コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第32話 「イネナリ神社の五祭神(4)」

呉の海軍力の伸展により行動範囲を広げたタイ族系や越族系の海人の勢力と筑紫・出雲・三韓

コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第32話 「イネナリ神社の五祭神(4)」

『日本書紀』に天のツクヨミが葦原中つ国のウケモチに会いに行ったという説話が見えます。アマテラスが弟のツクヨミに、葦原中つ国にウケモチという神があると聞くがツクヨミよ行って見てきなさい、と命令し、ツクヨミがウケモチのところに来ると、ウケモチは口から米、魚、獣肉をたくさん吐き出し調理台に並べ料理を作り始めた。ツクヨミはそれを見て、口から吐き出したものをオレに食わせるとは汚らわしいことではないか、と怒り抜剣して斬り殺しました。そのことをアマテラスに報告すると、姉は激怒して夜昼を分けて顔を合わせないようになりました。その後、アマテラスはアメノクマヒトをウケモチのところへ行かせると、ウケモチの死体に牛馬、粟、蚕、稗、稲、麦、豆が生えていました。アメノクマヒトはそれらを取って持ちかえりアマテラスに差し出すと、アマテラスは喜色満面、粟稗麦豆は陸田に植え、稲は水田に植えようと言い、その稲種を天の神稲を植える田(サナダ、サダ)と長田に植えました。その年の秋は穂が繁茂して大変愉快なながめとなったといわれます。

 アマテラスの天の側の人々(神々)は、葦原中つ国の側から優良な稲種を手に入れたことが述べられています。優良な稲種を出したのはウケモチの神で、それを持ちかえったのはアマノクマヒトでした。クマとは糧のこと、また神を祭る米のことで、ウケとは韓国語でウルチ米を表わす言葉といわれます。この説話にはまた神稲を表わすサ(サナダ、サダのサ)という言葉が見えています。

 さて稲荷神社第一の祭神ウカノミタマのウカとは、ウケモチのウケのことで、韓国語でウルチ米を表わす言葉です。ウカノミタマはウルチ米の稲魂ということになりますね。ウケ、ウカという言葉が日常生活に使われていた時代は、倭国の列島に住む人たちはまだ糯米を知らなかったのかもしれません。ウカノミタマはとりわけ出雲の国で尊崇されたようで、出雲大社にはウカノミタマの御神体とされる古い鉄釜が伝えられています。次に稲荷神社第二の祭神サルタヒコは、出雲の佐太神社の主神で左右にアマテラス(太陽神)とスサノオ(水神)が並んでいます。出雲のサルタヒコは土地神ではないかとは韓国の徐廷範の説ですが、サルタヒコは『古事記』によれば、天から降りてきたホノニニギの一行の前に立ちふさがり、「僕は国つ神サルタヒコの神なり」と名乗り道案内をしたとされています。古田武彦は、筑紫の国の神社の境内には猿田彦大神と刻んだ石柱や木柱、扁額が多く見られ、サルタヒコの信仰圏であったことがうかがわれると言い、神社に伝わる筑紫舞ではサルタヒコはホノニニギの一行の前進を頑強に拒むと述べています。おそらくサルタヒコはホノニニギの一行が倭国の列島に足を踏み入れる以前から住んでいた稲作民の長でしょう。サルタヒコは記紀では動物の猿(漢字は別の字が充てられる)になぞらえられていますが、サルタとは「サ」の田であることが定説となっており、アマテラスが手に入れて珍重したサ(神稲)の田のもともとの主であったことがうかがわれます。

以前、神武東征があったとすれば、それは呉の滅亡の余波を受けたもので、呉が滅んだ280年の直後あたりのことだろうと書いたことがあります。ホノニニギは神武の三代前に当たり、呉の孫権が独立した帝国を築いたのは赤壁の戦いから14年後の222年のことで、時代はそのころに当ります。以来、呉は東南アジアの大国扶南と通交する一方、北は遼東から朝鮮中部までを支配していた公孫氏の楽浪公国に一万人の兵士を送るなど、南シナ海、東シナ海の制海権を握りました。アマテラスやタカミムスビを頂点とする天の勢力が葦原中つ国に関心を持ち、しばしば使者を送ってくるのは(当初はアメノホヒやアメワカヒコなど平和的、後にはタケミカヅチのような侵略的なものになります)、呉の海軍力の伸展によって行動範囲を広げたタイ族系や越族系の海人の勢力(彼らは呉の海軍にも参加していたのではないでしょうか)が筑紫、出雲、三韓の地に進出してきた消息を伝えるものではないでしょうか。天の勢力にとって葦原中つ国とは、実に濃淡の差はあれ三世紀にはかなり共通の文化が広がっていた筑紫、出雲、三韓の地を指しているのではないでしょうか。

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