メコン圏現地作家による文学 第17回「天国の風 アジア短篇ベスト・セレクション」(高樹のぶ子 編、チャン・トゥイ・マイ/カム・パカー他 著)

メコン圏現地作家による文学 第17回「天国の風 アジア短篇ベスト・セレクション」(高樹のぶ子 編、チャン・トゥイ・マイ/カム・パカー他 著)


「天国の風 アジア短篇ベスト・セレクション」(高樹のぶ子 編、新潮社、2011年2月発行)

<著者>
チャン・トゥイ・マイ (ベトナム)
1954年、ベトナム中部ホイアン生まれの女性作家。
カム・パカー (タイ)
1972年うまれの女性作家(本名ラッカナー・プンウィチャイ)
ラージェンドラ・ヤーダヴ(インド)
1929年、北インドのウッタル・プラデーシュ州アグラの生まれで、ヒンディー語文学を代表する男性の長老作家の一人
シャマン・ラポガン(台湾)
1957年生まれの台湾のタオ族(ヤミ族)の男性作家で蘭嶼島在住
ジャンビーン・ダシドンドグ(モンゴル)
1941年、モンゴルのボルガン県ブレグハンガイ村の遊牧民の家に生まれた男性の児童文学作家
オカ・ルスミニ(インドネシア)
1967年生まれのバリ人の女性作家
潘向黎(パン・シアンリー)(中国)
1966年、福建省泉州生まれの女性作家
グレゴリオ・C・ブリヤンテス(フィリピン)
1932年、ルソン島の中部、タルラック州のカミリン生まれのフィリピン文学界の重鎮の男性作家
パク・ワンソ(韓国)
1931年生まれで2011年死去の韓国の女性作家。故郷が38度線の北側にあり、幼少時に一家でソウルに移住
リー・テンポ (マレーシア)
1969年、クアラルンプール生まれの馬華文学(マレーシア華語系華人文学)の男性作家

<編者・訳者・解説者略歴> <本書略歴紹介より、本書発刊当時(2011/2)>
高樹 のぶ子 <本書編者>
1946年生まれ。作家。2005年から5年間、九州大学アジア総合政策センター特任教授を務め、SIAプロジェクトを主宰。同プロジェクトから生まれた短篇「トモスイ」で2010年に川端康成文学賞受賞。
加藤 栄 <本書ベトナム編>
1953年生まれ。東京外国語大学インドシナ科卒。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。現在、大東文化大学国際学部准教授。訳書に『虚構の楽園』、『ツバメ飛ぶ』など。
宇戸 清治 <本書タイ編>
1949年生まれ。東京外国語大学大学院教授。専門はタイ文学、タイ映画論。著書に『東南アジア文学への招待』(共著)、訳書に『インモラル・アンリアル ー 現代タイ文学ウィン・リョウワーリン短編集』など。
高橋 明 <本書インド編>
1953年生まれ。大阪外国語大学外国語学部卒。デリー大学文学博士。現在、大阪大学世界言語研究センター教授。専門はヒンディー語学・文学。著書に『ヒンディー語=日本語辞典』(共著)、訳書に『デリーの詩人』など。
魚住 悦子 <本書台湾編>
1954年生まれ。大阪大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、国際交流基金日本語教育専門員。専門は台湾原住民族文学。訳書に『抗日霧社事件をめぐる人々』『台湾原住民文学選2』など。
津田 紀子 <本書モンゴル編>
1970年生まれ。早稲田大学教育学部卒。ウランバートル大学大学院修了。モンゴルの児童書の翻訳を中心に活動。訳書に『お月さまにいるのはだあれ?』『しんせつなおとなりさん』など。
森山 幹弘 <本書インドネシア編>
1960年生まれ。ライデン大学博士。現在、南山大学外国語学部アジア学科教授。専門はインドネシア文学、文化史。著書に『東南アジア文学への招待』、『多言語社会インドネシア』(ともに共著)など。
桑島 道夫 <本書中国編>
1967年生まれ。東京都立大学大学院博士課程中退。現在、静岡大学人文学部准教授。専門は中国近現代文学。訳書に衛慧『上海ベイビー』、夏伊『雲上的少女』など。
宮本 靖介 <本書フィリピン編>
1936年生まれ。大阪市立大学大学院修士課程修了。龍谷大学名誉教授。専門は英米文学。訳書にジョージ・オーウェル『ビルマの日々』(共訳)、著書に『イギリスの社会小説』(共著)など。
土井 一宏 <本書フィリピン編>
1940年生まれ。大阪市立大学大学院修士課程修了。元大阪医科大学教授。専門は英米文学。訳書にジョージ・オーウェル『ビルマの日々』(共訳)、著書に『イギリス小説 ー研究と鑑賞』(共著)など。2002年死去。
小川 玲子 <本書フィリピン解説編>
1964年生まれ。上智大学国際関係論学科修士課程修了。現在、九州大学准教授。専門は文化人類学。共著に『アジアと向き合う』、『メディア文化と相互イメージ形成』、Civic Engagement in Contemporary Japanなど。
渡辺 直紀 <本書韓国編>
1965年生まれ。慶應義塾大学法学部卒、韓国・東国大学校大学院国語国文学科修士課程修了。現在、武蔵大学人文学部教授。専門は韓国・朝鮮の文学や思想。訳書に『韓国の近現代文学』(共訳)など。
舛谷 鋭 <本書マレーシア編>
1964年生まれ。大正大学文学研究科博士課程中退。日本学術振興会特別研究員・早稲田大学助手等を経て、現在、立教大学観光学部交流文化学科教授。専門はマレーシア華人文学(馬華文学)および華僑華人研究。

本書の編者・高樹のぶ子 氏は1946年、山口県防府市生まれ山口県立防府高等学校、東京女子大学短期大学部教育学科卒業後、出版社勤務を経て、1980年「その細き道」を「文學界」に発表、創作活動を始めた小説家。1984年『光抱く友よ』で芥川賞、1994年『蔦燃』で島清恋愛文学賞、1995年『水脈』で女流文学賞、1999年『透光の樹』で谷崎潤一郎賞、2006年『HOKKAI』で芸術選奨文部大臣賞、2010年『トモスイ』で川端康成文学賞を受賞。「透光の樹」は、2004年映画化もされている。他、多数執筆。2001年より芥川賞選考委員ほか、多くの文学賞の選考委員を務める。2009年、紫綬褒章受勲。2017年、日本芸術院賞、旭日小綬章受章。

高樹のぶ子 氏は、2005年から2010年まで、九州大学アジア総合政策センター特任教授(アジア現代文化研究部門)として、 SIA (Soaked in Asia)という、アジアに浸るという意味の、アジアとの文学交流プロジェクトを主宰。フィリピン、ベトナム、台湾、マレーシア、中国・上海、モンゴル、タイ、韓国、インド、インドネシア・バリと、半年ごとにアジア10ヶ国地域を訪ね、現地の作家と交流し、文学だけでなく、その国地域の人々の暮らしや社会が抱える問題も取り上げ、様々なメディアを通じて発信するというプロジェクト。このSIA (Soaked in Asia)プロジェクトから生まれた本が、アジア10ヶ国地域の作家による短篇10編を収める本書「天国の風 ー アジア短篇ベストセレクション」(高樹のぶ子 編、新潮社、2011年2月発行)で、アジア各国地域の文学の第一人者による翻訳と解説も充実している。その他に、SIA (Soaked in Asia)プロジェクトから生まれた本には、交流の記録の「アジアに浸る SOAKED IN ASIA」(高樹のぶ子 著、文藝春秋、2011年2月発行)や、訪れたアジア各国地域に即発されて高樹のぶ子氏自身が書き下ろした短編小説をまとめて収めた「トモスイ」(高樹のぶ子 著、新潮社、2011年1月発行)がある。

本書の「はじめに」にて、”小説の中に、自分と同じ人間がいる。日本人と同じ喜怒哀楽を抱える人間がいる。知識ではなく、ただそれを「感じる」ことの意義は大きいと思います。良く似た風貌をしていても、異なる歴史や風土の中で生きる人は、こんなにも違う反応をするのかと驚いて貰えるならさらに有り難いし、作品が生まれた背景にまで関心を持って頂ければ、それこそSIAの目的に叶います。”と、著者は述べている。更にアジア各国地域の作家たちに、アジアの若さを強く実感させられ、「あとがき」では、”アジアの小説世界に浸ってみると、あらためてアジアの多様な色彩が浮かんできて、アジアという言葉の閾を超えて、アジアは広がっていき、宗教や言語、文化、歴史、自然において、アジア各国はそれぞれ固有であり、類似や共通項を探し出すのは容易ではないけれど、それでもこと作家が置かれている状況に関しては、通じ合うものがあり、一言で言えば「困難」が制作の糧になっているということではないか”、とも語っている。

ベトナム編では、ベトナムの女性作家・チャン・トゥイ・マイの短篇小説「天国の風」が取りあげられ、本書短編小説集の表題作にもなっている。本書の加藤栄 氏による解説によると、チャン・トゥイ・マイは 、1954年、ベトナム中部ホイアン生まれ、1976年にフエ師範大学卒業後は母校で教鞭をとるかたわら、1980年代より創作を開始し、短篇「海に贈る詩」(1983年)で文壇にデビュー。1987年、トゥアンホア・フエ出版社勤務に転じ、とくに1990年代以降は恋愛をテーマとした作品を数多く世に問うていて、他にも「イランイランの花」や「九番目の扉」のような作品を通して、僧侶や人妻の「道ならぬ愛」の形をも開拓しているとのこと。

本書に収録されたチャン・トゥイ・マイの1999年発表の短篇小説「天国の風」の主人公は、18歳の独身女性ミィで「私」と一人称で語られる。主人公の父親が旧南ベトナム政府軍士官で、思想改造キャンプから戻り、単なる趣味でしかなかった社交ダンスを生活の糧にし、フォンバイ・ダンス教室という社交ダンス教室を主宰していて、主人公の「私」は父親が主宰する社交ダンス教室でダンスを教えていた。その社交ダンス教室に習いに来たプレイボーイ風の口が上手い青年ヒュウとの「私」の初々しい恋の展開だけでなく、父の昔の恋や、父と娘の関係などが描かれる。父親はかつてダナンの中国女性リー・タィン・トゥイというダンサーと大恋愛をし結婚したが幸せは長くは続かず、新しい妻を娶り、ミィが生まれていた。ストーリーの具体的な年代や場所については明記はないものの、1990年代のベトナム中部の都市を舞台としていると思われ、若者たちの新しい都市生活ぶりが伺われる。カン・リーやカム・ヴァンなどのベトナム歌手の歌にも触れ、見知らぬ世界や初恋デートをイメージさせる街の中の珈琲館、ダンスホールなどがストーリー展開場所として度々登場する。

タイ編では、1972年生まれの女性作家カム・パカー(本名ラッカナー・プンウィチャイ)が取りあげられている。過激な性描写で知られる中国小説「上海ベイビー」をタイ語に訳したり、エリート・ビジネスマンの愛読雑誌「GMプラス」の表紙を自らのオールヌードで飾ったりと、過激で挑戦的な話題性豊かな女性作家。京都大学博士課程にも留学経験あり。性というテーマに真っ正面から切り込んでいることで知られるが、本書では、「ぼくと妻」(2002年発表)と「女神」(2008年発表)の2つの短編小説が収録されている。「ぼくと妻」では、高級官僚を父に持つイギリス留学帰りのハンサムで若い大学の教員という「ぼく」と、両親が裕福なオーナー企業経営者で父親のオフィスで働いているイギリス留学帰りの美人で仕事もできる妻ミナという、人も羨む一見完璧な家庭の夫婦の性関係の話。「ぼくと妻」では、勝手に理想的家族の虚像を作り上げていくメディアが批判されているし、「女神」では、影の力に操られて熱狂し、新たな虚偽意識に搦め捕られていく民衆の愚かさが、性的欲求を抱える夫の空しい独り相撲というパロディー的な構図で描かれていると、本書では解説されている。タクシン政権が退陣した2006年以降の反タクシン派の黄シャツ派とタクシン派の赤シャツ派の対立が激しかった頃が想起されるが、タイに限らず世界各地で見受けられる危うさ愚かさを面白く描いた短篇。

ベトナム、タイ以外の本書収録のアジア地域の短篇小説も、多彩で非常に読み応えあるものが揃えられている。 1929年、北インドのウッタル・プラデーシュ州アグラの生まれで、ヒンディー語文学を代表する男性の長老作家のラージェンドラ・ヤーダヴが、1952年に発表した「仔犬」という短篇は、犬の仔の引き取り手はあっても、人間の子供はその素性が分らなければ誰も引き取り手がいないというカースト制度での差別の問題を見事に抉っているし、1941年、モンゴルのボルガン県ブレグハンガイ村の遊牧民の家に生まれた男性の児童文学作家ジャンビーン・ダシドンドグの2006年発表の「男の三つのお話」も、モンゴルの遊牧生活とその周辺を題材にし、モンゴルの伝統行事ナーダムと絡めてモンゴルの男の精神を描いた児童文学作品も、非常に分りやすく楽しい話で幸せな気分になれる作品。

「天国の風 アジア短篇ベスト・セレクション」目次
はじめに  高樹のぶ子
ベトナム
天国の風 (チャン・トゥイ・マイ、加藤 栄 訳)
タイ
ぼくと妻/ 女神 (カム・パカー、宇戸 清治 訳)
インド
仔犬 (ラージェンドラ・ヤーダヴ、高橋 明 訳)
台湾
神様の若い天使/ 天使の父親 (シャマン・ラポガン、魚住 悦子 訳)
モンゴル
男の三つのお話(ジャンビーン・ダシドンドグ、津田 紀子 訳)
インドネシア
時を彫る男(オカ・ルスミニ、森山 幹弘 訳)
中国
謝秋娘よ、いつまでも(パン・シアンリー、桑島 道夫 訳)
フィリピン
アンドロメダ星座まで(グレゴリオ・C・ブリヤンテス、宮本 靖介・土井 一宏 訳)
韓国
親切な福姫さん(パク・ワンソ、渡辺 直紀 訳)
マレーシア
写真の中の人(リー・テンポ、舛谷 鋭 訳)

関連記事

おすすめ記事

  1. メコン圏を舞台とする小説 第61回「アヘン奪取作戦」(峨眉丸 稜 著)

    メコン圏を舞台とする小説 第61回「アヘン奪取作戦」(峨眉丸 稜 著) 「アヘン奪取作戦」(峨…
  2. メコン圏対象の調査研究書 第33回「ヴェトナム独立運動家 -潘佩珠(ファン ボイ チャウ)伝 ー日本・中国を駆け抜けた革命家の生涯ー 」(内海三八郎 著、千島英一・櫻井良樹 編)

    メコン圏対象の調査研究書 第33回「ヴェトナム独立運動家 -潘佩珠(ファン ボイ チャウ)伝 ー日本…
  3. メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第35回「アジアに浸る SOAKED IN ASIA」(高樹のぶ子 著)

    メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第35回「アジアに浸る SOAKED IN ASIA」(高樹のぶ…
  4. メコン圏を描く海外翻訳小説 第23回「太平洋の防波堤」(マルグリット・デュラス 著、田中 倫郎 訳)

    メコン圏を描く海外翻訳小説 第23回「太平洋の防波堤」(マルグリット・デュラス 著、田中 倫郎 訳)…
  5. メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第41回 「ハノイは燃えている」(ハリソン・E・ソールズベリ 著、朝日新聞外報部 訳)

    メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第41回 「ハノイは燃えている」(ハリソン・E・ソー…
  6. メコン圏現地作家による文学 第17回「天国の風 アジア短篇ベスト・セレクション」(高樹のぶ子 編、チャン・トゥイ・マイ/カム・パカー他 著)

    メコン圏現地作家による文学 第17回「天国の風 アジア短篇ベスト・セレクション」(高樹のぶ子 編、チ…
  7. メコン圏が登場するコミック 第26回「勇午 インドシナ編 」(原作: 真刈信二、作画: 赤名 修)

    メコン圏が登場するコミック 第26回「勇午 インドシナ編 」(原作: 真刈信二、作画: 赤名 修) …
ページ上部へ戻る