コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第29話 「イネナリ神社の五祭神(1)」

メコン圏の様々な少数民族における稲魂の観念・宗教儀式と、鬼道をこととする卑弥呼の頃の倭国

コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第29話 「イネナリ神社の五祭神(1)」

稲魂の観念は陸稲、水稲を問わず稲作を行なう民族に広く見られ、たとえばベトナムのタオイ族(モン・クメール語族)は天の精霊と稲の精霊が部族の運命を統制していると信じており、ラオスのラメット族(モン・クメール語族)は稲魂をクルプーと呼び、このクルプーは稲と人間だけに宿る魂であると信じています。稲魂は母神であるとする場合や、特に性別を表わさない場合や、あるいは魂あるいは精霊とされる場合がありますが、インド文化のシュリー・デーヴィの観念が及んだ場合、メーポーソップやデウィ・スリなどの女神の姿に発展したと言えましょう。たとえばモン族(モン・クメール語族)の場合は、稲が実ったときに女装した稲ワラ人形が稲の母神として作られ、糯米を盛った椀に囲まれて牛車に乗せられ、土地神と稲魂の機嫌をとるために黄熟した稲田をめぐります。

しかしインド文化が及ばなかった地域には、稲束に女装を施す形式はありません。雲南省に住むプーラン族(モン・クメール語族)の場合、焼畑の中央に聖地が設けられ、そこに最初に植えられた稲に稲魂が宿るものとされ、収獲はこの稲を最初にし、米倉に収納された稲籾の一番上にこの稲を置いて、稲魂の力をすべての稲籾に及ぼす風習があります。日本では稲穂が出そろったとき、一番よい穂を抜き取って神に供える抜穂の風習があり、プーラン族の場合ほど稲魂の役割は明確ではありませんが、「神に供える特別の稲」という観念が認められます。またインドネシアのスラウェシ島に住むトラジャ族の場合は、米倉から一本の縄が田んぼまで伸ばされ、松明を持った四人または六人の少女たちが田んぼで特によく実った稲穂をつけた茎に豚の血をかけます。それらの稲は刈り取られて束にされ、米倉に仕舞われるすべての稲を保護する特別な役割を与えられます。またスラウェシ島にはインド文化は及ばなかったものの、ドンソン銅鼓が出土しています。

 稲作民族にとっておそらく最大の宗教儀式はなによりも稲魂に関するものであったと考えられます。ベトナムに住むカトゥ族(モン・クメール語族)では稲魂が宗教活動において重要な位置を占め、おなじくチョロ族(モン・クメール語族)ではすべての村人が稲魂を崇拝し収獲祭が最も重要とされます。同じくマング族(モン・クメール語族)では稲魂と作物の守護神に多くの祭が供えられ、それらの祭をとりしきる司祭のグループは女たちと彼女らの弟たちによって構成され、夫は祭りに出席することさえ許されていません。このおもしろい司祭の組み合わせは北タイのアカ族と同族である雲南省のハニ族(チベット・ビルマ語族)の間にもあり、白いスカートをはいたヤイェアマと呼ばれる巫女は弟(実弟か養弟)とともに稲魂に関する儀式を行なうのです。ちなみに雲南省に住むハニ族が常食している稲はチェと呼ばれるウルチ米の赤米です。

 司祭が巫女とその弟(韓国のムーダンの世界では弟筋に当たる弟子ということもあり得るといわれます)なる不思議な組み合わせからは、邪馬台国の女王卑弥呼が思い出されますね。すなわち『魏志倭人伝』に「鬼道をこととし、よく衆を惑わす。年すでに長大なるも夫婿なく、男弟有りて国を治むをたすく」また「ただ男子一人有りて飲食を給し、辞を伝えて出入りす」などと記された条です。鬼道とは中国人が南部の山岳民族などを観察して「蕃俗信鬼」と言う場合の鬼(タイ語で言えばピー)に対する祭儀のことで、卑弥呼が男弟(実弟、養弟、弟筋に当たる巫堂の弟子)とともに稲魂に関する儀式を行なったことは十分考えられるのではないでしょうか。稲を植え、蚕を飼って絹を織り、生姜やニラの類、柑橘類もあるがそれを薬味として使うことを知らない、などとも『倭人伝』は記しています。卑弥呼がいたころの倭国は固有の文化の程度は冒頭から挙げてきた現代の東南アジアの少数民族とそう大きくは違わないのではないでしょうか。

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