(2002年10月号掲載)

2002年7月21日
国連ボランティア 地下水開発エンジニア
村山明雄

 お元気ですか皆様
 8月は色々なことがあった月でした.

その1 親戚ビエンチャンに大集合

ビエンチャンからポンサワンの私に電話

 「フランスにいる義理の父親の妹(アークマー)「客家語でおばさん」が27年ぶりにラオスに戻って来た」ということであわてて休暇をとってビエンチャンに戻って来ました.なにせ74歳の高齢、おそらく今回が最後のラオス訪問だから絶対に戻って来るように、そういわれたら帰るしかありません.

 義理の父の妹は昔、ビエンチャンにいた華僑で噴水のそばで商売をしていました.昔インド料理店があったそばらしいですが結構大きな商売をしていて有名だったらしいです.革命後フランスに難民として定住して27年.彼女の子供もタイのムクダハンにいる長女以外は全員フランスに定住していて、そのうち3人が夫婦で戻って来るとの事です.8月はフランスはバカンスの季節、彼らは長期の休暇を豪快にとります.

 アクマ-のラオス訪問に関して、カンボジアの親戚からメール。
 フランスのおばさんがラオスに行くというニュースを聞いたので彼らもビエンチャンに行くとのこと.フランスのおばさんのスケジュールを教えてくれとのこと.この親戚はカンボジアのプノンペンに住んでいて、去年私は仕事でカンボジアに行った時に会ってきた人です.義理の父のお姉さんの娘です.従姉妹になるのですが、すでに彼女は60歳。ポルポト時代を生き残って子供が何人もいます.

カンボジアのストントレイン出身の客家で、この県はチャンパサック県と接していてラオスからみたらメコンの下流、町のなかではラオス語が通じるとか.カンボジアの親戚もフランスのおばさんに会うためにわざわざプノンペンから来ました.

今回は、息子と旦那さんの親戚の合計3人で来ました.

 息子は38歳で、ロシアに留学していたことがあり奥さんが美人のロシア人.彼らの結婚式はビデオが送られてきたので以前見たことがあります.その息子はラオス語ができます.御母さんはストントレイン出身ですから当然ですが、彼のラオス語はロシア留学の時に同室のラオス人から習ったとのこと.
 
 彼によると、ラオス人はタイ人やカンボジア人より性格がいい.何故なら、カンボジアやタイの女の子は「あなた、きれいですね」と男の子が言うと、怒り出す子がいるとかだけど、ラオスの女の子は、きれいだと誉められると率直に喜ぶとのこと.

 これについて去年ミャンマーに行った時も、ラオスに7年いたことがあるラオス語が上手なミャンマー人も同じようなことを言ってました.ミャンマーの女は気ぐらいが高くて、なかなか友達にもなれないし冗談が通じない.それに比べたらラオス人はオープンでいい.

 私もラオス以外はよくわからないのですが、同じアジアの人でも違うのだと思いました.ラオスのことをこのように誉めてもらって私も嬉しく思いました.日本人の女性はどうなのでしょうか.

 さてカンボジアから来た親戚ですが、お姉さん(アーチア)はビエンチャンにも結構親戚がいるのです.ストントレイン出身ということで、ここの華僑は結構ビエンチャンにも移住してきている.

 彼らが来たのがポルポトの前か後か、インタビューするのを忘れましたが思った以上にカンボジアから来た人がビエンチャンに住んでいるのです.アーチアの結婚の時の仲人してくれた女性もビエンチャンに住んでいて旧交を温めていました.(彼らはお互い客家語でしゃべっていました.)

 私が知っている限りでも、義理の妹の梅ちゃんの友達も御母さんが
カンボジア出身の華僑、サムセンタイの淑珍の実家(焼飯屋)の斜向かいの金屋もカンボジア出身の華僑です.
ということで華僑にとって国とか国境といったものはあまり重要でないようです.

 さてこれだけ中国人が集まると共通語は何か?

 これは客家語になります.カンボジア組みでアーチアの旦那の親戚のおじさんは潮州なので客家はわかりませんが、北京語ができるので私の妻とはコミュニケーションがとれます.フランスの親戚はアークマーの息子で奥さんが同じ華僑の夫婦はラオス語と北京語のちゃんぽん。アクマ-と喋る時は客家でした.

 今回は親戚のおばあちゃんのところにアクマ-と行くともう客家語の世界でした。昔の華僑はおじいちゃんおばあちゃんが健在だったときは家庭の共通語はそれぞれの中国語だったようです.客家の家庭は家では客家、広東は広東語.
ということで、ラオス語と日本語しかできない私は大変でした.

 しかしアクマーの世代がいなくなると客家語は華僑の世界ではなくなってしまうのでしょうか.それが古い世代の華僑にとっては寂しい事だと思いました.私の娘はおそらく現在の環境でいれば客家語はしゃべれないでしょう.やはり淋しい気がします.

 ということでフランス、カンボジア、タイから親戚が集まって本当に楽しい毎日でした.

その2 桜ちゃん(長女)のパパ危機一髪

 淑珍(妻)と櫻ちゃん(長女)蘭ちゃん(次女)、義理の弟がポンサワンに遊びに来た.日本のカレーを持ってきたので、会社の帰り御飯を買いに行ってその帰りの事.

 もう少しで我が家の入りぐちの横道に着く坂の途中。なんと道路に重油が撒かれていて乗っていたバイクがスリップ、バランスを失って転倒し肩を地面に叩きつけられた.重油はなんと坂の途中に止めてあった建設重機から漏れていたもので道全体に広がっていた.

 その時、ラオス人が走ってきて「大丈夫か、この坂の油でスリップして転んだバイクが3台もあるのに重機の持ち主はナンにもしない」そういって「とにかく病院に行こう」そういって助けてくれたラオ人がいました.

 本当にありがとう.どこの国にも本当に親切な人がいますね.

 私は家のそばだったので「とにかく家に連れて行って」と叫びました.また頭のなかにラオスの病院に連れていかれた大変だという意識が頭にあったのでしょう.とにかくボーペンニャンを連発、家にもどって女房にポンサワンのモンゴル友好病院に連れて行ってもらいました.

 ひとつ残念だったのはお医者さんは触診して骨折を確認するのではなく、ちょっと見ただけで「骨折してないと思う」と判断して痛みドメの注射を打ってそれでおしまい.あとはベットに寝かされているだけでした。レントゲンだけでも取って欲しいといったのですが、電気がくるのは6時から、電気がないのでレントゲンはとれない.頭もぶつけているのでそっちも調べて欲しかった.というわけでUNに連絡して次の朝飛行機でビエンチャンへ、そしてすぐにノンカイに行きました.

 去年も肝炎で入院して御世話になったワッタナー病院です.

 40を過ぎると色々なことがあります.本当に健康は大切です.そして子供・女房の為に、こんなところで死にたくないと思いました.幸い大事に至らなくて良かったけれど、本当に危機一髪でした.

 皆さんも交通事故には気をつけてください.

 それでは皆さん、お元気で.
 明日ポンサワンに戻る予定です.

         村山明雄
         地下水開発エンジニア
         ラオス語通訳

(C)村山明雄 2002- All rights reserved.
 

村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著

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