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メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第24回 「激動の河・メコン」(NHK取材班 著)
- 2006/1/10
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メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第24回 「激動の河・メコン」(NHK取材班 著)
NHKスペシャル「激動の河・メコン」(NHK取材班、日本放送出版協会、1989年12月発行)
<執筆者> NHK取材班
嶋津八生 <第1,2,5,6章> 報道局ニュースセンター国際
菅野利美 <第3、4章> 報道局ニュースセンター特報第2
飯田睦美 <第5章> 報道局ニュースセンター映像
林 純一 <第7,8,11章> 報道局ニュースセンター国際
小林志行 <第9、10章> 報道局ニュースセンター特報第2
中西利夫 <エピローグ> NHKクリエイティブ エグゼクティブ・プロデューサー
<本書紹介より、本書発刊当時>
本書は、1989年9月のカンボジア駐留ベトナム軍の最終撤兵前後のカンボジアとベトナムをレポートしたNHKスペシャル「激動の河・メコン」の取材記で、NHKスペシャル「激動の河・メコン」のTV放映直後の1989年12月に、最新レポートとして出版されたもの。NHKでの番組もカンボジア編とベトナム編に分かれて放映されたが、本書でも第Ⅰ部「戦火消えぬ村」としてカンボジアを取り上げ、第Ⅱ部「帰ってきた兵士たち」としてベトナムが取り上げられている。
1978年12月25日、ベトナム軍は、中国が支援するポル・ポト派駆逐を名目にカンボジアに侵攻し、わずか2週間でポル・ポト軍を首都プノンペンから追い出し、親ベトナムのヘン・サムリン政権を樹立させた。しかしその後も、ポル・ポト派をはじめとする三派連合(シアヌーク派、ポル・ポト派、ソン・サン派)側の抵抗が続き、ベトナム軍はカンボジア侵攻以後、約11年間にわたってカンボジアに駐留することになる。この間、ヘン・サムリン政権がカンボジア国土の大部分を支配下におさめたもののカンボジアの国内情勢はけっして安定することなく、つねに混迷を極めた内戦状態が続いた。1983年2月に開かれた初のインドシナ三国首脳会議の決定を受けて、ベトナム軍の部分撤退が始まり、1989年7月末、パリで開かれたカンボジア紛争の政治的解決をめざす国際会議で合意文書が採択され、9月末にベトナム軍はカンボジアから全面的に撤退していった。これを機に、新たな内戦の様相を呈し始めたカンボジアと、帰還兵を失業とドイモイで迎えるベトナムの姿を、本書は取材紹介している。
巻末のエピローグによれば、当初は、NHK特集「大黄河」につぐ歴史文明紀行として、メコン河の河源から河口まで旅しながら、仏教を信仰し、稲作に従事する人々の生活を、豊かな歴史と大自然の中で描こうという企画であったとのこと。しかしながら、歴史や文明に心ひかれながらも、政治・経済上の困難な問題をかかえて大きく揺れ動いている、国際政治上眼の離せない地域であることから、当初の企画を大幅に変更し、「今日性」の企画テーマに変え、10年あまりもカンボジアに駐留していたベトナム軍が最終撤退するということで、取材対象国も、”去られる側”のカンボジアと”去る側”のベトナムの両国のみに絞り込むことになった。
1989年9月25日、カンボジアに侵攻してからほぼ11年に及んだベトナム軍の進駐に終止符を打つ撤退式典が、プノンペンを中央会場にして、さらにベトナム軍の撤退ルートに位置する地方の数都市でも同時に行われた。NHK取材班は、プノンペンからメコン河を100キロほどさかのぼったところにあるコンポンチャムの町でベトナム軍の撤退式典と撤退の様子を取材する。当面の軍事情勢は本当のところどうなのか、カンボジアはベトナム軍撤退後どうなるのか、気になる今後のカンボジア情勢については、第6章で「揺れるカンボジアの将来」と題したレポートがまとめられているが、第3章から第4章にかけて、この取材班は、激戦が続いているカンボジア西部前線や、多数の兵士をヘン・サムリン軍に出している村の新兵訓練や残された家族の様子を取材したりしている。
さらに、NHK取材班の取材は、ヘン・サムリン政権側だけでなく、ポル・ポト派も取材している。1989年10月7日には、タイ・カンボジア国境のタイ側の町アランヤプラテートにさほど遠くない、ポル・ポト派の賓客接遇用のキャンプで、ポル・ポト派のナンバー2であり、つねにポル・ポトと並び称せられてきたイエン・サリと会見している。会見には夫人イエン・チリト、次女のイエン・ソピーも同席(イエン・サリは後に1996年8月ポル・ポト派を離脱し政府に投降)。その後、タイ・カンボジア国境のカルダモン山脈,ダンレック山脈のジャングルの中に点在するポル・ポト派の軍事キャンプをめぐり、1989年10月11日にはポル・ポト軍のソン・セン最高司令官とも軍事キャンプで会見している(ポル・ポト派の元副首相ソン・サンは、後に1997年6月10日、ポル・ポトによって妻と共に処刑される)。本書では1930年生まれで当時59歳同士のイエン・サリと比べ、”ソン・サンは日本の高木文雄元国鉄総裁を思わせるような、知的な風貌をしていて、いかにも策士といった感じのイエン・サリとは対照的な肌合いだ”と記している。取材当時、激戦が続いていたパイリン攻防戦の様子も詳しい(1989年10月下旬、ポル・ポト派がパイリンを陥落させる)。
一方、フン・セン首相の主導する経済開放政策の成果で賑わうプノンペンの街の様子も、オートバイなどカンボジア経由でベトナムに再輸出される西側の物資取引や要人たちのサイドビジネス、外国語学校の繁盛などが、第2章で取り上げられているが、また当時「今、プノンペンで最も羽振りのいい経済人」として名前があげられ、フン・セン首相からホテル・カンボジアーナの建設完成とその後の経営を任されたフイ・クン氏についても詳しく紹介している。尚、本書の取材は1989年時で、首都プノンペンを流れるメコン河の支流、トンレ・サップ川にかかっていた大きな橋が、ロン・ノル時代の1972年、ゲリラによる爆破で中央部が無残に破壊され消失している写真も掲載されている。この橋は日本の協力で1966年に完成し現地の人たちから「日本橋」と呼ばれてきた橋だが、1994年2月、再び日本の協力(無償資金援助)により「日本カンボジア友好橋」として修復開通している。
ベトナム軍のカンボジア侵攻・駐留は、ベトナム側にとって何をもたらしカンボジアから撤退せざるをえないベトナムの狙いは何なのかについては、本書では第7章に以下のように書かれている。
”・・・ヘン・サムリン政権がカンボジア国土の大部分を支配下におさめたことで、安全保障の面からは、カンボジア侵攻はベトナムに一応の成果をもたらしたといえるだろう。しかし、そのために支払った代償はあまりにも大きい。軍の発表によると、カンボジアで死亡したベトナム兵は、55000人。戦死とともに、マラリアによる病死が相当数にのぼったという。また、負傷し、体が不自由になって帰国した兵士も5万人を越すという。南北統一後の国家建設を進める中、経済的な負担も並大抵のものではなかった。何よりも、カンボジア侵攻の結果、ベトナムは西側から侵略者の烙印を押され、頼みの経済援助も止められてしまったのだ。・・・・・・ヘン・サムリン政権が国土の大部分を実効支配しているとはいえ、三派勢力はカンボジア領土内に依然残っている。当初ベトナムが、完全撤退の条件にあげていたカンボジア紛争の政治解決は未達成のままだ。それにもかかわらず、ベトナムが完全撤退に踏み切ったのは、ベトナムを支援するソ連とカンボジア三派を支援する中国の関係改善という国際環境の変化ももちろんあるが、それ以上にベトナムの国内事情が大きくのしかかっているように思う。瀕死のベトナム経済を救うには、西側の経済・技術援助に頼るしかなく、その西側との関係改善の前提になるのがカンボジアからの撤退だ。・・・”
海外ベトナム人の里帰りラッシュがおきているホーチミン市での取材から、ドイモイで私企業が次々と誕生し、ドイモイの波に乗って成功した元南ベトナム陸軍大尉やチョロンの華僑たちの一方で、これまで社会主義経済を支えてきた国営企業が試練に立たされている様子や、また変わりつつある病院やマスコミも紹介されている。また、カンボジア帰還兵の経済再建に揺れる祖国での社会復帰の実態について、就職斡旋センターで出会った一人の帰還兵の求職活動をそれを見守る家族を通して取材を進めている。カンボジア帰還兵たちの取材は、ホーチミン市だけでなく、ホーチミン市と並んでカンボジア出兵の拠点になったメコンデルタ地帯でも行われた。本書で新しいカンボジアの姿を象徴的に伝えるものとして、国際的なホテル「ホテル・カンボジアーナ」の建設が挙げられているが、ベトナムでも、1989年8月下旬、オーストラリアで営業していた海上ホテルが、サイゴン河をさかのぼってホーチミン市にやってきたことを伝えている(このフローティング・ホテルは、1996年に営業停止し1997年に他国へ移転)。
目次
第Ⅰ部 戦火消えぬ村
第1章 平和への闘争
ベトナム軍の撤退/去りゆくベトナム兵士/カンボジアとベトナムの確執の歴史/ホーチミン族村/ベトナムとポル・ポト派のはざまで/クメール・ルージュの革命
第2章 束の間の繁栄
庶民のあこがれ、オートバイ/取引は金で/ベトナムへ転売されるオートバイ/要人たちのサイドビジネス/おおはやり、外国語学校/ホテル・カンボジアーナ/戦場から市場へ
第3章 西部最前線を行く
バッタンバンへの旅立ち/剣の下には富がある/命がけの機関車防衛策/危険地帯に突入!/地雷地帯を抜ける/同一民族がなぜ戦うのか?
第4章 受難の村
トラブル続きの300キロ/悲劇の象徴・コンポンチャム/自分の村は自分で守る/新兵訓練センター/残された家族/前線への出発
第5章 ポル・ポト派軍事キャンプ探訪記
ポル・ポト派は強いのか?/会えなかったフン・セン首相/イエン・サリとの会見/三派連合の結束は本物か?/シアヌーク殿下をめぐる綱引き/巻き返しをはかった中国/レンズ越しに見たインドシナ/難しいパワー・シェアリング/チャンパ王国の二の舞はごめんだ/ポル・ポト派軍事キャンプを行く/パイリン攻防戦/最前線を守っていたベトナム兵/全く違う両軍兵士の顔/紅色娘子軍/ソン・セン最高司令官に会う
第6章 揺れるカンボジアの将来
当面の軍事情勢/ベトナム軍の再介入はあるか/ヘン・サムリン政権内の権力闘争説/カンボジア経済破綻の危険性第Ⅱ部 帰ってきた兵士たち
第7章 カンボジアからの撤退
ドイモイの出迎え/かつてサイゴンと呼ばれた街/荒廃した大病院/疲弊したベトナム兵/帰還兵たちを待つ祖国
第8章 ドイモイ ~ベトナムのペレストロイカ~
ドイモイのスタート/元南ベトナム軍大尉の成功/動きだした華僑/試練の国営企業/問われる経営能力/病院のドイモイ/ドイモイを推進するマスコミ
第9章 ホーチミン市の帰還兵たち
戦争は”革命教育”!?/帰還兵は優遇されるか?/ある帰還兵の求職活動/夢と現実の落差/貧乏人はいつの世も貧乏人・・・/父から息子へ/社会復帰の恵まれたケース/帰還兵たちの憤り/戦友との再会
第10章 メコンデルタのドイモイ
九つの龍/ドイモイを見に行く/帰還兵の生活相談/経済は第二の戦場/元司令官たちの激論/エブリシングOK
第11章 模索するベトナム
フローティング・ホテルがやって来た/ホーチミン市の合弁ブール/経済再建の切り札セプゾン/国産品愛用は愛国心/三つのドイモイエピローグ
付:年表 カンボジア・ベトナムの歩み
■文中に登場する主な取材対象(者)
▼第1章
・コンポンチャムでのベトナム軍の撤退式典
・日本橋たもとの通称「ホーチミン族村」と呼ばれているベトナム人の漁民集落▼第2章
・プノンペン市内 オートバイを売る店 、外国語学校
・フイ・クン氏*
フイ・クン 48歳(1989年当時)。父親はカンボジアの華僑に多い中国・海南島出身。母親はカンボジア人。カンボジア南部の港町カンポットに生まれ、父親は彼を中国人として教育するため12歳から北京に留学させる。北京では音楽を勉強したという。しかも北京からの帰途に立ち寄った香港で、ショー・ブラザーズの映画作りを見学して、すっかり映画にとりつかれる。カンボジアに帰った後、映画監督になって、以来、恋愛ものからアクションものまで、60本もの映画をつくる。映画マニアであったシアヌーク殿下の後援を得て,モスクワ映画祭にも参加したことがある。クメール・ルージュ(ポル・ポト派)が政権をとる直前の1974年、カンボジアを逃れ、その後はビジネスマンに転身。その後はビジネスマンに転身。香港を拠点に、シンガポール、台湾、タイなど東南アジアで手広く事業を展開。1988年4月、経済開放政策をすすめるヘン・サムリン政権のフン・セン首相の招きで、15年ぶりに祖国を訪問。カンボジアでビジネスを始めることになり、カンボジアにおける事業の最大のものは、「ホテル・カンボジアーナ」の建設。(このホテルは、1960年代にシアヌーク殿下が建設を始めたもので、カジノもある第1級の国際観光ホテルをめざしたものだった。しかしホテルの完成を見ないまま、殿下はロン・ノル将軍のクーデターに追われ、北京に亡命する。ホテルは外観ができただけで、その後、立ち枯れの状態に放置されたままとなっていた。<本書46頁~>▼第3章
・プノンペン~バッタンバン間の列車
・機関士
・バッタンバン
・シソフォン
・ポイペト▼第4章
・バッタンバン~プノンペンまで車
・コンポンチャム市
・コンポンチャム市の隣にあるコンポンシアム村
・村長の演説集会
・新兵訓練センター
・徴兵されたばかりの兵士とその家族▼第5章
・イエン・サリとの会見
・イエン・チリト夫人
・次女イエン・ソピー
・ポル・ポト軍のパイリン方面軍の司令官イ・チェアン少将
・ポル・ポト軍の最高司令官ソン・セン▼第6章
・プノンペン~バッタンバン間の列車
・機関士
・バッタンバン
・シソフォン
・ポイペト
・コンポンチャム市
・コンポンチャム市の隣にあるコンポンシアム村:▼第7章
・ホーチミン市内の様子
・旧南ベトナム時代、日本の無償援助でた1975年1月に完成したチョーライ病院
・カンボジア国境に近いタイニン省の第7軍区チャンロン基地
・カンボジアからの帰還兵たち▼第8章
・チャン・ドゥク・ナム(元南ベトナム陸軍大尉)
・チャン・トン・タイ(チョロンの華僑)
・ホーチミン市の第一紡績工場(工場長のヒュン・タン・ウト)
・第1区の個人病院
・ホーチミン市第5区の国立病院アン・ビン病院(グエン・ハイ・ナム院長)
・ホーチミン市の共産青年団の機関誌『トゥイ・チャ(若者)』▼第9章
・第5師団のルオン副司令官
・グエン・ドォク・ソン(カンボジア帰還兵)
・共産党青年団の責任者ヅア副書記長
・グエン・レ・ビン(カンボジア帰還兵)▼第10章
・カントーでの取材
・ホテルを運営している省観光局(ハウゲンツーリスト)のチョン副主任
・ロック(カントー市・外務委員会の案内役)
・ソクチャン市にあるハウザン省人民軍司令部
・ソクチャン市のカンボジア帰還兵達
・レ・バン・ホア(人民軍の元司令官)▼第11章
・フローティングホテルのオーストラリア人支配人
・セプゾン取材
・グエン・ドゥク・ホエ(セプゾンの事実上の責任者)
・セプゾンの日本語学校
・神戸の貿易商、辻本豊一氏
セプゾン Saigon Export Processing Zone
サイゴン輸出促進区域。海外企業の誘致を目的に、社会主義にとらわれない企業活動をする拠点づくりをしようという計画