メコン圏対象の調査研究書 第29回「日本をめざしたベトナムの英雄と皇子 ー ファン・ボイ・チャウとクオン・デ」(白石昌也 著)


「日本をめざしたベトナムの英雄と皇子 -ファン・ボイ・チャウとクオン・デ」(白石 昌也著、彩流社、2012年4月発行)

<著者紹介>(本書紹介文より。2012年発刊当時)
白石 昌也(しらいし・まさや)
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。東京大学と米国コーネル大学で東南アジア史、国際関係論を学び、大阪外国語大学、横浜市立大学の教員、およびパリ第7大学客員研究員を経て、1999年より現職。専門はベトナム近現代史・政治、日本・インドシナ関係など。主著『ベトナム:革命と建設のはざま』(東京大学出版会)、『ベトナム民族運動と日本・アジア:ファン・ボイ・チャウの革命思想と対外認識』(巌南堂書店)、編著に『ベトナムの国家機構』(明石書店)、『ベトナムの対外関係:21世紀の挑戦』(暁印書館)など。*1947年、東京生まれ。

本書の表表紙には、本のタイトル「日本をめざしたベトナムの英雄と皇子  ファン・ボイ・チャウとクオン・デ」以外に、”独立の闘士たちが見た日露戦争後の日本とは?壮絶な人生ストーリー”の文章が記してあるが、その裏表紙には、”逃亡、追跡、仲間たちの非業の死・・・何度も挫折し、命がけで闘った数々の若き人々。ホー・チ・ミン出現前夜、もうひとつのベトナム独立運動史”という文章が記されている。本書は、本書のタイトル通り、21世紀初頭ベトナムの民族運動指導者でベトナム青年の日本留学運動(東遊運動)を指導したファン・ボイ・チャウ(1867年~1940年)と阮朝の王都フエ出身の皇族クオン・デ(1882年~1951年)の二人を主人公に取り上げ、その二人の人生ストーリーを中心に記された近代ベトナムの民族運動についての解説書。彩流社の「15歳からの伝記で知るアジアの近現代史シリーズ」第1弾として2012年4月に発行され、著者は、「ベトナム民族運動と日本・アジア:ファン・ボイ・チャウの革命思想と対外認識」(1993年、巌南堂書店)などの著書があるベトナム近現代史・政治が専門の研究者・白石昌也氏。

彩流社の「15歳からの伝記で知るアジアの近現代史シリーズ」は、”欧米中心の偉人伝とは一線を画す、アジアの伝記シリーズ。本シリーズは、その国の歴史でヒーローとして扱われる抗日派だけではなく。「親日」とみなされてきた人々も積極的に取り上げる。日本にあこがれ、日本を目指したがために、「現実の日本」と直接向き合い、格闘せざるを得なかった彼らの目線をとおして、大人も知らなかった日本の近現代を逆照射する。日本とアジア、そして世界の歴史が変化していく中で、彼らはどのように翻弄され、どのような迷いや悩みを抱いたのかー 目的をとげ成功をおさめた偉人ばかりでなく、挫折し、失意のうちに生涯を終えた人びとの生き様を中高生に伝える。” という、なかなか新しく大胆なテーマ企画。そのシリーズ第一弾に、ベトナムのファン・ボイ・チャウと、特にクオン・デが取り上げられたのは、シリーズ企画意図にぴったりと思える。高校に入りたての読者を想定してという出版社の意図があったらしいが、本書の内容は、入門・手引書というよりは、いろんな角度からの説明も十分に付け加えられていて、非常に内容が豊富で深く充実したものになっていて、更に、いろんな出来事や関連人物などについても更に深く知りたいという意欲が非常に湧いてくる。

●ファン・ボイ・チャウ
21世紀初頭ベトナムの民族運動指導者(1867~1940年)。中部ベトナムのゲアン省出身。幼少時より儒学を学び、郷試に合格。1903年、国内の同士と反仏革命団体を結成(後にベトナム維新会とする)。1905年、日本に渡り、ベトナム青年の日本留学運動(東遊運動)を指導。1909年以降、中国に拠点を移してベトナム光復会を組織するが、1925年上海でフランス官憲に捕われてベトナムに送還され、フエで軟禁生活を送った。
●クオン・デ
阮朝の王都フエ出身の皇族(1882~1951年)。1903年、ファン・ボイ・チャウの勧誘により革命団体の会主となる。1906年、日本に渡って振武学校に入学するが中退。1909年、日本をいったん離れ、中国、タイ、欧州などを転々とするが、1915年日本に戻り、以降東京に拠点を置く。日中戦争期の1939年、「ベトナム復国同盟会」を組織して日本に協力するが、悲願のベトナム帰国を果たせず、日本で客死した。

本書はプロローグ(ベトナムという国)、エピローグ(今後の勉強のために)以外の本文は、全8章構成で、その前半部分(第1章から第4章)では、まさに本書タイトル「日本をめざしたベトナムの英雄と皇子 ファン・ボイ・チャウとクオン・デ」通り、本書の二人の主人公、ファン・ボイ・チャウとクオン・デが、日露戦争が勃発する前年の1903年初、阮王朝の都フエで出会い、ベトナムの独立を目指して、二人が、1905年、1906年と相次いで日本に入国する時代背景や経緯から、ファン・ボイ・チャウが主導し1905年に開始されたベトナム青年の日本留学運動(東遊運動)の展開と1909年の終局までのことを詳述。ベトナム中北部のゲアン省で1867年に貧しい儒士の家系に生まれたファン・ボイ・チャウが生まれ育った時代はフランスによるベトナムの植民地化が進行する時期で、ファン・ボイ・チャウの生い立ちや少年・青年時代のことが紹介されるが、ファン・ボイ・チャウがフランスに抵抗する運動を起こしだすのは、33歳の1900年に科挙の郷試に首席で合格し名声と影響力を獲得し、また同じ年に父親が亡くなった後から。

独立運動を起こすためにも、ベトナム全国各地で同志を探すとともに活動資金を調達することも重要で、皇族を自分たちの運動のシンボルとして担ぎ出すことが必要と考え、1882年にフエで生まれた傍流の皇族クオン・デと、1903年初、フエで出会うことになる。クオン・デはファン・ボイ・チャウより15歳年下で、二人が出会ったときは21歳の青年皇族ながら、すでに貴族出身の妻との間に子供も持つ身で、ファン・ボイ・チャウと行動を共にする決意をする。ファン・ボイ・チャウはクオン・デを伴って、クアンナム省の同志で、かつてクアンナム省でフランスに対する抵抗運動に参加した残党の一人で、ファン・ボイ・チャウの参謀役となった重要人物のグエン・ハム(阮誠)を訪ね、初対面のグエン・ハムとクオン・デはすぐに意気投合。翌1904年春、グエン・ハムの家で開かれたファン・ボイ・チャウの同志たちの会合で、クオン・デを会主とする秘密組織の結成が決まり、武器の入手などのために、海外へ代表を派遣することが話し合われたが、ファン・ボイ・チャウ自身が海外に密出国すること、同行者はダン・トゥー・キンとタン・バット・ホーの二人、行先は日本ということが最終的に決まったのは1905年初。

本書第2章では、まず、1905年、数カ月かけてのファン・ボイ・チャウと同行者2人のベトナムからの非合法の蜜出国から中国の北海・香港・上海を経て日本に密入国するルートと経緯が記されるが、各地で非合法の脱出行を手助けしてくれる、いろんな人達も登場し、なかなかスリリングな展開。神戸で下船し日本に入国してからのファン・ボイ・チャウたちのエピソードや日本の観察も非常に面白い。ファン・ボイ・チャウが感動したのは、日本の汽車の中での乗客たちの礼儀正しい様子で、更に日本の鉄道で預けた荷物が旅館に届いたことや日本の警察官が親切な態度など、横浜駅での具体的なエピソードも、その驚いた様子が目に浮かぶようだ。日本に到着してからの活動としては、最初に梁啓超に接触し、その後、犬養毅を紹介され、更に、大隈重信、東亜同文会の幹事長・根津一、幹事・柏原文太郎、陸軍の参謀本部次長・福島安正などの有力者とも接触することができるが、ファン・ボイ・チャウには漢文能力と儒学の素養があり、漢字という同文による筆談が役立っていることは見逃せない。こうした有力者たちとの話の中で、ファン・ボイ・チャウも、自分たちの活動を、武器の調達という当初の計画から変更して、まず人材の育成に専念することを決断。こうして、1905年からベトナム青年の日本留学運動(東遊運動)がスタートする。

本書第3章では、東遊運動の展開について詳述。日本側の東遊運動への協力者たちの話や、東遊運動で日本に来たベトナム留学生たちの暮らしや東遊運動の拡大と課題なども詳しいが、この章では、やはり、本書の主人公の一人であるベトナム青年皇族クオン・デの1906年4月の日本入国が一つの大きな出来事。会主クオン・デをベトナム国内に残したままでは、いつ何時、フランス支配者に捕らえれれてしまうか分からず、またクオン・デが日本にいれば、ベトナム青年を呼び寄せるうえで大きな宣伝材料となるという思惑から。またこの章では、現在のベトナムで、ファン・ボイ・チャウと並び20世紀初めの愛国者として尊敬されるファン・ボイ・チャウの論敵ファン・チュー・チン(1872年~1926年)のこともしっかり取り上げている。

いろいろな課題がありながらも、拡大していた東遊運動も、フランス当局による東遊運動に対する弾圧が強まり、ファン・ボイ・チャウは1909年3月に、次いでクオン・デが1909年11月に日本を離れ、東遊運動が終局するが、その過程が本書第4章。1907年6月にはファン・ボイ・チャウたちをがっかりさせる日仏協約も締結されたりするが、1907年から1908年にかけ、東遊運動が拡大し最盛期を迎えるが、ベトナム国内でも様々な運動が展開し1908年には農民運動や兵営攻略蜂起未遂事件など過激な事件が起こるようになり、フランス当局による徹底的な弾圧が開始される。この章では、同時期の日本に学ぶ中国人留学生たちや、特に雲南・広西・広東出身の学生・活動家たちと日本に留学したベトナム青年たちとの交流の様子、更にはベトナム北部山岳地帯に立てこもって20数年にわたりフランスへの抵抗運動を続けたホアン・ホア・タム(黄花探、1858年~1913年)とのファン・ボイ・チャウの交流の話も注目。

こうした1903年のファン・ボイ・チャウとクオン・デの出会いから、1905年の東遊運動の開始と展開。そして1909年の終局というわずか6年ながら、日本とベトナムを主舞台に展開された20世紀初頭のベトナム民族運動の一つのドラマも非常に興味深い話であるが、更に、この1909年の東遊運動の終結後の、本書の二人の主人公のその後の人生ストーリーが非常に壮絶で、本書後半部の第5章から第8章の内容にあたる。1909年に日本を離れ東遊運動が終局。その後のファン・ボイ・チャウの人生については、本書第5章・第6章で紹介。1909年に日本を離れたファン・ボイ・チャウは、しばらく香港に滞在し、それから広州に移動。日本での活動の道は途絶え、その間にベトナム国内の状況は、フランス当局による徹底的な弾圧により多くの同志が犠牲になり活動は壊滅的ながら、不屈の精神を持つファン・ボイ・チャウは、1912年、タイから広州に戻り、広州でベトナム光復会を結成し、ベトナム光復軍を組織化に取り組む。しかしながら、1914年には、ファン・ボイ・チャウは広州で、反革命派の龍済光により逮捕され、1917年の脱獄まで広州の牢獄に収容される。この広州での逮捕から脱獄までの経緯も、辛亥革命後の広東における政治状況の変化が背景にあるのも、興味深い。ただ、その後、1925年には杭州から広州へ向かう途中、上海で捕われ、ハノイで裁判の後、フエで1940年に死去するまで軟禁生活を強いられる。

一方、本書の第7章、第8章では、東遊運動終結後のクオンデの人生ドラマで、日本に憧れ、日本に期待し、1951年の日本での客死まで日本で長らく生活をすることになるなど、日本との関係が非常に深いにも関わらず、ほとんどの日本人が知らないであろうことが、色々と紹介されていて、特に印象深く読み応えがあった。クォン・デの数奇な運命と波乱に満ちた生涯には、クォン・デを支援した日本人たちとの交流もあるものの、日本に翻弄され裏切られてきたこともあり、孤独で悲劇的な生涯に、同情し感情移入してしまうことが少なくない。なお、クオン・デの伝記として、著者が非常に優れた本が刊行されているとして、オーストリアで活躍するベトナム系の研究者Tran My-Van氏による「Vietnamese Royal Elile in Japan:Prince Cuong De (1882-1951)」(Routledge, New York,2005年)が紹介され、その研究内容も本書では引用紹介されている。

目次
プロローグ ーベトナムという国

第1章 日本へ ー日露戦争の開始まで
「坂の上の雲」の時代/ トーゴー・ビール/ ファン・ボイ・チャウの少年時代/ 科挙合格/ 独立のために立ち上がろう/ 全国に同志を求めて/ 皇族クオン・デとの出会い/ フランスによるベトナム支配の形態/ 「坂の上の雲」の日本へ

第2章 青年よ! 日本を目指せ ー東遊運動の開始
ベトナムからの脱出/ 香港から上海へ/ 東海道、汽車の旅/ 横浜山下町/ 梁啓超との出会い/ 日本民党の有力者たち/ 武器調達から人材育成へ/ 東遊運動の開始

第3章 日本に学ぶ青年たち ー東遊運動の展開
吉田松陰を手本に/ 陸軍振武学校/ 東京同文書院/ 『ベトナム維新会章程』/ 会主クオン・デの出国/ 革命的宣伝文書の印刷/ 論敵ファン・チュー・チン/ 革命路線と改革路線/ 留学生の増大/ 南部ベトナムからの少年たち/ 東京の早稲田界隈/ ベトナム公憲会とベトナム維新会/ 財政問題/ 青年たちの苦難/ 浅羽佐喜太郎の援助

第4章 さらば、日本よ! ー東遊運動の終局
ハノイの東京義塾/ 2回目の一時帰国/ 日仏協約の締結/ 列強による勢力分割/ 日本に学ぶ中国人留学生/ 亜州和親会/ ベトナム国内の激動/ 東遊運動に対する弾圧/ さらば、日本よ!/ 小村外相宛ての抗議書簡

第5章 流亡の歳月 ー辛亥革命以後
広州での流亡生活/ タイの農場/ 辛亥革命の中国/ ベトナム光復会/ 中国新政府の要人たち/ ベトナム光復軍と振華興亜会/ 国内への潜入/ 夜空に輝く南十字星/ 広東の牢獄

第6章 広州と杭州の間で ー第1次世界大戦以降
第1次世界大戦/ 雲南省昆明/ 一生の不覚/ 国共合作/ 広州沙面の爆弾/ グエン・アイ・クオクの提案/ 逮捕とフエでの軟禁生活

第7章 再度の日本 ー大正から昭和の時代へ
残留学生/ 6年ぶりの日本/ パリ講和会議/ 広がる溝/ 祖国そして家族への思い/中国の「同志」たち/ 昭和の暗雲/ 満州事変

第8章 天命われに味方せず ー日中戦争からアジア太平洋戦争へ
蘭機関/ ベトナム復国同盟会/ ベトナム語放送班/ ベトナム復国軍/ フエの墓石/ 静謐保持政策/ 苦しい弁明/ サイゴンの憲兵中佐とゴー・ディン・ジェム/ 明号作戦/ 羽田空港/ 焼け跡の日本/ 100年の歳月を超えて

エピローグ ー今後の勉強のために
関連年表

関連年表(本書の主人公たちの動き)
・1867年:ファン・ボイ・チャウ、ゲアン省に生まれる。
・1882年:クオン・デ、フエに生まれる。
・1900年:ファン・ボイ・チャウ、郷試に合格。
・1903年:ファン・ボイ・チャウ、フエでクオン・デを知る。
・1904年:ファン・ボイ・チャウ、同志とともに「会」を結成。
・1905年:ファン・ボイ・チャウ、2人の同志と日本へ。梁啓超、犬養毅、大隈重信、柏原文太郎などと接触。『ベトナム亡国史』を執筆。組織名をベトナム維新会とする、東遊運動開始。
・1906年:クオン・デ、ファン・チュー・チンとともに日本到着。
・1907年:ファン・ボイ・チャウ、横浜から東京へ転居。ベトナム公憲会を東京で組織。ファン・ボイ・チャウたち、亜州和親会に参加。
・1908年:チャン・ドン・フォン、東京で自殺。東京からの連絡要員、サイゴンで逮捕される。浅羽佐喜太郎、1700円を寄贈。
・1909年:ファン・ボイ・チャウ、次いでクオン・デ、日本を離れる。
・1910年:ファン・ボイ・チャウ、中国からタイ(シャム)へ。
・1912年:ファン・ボイ・チャウ、タイから中国に戻る。広州でベトナム光復会を結成、光復軍を組織。
・1913年:クオン・デ、南部ベトナムに潜入、香港に戻った後、欧州へ。
・1914年:ファン・ボイ・チャウ、広州で龍済光によって逮捕される。クオン・デ、欧州から中国に戻る。
・1915年:クオン・デ、再度日本に渡り東京に定住。
・1917年:ファン・ボイ・チャウ、牢獄から脱出。
・1918年:ファン・ボイ・チャウ、日本を一時訪問、浅羽記念碑を建立。中国に戻った後、グエン・トゥク・カィンとともに雲南省へ大旅行。
・1919年:ファン・ボイ・チャウ『フランス・ベトナム提携意見書』
・1922年:ホン・ソン、杭州でファン・バー・コックを暗殺。
・1924年:ファム・ホン・タイによる広州沙面事件。ファン・ボイ・チャウ、ベトナム国民党への改組を図る。
・1925年:ファン・ボイ・チャウ、杭州から広州へ向かう途中、上海で捕われる。ハノイで裁判の後、フエでの軟禁生活始まる。
・1926年:クオン・デ、長崎の全亜細亜民族会議で演説。
・1939年:クオン・デ、上海でベトナム復国同盟会を結成。
・1940年:クオン・デたち、台北でベトナム向け宣伝放送に協力。ベトナム復国軍の蜂起失敗。
・1940年:ファン・ボイ・チャウ、フエで死去。
・1945年:クオン・デ、ベトナムへの帰国計画実現せず。
・1950年:クオン・デ、ベトナムへの帰国に失敗。
・1951年:クオン・デ、東京で死去。
・1954年:クオン・デの遺骨ベトナムへ。
・2005年:東遊運動100周年。

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