メコン圏を舞台とする小説 第55回「アユタヤから来た姫」(堀 和久 著)


「アユタヤから来た姫」(堀 和久 著、毎日新聞社、2001年11月発行)

<著者紹介> 堀 和久(ほり・かずひさ)*(1931年~2018年9月)<本書著者紹介より。本書発刊当時>
作家。1931年福岡県生まれ。日本大学芸術学部中退。浅草フランス座の宣伝部、映像プロダクションなどを経て、1977年歴史小説『享保貢象始末』で第51回オール讀物新人賞を受賞し、作家活動を開始。1994年に『長い道程』で第2回中山義秀文学賞を受賞。著書に『織田有楽斎』『江戸風流医学ばなし』『江戸風流「食」ばなし』『江戸風流女ばなし』『大岡越前守』『春日局』『死にとうない』『天海』『八代将軍吉宗』『秀吉とおね』『虹の礎』『二宮金次郎 ー 我が道は至誠にあり』『明暦火災秘図』などがある。
*2018年9月17日、慢性腎不全のため死去。享年87歳

本書の著者・堀和久 氏(1931年~2018年)は、福岡県北九州市出身で日本大学芸術学部映画科を中退のあと、芸能プロダクションの企画部、浅草フランス座・ロック座の宣伝部、シナリオライターまた映像ディレクターなどを経て執筆生活に入り、1977年(昭和52年)「享保貢象始末」で第51回オール讀物新人賞を受賞してデビュー。受賞後10年目の1987年(昭和62年)千枚の長篇「大久保長安」(講談社)が注目されてからは、書き下ろしの歴史・時代小説に専念。1994年(平成6年)には、天保の改革期に実在した勘定奉行の田口喜行を描いた「長い道程」で第2回中山義秀文学賞を受賞。数多くの歴史・時代小説以外にも、「江戸風流医学ばなし」など「江戸風流」シリーズともいうべき歴史雑学集でも知られていて、綿密な時代考証をふまえたユーモアあふれる歴史読み物、時代小説には定評がある。「大久保長安」「春日局」「夢空幻」「死にとうない」と、4作が、1988年の第98回、1988年の第99回、1989年の第100回、1991年の第104回と、直木賞候補に4度、選ばれている。江戸時代に関する歴史・時代小説が圧倒的に多いが、本書「アユタヤから来た姫」の時代設定も、慶長15年(1610年)11月~元和3年(1617年)初秋と、江戸時代初期。

本書の主たる舞台は、因幡国鹿野藩初代藩主・亀井玆矩(これのり)が治めた鹿野城(現・鳥取県鳥取市鹿野町)を本拠とする因幡国鹿野藩。亀井玆矩(弘治3年(1557年)~慶長17年(1612年))は、1557(弘治3)に出雲国八束郡湯之荘(現・島根県松江市玉湯町)尼子氏の家臣・湯衛門尉永綱の長男として生まれるも、一時は山陰・山陽8ヶ国を支配した主家の尼子氏が永禄9年(1566年)毛利元就に滅ぼされると、少年時代に流浪の身となり、織田信長の支援を受け出雲・尼子氏の再興を図る尼子氏の家臣・山中幸盛(山中鹿介)の下、毛利氏と戦い尼子再興運動に身を投じ、天正2年(1574年)山中幸盛の養女・時子(亀井能登守秀綱の二女で、亀井秀綱の長女は山中幸盛の妻)を妻にして尼子氏の筆頭家老格の亀井家を継承。天正9年(1581年)10月鳥取城落城に活躍し、羽柴秀吉より因幡国気多郡13,800石を与えられ、24歳にして因幡国鹿野城主となった武将。亀井茲矩は慶長5年(1600年)の関ケ原の役には徳川方の東軍に組して、因幡国高草郡(現・鳥取市西部)24200石を加封され、慶長14年(1609)年正月に、亀井茲矩は隠居し家督を嫡男の亀井政矩(まさのり、1590年~1619年)に譲るまで、因幡国鹿野藩3万8千石の初代藩主として産業開発振興にも力を入れ領内を良く治めた江戸初期の大名であるとともに、水軍を率いて豊臣秀吉の朝鮮出兵にも加わり、「琉球守」や「台州守」を名乗るなど、海外を強く意識し、西国の九州以外の大名として唯一、朱印船貿易に意を注ぎ、アユタヤ朝のシャム(タイ)を中心に海外交易を積極的に行った山陰の智将・大名。

本小説「アユタヤから来た姫」では、この魅力的な因幡国鹿野藩初代藩主・亀井茲矩(弘治3年(1557年)~慶長17年(1612年))の生涯や治政など、いろいろと過去のこととして紹介され、また亀井茲矩自身の本書の登場人物の1人として登場はしているが、本書の時代設定は、慶長15年(1610年)11月~元和3年(1617年)初秋ということで、本書では生前の亀井亀井茲矩は、京屋敷に隠居し、慶長17年(1612年)1月、鹿野城での病没(享年56歳)までの時期とわずかの期間。本書の物語の主人公は、亀井玆矩の長男で庶子・鈴木八郎右衛門で、世子の座を弟の政矩にゆずり、異国取引(貿易)の総奉行として長崎に駐在していたが、慶長14年(1609年)から慶長15年(1610年)外遊先のアユタヤ朝のシャム(タイ)王国の首都アユタヤで知り合った旧朝スコータイ王統の血をひくタイ人女性を新妻とし、タイ人の新妻やその乳母、侍女を伴い、慶長15年(1610年)11月初旬、3年ぶりの故郷・因幡国鹿野藩領に帰還するという設定で、物語は、鈴木八郎右衛門やタイ人の新妻たちを乗せた長崎からの廻船が因幡(鳥取県)鹿野藩の外港で日置川と合流する勝部川の河口にあたる天然の良港の青谷(現・鳥取県鳥取市青谷)に到着する場面から物語がスタートする。

鈴木八郎右衛門は、鹿野藩内の亀井茲矩の母方の一族で茲矩の後室を迎えた多胡派と、亀井茲矩の父方の湯派との対立もあって、自らが藩主に担ぎ出されて鹿野藩内の政争を招きかねないことを懸念し、また一時、湯一門に推戴されかけて藩主に擬せられた時、野に生まれ野に育っただけに城住まいが辛く、2代藩主・亀井政矩への継承が進み、自らの長崎での異国交易の総奉行を終え、3年ぶりの生まれ故郷の因幡国鹿野への帰国後は、鹿野藩の武士を返上し一介の領民として生きたいと、鹿野藩から士籍返上・家禄停止の代わりに日光池の開拓地、後により広大な湖山池の開拓地を譲り受け、タイ人の新妻たちや新しい開拓農民たちともに、農民としての生活を始め、農地開拓や新しい開拓村を作り上げていく。また、鹿野藩が購入の羅紗、猩々緋、天鵞絨、豹・虎等の皮、象の牙、麝香、竜脳、伽羅などの珍品はアユタヤから長崎入港直後に鹿野へ送っていたが、鈴木八郎右衛門は、農耕用の水牛はじめ大量の稲の種、孔雀、シャム猫など、主として動物や植物を私費で買い入れ、因幡国鹿野藩領にて、新しい産業を興そうとしていた。ただ、慶長19年(1614年)11月から慶長20年(1615年)5月の大阪の陣(冬の陣・夏の陣)となる江戸幕府の徳川と大阪城の豊臣の東西大決戦が避けられない情勢が進むにつれ、長期化しそうな大動乱に、出自の地である出雲一国の回復という鹿野藩長年の悲願達成の好機と捉える勢力に、鈴木八郎右衛門は再び担ぎ出されていくことになる。

最終章の「第9章 それぞれの出発」では、慶長20年(1615年)5月に大阪の陣が終結し、戦後安定に向け世の中が新しく変わっていく中で、幕府は海外との往来を正式に禁止する方向で、大阪の役で没落した豊臣勢にかかわりのある人達とその係累への配慮もあってか、大阪の陣終結後に、長崎からルソンおよびシャム向けの特別便が出る予定で、異国へ渡り永住したき者があれば最後の便になる見込みという知らせが、因幡国鹿野藩領にも伝わってくる。更に、徳川家康(1543年~1616年4月)が駿府城で他界した元和2年(1616年)の9月には、千姫事件で知られる石見国津和野の城主・坂崎出羽守直盛(1563年?~1616年9月)が凶行乱心自殺をし、1617(元和3)年7月、亀井家の因幡国鹿野藩は、石見国津和野(島根県)に転封の幕命が下り、因幡国鹿野藩第2代藩主であった亀井政矩は、1617(元和3)年8月、津和野城に入ることになるが、これらの環境の変化の中で、鈴木八郎右衛門やタイ人の妻たちは、どうなっていくのかが物語の終盤の気になるところ。

因幡国鹿野藩初代藩主・亀井茲矩の時代は、記録では、因幡国鹿野藩は、慶長12年(1607年)、慶長14年(1609年)、慶長15年(1610年)と3度、徳川幕府から朱印状を得て、西洋(マカオ)やシャム(タイ)等との交易を行っていて、貿易品として刀剣・金銀の細工物・蒔絵の道具などを買入れて輸出し、絹織物・毛織物・動物の角や毛皮・象牙・珊瑚・香木類・白檀・黒檀・紫檀などを輸入し、またシャム(タイ)から動物や植物も持ち帰り飼育や栽培を試みたと言われている。尚、明治45年に刊行された亀井家の家記『道月余影』(伯爵亀井家家乗編纂所 著)には、亀井茲矩は琉球を征伐しようとして許されず、考えを変えて海外と通商しようとし、1607(慶長12)年8月15日朱印状を受け、庶子の鈴木八右衛門を異国回船売買の総奉行として長崎に派遣し、大船を造って家臣の多賀是兵衛・塩五郎太夫・梶屋弥右衛門らに気多・高草の漁民を船夫として付け、代わる代わる渡航させた、と記されているとのこと。

アユタヤ朝のシャム(タイ)の王都アユタヤでは、本書の主人公たる鈴木八郎右衛門が1610年、アユタヤ滞在中に、エーカートゥサロット王が亡くなり、日本人町にも動揺が広がり、その後継には、シーサオワパーク親王が昇格したようだが、この新王とその一門には、問題があり、本書の物語の設定でも、鈴木八郎右衛門の新妻となる旧王朝スコータイ王統の血を引くタイ人女性は、シーサオワパーク親王の側近の一人に乱暴され、側妻にされかかり、シーサオワパーク親王とその一門が力を強めていくことに恐怖を感じ、鈴木八郎右衛門に助けを求めたという設定。アユタヤ王朝(1351年~1767年)22代目の王(1556年~1610年)エーカートゥサロット王の後継争いは問題があったが、一旦、シーサオワパーク親王が、アユタヤ朝の23代王に就くも、翌1611年、エーカートゥサロット王の長子スタット親王の弟インタラチャ親王がシーサオワパーク親王を処刑し即位。アユタヤ朝の24代王・ソンタム王(1590年~1628年)となる。

アユタヤ日本人町の初代頭領といわれるオープラ純広も本書に登場。鈴木八郎右衛門がタイ人女性たちを日本に連れていくことで協力を依頼している。また、前歴は不明ながら、四国の伊予出身の海賊だったという噂があり、尼子氏滅亡後の放浪時代、四国の伊予に潜伏し水軍で操船や造船の技を習い覚えたとする亀井茲矩とは旧知の仲だったかも?と匂わせている。尚、歴史史料として、慶長15年(1610年)3月3日付のシャム(タイ)のアユタヤ日本人町頭領のオープラ純広から、亀井武蔵守茲矩に宛てた書簡(「亀井家文書」国立歴史民俗博物館蔵)が残っているとのことで、アユタヤ日本人町の初代頭領の経歴や、時代が重なる亀井茲矩との関係もどうだったのか非常に興味あるところ。本書物語では、鈴木八右エ門の新妻となるタイ人女性とその乳母との主従は、アユタヤ日本人町頭領の屋敷に出入りし、通辞を兼ねて、シャム(タイ)のアユタヤ朝の王庁役人との仲介をしていて、日本語がある程度分かるという設定。

実在の因幡国鹿野藩初代藩主の亀井玆矩(1557年~1612年)については、少年時代に主家の尼子氏が滅亡し、その後の放浪生活、山中鹿介との出会いと尼子復興運動、織田信長・羽柴秀吉・明智光秀等の傘下での武将としての活躍や、わずか24歳での因幡国鹿野城主への抜擢、水軍率いての朝鮮出兵、西日本の大名で珍しい東軍に組しての関ケ原の戦い参戦、領地の新田開発・干拓、銀山開発などの産業振興や統治など、非常に魅力的で異色の波乱万丈の武将・大名で非常に興味をそそられるが、本書でも随所で強調されていることながら、不思議なことは、”亀井藩、亀井家は戦国乱世を経てきた国柄の中でも、めずらしき存在で、湯玆矩(亀井玆矩)は、西国の大雄・尼子氏の一族で尼子の名門・亀井家を継ぎ、山中鹿介らとともに没落した尼子家再興のために獅子奮迅。宿敵毛利を葬るため、織田信長の臣・羽柴秀吉の麾下に入り、鹿野城を攻略。信長に許されて鹿野城主となったのが24.5の若さ。これが出世の始まりのはずであった。しかるに、本能寺の異変が起き、天下は秀吉のものとなり、秀吉の天下は15,6年続いた。加賀前田家をはじめ、薩摩島津家、筑前福岡黒田家、陸奥仙台伊達家など50万石を越える大名のなかにあって、ただ一人、亀井家のみは鹿野城を動かされず、関ヶ原合戦で徳川家に味方して、3万8千石に微増されたのみ。秀吉の時代の15,6年間、粉骨砕身したにも拘わらず、ただの一石たりとも、加増されなかったのは不思議の中の不思議”。因幡国と京との往来シーンでは、豊岡(現・兵庫県豊岡市)、養父(現・兵庫県養父市)、和田山(現・兵庫県朝子市)、丹波篠山(現・兵庫県丹波篠山市)、亀山(現・京都府亀岡市)等の宿場に触れている。

目次
第1章 雪
第2章 京の都
第3章 父と子
第4章 湖山池(こやまいけ)
第5章 人探し
第6章 時期尚早
第7章 嵐の前
第8章 大阪の陣
第9章 それぞれの出発
あとがき

ストーリーの主な展開時代
・慶長15年(1610年)11月~元和3年(1617年)初秋
ストーリーの主な展開場所
・アユタヤ ・因幡国 ・京都 ・伏見 ・亀山(亀岡)・丹波篠山 ・和田山 ・豊岡 ・養父 ・大阪

ストーリーの主な登場人物な
・鈴木八郎右衛門(鹿野藩の前藩主・亀井玆矩の長男で庶子)
・亀井玆矩(これのり)(鹿野藩初代藩主の前藩主)
・亀井政矩(まさのり)(鹿野藩二代目藩主、亀井玆矩の嫡男)
・サクラ(サクラという通り名を持ち、旧朝スコータイ王統の血を引くタイ人の若い女性。鈴木八郎右衛門の新妻)
・ウバ(ウバという通り名のタイ人の初老女で、サクラの乳母)
・ウメ(ウメという通り名のタイ人の若い女性で、サクラの侍女で私生児)
・湯左内(鈴木八郎右衛門の後見役で鹿野藩家老。隠居後、楽土と号す)
・オクプラ純広(すみひろ、アユタヤの日本人町頭領)
・多胡信濃(鹿野藩筆頭家老)
・吉三(因幡国気多郡出身でシャム貿易船に徴用された農民で、帰国後、鈴木八郎右衛門の雇われ人で農民頭)
・藤助(因幡国気多郡出身でシャム貿易船に徴用された農民で、帰国後、鈴木八郎右衛門の雇われ人で若手の力持ち独身)
・新三(因幡国気多郡出身でシャム貿易船に徴用された農民で、帰国後、鈴木八郎右衛門の雇われ人)
・佐太郎(湯左内改め楽士の従者で中間づとめであった男)
・中里伝五郎(亀井玆矩側用人で亀井玆矩死去後も引き続き、鹿野藩の京屋敷の留守居役)
・英樹院(俗名は時子。亀井玆矩の最初の妻で正室。亀井秀綱の次女で、山中鹿之助の妻の妹)
・松之助(鹿野藩京屋敷の中間で、丹波高原の村出身)
・岡部平太郎(亀井玆矩の近臣で、中里伝五郎の腹心の若侍)
・十兵衛(鈴木八郎右衛門の日光村の新農地開拓に新加入の左足が不自由な農民)
・ユキ(吉三の女房)
・良助(吉三の息子)
・サキ(良助の妹で吉三の娘)
・長助(鈴木八郎右衛門の日光村の新農地開拓に新加入の中年男)
・久一(鈴木八郎右衛門の日光村の新農地開拓に新加入の若者)
・源吾(鈴木八郎右衛門の新農地開拓に参加の孤児の少年)
・鹿野藩の地方役人たち(鈴木八郎右衛門の土地替えに立ち会う武士たち)
・丹波篠山近くの村に住む松之助の両親と出稼ぎの次男
・丹波篠山近くの村の世話役の40女
・出雲国八束郡八雲に鎮座する熊野大社の鹿野領内の末社の巫女(鈴木八郎右衛門の実母)
・篠山から因幡国鹿野領に戻る途中の盆地の山端の集落の村人たち
・長吉(松之助とウメの間に生まれた子)
・平野(鹿野藩京藩邸の若侍)
・湯左内(湯左内改め楽士の息子。父の名跡を継ぎ、鹿野藩家老心得で江戸の亀井政矩の近習)
・多胡主水(鹿野藩次席家老)
・源八(植木職人)
・トキ(源八の妻で長吉の乳母)
・小間物行商の中年の男女
・みち、ひな、こん、とよ、ふみ(湖山池の青島で鈴木八郎右衛門一家が預かりの同居の出稼ぎの若い娘たち)
・かよ(湖山池の高住集落の住人の彦次郎・いし夫婦の姉娘で、佐太郎の恋する娘)
・大野治久(淀どのの乳母・大蔵卿局の長男である大野治長の一門で従兄。痴雲と号す)
・富田平内(鹿野藩の若手藩士)
・湯伝兵衛(鹿野藩の若手藩士)
・湯時助(鹿野藩の若手藩士)
・新庄九郎助(鹿野藩の若手藩士)
・安井新吾(鈴木八郎右衛門が以前、若殿として本丸に居住していた時の近侍していた元小姓)
・鬼太郎(亀井玆矩と正室・時子との間の嫡男。7歳で他界)
・亀井政矩の正室(徳川家康の忠臣として知られる丹波国篠山5万石城主松平(松井)周防守康重の娘)
・亀井政矩の母(亀井玆矩の母方の一族である多胡重盛の娘で、亀井玆矩の後室)

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