メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第23回 「戦場の枯葉剤 ーベトナム・アメリカ・韓国ー」(中村 梧郎 著)

メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第23回 「戦場の枯葉剤 ーベトナム・アメリカ・韓国ー」(中村 梧郎 著)


「戦場の枯葉剤 ーベトナム・アメリカ・韓国ー」(中村 梧郎 著、岩波書店、1995年7月発行) 

<著者紹介>中村 梧郎(なかむら・ごろう)
1940年北京で生まれ、長野県出身。報道写真家。日本ジャーナリスト会議奨励賞、第8回伊奈信男賞など受賞、1983年にはユージン・スミス賞にノミネートされた。アメリカでPhillip J.Griffithsらと「Agent Orange」四人展、韓国・日本で「刻印のベトナム展」を開催。著書に『母は枯葉剤を浴びた』(新潮文庫)、『この目で見たカンボジア』(大月書店)、『環境百禍』(コープ出版)などがある。<本書紹介より、本書発刊当時>

本書は、1970年以降、ベトナム戦争、中越戦争、ポルポト政権崩壊直後のカンボジアなどを取材してこられたフォトジャーナリスト、中村梧郎氏によるベトナム戦争の枯葉剤の問題を取り上げたグラフィック・レポート。中村梧郎氏は、ベトナム戦争直後の1976年から枯葉作戦の後遺症も記録し、1983年には『母は枯葉剤を浴びた』が刊行されているが、本書は、1976年から、ベトナム戦争終結20年後にあたる1995年まで撮り続けた写真が多数収められている。痛々しく正視するにはつらい写真も少なくないが、継続的で幅広い調査取材に加え、資料や記録も充実していて、米軍がベトナム戦争中、ベトナムの地に撒いた枯葉剤が生み出した衝撃的な現実を知ることができる。巻末には、「ベトナム戦争及び枯葉作戦関連年表」及び「参考文献」も付されている。

1961年(作戦命令を出したのはJ・F・ケネディ大統領)から1971年までの間、米軍が南ベトナムで行った枯葉作戦は熱帯雨林を死滅させ、砂漠化させた。ベトナムに散布された化学兵器・枯葉剤の投入総量は、9万1000キロリットルと推計され、枯葉剤エージェント・オレンジに含まれたダイオキシン総量は500キロにも達した。10年間の散布で熱帯雨林の12%が砂漠化し、マングローブ林の40%が消えたという。

本書の表紙の写真も、ベトナム終戦翌年の1976年、ベトナム最南端のカマウ岬で撮影した写真で、枯葉作戦で見渡す限り枯れたマングローブ林が無残な姿をさらし、そこに一人の少年がただずんでいる写真だ。これが著者の長年に及ぶ枯葉剤の取材の原点になったものだが、ベトナム最南端、カマウのジャングルは解放勢力の根拠地のひとつであり、米・サイゴン(南ベトナム政府)との間で激戦がくり返された地域。1976年5月のカマウでの取材から1995年2月にカマウを訪ね、1976年の写真に写っていた少年に会えたいきさつなどは、本書プロローグ「カマウの森」に記されている。サイゴン近くのズンサットの一旦枯れたマングローブ林の跡が砂漠化している写真(1984年撮影)も凄まじい。

被害はそれだけでなく、薬液はベトナムの人々の体を蝕みつづけた。枯葉作戦は、人々の食糧を絶つことも目指していたから、田畑や上水源への散布も計画的に行われ、その結果、兵士だけでなく、女性や子供も枯葉剤を浴び、食べ物や水を通じてそれを体内に蓄積した。枯葉剤に混入していたダイオキシンが、ガンだけでなく胎児の先天異常をも誘発した。第1章「ベトナムで何が起きたのか」の「障害を背負う子どもたち」に掲載されている写真が、ともかく痛々しい。何の罪もないベトナムの子どもたちが重度の先天障害をかかえ生きている。1981年2月25日、枯葉作戦の目標地点の一つであった南ベトナム中部ジャライ・コントゥム省サタイで、腹部が癒合したままで生まれた結合体双生児ベトとドクの兄弟については、「成長は”闘い”だった」と題するルポとあわせ、生後10ヶ月の時から著者が特別に入室を許された1988年の分離手術の写真や1995年時の写真まで、著者が撮り続けたベトとドクの成長の記録が収められている。

枯葉剤の被害は、アメリカ兵にも及んだ。ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵は約300万。そのうちで枯葉剤の後遺障害を訴えでた者は7万を越す。海兵隊など掃討作戦の部隊は、空軍による前日の散布を知らぬまま敵を追ってジャングルに入ったりした。米軍は米兵に対しても”人畜無害”と言い続けたため被害が拡がった。米政府は1993年には癌など12種の疾病に関して枯葉剤との因果関係を認め、発症者には傷痍軍人としての手厚い保護と補償を行っている。またアメリカ帰還兵だけでなく、帰国後生まれた子どもにも先天的異常が見られ、男性が枯葉剤を浴びても次の世代に影響がでることが確認されている。第2章「アメリカのベトナム帰還兵」では、ルポとして「帰還兵たちの裁判」ではアメリカでの枯葉剤訴訟や帰還兵の疾病にたいする医学的な因果関係の調査などについて書かれているが、アメリカはダイオキシンの毒性に気づいた後に枯葉作戦をいっそう強化していたということがとても恐ろしい。

更に、本書の取材対象国は、韓国にまで及んでいる。あまり広く知られていないと思うが、韓国でもベトナム戦争の枯葉剤の悲劇が生まれている。韓国はベトナム戦争でアメリカを支持し、31万人あまりの兵を「海外派兵」した。その結果多くの兵が枯葉剤にさらされたが、この問題は、ともにベトナム派遣韓国軍のリーダーの一員であった全斗煥、盧泰愚の軍事政権が続いていた1992年以前は韓国国内での報道も許されなかった。文民政権となるとともに4万を越す兵士たちが救済を申し出、1993年施行の「枯葉剤後遺症治療に関する法」に基づく認定患者は1万人に達した。第3章「参戦国・韓国兵の悲劇」では、枯葉剤後遺症に苦しむ元韓国兵たちを撮った写真とともに、韓国とベトナム戦争の関係やアメリカへの抗議・告訴について書かれたルポ「被害を隠蔽した軍事政権」が加えられている。

枯葉作戦の経緯・実行については、本書第1章のルポ「密林と枯葉作戦」に詳しいが、そもそも枯葉剤は、第2次世界大戦の終戦間際に日本に散布する予定で準備されていたものだったという驚くべき事実も明らかにされている。また、「総論 戦争そしてダイオキシン」で「ダイオキシンと日本人」としてごみ焼却によるダイオキシンなど、現代日本でのダイオキシン汚染の深刻な問題状況について警鐘を発している。尚、本書は、ベトナム戦争終結後20年目の1995年に岩波書店より刊行されたが、ベトナム戦争終結後30年目の2005年には、著者はベトナムを訪ね、カマウのフンさんとその家族や、グエン・ヴァン・ダンさんとダーさん弟姉とその家族、ベト・ドク兄弟のその後や、枯葉剤貯蔵タンクのあったビエンホア米軍基地周辺のダイオキシン汚染などの取材をし、この模様はテレビで放映されている。

目次                

<プロローグ> カマウの森

Ⅰ ベトナムで何が起きたのか
砂漠化した熱帯雨林/ 障害を背負う子どもたち/ 戦争の傷痕/ 再生へ -散布地の人の暮らし/【ルポ】密林と枯葉作戦/ ベトとドクの記録/ 【ルポ】成長は”闘い”だった

Ⅱ アメリカのベトナム帰還兵
抗議する兵士たち/ 戦死者の碑/ 焼け残った写真/ 枯葉剤を浴びた兵士たち/【ルポ】帰還兵たちの裁判

Ⅲ 参戦国・韓国兵の悲劇
20年の沈黙/ 声を上げた傷病兵/【ルポ】被害を隠蔽した軍事政権

総論 戦争そしてダイオキシン
作戦下の村/ もと米海軍総司令官のベトナム再訪/ ダイオキシンと日本人

<エピローグ> 刻印のベトナム
ベトナム戦争および枯葉作戦関連年表/ 参考文献

■カバーや第1章の一部の掲載写真
[カバー] 枯葉作戦で全滅し、根株だけが朽ちて林立するマングローブの森(カマウ岬、1976年)
[表紙] 北緯17度線(南北ベトナムの境界)直下のビンリン地区。砲爆撃と枯葉剤で一木一草もなくなった(1974年)
[見返し] アメリカ大使館前庭で焼け残っていた写真の一部(サイゴン、1975・5)
[口絵1] ベトナム帰還兵の日のパレードで。枯葉剤を浴びた兵士の抗議デモ(ワシントン、1982)
[口絵2] 砂漠化の進む枯葉剤散布地(カマウ岬、1981)
[プロローグ] バンメトートの東部の散布地クロンパックで/ マングローブの林に住む家族(カマウ岬、1981)
[第1章] カマウ岬、クアロン川の夜(1982)
【砂漠化した熱帯雨林】
・一旦枯れたマングローブ林の跡は砂漠化し、自然の再生に1世紀以上はかかる。画面上方に植林したマングローブの苗が育っている(ズンサット、1984)
・作戦で枯れたマングローブ林とフン少年(カマウ岬、1976)
・マングローブ林の跡で出会った3人の子供。手前からフンの弟、フン、妹(カマウ岬で、1976)
・19年ぶりに再会し、カマウ岬の同じ現場に立つグエン・ヴァン・フン。脳性麻痺あるいはパーキンソン病のような全身のマヒ症状が進んで会話も困難になっていた(カマウ岬・西ヴィエンアン村)
・消滅したジャングルの跡地に水路が掘られ、エビ養殖をやる人が増えた。海水が入り込むこうした土地からはダイオキシンも完全に流出してしまい、今日では全く検出されない(カマウ岬ナムカン、1995)
【障害を背負う子ども達】
・ルク(4歳)には左腕がない。腕の先端には指の痕跡だけが残っていた。父親グエン・ザイン・ドックがホーチミン・ルートで繰り返し枯葉剤の霧を浴びた(ハノイ、1981)
無眼球症の女の子トゥアン(推定5歳)(ホーチミン市第6障害児センター、1981)
・全盲のヒエン(8歳)を抱いた母親のブン・ティ・ラム(43歳)。枯葉剤を浴びた父親の復員後に生まれた2人の子はともに先天盲だった(ハノイ、1981)
・山岳民族パコの母子。枯葉剤を浴びた母親は流産の後、べエを生んだ。口唇裂だった(アールォイで、1982)
・1981年、生後10ヶ月のハァを抱くレ・ティ・タイ(25歳)。ハァの腕には欠損があり、肌にも塩素痤瘡状の発疹があった。母親のタイが枯葉剤を浴びたのは12歳のとき(タイニン省ロクフン村)
・レ・ティ・タイの子ハァは1981年の撮影の2ヶ月には死んでしまっていた。村の一隅にお墓があった(タイニン省ロクフン村、1995)
・下肢マヒの少年ブイ・ヴァン・タオ(左)は耳が聞こえるのに話せなかった。母親のウトがタオをおなかに宿している時に爆撃や枯葉作戦があったといいう(タイニン省サマト、1981)
・1995年タオ少年はいまや26歳になっていた。弟も、その後に生まれた2人の子も元気だったが、母ウトの甲状腺が異常に肥大していた(タイニン省サマト)
・枯葉作戦が行われたタイニン省の森に捨てられていたというグエン・ヴァン・ダン(兄、10歳)と妹グエン・ティ・タイン・タム。もう一人の姉ガーとともに足が深く湾曲していた(第6障害児センター、1982)
・1995年になってセンターを再訪してみると、23歳になった兄のダンは元気だったが、妹のタイン・タムは何年か前に階段から落ちて死んでしまっていた。
・小人症の少年ハイ(タイニン省タンビン、1981)
・ハイはもう26歳の青年になった。(タイニン省タンビン、1995)
・グエン・ティ・ホン(8歳)は少女なのだが、頭の皮膚炎のため頭髪を刈っていた。両手とも重症の合指症。母親はカンボジアで被曝していた(タイニン省サマト、1981)
・1995年に再開したとき、ホンは22歳の明るい娘に成長していた。両手の合指症はそのままだった。外科手術で治せるが「お金がないからできない」と言った。市場でカシューナッツを売る日当が彼女の収入だった(サマト、1995)
・口唇裂の子どもたちを抱くホゥン・ティ・フオン。ボイロイの森が攻撃されたとき壕へ逃げたが何度も枯葉剤を浴びている(タイニン省ロクフン村=現ドントゥアン村、1981)
・1995年のホゥン・ティ・フオンと子ども達。口唇裂の手術は済んでいた。村には口唇・口蓋裂の子どもが多いが、1年にひとりだけは国の負担で無料の手術を受けられるという(ドントゥアン村)
・最も激しく散布されたマングローブのジャングル、ズンサットの森跡地に住む家族。少女は先天疾患・アペルト症候群だった(ホーチミン市東方ズンサット、1984)
・ソンベで会った少女。発育遅滞があり、12歳だというのに4,5歳の幼女のように見えた。良心とも枯葉剤を浴びている(ツダウモト、1984)
・ホーチミン市の第6孤児障害児センターで(1984)

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