情報DB(現代史)「 1963年11月ベトナム共和国(南ベトナム)の軍事クーデターとゴ・ディン・ジェム大統領暗殺(2)」<読売新聞1963年11月2日夕刊>

情報DB(現代史):「 1963年11月ベトナム共和国(南ベトナム)の軍事クーデターとゴ・ディン・ジェム大統領暗殺(2)」<読売新聞1963年11月2日夕刊>

1963年11月1日にベトナム共和国(南ベトナム)政府軍の将軍たちにより決起された、ベトナム共和国(南ベトナム)初代大統領のゴ・ディン・ジェム大統領を打倒する軍事クーデター発生を報じる日本の新聞の1963年11月2日朝刊の第1報では、大統領官邸をクーデター軍は包囲したと報じられるが、クーデターの成否は明らかにはなっていなく、また、ゴ・ディン・ジェム大統領に対しては、クーデター軍は、投稿と辞任を呼びかけ、辞職か死を迫ったと報じられている段階であったが、1963年11月2日夕刊での続報では、クーデターの成功が報じられる。

ゴ・ジンジェム大統領と実弟ゴー・ジンヌー大統領政治顧問は、サイゴン時間2日午前10時15分(日本時間午前11時15分)に自殺したとクーデター側は発表し、日本の新聞でもそのように報じているが、投稿をめぐる電話交渉の中で、最後には安全に出国を認められての降伏に応じるも、空港まで安全に送り届けるとされた武装兵員輸送車が統合参謀司令部に到着した時には、二人は武装兵員輸送車の中で、銃殺されていたが、軍首脳は「偶発的自殺」と説明。

<読売新聞 1963年(昭和38年)11月2日(土曜)夕刊>1面

南ベトナム クーデター成功
ゴ大統領兄弟自殺 新政権首班にグエン・ゴクト氏 サイゴン放送
【シンガポール1963年11月2日発=AFP】
当地で傍受したサイゴン放送によると、南ベトナムのゴ・ジンジェム大統領と実弟ゴー・ジンヌー大統領政治顧問はサイゴン時間2日午前10時15分(日本時間午前11時15分)自殺した。なおさきの同放送は2人が革命軍に降伏したと報じていた。また同放送はさらに、サイゴン市内の戦闘は終わり、平静になったと示唆し「すべてが順調であり、情勢は革命軍の支配下にある」とのべた。

【AP=東京】
サイゴンの一米軍スポークスマンは2日「米軍パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス」紙東京本社に直通電話で「南ベトナムのゴ・ジンジェム政府は2日軍事クーデターで倒された」と伝え、さらに次のようにのべた。「反乱軍はすでにグエン・ゴクト副大統領を新政府の首班に任命した。反乱軍は大統領官邸を砲撃で破壊し、ゴ・ジンジェム政府も2日朝降伏した」
反乱軍は1日午後から2日朝までの激しい市街戦ののち、サイゴンを完全に掌握している。南ベトナム軍の死傷者は多数にのぼるものと信じられており、この電話の最中(日本時間2日午前10時30分)も全市に散発的な銃声が響いている。これは反乱軍が、大統領官邸を警備していた特別部隊の残党を掃討している銃声らしい。反乱軍が官邸に地上砲火を浴びせていた際、空からも戦闘機が低空でロケットを発射した。しかしロケットは官邸に命中しなかったようだ。反乱軍の数はいまのところはっきりしない。反乱軍は1日夜官邸に攻撃を開始、大統領親衛隊、特別部隊(2千人)と激戦を交えたのち、約5時間攻撃の手を休めた。これは降伏の機会を与えるためだったらしい。大統領はこれに応じなかったので、反乱軍は最後の全面攻勢に踏み切った。グエン・コクト副大統領は首班に任命されたが、2日現在 革命委員会が事実上政府を動かしている。
大統領官邸に白旗
【バンコク1963年11月2日発=AP】
アメリカ筋が2日語ったところによるとサイゴンのゴ・ジンジェム政権は約1時間半にわたる砲撃とタンクによる最終攻撃を受けたのち反乱部隊に降伏し、大統領官邸の屋根に白旗を掲げた。同筋によるとサイゴンの米関係者は電話で「戦闘は終わり、大統領官邸の上に白旗が掲げられている」と報告した。サイゴンにいるアメリカ人たちは反乱軍が2日午前6時45分(日本時間同午前7時45分)現在、全市内および空港を完全に手中に収めたものと思うと報告したといわれる。
米、新政権を承認か
【ワシントン1963年11月1日発UPI=共同】
アメリカは南ベトナムの新臨時政府承認に早急に動くものとみられている。1日夜明らかにされたところによると、新政府は副大統領グエン・ゴクト氏を首班とするもようである。グエン氏は米当局者に高く評価されており、3ヶ月ないし5ヶ月後に行われる総選挙まで政権を担当する予定の臨時政府首班に選ばれたものとみられている。サイゴンからの最新の外交筋報道は「戦闘中、ゴ大統領に忠実だった少数の軍人さえもいまでは”軍事委員会”支持に乗り換えた」と伝えている。
”アメリカのだまし討ち” ゴ・ジンヌー夫人
【ロサンゼルス1963年11月1日発=ロイター=共同】
アメリカ訪問中のゴ・ジンヌー夫人(ゴ南ベトナム大統領の義妹)は1日教会にゆく途中、記者団にたいし「南ベトナムのクーデターは、アメリカが扇動し、支持しなければ起こらなかっただろう。私はわが国をだましうちにするような国に滞在することはできない。地獄の悪魔が全部われわれに反対しても、われわれは勝利するだろう」と語った。
(写真)1日、南ベトナムのクーデターを聞き「後ろからヤミ討ちをするような国にはいたたまれません」と強気をみせるゴ・ジンヌー夫人(中央)=UPI・サン電送
戒厳令と夜間外出禁止令
【サイゴン2日発=AP】
南ベトナム革命委員会は1日から戒厳令と夜間外出禁止令を出している。

新政権で安定期待 外務省が非公式見解
外務省は南ベトナムのクーデターに関し、2日午前駐ベトナム大使館から同省への連絡などによりゴ大統領の失脚を確認し、同日次のような非公式見解を発表した。1日の軍部による政変は共産側の策動によるものでないことは明らかであるので、こんご作られる新政権もいままでと同じく自由諸国との協力のラインを堅持するものと思われる。政府としては今回の事件が新しい混乱をアジアにもたらさないことを望むものであり、また同国には4百人以上の在留邦人が居住していることにかんがみ、こんご事態がすみやかに安定し、真に全国民的基盤に立つ政府が成立することを期待する。
首相に報告
島外務省事務次官は2日午前10時半、首相官邸に池田首相をたずね、南ベトナムのクーデターの実情とこんごの見通しなどを報告した。このあと島次官は記者会見で「南ベトナムの新政権は軍人を中心に一部文官をふくめた軍事政権になると思うが、対米関係はよく、国内治安も今より悪くなることはないと思う。国内の経済建設をうまく処理できれば政権が安定するだろう」と語った。
第七艦隊旗艦  横須賀を出る
政府筋の情報によると横須賀に停泊中だった第七艦隊旗艦プロビデンス(11,000トン)および空母コーラル・シー(51,000トン)など同艦隊の主力は数日前同港を出港しており、これはこんどの南ベトナムのクーデターとなんらかの関係があるのではないかと観測されている。

<読売新聞 1963年(昭和38年)11月2日(土曜)夕刊>2面

米、隠しきれぬ圧力
南ベトナム・クーデターの成功
民主政権の育成に不安
【ワシントン支局1963年11月1日発】
南ベトナムのクーデターは、ようやく成功の見通しが濃くなってきたが、もしこれが完全なものとなれば、さる9月2日ケネディ大統領が共産ゲリラに勝つため「政策と人」の変更をはっきりとうながしてから2ヶ月にして、ようやく南ベトナム国内の政治改革への一歩を踏み出せるわけである

米国務省はもちろん今度のクーデターにアメリカが決して関与していないと強調している。しかし午後の記者会見でスポークスマンは「クーデターのウワサはかねてから知っていた」ことを認め、また事件発生から第一報がワシントンに届くまでわずか15分の差しかなかったと言う事実もなにかしら示唆的だった。
ゴ一族政権に対するアメリカの強い不満といらだちは、8月21日の寺院襲撃事件以来ずっと続いてきた。中南米でもそうだが、共産主義との長期的な戦いにはまず政治的に民主体制をその国に確立しなければならないというのがアメリカの大前提である。このためアメリカは2ヶ月以上もゴ政権に説得と圧力を試みてきたが「当局は思い切った措置を覚悟しないかぎり、ベトナムの国内問題に対する影響力は減殺されることを強調するまでになっていた」とニューヨーク・タイムズ紙は指摘している。国内改革の方法をめぐっては、かねて国務省と国防省の間に意見の食い違いのあることが指摘されていた。前者は、効果的な政治改革を実現するにはゴ大統領と実権を強めてきたゴ・ジンヌー顧問を排除するのが先決だとするのに対し、後者は、内政に深入りしすぎると逆に政治的混乱を招いて対共産ゲリラ戦に支障をきたすというようにへだたりがあった。現地からしきりに軍と大使館とCIA(米中央情報局)がばらばらだという報道が伝えられたのもこうしたワシントンの中での意見のへだたりの反映であった。テーラー統合参謀本部議長、マクナマラ国防長官がサイゴンに飛んだあとに、出先機関同士の相克はないと報告し、アメリカの最高政策目標をあらためて共産ゲリラに勝つことに掲げたのも同様にこうした事情の裏返しであった。そうした相違の妥協点として、当時次のベトナム対策が決まったといわれていた。①対共産戦闘の遂行を強調する ②ゴ・ジンジェム政権の排除をもはや公式に言及しない ③しかし経済援助を削減してゆくことによってゴ・ジンジェム”弾圧”政権に改革を迫る政治的なテコとする。
だからケネディ大統領が10月9日に「1ヶ月前とまだ同じ問題に取り組んでいる」(記者会見)と語って、ゴ・ジンジェム兄弟政権がいっこうに改善のあとを見せていないことを明らかにした前後、そしてロッジ米大使の協議のための帰国がさる23日発表された前後に援助さし止め措置がとられたのも、決して不思議ではなかった。ベトナムへの民生、輸出に対する年間9500万ドルの財政援助が打ち切られ、すべての援助計画の再検討が明らかにされ対共産戦闘に従事しない特別部隊への資金援助が打ち切られたのがその例である。とりわけロッジ大使は現地赴任以来、何らかの形でゴ一族を政権から取り除かないかぎりベトナムを収拾することはできないとの確信を強めるに至ったという。従って「協議のため」ワシントンに帰ったときは、ケネディ大統領から与えられた広範な権限と共和党出身ということもあって、たとえ一時戦争努力を犠牲にすることがあっても、思い切った大手術を施さねばならない旨を進言するハラであったといわれる。その一つに、ゴ・ジンヌー大統領顧問指揮下の特別部隊をサイゴンから前線に移す案が含まれていたといわれるのは、クーデターの海兵隊に手ごわい抵抗をしているのが特別部隊であるのと思い合わせて興味をひく。
しかし新政権ができたとしてもアメリカの金看板である「国民の支持を得た民主政府」とどう結びつけるのか、ゴ・ジンジェム大統領、ゴ・ジンヌー顧問を排除して対共産ゲリラ戦の効率があがるようになったとしても、すでに年内に米軍要員を1千人、65年末までに全部を引き揚げる計画を公表したアメリカはそのあとにより安定政権を残して置かねばならず、新政権が”アメリカ製”のレッテルをはられることもこれまでのいきさつからいたし方あるまいし、南ベトナムにおける不安と矛盾はまだ続きそうである。

派閥に中立保つ
新首班グエン・ゴクト氏 円満、親日家の仏教徒
○「いざという時の新首班には、この人が最有力・・」というベトナム通の日本人のほぼ一致した予想を裏書きして、南ベトナムの革命委員会はグエン・ゴクト副大統領を新首班に任命した。複雑な派閥政治の流れのなかで終始”中立・無色”を保ってきたことや、悪名高かったゴ・ジンヌー大統領顧問と陰に陽に対立してきたこと、それだけにアメリカ側が新首班として大きな期待をかけていた ー などの要素がゴクト新首班実現に働いたようだ。
○小柄なからだ、生マジメな態度でベトナム国民の信望は厚い。1908年、今なおベトコンの活動する南部ベトナムのデルタ地帯に生まれ、フランス統治時代の仏印政府の官吏となり、54年、故郷のロンシェン省長をへて、54年内務部長官となった。55年(昭和30年)にはベトナム共和国発足とともに、初代駐日大使として約1年日本に駐在し、折りから日本国内で論調がやかましかったベトナム賠償推進に努力した親日家でもある。56年経済部長官から、同年暮れ副大統領に就任。7年間の副大統領生活はゴ・ジンジェム大統領の独裁のかげにかくれて、パッとした存在ではなかったが、さる8月の仏教徒迫害事件では、自身も仏教徒として、政府と仏教徒の和解に奔走した。
○こんどのクーデターでは首班の”有力候補”としての自分を意識して軍と連絡をとったり、アメリカ側に積極的に働きかけるようなこともせず、自然の成り行きでかつぎ出された感じである。行政官として長い間ベトコンの活動に手を焼いた経験から”反共”のバックボーンは堅いが、これからクーデターの傷をいやしつつ、ベトコンとの泥沼の戦いを再開してゆかねばならぬ新首班の前途は多難である。人格円満な”優等生”だけに同氏を知る人たちは多少の懸念を持たぬわけでもないようだ。

米軍部の信望厚い ドン・バンミン少将
【UPI=共同】南ベトナムの軍事クーデターの指導者、軍事将官委員会議長のドン・バンミン少将は大統領付き軍事顧問。ベトナム軍内で信望の厚い歴職の武将で、またハーキンス大将はじめ米軍事顧問からも高く評価されている人物である。40歳、ベトナム人としては珍しく1m80を越える大男なので、ベトナム軍内ではビッグ・ミン(大男のミン)で通っている。

クーデター経過
【ワシントン1日発=AFP】米国務省が南ベトナム駐在米大使館から受けた一連の報告を総合すると、1日の南ベトナムのクーデター事件は次のような経過をたどったようである。
まず1日午後1時45分(日本時間同午後2時45分)南ベトナム空軍の一部が反乱を開始した。一方、陸軍部隊がサイゴン空港に通じる道路を閉鎖し、同時刻ごろ海兵隊部隊が市内にはいり、間もなく内務省、通信機関、海軍司令部、警察本部、国防省を占領した。サイゴン放送局も反乱側の手中にはいり、彼らは数回にわたって放送した。反乱軍とリ・クアントゥン大佐の指揮する特別部隊との間に衝突が起こったが、反乱側のサイゴン放送はリ・クアントゥン大佐が捕虜となり、特別部隊に停戦を命じる命令書に署名させられたと報じた。このほかサイゴン警視総監、空軍長官、民間防衛隊司令官も反乱側に逮捕されたといわれる。さらに反乱軍は大統領親衛部隊兵舎も占領し、大統領官邸付近では軽火器をまじえた戦闘が続行中とも伝えられる。ワシントンが受けた情報ではこのクーデターを指揮する将官および民間人は反共、親西方的な人々であるといわれ、軍首脳は市内の参謀本部に集まっているという。サイゴン駐在米大使館からの報告によると、戦闘は同大使館のある地域でも起こったが、外国人に死者はなく、またアメリカ市民はこんどの事件になんら関与していないという。
反乱側はサイゴン放送を通じて全南ベトナム軍将官が反乱に支持を寄せていると主張している。反乱側はさらに、戒厳令を公布するとともに、これまで拘留されていた教師、学生、仏教徒を釈放したと発表した。米国務省によると、ロッジ米大使は反乱発生の15分後以降ワシントンと密接な連絡を保っており3日協議のため帰国するはずだった同大使はこんごも必要な限り現地にとどまることになった。

仏、中立政権を望む
”米の見切りはおそすぎた”

【パリ奥山特派員2日発】南ベトナムのクーデターは当然くるべきものがきたにすぎず、アメリカが人気のないゴ・ジンジェム政権に見切りをつけるのがむしろおそすぎたとパリでは見られている。8月末ドゴール仏大統領が南ベトナムについて「南北ベトナムの統一」「ベトナムの中立化」という爆弾声明をしたのは、必ずしも旧植民地であるベトナムに野心があったからではない。軍事的、地理的にみてベトナム問題を放棄すれば、ゴ政権の不人気、アメリカの東南ア政策のまずさから、いずれはベトナムが中国の支配下にはいるという心配を持ち、アメリカと中国の影響力を除き、ラオスのようにベトナムを中立化することが得策だという長期的見通しからの発言にすぎない。パリの消息筋は今回の軍部クーデターはアメリカの黙認のもとに行われたものとして、ゴ政権の完全な失脚を信じているものの、フランスがアメリカにとってかわって具体的に軍事ないしは経済援助もやる用意は全くなく、もっぱらゴ・ジンジェム氏の後任者として中立ベトナムをめざし、多少とも親仏的な人物が登場することに期待をかけている。

サイゴン空港再開
【AP=東京】エールフランス東京事務所は2日、サイゴン国際空港が一般乗客に限り午前9時(日本時間同午前10時)から午後8時(同午後9時)までの間再開されたと報じた。

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