第8回 2001年4月号掲載

日本に伝わるメコン圏事物・事象
江戸時代の浄瑠璃作者・近松門左衛門の代表作品「国性爺合戦」の「千里が竹の場」で登場するメコン圏地名

 近松門左衛門の浄瑠璃作品は、「曽根崎心中」「冥途の飛脚」「心中天の網島」「女殺油地獄」など、当時の市井で起きた事件や話題を取り上げて脚色した世話浄瑠璃が有名であるが、『国性爺合戦』(こくせんやかっせん)は、近松門左衛門の時代浄瑠璃の代表作の一つだ。

 「国性爺合戦」の主人公たる和籐内のモデルは、明末・清初の武人の鄭成功(1624年~1662年)。明滅亡後、清朝に反抗し、明の国姓の朱氏を賜ったので、朱成功、または、国姓爺と呼ばれた(爺は尊称)。1644年から中国支配を始めた清朝に抗戦し、一時は南方から」南京近くまで攻め寄せるが敗退、台湾をオランダ人の手から奪い取り、その台湾を根拠地として清朝に反抗しながら明朝の再興を図ったが、1662年、明の永暦帝が殺され、明が滅亡。鄭成功も台湾で病死する。鄭成功は今でも中国、台湾ともに民族の英雄と高く評価されているが、鄭成功は、明の遺臣・鄭芝龍を父に、日本人田川氏の娘を母として、日本松浦郡平戸(現在の長崎県平戸市)に生まれた人物だ。(幼名は福松)

 「国性爺合戦」では、明から亡命した鄭芝龍と日本人妻との間の子で、肥前松浦郡平戸にする若者・和藤内が、平戸に漂着した明の皇帝の妹である栴檀皇女を助け、明復興のために皇女を妻の子むつに預けて父母と唐土に出発する。和藤内は、鄭芝龍が日本に渡る前に捨て置いた娘・錦祥女の夫である甘輝将軍を味方に頼もうと、甘輝の獅子が城ヘ向かうが、途中、千里が竹で猛虎と出あい死闘を繰り広げる。和藤内の母の差しかざす伊勢大神宮の神符で虎は静まりなつくが、虎を主君の右軍将李蹈天より韃靼王へ献上しようとする李蹈天の侍大将率いる一団がやってくる。(李蹈天は、創作上の人物で、本作品で明を韃靼に売った敵役。韃靼は蒙古系のタタール族の音訳名であるが、蒙古の総称として用いられ、明を滅ぼし清を建国した女真族も日本では韃靼と称した。)

 実は、本作品の第2段の、この「千里が竹の場」で、メコン圏に関連する面白い話が使われている。李蹈天の侍大将を打ち破り、彼の配下にあった従者たちを、和藤内は帰順させるが、「自分の家来になるからには、日本流に月代を剃って、名前も日本名に改めて、何左衛門、何兵衛、太郎、次郎、十郎まで、それぞれの出身の国名を名前の頭に名乗って、二列に先払いして立ち並べ」と命ずる。すると、彼らは、「ちやぐ忠左衛門、かぼちや衛門、るすん衛門、とんきん衛門、しやむ太郎、ちやぼ次郎・・・・」と名乗りをあげる。

 ちやぐ忠左衛門の”ちゃぐ”は、現在の福建省の漳州(ちゃぐちう)、かぼちや衛門の”かぼちゃ”は、柬埔寨(かぼうちゃ)でカンボジア、るすん衛門の”るすん”は、呂宋(ろそん)でフィリピンのルソン島、とんきん衛門の”とんきん”は、東京(とんきん)でベトナムの古称、しやむ太郎の”しやむ”は、暹羅(しやむ)でタイの古称、ちやぼ次郎の”ちやぼ”は、占城(ちゃんば)でインドシナ半島南東部のチャンパといった次第だ。これらの名前以外にも「ちやるなん四郎」「ほるなん五郎」「もうる左衛門」「じゃが太郎兵衛」「さんとめ八郎」、更には「いぎりす兵衛」まで名乗る供が揃う事になる。

 『国性爺合戦』は、近松晩年の大作で、コンビを組んでいた竹本義太夫(1684年、大坂道頓堀に竹本座を創設)が1714年9月に亡くなり、その後継者の竹本政太夫のために書いた作品の一つで、後継者問題も含めての新体制の顔見世興行であったが、その上演興行は大成功となり、正徳5年(1715年)11月15日竹本座での初演以来、3年越し17ヶ月の上演記録を打ち立て、上演中より京阪だけでなく江戸でも歌舞伎化された。また、読本として出版され、その他端午の節句の甲幟や団扇絵にも国性爺が描かれるなど、国性爺ブームまで引き起こした。中国を舞台に大活躍する母が日本人で日本生まれの主人公の活躍が喝采を浴びたのであろうが、こうした数多くの異国の国名がユーモラスに登場することも、さぞかし鎖国下にあった日本の観客を喜ばせたのではなかろうか?尚、『国性爺合戦』のストーリーは、和藤内が呉三桂や甘輝の助けを得て、韃靼王を取り押さえ、李蹈天を討ち果たすことで幕を閉じている。

 

主たる参考文献:
『近松門左衛門集3』(小学館/新編日本古典文学全集76、2000年10月発行)

◆『国性爺合戦』のストーリー展開場面
■第1段 南京城皇帝御座所の場/栴檀皇女御殿の場/海登の港の場
■第2段 平戸の浦の場/唐土の浜の場/千里が竹の場
■第3段 獅子が城楼門の場/獅子が城内の場
■第4段 松浦住吉大明神社頭の場/栴檀女道行/九仙山の場
■第5段 龍馬が原の場/南京城外の場

●近松門左衛門(1653年~1724年)
 近世演劇の浄瑠璃・歌舞伎作者。本名は杉森信盛。承応2年(1653年)、福井藩主松平忠昌に仕える武士・杉森信義の次男として生まれ、越前吉江(現在の福井県鯖江市)で育つ。1667年父親が越前吉江藩を辞し、家族で京都に移住。1703年、近松最初の世話浄瑠璃作品である「曽根崎心中」が上演。1724年11月22日、大坂にて72歳で没。

●『国性爺合戦』の主要登場人物
・和藤内三官(国性爺鄭成功)
・鄭芝龍老一官(和藤内の父)
・一官女房(和藤内の母)
・小むつ(和藤内の妻)
・大司馬将軍・呉三桂【明末清初の武人。1612~1678年。明滅亡後、李自成を破って、清の降臣となるが、後に三藩の乱を起し、康熙帝に滅ぼされる。近松門左衛門は忠臣として利用】
・甘輝【『明清闘記』に載る鄭成功を補佐した将軍の名を借用】
・錦祥女(甘輝将軍の妻)
・大明17代思宗烈皇帝(明の第17代皇帝)
・華清夫人(思宗烈皇帝の妃)
・栴檀皇女(思宗烈皇帝の妹)
・柳歌君(呉三桂の妻)
・李蹈天【近松門左衛門創作の敵役】
・李海方(李蹈天の弟)
・韃靼の順治大王【清朝3代皇帝世祖(1628~1661)は崇禎17年(1644)北京に即位して年号を順治と改元】
・韃靼の梅勒王(順治大王の使者で鎮護大将)【『明清闘記』に載る明へ侵攻した韃靼の大将】
・安大人(李蹈天の侍大将)【『明清闘記』に載る韃  靼の大将軍の名を借用】
・九仙山で碁に興じる2人の老翁
・南京の雲門関の大将左龍虎右龍虎

関連記事

おすすめ記事

  1. 第11回 サンクラブリー

    写真・文:泉裕さん 国境の街サンクラブリーはKHAOLAEMDAMの湖を中心として栄えた多民族が暮…
  2. 第1回「メラ、メラマーのカレン難民(1)」

    写真・文:泉裕さん [caption id="attachment_803" align="a…
  3. 石寨山古墓群遺跡

    2002年3月掲載 雲南古代の滇王国とその青銅器文化の存在を2千年以上の時を経て実証した王墓群発見…
ページ上部へ戻る