カンボジアでの明号作戦

2004年1月掲載

仏印の武力処理の際、第38軍の指揮下に入った第2師団によって展開されたカンボジアでの作戦

1945年(昭和20年)3月~5月

1941年7月の日本軍の南部仏印進駐以降、仏領インドシナの一部であったカンボジアも、日本軍と仏印軍との共同防衛という形がとられており、1945年3月9日夜に発動された仏印武力処理(明号作戦)の準備開始前は、日本軍はカンボジアに、独立混成第70旅団の独立歩兵第428大隊(大隊長:柴田一大佐)の主力をプノンペンに、一部をストントレン及びクラチエに配置して警備に当たらせていた。一方、仏領インドシナに展開していた仏印軍の総兵力約9万人のうち、南部集団として3.5万名の兵力がコーチシナとカンボジアに配備され、カンボジアでの仏印軍の主な駐屯地はプノンペンを始め、クラチエ、ストントレン、シエムレアップにあった。

1945年1月中旬、南方軍はビルマにあった第2師団(師団長:岡崎清三郎中将)を第38軍の指揮下に入れ、土橋・第38軍司令官(1944年12月20日、印度支那駐屯軍は第38軍に改編)は、南部仏印を、ファンラン以南のアンナン及びコーチシナとカンボジアに分け、明号作戦における仏印処理の担当に、ヴェトナム南部に独立混成第70旅団(旅団長:小田正人少将)を、カンボジアに第2師団を配置し、それぞれの地域の武力処理準備を行うように命じた。第2師団は1945年2月中旬から下旬にわたってビルマより逐次カンボジアに到着。第2師団の到着とともに、それまでカンボジアの警備にあたっていた独立混成第70旅団の独立歩兵第428大隊は、第2師団長の指揮下に入った(カンボジアにおける第2師団の武力処理準備の配置状況は左記のとおり)。なお第2師団長・岡崎中将は1945年2月24日、軍需省軍需管理官に転じ、その後任として馬奈木敬信中将が第2師団長に親補された。

1945年3月9日、武力発動の命令とともに、独立歩兵第428大隊(大隊長:柴田一大佐)は、主力をもってマルタン兵営および仏印軍旅団司令部を攻撃、大きな抵抗なくこれを占領。捜索第2連隊(連隊長:原好三大佐)はコンポンチャムの仏軍兵営を、歩兵第29連隊(連隊長:三宅犍三郎大佐)の主力はストントレン、クラチエを、また歩兵第8連隊第2大隊と協力してパクセを攻撃、それぞれ3月10日午後には仏印軍の武装解除を終わった。また歩兵第29連隊第2大隊(大隊長:原田久則少佐)は、プルサト、アクロメア、コンポンクーナンなどトンレサップ湖南側の処理を行った。

第2師団はカンボジアでの仏印軍の武力処理に際して、カンボジアのシアヌーク国王を保護すべき命令を受けていたが、3月10日、シアヌーク国王の所在がわからず、馬奈木・第2師団長は諸隊に命じて、国王の捜索について憲兵隊に協力させた。3月11日、シアヌーク国王が王宮内の寺院に僧侶に扮して避難しているのを発見。馬奈木中将は、直ちに参謀長・木下武夫大佐を王宮に派遣し、高島領事を通訳として第38軍司令官の布告を伝達させた。武力発動後のインドシナの統治について、統治権は一時、日本軍司令官が行使するが、ヴェトナム,ラオス、カンボジアの3国がこの際独立を宣言するかどうかは3国の随意としており、カンボジア王シアヌーク・ノロドムはプノンペンの仏印軍兵営がほとんど抵抗することなく降服したことを知り直ちに独立を決意し、1945年3月13日に独立を宣言した。(アンナン皇帝バオダイは1945年3月11日に、ルアンプラバン国王ティアオ・サバン・バタナは、1945年4月8日に独立宣言をするが、これら3国の独立宣言は、フランスの統治権が一時停止した好機に乗じて、一方的にフランスとの保護条約を破棄して行ったもの)

第2師団は第1期作戦に引き続き周辺の掃討を行った。すなわち捜索第2連隊をしてコンポンチャム付近から遁走した敵を求めて北部国境に向かい、また独立歩兵第428大隊の一部をもって西方に遁走した敵をエレファン山脈の北西に追撃させた。また歩兵第29連隊の一部はストントレンから北上、キナ及びハットサイクの仏印軍及び保安隊を処理してパクセに前進、更にパクセ北方パクソン及びサラバンに進出、同地の保安隊を処理した。なお、3月22日から3月26日にわたり、歩兵第29連隊は主力をもってポロバン高原一帯の討伐を行った。更にクラチエにあった歩兵第29連隊第3大隊長・藤木隆太郎大尉の指揮する部隊はスヌール、ローランド方面を処理した。4月26日、歩兵第29連隊は主力をもって北方第21師団との隣接地区の討伐を行い、1945年5月2日これを終了した。

5月初め、仏印武力処理一段落に伴い、南方軍はマレーの戦備強化のため、独立混成第70旅団を第29軍司令官の指揮下に入れた。また明号作戦に参加した第4師団の諸隊はそれぞれ4月上旬、原所属に復帰させられた。独立混成第70旅団のマレー転進に伴い、軍はその担任区域を第2師団に与え、第2師団に対しカンボジアに加え、コーチシナ、南部アンナンの治安維持及び次期作戦準備を命じた。第2師団長・馬奈木敬信中将は歩兵第29連隊をもってビエンホア以東の地区、歩兵第29連隊第2大隊をもってプノンペンに位置して大湖以南の地区を、捜索第2連隊をもってシエムレア、コンポントム、コンポンチャム、クラチエなどを含む大湖以北メコン河流域の地域を、輜重兵第2連隊をもってタイニン付近、衛生隊をもってメコン河以南カマウ地区、工兵第2連隊をもってロクニン付近を、野砲兵第2連隊をもってサイゴン地区の警備を担当させ、第2師団司令部は1945年5月、プノンペンからサイゴンに移動した。

主な引用参考文献:
『戦史叢書 シッタン・明号作戦』
(防衛庁防衛研修所戦史室、朝雲新聞社、1969年12月)

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