メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第35回 「ぼくと『未帰還兵』との2年8ヶ月 ー 『花と兵隊』制作ノート」(松林要樹 著)


「ぼくと『未帰還兵』との2年8ヶ月 ー 『花と兵隊』制作ノート」(松林要樹 著、同時代社、2009年9月発行)

<著者紹介> 松林 要樹(まつばやし・ようじゅ)<本書著者紹介、本書発行当時>
1979年福岡県生まれ。2004年、日本映画学校卒業。卒業制作として『拝啓人間様』を監督・編集。2005年、アフガニスタン、インドネシア、アチェなどの映像取材に従事。フジテレビ「ニュースJAPAN」にてアフガニスタン選挙取材が4回特集放送される。2006年より、バンコクを拠点にテレビ番組の取材と並行して、インドネシア、タイ・ミャンマー国境付近にいる未帰還兵の取材に取り組む。2009年8月、『花と兵隊』公開。

終戦になっても戦後、祖国に帰らずタイに残留し未帰還兵となった元日本兵6人の生涯に迫るドキュメンタリー映画「花と兵隊」(英題:FLOWERS AND TROOPS)は、2009年製作の2009年8月8日に劇場公開された106分のドキュメンタリー映画。監督は、本作が劇場デビューとなった、1979年生まれの取材撮影当時、まだ若手映像作家だった松林要樹 氏で、松林要樹 氏は、1人でカメラを回し撮影を行い、編集も担当している。プロデューサーは安岡卓治 氏で、製作は、記画「未帰還兵」製作委員会 配給は安岡フィルムズ、配給協力は東風とKAWASAKIアーツ。本書「ぼくと『未帰還兵』との2年8ヶ月」は、本書のサブタイトル通り、このドキュメンタリー映画「花と兵隊」の監督・撮影・編集の松林要樹 氏自身による制作日誌で、2009年8月の劇場公開とほぼ同じタイミングで発刊。本書タイトルにある、2年8ヶ月とは、監督の松林要樹 氏が27歳の2006年11月より、この映画の取材を開始し、劇場公開直前の2009年7月までの2年8ヶ月、タイ国内で泰緬国境付近やバンコク市内に暮らす6名の未帰還兵の家々を訪ね歩き、幾晩も彼らの家に泊まり込み取材を続け、80代後半から90代前半にさしかかる未帰還兵を追い、記録映画「花と兵隊」を制作する期間。

本書は、ドキュメンタリー映画「花と兵隊」の制作ノートが主たる内容ではあるものの、冒頭部分は、2004年に日本映画学校卒業後、映画監督志望ながら、まだ実績もなく、初監督作品の制作に着手する前の著者の焦燥と悩みの記録にもなっている。その著者も、最初のドキュメンタリー映画作品で、第1回田原総一朗ノンフィクション賞〈奨励賞〉、第26回山路ふみ子映画賞〈福祉賞〉を受賞。その後、森達也 氏、綿井健陽 氏、安岡卓治 氏と共同監督した『311』(2011年)が、山形国際ドキュメンタリー映画祭2011、第16回釜山国際映画祭で上映される。地震と津波と放射能汚染の被害を受けた福島県南相馬市を取材した『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』(2011年)が、山形国際ドキュメンタリー映画祭2011、第36 回香港国際映画祭で上映。津波から奇跡的に生還したある馬の数奇な運命を描いた『祭の馬』(2013年)は、2013年ドバイ国際映画祭〈ドキュメンタリー・コンペティション部門 最優秀作品賞〉を受賞、第14回東京フィルメックス・コンペティション部門、2013年アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭など多くの国際映画祭で上映される。世界17カ都市を旅しながら反射する世界を撮った『Reflection』(2015年)が、第34回バンクーバー国際映画祭で上映。2016年には文化庁新進芸術家研修制度でブラジル・サンパウロに滞在。2020年には、監督を務めたブラジルのサントスでの戦時中の日系移民退去事件についてのドキュメンタリー映画「オキナワサントス」が公開されている。

1979年福岡県生まれの著者は、映画に興味を持ち始めたのは高校生の時らしいが、地元の大学に一旦進学し2000年に世界各地を旅し帰国後、大学を辞めて21歳で2001年、神奈川県川崎市の日本映画学校(現・日本映画大学)に入学し、原一男 氏、安岡卓治 氏が担任するゼミに参加。「未帰還兵」の存在を知ったきっかけは、日本映画学校在籍時に、1975年に日本映画学校の創設した映画監督の今村昌平督作品「未帰還兵」シリーズを見たこと。「未帰還兵」とは、1975年に日本映画学校を創設した映画監督の今村昌平(1926年~2006年)氏が1970年代に作った名前で、敗戦後、日本に帰還せず、現地で生活をした日本兵のことを指す言葉で、著者は、”未帰還兵は、戦前の日本の教育を受け、戦後日本の発展をはるか南方から眺めた。戦前のままで止まっている彼らの日本の記憶、価値観、家族。年をとるごとに募ってゆく日本に対する思い。彼らの生きた人生が一体どういうものだったのか、知りたいと強く思った。”とのこと。ちなみに、今村昌平 氏は、劇映画『神々の深き欲望』(1968年)を発表後の10年間の1970年代は、、棄民シリーズ第1弾となる「未帰還兵を追って マレー編」(1971年)に始まり、「未帰還兵を追って タイ編」(1971年)、フィリピンの海賊を取材した「ブブアンの海賊」(1972年)、タイの未帰還兵の一人の一時帰国を取材した「無法松 故郷に帰る」(1973年)、娼婦として日本から東南アジアに売られていった女性を取材した「からゆきさん」(1973年)、「続・未帰還兵を追って」(1975年)と、主にテレビドキュメンタリー作品を製作している。

ドキュメンタリー映画「花と兵隊」に登場するタイに在留し未帰還兵となった元日本兵は6名。1918年長崎生まれの歩兵で北タイのランプーン近くのパサーン在住の藤田松吉。1907年ブラジル生まれの輜重兵でタイ・ミャンマー国境のメソット在住の坂井勇(本書表紙カバー写真)。1920年新潟生まれの衛生兵で同じくメソット在住の中野弥一郎。1920年沖縄生まれの工兵で北タイのファーン近くに在住の伊波廣泰。1923年京都生まれの歩兵でバンコク郊外トンブリー在住の花岡稔。愛知生まれで物資輸送に従事しバンコク市内に在住の古山(こやま)十郎の6人。今村昌平 氏によるテレビ・ドキュメンタリー作品「未帰還兵を追って タイ編」(1971年)や「無法松 故郷に帰る」(1973年)に登場していた長崎出身の元二等兵・藤田松吉 氏を、2006年11月上旬に、北タイのランプーン近くのパサーンの自宅に訪ねることから、ドキュメンタリー映画「花と兵隊」取材が始まる。その後、タイ残留未帰還兵として、良く知られていたタイ・ビルマ国境のメソット在住の坂井勇 氏と中野弥一郎 氏の取材を、2006年11月下旬から開始。2006年12月上旬には、日本人が北タイのファーンあたりにいるという話を聞きつけ、伊波廣泰 氏に会いにいき、2007年2月上旬には、昭和30年代からバンコクに住んでいる日高富士夫 氏からの紹介で、バンコク郊外トンブリーで車の修理工場を営む元日本兵の花岡稔 氏に会いに行く。2007年7月上旬には、その花岡稔 氏から、バンコク中心部のサイアム駅の地区に元日本兵がいるという話を聞いて、古山十郎を探しあて取材を始めている。

北タイのランプーン郊外のパサーン在住の藤田松吉 さん(1918年~2009年1月25日 )タイ・ビルマ国境のメソット在住の中野弥一郎さん(1920年~2009年10月26日 )と坂井勇さん(1907年~2007年5月9日 )の3名は、タイ残留元日本兵としては、比較的よく知られた方々で、1988年8月に東京書籍より刊行された「<日本への遠い道・第一部> 望郷 ー 皇軍兵士いまだ帰還せず」(三留理男 著、東京書籍)でも紹介され、「帰還せず ー 残留日本兵 60年目の証言」(青沼陽一郎 著、新潮社、2006年7月発行)でも紹介されている。未帰還兵たちの語る話がもちろんメインではあるが、著者が、これらの元日本兵たちを探し、何度も家を訪ねたり何日も話の切りだしや何度も家を訪ね泊まり込みで暮らしを共にしながらの取材や証言を記録していく過程も興味ぶかい。坂井勇さんと藤田松吉さんの2人のついては、まさに本書の取材中で、ドキュメンタリー映画「花と兵隊」が完成する前に逝去。また中野弥一郎さんも、映画完成・本書刊行直後に逝去。

1918年12月、長崎生まれの藤田松吉氏は、1939年、長崎の大村で帝国陸軍に入隊し福岡の久留米で菊師団に編成。日中戦争時は広東攻略作戦に従事し、その後はマレーのコタバルに上陸しマレー攻略戦に参戦。シンガポール市街戦を展開。更に1942年、輸送船でビルマのラングーンに送られ、ビンマナ攻略、マンダレー攻略に参戦し、ビルマ領内の掃討を命じられ、1943年末には、インパール作戦発動の前に、インパール作戦を援助するために北ビルマのカチン州に位置するフーコンの谷に投入されるが、タイまで敗走。北タイで友軍から置き去りにされ、その後をタイで生き抜き、建設工事などの仕事の傍ら、時間を作って「白骨街道」と呼ばれた旧日本軍の敗走路での遺骨収集を続けられた人。インパール作戦の生き残りの元衛生兵の新潟県小千谷出身の中野弥一郎さんは、敗戦を迎えるのはビルマ領内で、捕虜収容所から脱走しビルマのカレン族の地域に逃げ込み潜伏。やがて現地でパオ族の女性と家庭を持つも、ビルマ領内の少数民族と対立するビルマ政府軍の迫害から逃げ難民としてタイとの国境を越え、タイ側のメソットに住み、宝石仲買などの商売を始める。中野弥一郎さんと同じように、インパール作戦生き残りの自動車兵の元上等兵の坂井勇さんは、敗戦をビルマのカレン州タトンで迎え、収容所に監禁される前に逃亡し、カレン族の集落に身を隠し、カレン族の武装闘争にも協力参加し、農業にも従事し現地でパオ族の女性と家庭を持つも、ビルマ政府軍の迫害から逃げ難民としてタイとの国境を越え、タイ側のメソットに住む。実はメソット在住の中野弥一郎さんと坂井勇さんは、1947年頃、ビルマに隠れていた頃に知り合い、パオ族の妻は姉妹同士。

ドキュメンタリー映画「花と兵隊」で取材を行っているタイ残留の未帰還兵6人のうちの残り3人については、まず北タイのファーン郊外在住の1920年沖縄生まれの伊波廣泰 氏を取材。北タイのビルマ国境近くではあるが、ビルマ戦線からの敗走ではなく、1990年代末にバンコクから妻の故郷に移住。1943年、工兵として召集されシンガポールに送られ、戦時中は、シンガポールで移動修理班のような形で兵器等の修理などを行っていて、終戦間際に、シンガポールからバンコクに行けとの指令があり、移動途中のマレーのイポーで終戦を迎え、そのままタイに着き、中国語が多少できたこともあり、戦後8年して大使館ができ、公に日本人と名乗ることができるまで、張廣泰という名の中国人として戦後のタイ社会に残留。1923年京都生まれで、バンコク郊外トンブリーで車の修理工場を営む元日本兵の花岡稔 氏は、泰緬鉄道でタイからビルマに送られるが、車の運転ができたために歩兵でなく輸送の業務に就くがイラワジ会戦の敗走などを体験し終戦をビルマのモールメンで迎える。連合国軍の捕虜となり、泰緬鉄道でノンブラドックまで連行されたが、1人で収容所から脱走。バンコク西部のバンポンという町に遁れ、そこで中華系のラオス人の家に隠れて住み、そのころ潮州系のタイ人の妻と知り合う。1917年愛知県の木曽川出身の古山十郎 氏は泰緬鉄道の始発点バンポンに転属していたが敗戦後。収容所から脱走。花岡稔 氏と古山十郎 氏はバンポンで隠れている時に知り合ったとのこと。バンコクに戦後やってきたシンガポール出身の華僑。

ドキュメンタリー映画「花と兵隊」は、主にタイに残留の未帰還兵となった元日本兵6人の生涯に迫るものだが、更に未帰還兵以外の2人を取材紹介している。1人は、ビルマ戦線の経験者で身内の戦争体験を聞くために、著者の母方の大伯父で1919年佐賀県生まれで佐賀在住の宮原仁三 氏を訪ねる。ビルマ戦線で狼師団という独立自動車隊にいて、輜重兵第20聯隊補充隊第三中隊の中隊長。インパール作戦が破綻し、崩壊した部隊救出の養護のため、1944年9月にビルマに入り、終戦を迎えたのは、坂井勇氏と同じ、ビルマのタトン。内地に還らなかった元日本兵は逃亡兵で、”彼らに、かつての戦友を思っている兵隊がおるね?”とか“将校クラスのもので逃亡兵になった者はおらんはず”という意識の差からの発言も紹介されている。未帰還兵以外で紹介されているもう1人は、1921年山口生まれの山口県在住の井上朝義 氏。1942年11月陸軍獣医学校を卒業すると、1943年11月ビルマ戦線に送られビルマ戦線の敗走を経験。タイ領に入り、1945年8月18日、チェンマイで終戦を知り、その後、戦後処理でタイのナコンサワンで英国軍の下、軍馬の管理を任されるが、その頃、兵舎の近所の雑貨商店の店主の娘ネヤンさんと出会うが、翌年、復員。戦後40年目の1985年にナコンサワンを再訪。約40年ぶりにタイ人女性ネヤンさんと再会。その後のネヤンさん家族と井上さん家族ぐるみの付き合いが始まった話が紹介されている。終戦直後のタイでの日本人元将校とタイの田舎町の雑貨商の娘さんとのほのかな恋の話も素敵だし、戦後40年たってからの再会と交流の話も感動的。

特に本書ではコメントがなかったと思うが、著者と同じ福岡県出身で自伝的作品「花と竜」が有名な「糞尿譚」での1938年芥川賞受賞作家・火野葦平(1907年~1960年)の兵隊三部作(「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」)の一つにルポルタージュ作品「花の兵隊 杭州警備駐留記」があり、このドキュメンタリー映画「花と兵隊」の映画タイトルが同じであることが、気になった。このドキュメンタリー映画のタイトル「花と兵隊」の「花」は、未帰還兵の元日本兵たちが、日本に還らず、異国の土地に根を張り生き残り戦後の新しい人生を送っていくうえで、大きな安らぎでもあり生きる力ともなり長年苦楽を共にしてきた現地で知り合い結ばれた現地の女性たちのことではないかと思えるくらい、本書でも、未帰還兵たちの取材において、妻の話や妻からの証言た多く採り入れられている。

目次
まえがき
第一章 「未帰還兵」とぼく
「未帰還兵」
最終取材を終えて ー 構成編集に悩む(2008年8月)
きっかけ ー 天皇崩御(1989年1月7日)
日本映画学校にて
ビルマ旅行とチフス(2001年8月)
ああ、取材もできない無常な日々

第二章 藤田松吉との出会い ー 「花と兵隊」製作へ
取材開始(2006年11月)
初日、藤田に追い返される
翌日も通ってみることに
藤田の戦後
慰霊塔
出征からシンガポールまで
太平洋戦争か大東亜戦争か
シンガポールにて
菊兵団とビルマ戦線
インパール作戦
藤田とビルマの戦場
負傷、敗走、そして終戦

第三章 タイ・ビルマ国境 ー 坂井勇と中野弥一郎
坂井勇を探す
両親とブラジル
日本へ、そして出征
転戦、インパールへ(坂井)
坂井の妻マ・ミャイ
坂井自宅裏の難民たち
中野弥一郎と坂井勇
中野弥一郎、出征からインパールまで
負傷、敗走、沈黙(中野)
マ・オンジの治療
離隊
スパゲディとマカロニ
日本大使館へ
神棚と仏壇(2006年12月)
一時帰国(中野)
お墓の下見
ブラジルへ里帰り(坂井)

第四章 戦犯、泰緬鉄道、逃亡兵
伊波廣泰と会う(2006年12月)
中国人張廣泰として生きる
日本への一時帰国(伊波)
離婚、そして再婚(伊波)
伊波の縁起物
花岡稔の自動車工場(2007年2月)
出征から敗戦まで(花岡)
収容所から脱走(花岡)
結婚してカトリックに(花岡)
花岡の家族たち
古山十郎とバンコクの自宅で(2007年7月)
古山十郎の戦後
中華街での日本的な生活
「こちらに残ってよかったです」(古山)

第五章 帰還将兵と残留兵と
東京にて(2007年3月)
大伯父・宮原仁三のビルマ(2007年3月)
轍痕 ー 戦後のビルマ戦線(宮原)
なぜ日本に還らない兵隊がいたのか
井上朝義と山口にて
ネヤンと井上 ー ナコンサワンで
戦後40年目の再訪(井上)
小さな恋 ー バンコクで

第六章 土地に根を張り生き残る
坂井勇の葬儀(2007年5月)
大伯父・宮原仁三のビルマ(2007年3月)
お墓について
桜咲く日本への憧れ
恩給を受け取れない?
「坂井は餅を届けてくれた」(藤田)
藤田の亡妻とセガレと孫
ハイビスカスの花の前で(藤田)
藤田の親友パン・パナラッシー
守るべき「何か」(藤田)
さて、これから(2007年8月)
ビルマビザ申請
バンコクにて
恩人、住田勲
中野家の大晦日とそば
正月の大福餅と鏡餅(坂井・中野)
映画を一緒に見る(藤田)

第七章 最終取材
今村組と藤田松吉
武重邦夫の話
もう一つの疑問
「もう一度取材に行って」(2008年6月)
追加取材の通訳、孫娘カポーク
メーラ難民キャンプ
マ・オンジの話
マ・ミャイの話
藤田の告白
「なぜ、現地での生活を選んだのか?」
藤田との別れ
愛国心の優劣を競い、非国民と声高に叫ぶ人たちへ
サクラ誕生

エピローグ

参考文献
映画「花と兵隊」取材行程

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