メコン圏対象の調査研究書 第30回 「ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー」(森 達也 著)

 

単行本「ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー」( 森 達也 著、角川書店、2003年7月)

文庫本「クォン・デ  ーもう一人のラストエンペラー」( 森 達也 著、角川文庫<角川書店>、2007年7月)

<著者紹介> 森 達也(もり・たつや)
1956年生まれ。ディレクターとして、テレビ・ドキュメンタリー作品を多く制作。1998年オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、ベルリン映画祭に正式招待され、各国映画祭でも高い評価を受ける。2001年「A2」が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞する。著書に『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』、『職業欄はエスパー』(ともに角川文庫)、『放送禁止歌』(知恵の森文庫)、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(晶文社)など。映像・活字双方で今もっとも注目を集めている。<単行本の著者紹介より、本書発刊2003年当時>

■クォン・デ(1881年~1951年)
ベトナムの阮朝の始祖グェン・フック・アインの直系。革命の志士ファン・ボイ・チャウと交流を深め、1906年日本に亡命する。現在も信仰がつづくカオダイ教の創始にもかかわり、フランス植民地支配からの民族解放の志を持って、日本に留学をする東遊(ドンズー)運動を推進するため、中国、ヨーロッパ、南ベトナムなど、各地を奔走。1951年4月6日東京において客死。
<単行本の表紙カバーより>
*運営者注:1906年日本に亡命すると原文には記されているが、1906年の日本入国は亡命ではない。
*運営者注:1909年に東遊運動は終結し、クォン・デは1909年に日本を離れるが、1915年に再度日本に渡り東京に定住。

本書の単行本の帯には、”1951年、東京杉並区の粗末な貸家で、ベトナムの王子クォン・デは、孤独に息絶えた。母国では伝説的カリスマだった「安南の王子」が、なぜ?満州国皇帝溥儀を担ぎ上げた大東亜共栄圏思想が残した 昭和史のもうひとつのミステリー”、と記されているように、本書は、数奇な運命と波乱に満ちた生涯を送り、1951年、日本で客死したベトナムの阮朝の皇族クォン・デ(1881年~1951年)について、ドキュメンタリーディレクター、ノンフィクション作家の森達也氏が記した書籍。単行本は、2003年7月に角川書店より『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』というタイトルで刊行され、単行本刊行から4年後の2007年7月には角川書店から角川文庫として文庫本が刊行。文庫本は、タイトルが『クォン・デ もう一人のラストエンペラー』と改題。

「ラストエンペラー」という呼称は、清朝最後の第12代皇帝(在位1908年~1912年)で後に満州国皇帝(皇帝在位1934年~1945年)となった愛新覚羅溥儀(1906年~1967年)の生涯を描き、世界的に話題となった1987年公開の国際合作映画「ラストエンペラー」ですっかり有名になったが、多少似たような境遇にあったベトナム阮朝最後の第13代皇帝(在位1926年~1945年)バオ・ダイ(1913年~1997年)の側近が綴った革命と動乱の日々についての日本語翻訳本は、『ベトナムのラスト・エンペラー』(ファム・カク・ホエ著、白石昌也 訳、平凡社、1995年)というタイトルで刊行されている。本書『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』単行本の表紙装丁は、『ベトナムのラスト・エンペラー』に非常に似ていて、タイトルも注意しないと、混乱しかねない気もする。本書の主題のクォン・デは、ベトナム阮朝の皇族ではあり、皇帝に担がれそうにはなるが、溥儀やバオ・ダイとは異なり、皇帝には就いておらず、まして、最後の皇帝ラストエンペラーではない。「ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー」の”もう一人”とは、皇帝を意識すると、阮朝最後の皇帝バオ・ダイを想定してのことと思えるが、ベトナムから来た”という語句を意識すると、共に日本をめざしたベトナムの独立の志士ファン・ボイ・チャウを想定してのことと思える。

文庫本では「クォン・デ  ーもう一人のラストエンペラー」とタイトルを改めているが、本書の文庫版あとがきでは、”この本のタイトル「クォン・デ」の意味を知る日本人は、断言するけれどほとんどいない。僕が著名な作家ならともかく、売れるためにはこんなタイトルをつけるべきではないのかもしれない。でも僕はこのタイトルにこだわった。彼の名前を冠したかった。彼がそこにいたことを、裏切られ、傷つけられ、でも人を信じ、人を愛し、人に愛され、疎んじられ、慕われ、泣き、笑い、怒り、そして死んでいったことを、いろんな形で刻みたかった。”と、著者記している。また、単行本では、表紙の裏カバーに掲載していた写真を、文庫本では、表紙カバーに掲載し、表紙装丁が変更となっているが、この写真は、著者がクォン・デの事を調べ出して3年が経過する頃、クォン・デの遺児と勘違いして面会した、戦後、クォン・デと一時期、東京で一緒に暮らしていたが血は繋がってはいない安藤成行氏が所有していたクォン・デが映る写真(クォン・デの晩年の東京での生活の面倒を見た安藤ちゑのは映っているものの、クォン・デは東京で妻子はもたず、一緒に移っているのは、1940年に台湾の友人たちと台湾で撮った写真)。

そもそもテレビのフリーランスのディレクターをしていた著者がクォン・デについて知り、調べたいと思ったきっかけは、ベトナムの北部山脈で発見された新種の動物を、男性タレントが探索に行くというゴールデンタイムのバラエティ番組の企画で、ベトナム人コーディネーターを交えての打ち合わせの席上で、1994年のこと。本業はベトナムからの留学生である彼に、打ち合わせの合間に雑談のつもりで翌日のスケジュールを尋ねると、「静岡に行きます」との答えがかえってきた。「どうして静岡に?」「浅羽町(現・静岡県袋井市)に行きます。私たちベトナム人にとっては大事な場所です」というやり取りがあり、「森さんはクォン・デという名前をご存じですか」と尋ねられ、「クォン・デ?知らないな。それ名前なの」と答えると、「どうして日本人は皆、知らないんでしょう」「・・・僕らの王子は、日本に殺されたようなものなのに、どうして日本人は誰もこのことを知らないのですか」と、呟かれ、テレビ屋としての職業意識から、何かのネタになるのではないかと思い、詳しい話を聞き、更に著者自ら、いろいろと調べていくことになる。⇒本サイト内の記事「ファン・ボイ・チャウが建立した浅羽佐喜太郎公記念碑と常林寺(静岡県袋井市梅山)参照

ベトナムで王位を継ぐ代わりに、祖国解放の独立運動に身を捧げ、革命家ファンボイ・チャウとの運命的な出逢いによって、妻子をベトナムに残し、1906年日本を訪れ、その後、半世紀にわたって、日本を拠点に流浪の日々を過ごし、二度と故郷にもどることはないまま生涯を終えたベトナムの皇族クォン・デの、日本にあこがれ、そもそもの来日は自らの意思で、ベトナムの独立のために日本の力を期待しながらも、日本から翻弄され続けた生涯を調べる中で、特に、第二次世界大戦が始まる頃には、日本軍部の庇護下にあり、帰国を願うクォン・デを、なぜ日本軍部は、日本に滞在させることにこだわり続けたのか、クォン・デを傀儡とした疑似国家の越南国設立の構想が日本軍部にあったのではないか?なぜ、生涯の大半を過ごして死んだ国である日本では、あっさりと知る人など誰もいない存在となってしまったのか?ということなどを含め、テレビのドキュメンタリー企画を画するも、テレビでの番組化は難しく、最初に著者がクォン・デの事を知ってから8年経った時(2002年?)、運よく角川書店からノンフィクションの企画がないかという話が舞い込み、企画が通り、ベトナム取材が実現することになる。このあたりのいきさつが、本書の「第一章 クォン・デへの旅立ち」の部分で、クォン・デについてのベトナム取材のことが気になるが、その部分は、本書の最終章の「第7章 憧れ続けたベトナム」で登場。

ベトナムでの取材については、ホーチミン市で、日本語の専門学校「東遊学校」校長や、戦前からベトナムと日本との貿易業に従事してきたベトナム在住の日本人企業家、タイニンではカオダイ教の信者の人たちなどと話をし、ベトナム側でのクォン・デへの業績や評価について尋ね、あとは町の中でも、現地のいろんなベトナムの人たちに、クォン・デの事を知っているか?尋ねたりするが、総じて、現地でも知られていなかったり、同情すべき部分はかなりあるものの、日本軍部の力を利用としたこと、日本に依存しすぎて、評価は高くないという反応。ベトナムでも、ォン・デの名前はほとんど忘れかけていることに、著者は落胆し、読者も8年越しの短期間ではあるがベトナムでの取材実現に見るべき成果が無いかと思いかけるが、フエでの取材には一定の進展あり。遺跡保存センター主任研究員の歴史学者の教授との場所を変えての面談以降、その教授の案内で、ファン・ボイ・チャウ墓所と記念館に寄ってから、生前のファン・ボイ・チャウが祖国のために身を挺した人たちのために設立した墓所に、二人の子供を育てながら、クォン・デの帰国を半世紀にわたって待ち続けた妻のレー・ティ・トランの墓に向かう。更に翌日には、クォン・デの次男と4人目の妻との間に生まれた長男という、クォン・デの孫の粗末な家を訪問。衝撃的なのは、山の頂附近にあるすり鉢状の穴の真ん中に、一抱えほどの土が盛られている場所に案内され、クォン・デの墓と紹介されるシーン。

本書の第2章から第6章までは、クォン・デの人と生涯を紹介するための章となっているが、史料などを調べた上での著者の推測やフィクションに基づいた創作となり、随所に著者自身のいろんな考えや意見が述べられている。この点については、書籍『日本をめざしたベトナムの英雄と皇子 ファン・ボイ・チャウとクオン・デ』(白石昌也 著、彩流社、2012年4月発行)でも、「エピローグ ー今後の便校のために」として、色々な関連の書籍が紹介されているが、本書についての紹介記述がある。”本書(『日本をめざしたベトナムの英雄と皇子 ファン・ボイ・チャウとクオン・デ』)のもう一人の主人公クオン・デについては、彼自身の口述回想録がベトナム語で刊行されていますが、残念ながら邦訳はありません。ただし、クオン・デの生涯や人物像を記したものとして、次の2冊があります。小松清『ヴェトナム』(新潮社、1955年)、森達也『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』(角川書店、2003年)。小松は1940年代に東京のクォン・デたちと直接交流を持ち、さらにベトナムにも滞在したことのあるフランス文学者です。森は1990年代になってからクオン・デに関心を持ち、生き証人たちに会ったりベトナムの現地を取材訪問したりしたルポライターです。ただし、以上の2冊とも、著者が実際に目撃、体験したこと以外の部分については、推測やフィクションに基づいた小説として読んで下さい。”

ただ、クォン・デの数奇な運命と波乱に満ちた生涯の全容を知るには、著者の推測やフィクションに基づいた小説としての面は強いものの、これまで、ほとんどの日本人が知ることがなかったであろうとんど良く知られてこなかった、日本と深く関わり、長らく日本で住み、遂に故国ベトナムに帰りたくても帰れず日本で客死したクォン・デの生涯を、日本人に興味を持って詳しく伝える上では非常に有用かと思う。あと、少しのところで、クォン・デの運命も大きく変わったであろうと思われるタイミングも少なからずあったはずだが、やはり全般を通じて、クォン・デには大いに同情するし、日本は忘れてはならない歴史人物の1人であるはずだ。本書では、犬養毅や玄洋社の頭山満、柏原文太郎、新宿中村屋相馬愛蔵・黒光夫妻ら、留学生を支えた日本人との交遊や、満州国建国に奔走したアジア主義者大川周明、松井石根らの思惑・暗躍についても、深いか関わりがあり、取り上げられている。なお、書籍『日本をめざしたベトナムの英雄と皇子 ファン・ボイ・チャウとクオン・デ』(白石昌也 著、彩流社、2012年4月発行)では、”クオン・デ自身の口述回想録がベトナム語で刊行されていますが、残念ながら邦訳はありません”と書かれていたが、その後、『ベトナム英雄革命家 畿外候彊㭽- クオン・デ候 祖国解放に捧げた生涯』(何 祐子 訳・著、2022年9月)として、邦訳が刊行されている。

目次
第1章 クォン・デへの旅立ち
ホーチミンへの最初の一歩/ 誰も知らないベトナムの王族/ 物は壊れるし人は死ぬ/ テレビメディアの属性と限界/ 浮上した越南国/ どうして日本人は知らないのですか?/ 剥きだしになる日本/ 苛立つ日々 ー テレビからの訣別/ ベトナム取材への憧憬/ 研究者からの忠告
第2章 革命家ファン・ボイ・チャウ
日本への旅立ち/ 血塗られたベトナムの歴史/ 革命家ファン・ボイ・チャウの誕生/ アジアの胎動/ 日露戦争がもたらしたファシズムの萌芽/ 革命の胎動/ 憧れの地、日本への上陸
第3章 黒幕組織 玄洋社
ラベリングされる歴史/ 日本に集結するアジアの革命家たち/ アジア主義を支えた二人の巨人/ 玄洋社を体現する頭山満/ 東遊運動の端緒/ 「君主」と「民主」/ クォン・デの来日
第4章 革命の王子 待望の訪日
つらい別離/ 失踪した王子/ 王宮に残された妻と子供/ ベトナム人留学生たちの日常/ ホームシック ー 沈滞する留学生活
第5章 日本からの脱出
日本への失望/ 日本脱出
第6章 漂泊の日々
ヨーロッパへ/ 失意の日々/ クォン・デの再来日/ 日本人になったインドの革命家/ クォン・デの片思い/ ファンの慟哭/ 王子の恋/ 犬養内閣の発足/ 高まりつつある軍靴の音/ 少女・犬養道子と「南さん」/ 自給自足のベトナム王宮/ ひとりぼっちのベトナム王族/ ちゑのとの生活/ 祖国からの手紙
第7章 憧れ続けたベトナム
くりかえされる日本ブーム/ 消し去られていたベトナムの英雄/ カオダイ教総本山を訪ねる/ 辿りついた古都フエ/
エピローグ
あとがき(単行本版)
あとがき(文庫版)
*文庫版
解説 *文庫版
主要参考・引用文献

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