メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第32回 「ミャンマーという国への旅」(エマ・ラーキン 著、大石 健太郎 訳)

「ミャンマーという国への旅」(エマ・ラーキン 著、大石 健太郎 訳、晶文堂、2005年8月)

<著者> エマ・ラーキン Emma Larkin  <本書紹介より、本書発刊当時>
アメリカ国籍の女性ジャーナリスト。アジアに生れ育ち、ロンドン大学東洋・アフリカ研究院でビルマ語を学び、アジア史で修士号を取得。現在、バンコクに在住し、新聞や雑誌に寄稿している。本書は2005年、ペンギンブックスにも収録された。

<訳者> 大石 健太郎(おおいし・けんたろう)  <本書紹介より、本書発刊当時>
1935年、福岡県生まれ。早稲田大学文学部卒業。早稲田大学・法政大学講師。
著書:『オーウェル暦年事典』(彩流社)、『荒ぶる魂の遍歴 ー G・オーウェルの生涯』(日外アソシエーツ)
訳書:G・オーウェル『ビルマの日々』『空気を求めて』(彩流社)、コパード、クリック編『思い出のオーウェル』(共訳、晶文社)、J・メイヤーズ『オーウェル入門』(共訳、彩流社)など。

本訳書の邦題は、『ミャンマーという国への旅』となっていて、訳書の邦題だけを見ると、現代ミャンマーへの旅行記かとも思いかねないが、2004年に、英国ロンドンのthe Hodder Headline GroupのJohn Murray (Publishers)Ltd.,により英語で刊行されている本書の原題は、『SECRET HISTORIES: Finding George Orwell in a Burmese Teashop』とあり、単なる現代ミャンマーへの旅行記どころではなく、長編小説『ビルマの日々』の作者であるイギリスの作家・ジャーナリストのジョージ・オーウェル(1903年~1950年)を訪ねる実地踏査の旅記録。訳者は、ジョージ・オーウェル研究者の大石健太郎氏で、原著者は、アメリカ国籍の女性ジャーナリストで、アジアに生れ育ち、ロンドン大学東洋・アフリカ研究院でビルマ語を学び、アジア史で修士号を取得しているエマ・ラーキン(Emma Larkin)氏。

本書の訳者あとがきには、”ラーキンと同じオーウェル研究の学徒であり、オーウェルの足跡を求めて日本人としては初めてビルマ各地を歴訪した私が、彼女の著書を日本に初紹介することになった。ここに私は不思議な因縁を感じている。と言っても、ラーキンの視点は私とは大いに違う。ビルマ語のできぬ私はただひたすらオーウェルの足跡、痕跡を求めてその赴任地を歴訪しただけだった。エマ・ラーキンの踏査は私をはるかに凌駕している。英語を母国語とする彼女は英国におけるビルマ関係文献に隈なく目を通し、そしてビルマに入っている。そのうえ彼女はビルマ語にまで精通している。ビルマ国内に多数の友人、知人を持ち、彼らと心繋がる友情関係を構築している。ビルマ人の心の深みにまで立ち入ることができたのは彼女ならではのことだった。”と述べられている。尚、本書巻末には、訳者・大石健太郎氏による「ビルマ時代のオーウェルの足跡を追って」と題する文章も、現地各地の写真とともに20頁にわたり掲載されている。

イギリスの作家・ジャーナリストのジョージ・オーウェル(1903年~1950年)は、全体主義を生み出す人間の病理を鋭く描き出した寓話小説の傑作で『動物農場』(原題:「Animal Farm」、1945年刊行)や、近未来の全体主義国家を描いたSF小説『1984年』(原題:「Nineteen Eighty-Four」、1949年刊行))の代表作で、世界的に知られるが、ジョージ・オーウェルの長篇処女小説は、1934年に書かれた『ビルマの日々』(原題:Burmese Days)。ジョージ・オーウェル(George Orwell。本名:エリック・アーサー・ブレア、 Eric Arthur Blair)は、イギリス植民地時代のインド・ベンガルのビハール州モチハリに生れ、1歳でロンドンに帰国。イギリスの有名なパブリックスクールのイートン校卒業後、インド帝国警察官任官試験に合格し、19歳で警察官となり、1922年にイギリスを離れ当時英国の植民地だったビルマへ赴任。マンダレーでインド警察の訓練所に入所し、その後、ビルマ各地で5年間の駐在生活を経験。1927年に休暇をもらった折にイギリスに帰り辞表を出すと、2度とビルマには戻らなかった。『ビルマの日々』(原題:Burmese Days)は、この1922年から1927年のビルマ時代の体験を基にして、ビルマから帰国してから7年後の1934年に刊行された長編処女小説。出版物としては前年の1933年に出した体験記の『パリ・ロンドン放浪記』に次ぐ第2作。

本書巻末に資料として下記の通り、まとめられている通り、イギリスの作家ジョージ・オーウェルは、1920年代、若き日の5年間を、警察官として植民地ビルマで勤務しているが、ジョージ・オーウェルのビルマ時代の足跡を追って、1人の女性ジャーナリストが、マンダレー・メイミヨー、デルタ地域のミャウンミャ、トゥワンテ、ラングーンとシリアム、インセイン、モウルメイン、カターとビルマ各地を旅するが、著者が目にするのは、オーウェルの小説『一九八四年』さながらの、全体主義が社会を覆う悪夢が現実化した世界で、思想統制・密告・投獄・検閲が日常化し、人ひとが圧政の恐怖にあえぐ、知られざるビルマの現在に迫るノンフィクションとなっている。ビルマの軍事政権がビルマを鎖国状態に置き、外界から遮断して「社会主義国家ビルマ」を宣言した結果、ビルマはアジアにおける最貧国の一つになってしまい、同じ筋立てがオーウェルの代表作『動物農場』の中に見られ、また代表作『一九八四年』は、強力な独裁主義の支配する恐怖世界の現在のビルマの未来を暗示していたとして、オーウェルは、ビルマについての物語を「ビルマの日々」だけでなく、「動物農場」「一九八四年」からなる三部作だ、というビルマで噂されているというジョークを、本書プロロークで紹介している。

オーウェルのビルマ勤務年表
■1922年11月27日 ラングーンに着任(正式採用日付け)
■1922年11月29日 マンダレイの警察官訓練学校入学
■1923年11月10日 メイミョーに赴任(実地訓練のためイギリス連隊に配属される)
■1924年1月26日 ミャウンミャに赴任
■1924年5月31日 トゥワンテに配転
■1924年12月16日 シリアムに配転(見習期間終了)
■1925年9月26日 インセインに配転ヶ
■1926年4月19日 モウルメインに配転
■1926年12月23日 カターに配転
■1927年7月12日 休暇取得(休暇期間5ヶ月20日)
■1927年7月14日 ビルマを出発

ジョージ・オーウェルが英領インド帝国の警察官訓練学校に入るべくマンダレーにやってきたのはまさに1922年11月の19歳の時。後年、彼が作家を志すことになる旅の第一歩である植民地生活の始まりはマンダレーからで、本著者も、ジョージ・オーウェルのビルマ時代の足跡を追う旅は、マンダレーからスタート。マンダレーはイギリスが「上ビルマ」と呼ぶ平坦で湿気の少ない平原の中に位置し、ビルマ第二の人口を持つ大きな都市で、『ビルマの日々』の中でオーウェルは、マンダレーのことを、「埃っぽく、堪えがたいほど暑い、いささか不快な街だ」と書いていたが、著者は、マンダレーでは、ジョージ・オーウェルが学んだ警察官訓練学校と、彼がビルマに来た時に住んだ警察官寮はまだそのままあり、そこを訪ねている。オーウェルは1922年11月、マンダレーへやってきて、警部補昇進のための訓練を受けながら。警察官訓練学校での厳しい日々を、1年間過ごしている。ジョージ・オーウェルの『動物農場』と『一九八四年』は、ビルマでは禁書だが、『ビルマの日々』の海賊版洋書ならビルマでも買うことができるということで、著者はマンダレーでは、ビルマ人の作家や歴史家、退職教師、学生などと、ビルマの読書人が、オーウェルの最初の小説『ビルマの日々』をどう評価しているのか、語り合っている箇所は興味深い。イギリス文学専攻のマンダレーの本屋店主や、詩人など、高い識字率や本好きの人たちが少なくなかった頃を想起すると、現在のミャンマーの大学や教育、病院の状況は、悲惨だ。

マンダレーからそれほど遠くないところにある避暑地で今は、ピン・ウー・ルウィンと名前が変わった、イギリス人が建てた町メイミョーがあるが、ジョージ・オーウェルは、マンダレーにいた間、少なくとも2度はメイミョーにやってきていて、一度は1923年の暑い時期、同僚と1週間の休暇を過ごしに、またマンダレーで警部昇任を目指し訓練中の幹部候補生だったオーウェルは、1923年11月には、警察の訓練の一課程として軍の訓練を受けながら、メイミョーで1か月を過ごした。オーウェルは、小説『ビルマの日々』ではメイミョーには触れていないが、スペイン内戦についての本『カタロニア賛歌』ではメイミョーについて述懐。著者は、マンダレーからメイミョーに移動し、メイミョーでは、ケンディクレイグ・ホテルという、植民地下の「ボンベイ・ビルマ交易会社」からやって来る社員向けに、イギリス人が建てた所に宿泊。現在もイギリスの高地駐屯地の痕跡が至る所に残っている。メイミョーでは、イギリス植民地時代の遺産して、イギリス人墓地が残っていたりしているが、メイミョーは、かつて、「パーティの町」と言われていたように、イギリス植民地社会の社交生活の様子や、植民地と深く結びついていたオーウェルの一族家系の紹介も、「第1章 マンダレー」のメイミョーの記述のところで触れている。

マンダレーの訓練期間が終わると、1924年1月、ジョージ・オーウェルは帝国警察官としての勤務に就くため下ビルマのデルタ地域の内深くに位置し沼沢だらけの土地、ミャウンミャという小さな町に配属された。署長補佐としての勤務だった。この地域勤務で彼に割り当てられた仕事は、マンダレーやメイミョーという都会の玄関口から遠く離れ、イギリス統治の暗黒面と顔をつきあわせなければならないことになり、情報収集の仕事を担当し業務の大半は巡回。当時、この町へは船便以外に交通手段はなく、またこのデルタ地域は、湿気が多く、英領インド帝国内で最強最大の蚊の産地として有名でイギリス人が住んで働くにはビルマでも最悪の地だと思われていた。著者はミャウンミャで、軍の情報員にすぐ目をつけられ、オーエェルの著作の一つ『一九八四年』を引き合いに出しながら、現代ミャンマーの調査機構について述べている。イギリスが下ビルマを版図に加えて以降、イギリスはこの地域の豊かな土壌に着目し、1920年代にオーウェルがデルタ地域にやってくるころまでには米輸出がビルマの輸出の根幹をなすまでに至りアジアの米蔵としてデルタ地域がかつて隆盛した時代も過去の話になってしまった。オーウェルは4カ月の訓練期間をミャウンミャで送り、イギリス人の署長の下で、警察実務の手法を学ぶが、1924年5月末に、オーウェルは同じくデルタ地域にあるトゥワンテという近くの町に移されている。ここでは、著者がロンドンの大英図書館のインド局の記録書類を調べ、オーウェルがいた時代のこのデルタ地域の警察の報告書から治安状況が紹介されているが、想像を絶する壮絶さに驚くとともに詳細な当時の記録が保管され、それを丹念に調べる著者にも驚く。

オーウェルは、デルタ地域での勤務の後、ラングーン郊外の警察署に配置替えになった。最初は、イラワジ河をラングーンから南に横切った対岸の町、シリアム。そこで9か月の勤務生活を送る。オーウェルがいた当時、シリアムは全ビルマで一番景気の良い地域と思われていた。ビルマは石油資源が豊富で、平坦な乾燥した中央部の平原に油田を開発した植民地政府のもと、大英帝国で第2位の石油生産量を誇り、原油は河を下ってシリアムまで輸送され、そこで灯油やエンジン燃料用に精製されていて、アメリカ人の石油採掘師たちが蝟集していて、第2次世界大戦前に英植民地政府は日本軍に利用されることを恐れ、産業施設の大半を破壊するが、精製所のごく一部は、本書発行時も稼働しているとのこと。オーウェルは、1925年9月、インセインの町の警察に配属となり、そこで6ヶ月を過ごす。ラングーンの町の中心から北へ15分ほど、汽車で行ったところにある町インセインには、イギリス人によって設計され、現在ではビルマでもっとも悪名の高いインセイン刑務所があるが、オーウェルがいた当時、イギリス植民地政府の警察は、ビルマ中で激発する犯罪と取り組むため四苦八苦し、インセインはもっとも治安不安定な地域にあり、犯罪率が異常に高いにもかかわらず、その検挙率は最低という状態にあった。この章では、現代ミャンマーの刑務所、拷問、政治犯などについて悲惨な報告が為されている。この著者はビルマ語に堪能なだけでなく、ビルマ内にも多くの知人ネットワークがあり、過去30年間、ラングーンで出版社をやって来たビルマ人男性の親友などもいて、「報道規制及び調査機関」(PRSD)や出版規制の状況も話題にし、ネ・ウィンが政権を握るまでのイギリスから独立したわずか10年間だけ、ビルマは自由闊達な報道の中にあったことが語られる。

全編の中でも、「第4章 モウルメイン」は、特に読み応えがあり印象に深く残る。オーウェルは、1926年4月にモウルメインに配転。以前は、モウルメイン(モールメン)と呼ばれていたマルタバン湾の港湾都市でモン州の州都の現在の地名はモーラミャイン。モウルメインがかつてビルマで一番美しい町だと言われていた。著者は、モウルメインの南部にあるイギリス・ビルマ混血の女性の家を訪ねるが、彼女の話が非常に哀しい。ネ・ウィンが政権を握った直後、家族がビルマを出ていき、彼女だけは、当時まだ学校に行っていて、ビルマに残り学業を終えた方がよいとの判断を悔やみ、その後統制が厳しくなり出国のチャンスもなく、1950年代、10代の頃、家族全員がモウルメインに住んでいた頃が一番いい時だったと、「この国はすばらしいところだったのよ。自然も豊かだったし、人々も裕福だったわ。景色も美しかったし・・」と、その頃の思い出を語るシーンは非常に切ない。オーウェルの母親、アイダ・メイベル・リムーザンは、モウルメインで育っているが、オーウェルの曽祖父が、イギリスが下ビルマを併合し、モウルメインの町の基礎を作ると、すぐこの地にやって来て、木造船建造の専門会社「リムーザン商会」を作っている。なお、オーウェルの最も有名なエッセイの一つである『象を撃つ』は、モウルメインが舞台。

そして最終の第5章は、カターで、北ビルマ山岳地帯下部に位置する小さな町。カターは、ジョージ・オーウェルの最後の赴任地で、オーウェルは、この町を、小説『ビルマの日々』の舞台として使ったが、町は広いイラワジ河の河畔に位置し、切り立った遠くの山脈が四方を囲んでいる。オーウェルの英国の出版社は最初、『ビルマの日々』出版に際し、オーウェルがカターをありのままに、そして実在の人物をベースにこの小説を書いたものと考え、名誉棄損の可能性も大きく、結果的に、『ビルマの日々』は、米国で1934年に出版され、町の名前も、架空の「チャウタダ」と替えられ、上ビルマの地形、位置に関する描写も省かれたという。がカターにいた頃は、3千余りのビルマ人とイギリス植民地政府のわずかばかりの白人官吏、周囲のジャングルを管轄している材木会社の支店長といった人ぐらいしかいなかったとのことで、昔の白人たちの住居は、河が湾曲しているところからちょっと内陸部に入ったところにあったとのこと。著者は、『ビルマの日々』の精神的支柱の「白人クラブ」をはじめ、『ビルマの日々』の光景を辿っている。

■『ミャンマーという国への旅』 目次

日本語版に寄せて
プロローグ
1.マンダレイ メイミョー
2.デルタ地域 ミャウンミャ、トゥワンテ
3.ラングーン シリアム、インセイン
4.モウルメイン
5.カター
エピローグ
謝辞
訳者あとがき
ビルマ時代のオーウェルの足跡を追って

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