FULRO(フルロ)

2000年4月掲載

ベトナム中部高原の山岳少数民族による自治運動
▼ゴ・ディン・ジェム ▼新経済区政策 ▼パリ協定とUNTAC

多民族国家ベトナムの少数民族は総人口の約1割強であるが、デルタ地帯を除く山間部・高原地帯が居住空間であり、ベトナムの国土の約3分の2の地域にわたって住んでいる。北部や北西部の中国・ラオスとの国境付近以外に、南部ベトナムの中部山岳地帯に、通称モイと呼ばれてきたマライ・ポリネシア語系の少数民族が集中しているが、FULROは、この中部高原タイグエン地方の少数民族の自治運動、Front Unifie pour la Lutte des Races Opprimes(被抑圧民族闘争統一戦線)の略称で、1964年結成し、1992年武装解除された。

1958年6月に、親フランス的傾向を持つ、かつての植民地時代に軍人や官吏であったこの地方の少数民族の有力者が集まり、バザラカBAJARAKA(タイグエン地方の主な少数民族であるバナ族Bana、ザライ族Jarai、ラデ族Rhada(エデ族Edeh)、カホ族Kahoの頭文字を合成したもの)という運動を結成し、南ベトナムのゴ・ディン・ジェム政権の同化政策に反対して、自治を認めることを要求した。ベトナム労働党は、この動きをジェム政権とタイグエンの少数民族との矛盾の拡大を示すものとみなし、1960年10月には、タイグエン自治運動を組織。同運動は、南ベトナム解放民族戦線に参加した。そして解放戦線は、この綱領で民族自治区の設置をうたうことになった。このような動きに対して、BAJARAKAの反共的傾向をもつ人々によって1964年結成されたのが、FULROである。

FULROは、連邦制の導入による<高原連邦>の設置、少数民族の土地所有権の承認、政治参加の機会拡大などを要求し、政治的には反サイゴン政権、反解放戦線の立場をとり、アメリカとは密接な結びつきをもっていたといわれる。南ベトナムのサイゴン政権は、反共的傾向をもつFULROとの妥協を図り、1968年12月には両者の間に一応の和解が成立した。しかし、FULROの一部はこの和解に応じず、引き続き反キン族(現在ベトナム総人口の9割を占める多数民族)意識に基づいた反サイゴン政権・反解放戦線の武装闘争を継続した。

ベトナム戦争の終結後、統一ベトナムでは、民族自治区は設置されず、タイグエン地方にも新経済区建設などで大量のキン族が入植した。このような事態に対するベトナムの少数民族社会の不満は、ベトナム戦争後もFULROの一部がベトナム政府に対する武装抵抗を継続する基盤となり、カンボジア領の高地ジャングルを拠点に、ベトナムへの反政府運動を続け、カンボジアのポル・ポト派との提携も生まれた。しかし、カンボジア和平の達成で、国連暫定統治機構(UNTAC)が、パリ和平協定にもとずき、カンボジア内の「外国軍」の徹底検証を行わねばならず、ベトナムへの送還あるいは武装解除の道しか残されなかった。92年5月にはプノンペン政府の特殊部隊の攻撃にあい、ゲリラ数人がベトナムへ強制送還されており、FULROの武装抵抗も見通しがなく、1992年10月10日、ベトナム中部山岳少数ゲリラ「被制圧民族闘争統一戦線」(FULRO)398人がカンボジアのUNTACに投降、武器を引き渡し事実上の難民としてプノンペンへ大型ヘリコプターで移送、米国ノースカロライナ州フォートブラッグに移住した。

(引用・参考:『世界民族問題事典』(平凡社、1995)
『風景のない国・チャンパ王国』樋口英夫、平河出版社、1995)
★『アエラ』(1992.9.15)「ベトナム戦争を今も続ける山岳民ー米軍が見捨てた2千人のゲリラ」
★『読売新聞』(1992.10.11)「ベトナムの山岳民族ゲリラ・30余年反共の戦いに幕・武装解除、そして、”難民”に」

●ゴ・ディン・ジェム
1901年~1963年
Ngo Dinh Diem(呉廷琰)
フエの貴族の家に生まれ、1933年アンナン朝の内相となったが、バオダイ帝(ベトナム阮朝第13代最後の皇帝)の親仏的態度を不満として辞任。日本、米国などへ亡命。1954年米国の後援のもとに南ベトナムへ帰り組閣。1955年の国民投票でバオダイを破り、ベトナム共和国の元首となり、1956年初代大統領となる。 1963年11月のクーデターにより殺害された。

●新経済区政策
ベトナム政府は、1975年の統一後、中央集権体制の強化に乗り出すと共に、新たな人口再配分計画を進めた。1976年12月ベトナム共産党第4回大会で採択された「新経済区」政策で、ハノイや中部沿海部のベトナム人貧困層を、山岳少数民族が住む北部山岳地帯や旧南ベトナム中部高原に移住させるというものであった。1977年から政策が実施され、約350万人ものベトナム人が新経済区に送られたと推定され、山岳民族をより山中に追いやると同時に木炭の使用による大量消費で、森の破壊ー山岳民族の生活破壊がすすんだともみられている。

●パリ協定とUNTAC
1991年10月23日、カンボジアを含む19カ国の代表により、「カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定」(パリ協定)が調印された。パリ協定の効力発生から、新憲法の公布までの期間は、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)による暫定統治となった。 1993年5月の総選挙結果に基づき、制憲議会が設立され、1993年9月21日、新憲法「カンボジア王国憲法」を採択、9月24日公布され、同日新政府が成立。UNTACの任務終了となった。

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