メコン圏対象の調査研究書 第2回「黄色い葉の精霊」インドシナ山岳民族誌(ベルナツィーク 著、大林太良 訳)②

メコン圏対象の調査研究書 第2回「黄色い葉の精霊」インドシナ山岳民族誌(ベルナツィーク 著、大林太良 訳)②


「黄色い葉の精霊」インドシナ山岳民族誌(ベルナツィーク 著、大林太良 訳、平凡社 東洋文庫108、1968年初版発行)②

<著者>
ベルナツィーク(1897年~1953年)
オーストリアの民族学者、フルネームは、フーゴー・アードルフ・ベルナツィーク。法学者として高名だったウィーン大学教授エドムント・ベルナツィークを父として、1897年3月26日、オーストリアのウィーンに生まれ、1953年3月9日ウィーンで死去。(同書「はじめに」より)
<訳者>
大林 太良(おおばやし・たりょう)
東京大学名誉教授。1929年東京生まれ、1952年東京大学経済学部卒。1959年ウィーン大学でPh.D.を取得。専攻:民族学、文化人類学。ウィーン大学、ハーバード大学等で民族学を学んだ後、1962年東京大学教養学部講師、1975年東京大学教授に就任。1990年東京大学を退官し、東京女子大学教授に。主要著書:『東南アジア大陸諸民族の親族組織』(日本学術振興会)、『日本神話の起源』(角川書店)、『神話学入門』(中央公論社)、『稲作の神話』(弘文堂)、『東アジアの王権神話』、『世界の神話』『邪馬台国』『日本人の原風景』 など

(1930年代後半ベルナツィーク夫妻のインドシナ調査紀行日本語版)

ビルマ南部・メルグイ諸島に「海の漂流民」モーケン族を、南タイのマラヤ原始林に「森の住人」ネグリート(小人)であるセマング族の探索調査を終えたベルナツィーク夫妻一行は、バンコクで約1ヶ月ほど過ごした後、本書の題名たる「黄色い葉の精霊」ピー・トング・ルアング族(ムラブリ族)の探索調査のため、北タイに向かう。

ピー・トング・ルアング族(ムラブリ族)は、北タイの森に住む狩猟民族で、深い山の中で伝説と謎に包まれて生活してきた絶滅寸前の超希少な民族である。バナナの葉などで極めて簡単な住居を作り、葉が枯れて黄色くなると場所を移動するという。警戒心が強く見知らぬ人や他の民族を見るとすぐに逃げ身を隠してしまう。このことより、ピー・トング・ルアング(黄色い葉の精霊)と一般には呼ばれている。

当時、この原始的な森の漂泊民の存在は謎につつまれており、北タイ・ナーンのラオス(当時は仏領インドシナ)国境附近の深い森に入り、苦労の末、ピー・トング・ルアング族(ムラブリ族)に出会い調査が行われた。この発表された調査紀行は、ベルナツィークの数多くの著作の中でも殊に好評を博し、数ヶ国語に翻訳されている。

訳者の大林太良氏も、邦訳版の序文で、「ピー・トング・ルアング族の生活と文化をはじめて、学界に詳細に報告した功績は大きいとともに、この民族は東南アジアの民族のなかでもことに注目すべき存在である。」と述べている。そして「彼らがモンゴロイド(黄色人種)の採集狩猟民として現存している僅かな例の一つであるからであり、また熱帯森林の採集狩猟民が弓矢か吹矢を用いるのが世界的に普通であるのに反し、彼らは弓矢も吹矢も知らないで、槍を用いるだけであるからでもある。」と注目すべき理由を挙げている。この点、ベルナツィーク自身も、その総括のところで、ピー・トング・ルアング族は、かつてより高い文化をもった民族が森の中へと追われて萎縮退化したものではなく、その原始性は真のものであり、またネグリートではなくモンゴロイド系の未開種族であると述べている。(更にネグリート以前のモンゴロイドの残存ではないかと推定し、原(プロト)モンゴロイド人と呼び、古(パレオ)モンゴロイド人と区別している)

ピー・トング・ルアング族についての詳細な民族誌が付録として同書についており、生活と文化について以下項目にわたって報告されている。

ー ピー・トング・ルアング族民族誌(付録) -
歴史・地理及び統計、居住地と住居、家具と什器、衣類と装身具、身体毀傷、生業と武器、毎日の生活、嗜好品、手細工、交通と交易、個人の一生、幼児の教育と精神の発達、社会・政治組織、ピー・トング・ルアング族の親族呼称、軍隊と戦争、法と司法、宗教、芸術、計算と日付、医薬、人類学、言語、総括

民族調査報告としてだけでなく、本書はその探索調査にあたっての様々なエピソードが紹介されており、読物としてもなかなか面白い。

ピー・トング・ルアング族の目撃情報はいくつかあったものの、詳しい情報がなく、民族の存在そのものさえ疑われていた当時、まずはその存在発見に大変苦労する。盗みと殺人の罪を犯しタイ人から追われている山賊まがいの密輸商や、僻地のジャングルで象牙、鹿の角、銀の装飾品、阿片などの山岳民族の生産物を金に替えている怪しげな中国人などが、ピー・トング・ルアング族をなんとしてでも見つけたいベルナツィーク一行の前に現れる。最終的には、苦労の末、ミャオ(モン)族の協力でピー・トング・ルアング族に会えることになる。

ピー・トング・ルアング族は周囲の他種族(特にティン族)から悪霊とみなされ、殺害されたり、或いは残忍に搾取され欺かれたりしたため、周りの諸民族を際限なく怖れていたが、ただミャオ(モン)族だけは保護と援助を与えてくれていたため信頼していたという。

食糧が十分あるか否かにかかわりなく起こるピー・トング・ルアング族の放浪の衝動のために、ベルナツィーク夫妻というヨーロッパ人、人夫としてのラオ人、ミャオ族それにピー・トング・ルアング族の4民族揃って原始林を放浪することになるのであるが、この放浪時の場面場面に各民族の違いが興味深く描かれている。

注釈・補足

ムラブリ族の呼称
ピー・トング・ルアング族(カー・トング・ルアング族)は、自称してユンブリ族と呼ぶと、ベルナツィークは報じたが、その後の調査で、この自称は確認されず、代わって『ムラブリ』という民族名が使われるようになっている。彼らの言葉で『密林の民』を意味する。自分たちは人間だとして一般的な呼称の「ピー・トング・ルアング」を好んでいない。ちなみに、ミャオ族は彼らを「密林の精霊」の意である『マ・ク』と呼んでいる

ミャオ(モン)族  ー同書での紹介引用ー
「我々はミャオ族がひどく勤勉であり有能であり、また実際的な人々であることを知った。彼らは肉体的に非常な困難にもよく耐え得るばかりか、心気活発でもある。彼らは文字を持たず、話し言葉以外に意志疎通の手段をもたない。しかし驚くべき記憶力と皆の巧みな表現力の才能とが太古の口碑を世代から世代へと伝承せしめ得ている。」

「ミャオ族との共同生活中の多くの小事件を通して、彼らの高い道徳性を繰り返し確認することが出来た。彼ら自身食物に事欠いているのに、彼らは毎日我々のキャンプに卵、トウモロコシ、砂糖黍、米、野菜などをもってきてくれ、しかもどんな代償も受け取らなかった。彼らが自分たちの利益ばかりに関心を抱いているのでは決してないことは、特にピー・トング・ルアング族に対する彼らの態度の中にあらわれている。ミャオ族だけは決してピー・トング・ルアング族ン対する自己の優勢を利用しなかった。陰鬱な雨季にこの家を持たぬ放浪者・ピー・トング・ルアング族が飢え、ずぶぬれになて戸をたたく時には、ミャオ族は彼らを家の中の暖かい炉に招きいれるのである。」

「ミャオ族は本当に献身的に働くが、祭りもまた同様に献身的に行う。・・」
「彼らの恋歌は世代から世代へと伝えられ、その表現はしばしば感動的で真情にあふれている」

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