調査探求記「ひょうたん笛の”古調”を追い求めて」⑦(伊藤 悟さん)

「ひょうたん笛の”古調”を追い求めて」⑦(伊藤 悟さん)最終章


写真: 風景
メーホンソンでの滞在はわずか5日だった。少しでもタイヤイ族の音楽を知りたいという旅だった。時間より、人とどれだけ打ち解けられたか、人にどれだけ心を開けたか、それらは“よい旅”の大切な要素だと思う。音楽や彼らの生活をもっと知りたかった。それがかなうのもまた暫く先になりそうだ。日本に帰らなければならない。

いつもシャンステイトに夢をはせていた。雲南省のタイ族の村にいた時も、山頂からビルマ国境をよく眺めていた。
「国境?そこには何もない。自由に行っていいんだ。」僕の友達はしょっちゅう見えない国境線を越えてシャンステイトに入っていった。もちろん遠出はしないが。ルイリー盆地から僕も何度か(密入国)近くの村に行った事がある。

ルイリー盆地には過去タイマオ族の王国が築かれていた時期があったという。今ではその盆地をビルマと中国が分断して所有している。 メーホンソンで出会った和尚さんとおばさん。見た目は30代後半だった。ビルマ側の、ルイリー近くのムゼから逃げてきたという。あの一見、中国化したビルマ側のルイリー盆地の村から、遥かシャンステイトを縦断してこのタイまでやって来た。故郷を後にして、長旅の末たどり着いたのは、彼らが言う“自由の国”、タイだった。シャンステイトの混乱を潜り抜けメーホンソンまでやって来たのだ。

舞台で笛を吹いたあとに、僕はバンコクに住む一組の夫妻に出会った。昔シャンステイトから逃げて来たのだ。彼らは故郷から逃げてバンコクに安住した。日本に彼らの親戚がいるという。10年も日本でサービス業のアルバイトをして生活しているという。僕は冗談交じりで、「それじゃ、日本でタイヤイ語を習えますね。」といったら、夫妻は喜んで親戚の名前と電話番号をくれた。

僕が滞在した最後の夜、村中が朝方までにぎやかだった。寝床につこうとある家の二階に上っていくと、そこで酒盛りをしている人々がいた。僕を見ると、知り合いのように名を呼んで手招きした。長髪のアーティストっぽい服装の男二人とその奥さんらしい二人の女性、そしてまじめそうな男一人がいた。

突然、僕の手を握って、「君はすばらしい人だ」と誉める。どうせ酔っ払っているのだろうけど、僕は何もしていない、と言った。「シャン族の文化に興味を持ち、もう誰も吹かなくなった笛を吹くからだ」と真面目な顔でいわれた。
「我々はシャンステイトから逃げてきた」と言った。

暫く話をすると、シャンステイトから逃げて来て、今ではバンコクに映像関係の会社まで設立した。そして、日本に遊びに行ったことまであるという。「日本もタイヤイ族が多いんだよ。」アーティストっぽい二人の男には弟がいるといった。“現在形”で“いる”と言った。「日本語が読めてかけて日本人と区別がつかないほどだ。日本人の彼女がいたからさ。その後はフィリピンの彼女を見つけてそこの国の言葉も上手にしゃべった。」僕はさっきの夫妻の事もあり、弟はどこに居るのかと尋ねた。彼らがタイ語で場所を言った。僕はその単語が何かわからなくて、何度も聞き直した。そしたら、英語で、「今はまだ会えないけど、別の世界に居るんだよ。」と、天井を指差した。酔っ払っているのか、彼らはビデオカメラを取り出し僕を撮りはじめた。演奏姿もしっかり撮ったから、と。

彼らがビルマに行ったことがあるかと尋ねてきた。僕はあると答えた。ただし密入国で、と付け足すと、怒ったように「あの国に法律はない」と言った。それまでずっと黙っていた真面目そうな男を指差して、「こいつは法律家なんだ。俺よりもすごく頭が良い。でもせっかく法律を勉強したのに、今は何をやっていると思う? 俺の家で家事をやっているんだ。」と大声で言った。その真面目そうな男はタイに来たばかりでタイ語が話せなかった。英語で話しをしてみると、この二人とは幼なじみだという。小さい頃はよくサッカーをして遊んだ。「あの頃は楽しかった」と言う。  そして酔っ払った長髪の片方の男は、タイ語もタイヤイ語も話せるが、文字はどちらも書けない。13年前、故郷を離れて、以来帰ったことがないという。僕は何も言えなかった。追い討ちをかけるように、彼が罵りながら言った。

「…あの国に二度と帰るものか。」その一言が重かった。酔っ払っているのか何度も言う。冷や汗が出た。僕はずっとシャンステイトを夢見ている。ひょうたん笛を聴きたい、探したい、と。そして、僕は日本に帰って自国の伝統文化を見たいと願っている。  それが彼らは二度と故郷には戻らないという。  彼らは二度と故郷に帰らないと嘆き、僕はこれから日本という生まれた大地に向かおうとしている。彼らが嘆き、戻ることのできない土地を、僕は夢に見て、心の中で期待をふくらませている。

  チェンマイに来てシャンステイトの情勢について僕なりにいろいろ調べたつもりだ。彼らの生活が迫害されていることに怒りを覚える。憤りを覚えつつも、やっぱり、彼らが生活できなくなった土地に、僕はわがままな夢をもっている。何かとても申し訳なかった。

チェンマイに戻り、久しぶりにシャンステイトから来たタイヤイ族の踊り手を訪ねた。彼は僕が初めてタイで出会ったタイヤイ族だ。メーホンソンでの話をした。この人はもっと踊りをタイヤイ族の子供たちに教えたいという夢を持っている。それに、失われようとしている踊りを何とか受け継いで広めたいという。

  ただ、それも難しいのだという。以前、メーホンソンに逃げてきたとき、そこで太鼓を叩く試合があった。その時この人は現地には残されていないシャンステイトの技法を使って優勝した。それまで毎年優勝していた男を抜いたのだ。この人はその男についてメーホンソンの踊りなどを学んだともいう。翌年また試合があった。その試合ではその男は審判を勤め、太鼓を叩かなかった。試合の結果、この人の名前はなかった。悔しさもあってか、理由を尋ねた。すると、男が「おまえはメーホンソンのタイヤイ族ではない。」と答えたという。

  シャンステイトから逃げてきたタイヤイ族は差別されることがしばしばある。同じタイヤイ族なのに、同じ文化を分かち合えないのかと嘆いていた。でも、この人はくじけていない、今でもいろんな活動を通して踊りや文化を広めようと勤めている。

  国を持つ民族と持たない民族の違いなのだろうか、僕には分からない。少数派はどうしても多数派に同化していく面がある。シャンステイトが独立できるかどうかは分からない。不可能かもしれない。ただ、今、伝統音楽は失われてはいけないと思う。いつかその音楽を誇って他国に紹介できるといい。過去あった、のではなく、今もこれからも存在するものとして。 僕はタイ族の人々と同じように古調を吹くことはできないけど、少なくとも、ひょうたん笛の制作方法とかだけでも伝えることは出来るはずだ。僕の中に住む古調の魂を現地に返せたらいい。なんて、夢のような事を考えたりしている。

平和な国ですごしてきた僕には物好きになれる生活のゆとりがあるのか、逆にそうでもしないと生きている気がしないのかもしれない。彼らが生きるのに精一杯なのに、伝統文化を守れるだろうか。僕に何かの手伝いが少しでも出来ればいいと思う。それが、僕が出来る、このひょうたん笛に対して、このひょうたん笛を通して知り合った人への恩返しでもあるから。

いろんな人がこの笛を聴いて、優しい音色だという。いつか、故郷を追われた人々がその故郷に戻り、こんな音楽で心を温められる、そんな時が来てほしい。

僕がアジアでひょうたん笛を探し続けた話は今回でひとまず終わりです。ようやく日本に帰る時が来ました。 僕がアジアでひょうたん笛を通して経験したことはまだまだたくさんあって書ききれないほどです。特に僕の恩師、タイヌア族エン先生と、雲南芸術学院の教授の話もありますが、それはまた別の機会に。 日本でもまた新しいと、生活と、そして音楽との出会いが、僕を待っている、そんな気がします。

写真下: 教え                     

                                                     終わり

(C)伊藤 悟 2002 All rights reserved.  

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