豊の、マレー社会におけるニックネームで、マラリアでシンガポールで享年30歳の生涯を終えた谷豊(1911年~1942年3月17日)は、その後、映画や小説、テレビにマンガにと一世を風靡した、「マレーの虎・ハリマオ」のモデルとなる、実在の人物。ただ、本書はあくまで小説で、主人公の名前は谷豊と、事実と同じ名前で事実と近い生涯も描かれているが、事実と明らかに異なる点も多々あることは留意が必要。

物語は1937年(昭和12年)、当時、英領マレーのマレー半島東海岸の中央部に位置するクアラトレンガヌから始まる。クアラトレンガヌで床屋を営む福岡県筑紫郡日佐村(今は福岡市南区の一部)出身の両親のもと長男として生まれた主人公の谷豊は、妹思いの心優しい17歳の少年。だが日本人を父親の仇と憎み、1937年7月7日の盧溝橋事件で反日感情が一気に高まったクアラトレンガヌ在住の高利貸で浙江省寧波出身の華僑、呉希文の指示の下、彼の部下たちに、1937年8月、両親と妹を惨殺される。

谷豊は、天涯孤独の孤児となり、呉希少文への復讐を誓い屋敷に忍び込み狙撃するも失敗し深手の傷を負って、追手から逃れるためマレーの密林に入り、警戒を強める呉希文に対し再び復讐の機会を狙うことに。コタバルの福建帮の大親分劉大生からも追われるようになり、谷豊は、不思議なマレー人の盗賊と出会い、やがて部下たちや民衆から「ハリマオ」と呼ばれ、英政庁から恐れられている盗賊団の首領となっていく。そして、マレー半島からシンガポール陥落を目論み、マレーの地理に通じ英国を憎み、その上、彼の号令で多くのマレー人が起つような日本軍への協力諜報員となるべき人物を探していた日本軍からのアプローチを受けることになる。

事実としては、谷豊が福岡県筑紫郡日佐村(今は福岡市南区の一部)で生まれたから両親(父は浦吉、母はトミ)がクアラトレンガヌに渡り、現地で床屋を開業している。悲劇の事件は、1937年8月ではなく、1932年11月、クアラトレンガヌの自宅兼店舗で華僑の暴漢たちに、末妹(名前は静子で、本書では花江)が首を切断され斬殺されている。本書ではこの事件の時、谷豊一家がクアラトレンガヌに一緒に住んでいたことになっているが、事実は、この時、谷豊は徴兵検査もあり日本に帰国中で、また父親は1931年に、母親は1958年に死亡。また谷豊に末娘の静子以外にも弟や妹がいて、天涯孤独の孤児にはなっていない。ただ、実際、末妹の惨殺事件がきっかけで、マレーに戻った谷豊は消息が分からなくなっていく。本書では谷豊はマラリヤで開戦直後の1941年12月23日にマレー半島のジャングルで亡くなっているが、事実は、1942年3月17日、シンガポールの病院でマラリアで死亡。

小説の本書では、谷豊の家族を惨殺したクアラトレンガヌ在住の華僑の富豪への復讐から、マレー人の盗賊団に加わり、やがて首領になっていく中で、谷豊を慕う仲間たちが多士済々で、痛快冒険アクション小説らしい活劇が展開。シーク族のインド人の大男で怪力の唖の荷役労働者であるアブドラ、マレーの格闘術「シラット」の名手であるマレー人のハムザと、カパット投げが得意のマレー人のジョハリの兄弟。密林や山脈の間道に通じ、吹矢が得意の原住民オラン・アスリの少年、パヒの町での日本の木材会社事務所の金庫荒らしに谷豊を誘い、盗賊団の首領を譲り自らは参謀格におさまる、もとスズ鉱山のダイナマイト係をやっていて火薬扱いの名人の不思議なマレー人の盗賊「犬の面」に、追跡のプロハンターのクアンタン出身のマレー人ウラなど。

トレンガヌの高利貸の寧波出身の華僑・呉希文や、コタバルの福建帮の大親分劉大生、クアラルンプールの暗黒街の顔役の馬文泰など、マレー半島の華僑のボスたち以外にも、コタバル中華街の裏町の呑み屋の女将のほかに福建帮の暗黒街のボスの情報屋も兼ねている共産党コラバル地区支部の責任者の宋小娘、本来の職務のほかにマレー半島東海岸の英国諜報網を統括するという秘密の任務があり、華僑が大半の数多くの密偵を抱えているクアラトレンガヌの英国弁務官マイケル・フォークナーなども登場するが、更に、極めつけは、実在の”幻の書記長”とも言われた陳平マラヤ共産党書記長(1924年~2013年)も絡んでくる。

本書では、谷豊にアプローチし日本軍への協力説得をするのは、福見松五郎少佐となっているが、実際は軍属の神本利男(1905年~1944年)で、経歴や死亡時期などは実在の神本利男とは大きく違っている。バンコク大使館付き武官として田村大佐の名前は本書で何度も登場するが、こちらは実在の人物で、田村浩(1894年~1962年)だが、日本軍のマレー侵攻作戦の秘密工作を担当した、藤原岩市を機関長とするF機関には触れられていない。

マレー半島での英国植民地主義と支配者英国への反発、シンガポールを狙う日本軍、華僑とマレー人との対立マレー半島の東海岸と西海岸の違い、日本の中国大陸侵攻とマレー半島への影響、マレー半島の華僑の反日感情、日本軍のマレー半島上陸とシンガポール攻防戦など、本書に関係する歴史・社会的なテーマも興味深いが、他にも、マレーの格闘術シラット、マラリアとキニーネ、原住民オラン・アスリと蔑称サカイ(奴隷)やセマン、海峡植民地の通貨の海峡ドル、海亀の産卵地、マレーのスズの採掘、マレー独特の「クリス」と呼ばれる蛇行刀、マレー半島東海岸での日本の鉱山関係者(日本鉱業・石原産業・鋼管鉱業・飯塚鉱業など)、マレー半島東海岸の鉄鉱石(ドゥングン、ケママン、タマンガン、エンドウ、ジャラントット、ポンチャン、クアンタンなど)、森の悪霊「ハンツー」、オラン・アスリが「バハロ」と呼ぶ吹矢、ゴム産業、日本の木材会社の木材の伐り出しなど、いろいろと興味深い関連ワードが尽きない。

関連テーマ・ワード情報
・日本の南進政策と日本軍のマレー進出
・タイのピブン政権と対日協力
・マレー半島東海岸とコタバル、トレンガヌ、クアンタン
・マレーの華僑

ストーリーの主な展開時代
・1937年(昭和12年)~1941(昭和16年)
ストーリーの主な展開場所
・クアラ・トレンガヌ ・コタバル ・クアンタン  ·パヒ ・西海岸ペラク・ランタウ・アバン(Rantau Abang トレンガヌ州にある村) ・クアラ・ルンプル ・アロルスター ・パヒ
・クアラカンサ ・上海 ・奉天 ・東京 ・シンゴラ(タイ南部) ・バンコク
・ハジャイ(タイ南部) ・シンガポール

ストーリーの主な登場人物
・ハリマオ(本名・谷豊 たに・ゆたか)盗賊団の首領。マレー独立のため英国と闘う快男子
・花江(谷豊の妹)
・谷吉三(谷豊の父親、トレンガヌで床屋「都床」を経営)
・谷晴子(谷豊の母親)
・アブドラ(インド人の大男。怪力。ハリマオを崇拝)
・ナン(原住民の少年で吹矢の名手。ハリマオに影のように従う)
・ハキ(原住民オラン・アスリの少年ナンの父親)
・犬の面(盗賊集団のマレー人参謀。ハリマオの片腕)
・ジョハリ(谷豊の小さい時からのマレー人の親友。父親が漁師。盗賊団の1人)
・ハムザ(ジョハリの兄。盗賊団の1人)
・呉希文(トレンガヌの中華街山手に住む高利貸。浙江省寧波出身の41歳華僑)
・劉大生(コタバルの福建帮の大親分。呉希文の妻とは従兄弟同士)
・姚子卿(太極拳の達人のペナン生まれの福建華僑。英国の手先となりハリマオを狙う)
・馬文泰(クアラルンプールの暗黒街の顔役)
・マイケル・フォークナー(クアラトレンガヌの31歳英国弁務官。英国諜報の秘密任務を兼任)
・ヘンリー(マイケル・フォークナーの父親。義和団事件時の外交官)
・スジー(マイケル・フォークナーの母親。中英混血)
・クアラトレンガヌの英国弁務官事務所の老コック(マドラス出身のインド人)
・ウラ(劉大生に雇われているマレー人のハンター。追跡の名人でクアンタン出身)
・陳平(通称”赤い星”マラヤ共産党の書記長)
・宋小娘(コタバルの中華街の小料理屋「徳記」女将)
・劉世民(父親が厦門出身というマラッカから来たコタバルで職探しの若者)
・福州出身の華僑の行商人
・九紋竜(劉大生の身内で”暗器”(飛び道具)の術に長けた暴れ者)
・福見松五郎(日本帝国陸軍少佐。シンガポール攻略の秘密使命を帯びる)
・滝川健八大佐(日本帝国陸軍参謀本部第2部第6課課長)
・田村大佐(バンコク大使館付き武官)
・席恒淳(バンコクの中華街で宿屋を経営する潮州華僑)
・ジェームズ・ドーバー(駐日英国大使館一等書記官)
・ポーラ(ジェームズ・ドーバーの妻)
・劉華麗(呉希文の10歳上の元未亡人の妻で福建省福州出身で元夫は資産家)
・呉希文の若い妾
・呉賢修(上海・南京路で私立銀行「萬福銭荘」を経営する呉希文の甥)
・ジョン・カーライフ(ロイター通信のカナダ生まれ37歳中国特派カメラマン)
・高元智(李景林将軍の高足で、姚子卿の師)
・関谷(材木を扱っている橘商会のトレンガヌ支店長)
・胡世蘭(広東華僑でトレンガヌの中華街で雑貨商経営)
・スワト(ジョハリの叔父で漁師)
・マト(スワトの15歳の娘)
・蘇守義(呉希文の手下で幼い娘に興味を示す変態男で谷豊一家を襲ったメンバー)
・薰隽(呉希文の手下で谷豊一家を襲ったメンバー)
・日本人の探鉱隊グループ
・サー・ポール・グリンハウス(シンガポールの英国海峡植民地政庁情報部部長)
・トーマス・フォーレット(新任のクアラトレンガヌ駐在英国弁務官)
・ステファン・張(浙江財閥にかかわりのある一族で香港の実業界に隠然たる勢力を持つ黒幕)
・バンコクに駐在するコミンテルン派遣の上級工作員、暗号名「エラワン」
・ヤコブ・ヘッセン(実業家というふれこみでバンコクに住みついたユダヤ人)
・英国人の警察長官
・かつて谷吉三の床屋で下働きをしていたマレー人男性とその妻
・ブレット大尉(ペラク川橋の英国守備隊)
・ヒース中将(第3インド軍団)
・カーペンデール准将(第28インド歩兵旅団)

関連記事

おすすめ記事

  1. 調査探求記「ひょうたん笛の”古調”を追い求めて」①(伊藤悟)

    「ひょうたん笛の”古調”を追い求めて」①(伊藤悟)第1章 雲南を離れてどれくらいたったか。…
  2. メコン圏現地作家による文学 第11回「メナムの残照」(トムヤンティ 著、西野 順治郎 訳)

    メコン圏現地作家による文学 第11回「メナムの残照」(トムヤンティ 著、西野 順治郎 訳) 「…
  3. メコン圏対象の調査研究書 第26回「クメールの彫像」(J・ボワルエ著、石澤良昭・中島節子 訳)

    メコン圏対象の調査研究書 第26回「クメールの彫像」(J・ボワルエ著、石澤良昭・中島節子 訳) …
  4. メコン圏が登場するコミック 第17回「リトル・ロータス」(著者: 西浦キオ)

    メコン圏が登場するコミック 第17回「リトル・ロータス」(著者:西浦キオ) 「リトル・ロー…
  5. メコン圏に関する中国語書籍 第4回「腾冲史话」(谢 本书 著,云南人民出版社)

    メコン圏に関する中国語書籍 第4回「腾冲史话」(谢 本书 著,云南人民出版社 ) 云南名城史话…
  6. メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第24回 「激動の河・メコン」(NHK取材班 著)

    メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第24回 「激動の河・メコン」(NHK取材班 著) …
  7. メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第19回「貴州旅情」中国貴州少数民族を訪ねて(宮城の団十郎 著)

    メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第19回「貴州旅情」中国貴州少数民族を訪ねて(宮城の団十郎 著)…
  8. 雲南省・西双版納 タイ・ルー族のナーガ(龍)の”色と形” ①(岡崎信雄さん)

    論考:雲南省・西双版納 タイ・ルー族のナーガ(龍)の”色と形” ①(岡崎信雄さん) 中国雲南省西双…
  9. メコン圏を舞台とする小説 第41回「インドラネット」(桐野夏生 著)

    メコン圏を舞台とする小説 第41回「インドラネット」(桐野夏生 著) 「インドラネット」(桐野…
  10. メコン圏を描く海外翻訳小説 第15回「アップ・カントリー 兵士の帰還」(上・下)(ネルソン・デミル 著、白石 朗 訳)

    メコン圏を描く海外翻訳小説 第15回「アップ・カントリー 兵士の帰還」(ネルソン・デミル 著、白石 …
ページ上部へ戻る