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メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第31回 「アキラの地雷博物館とこどもたち」(アキ・ラー 編著)
- 2024/7/20
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- UNTAC, アキラの地雷博物館
メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第31回 「アキラの地雷博物館とこどもたち」(アキ・ラー 編著)
「アキラの地雷博物館とこどもたち」(アキ・ラー 編著、三省堂、2005年9月)
<編著者> アキ・ラー Ali Ra <本書紹介より、本書発刊2005年当時>
カンボジア人。1973年ころ、シェムレアップ郊外で生まれる。本名、アキ・ラー(通称アキラ)。カンボジア語(クメール語)で「アキ」は太陽の神、「ラー」は速く走る者という意味がある。5歳でポル・ポト軍に両親を殺されたあと、少年兵として内戦時代を3つの軍隊で戦い、「約1万個」の地雷を埋めた。20歳でアンタック(国連軍)にやとわれて地雷処理をはじめ、1997年以降は1人で自主的に地雷処理をおこなっている。今までに処理した地雷は「約2~3万個」。1999年にアンコールワットの近くに自宅を兼ねた「アキラの地雷博物館」をオープンし、自分で掘った地雷や不発弾を展示、戦争孤児や地雷被害児を養育しながら、妻と2人の息子と暮らしている。2005年からは、地雷博物館のこどもたちが演じる内戦時代の劇を上演している。
本書の主要内容たる「パート1 マイ・ストーリー(アキラの物語)」では、まず、1975年からのポルポト時代の幼少期の話は特に悲惨。赤ん坊5歳ころ(1978年)ポル・ポト軍に父母を殺され、戦争孤児となるが、父親、母親のそれぞれのポル・ポト兵による、言いがかりによる殺害は酷いものだが、ポル・ポト時代の話で、バナナを木から盗もうとした村人への見せしめの処刑の様子なども残酷。戦争孤児になり、ポル・ポト軍によって育てられ、ベトナムを敵視しベトナムと戦う兵士になる訓練を受け、わずか10歳の時に、生まれて初めて銃を持たされている。ポル・ポト軍の下にいた時の話としては、少年兵としての生活の様子だけでなく、ポル・ポト軍による毒入りスープを使う作戦とか、ベトナム軍によるポル・ポト兵を生け捕りにする方針を逆手に取った罠、ベトナム軍による戦車使用など、ポル・ポト軍とベトナム軍の戦いの違いの話についても述べられてる。
最初はポル・ポト軍の少年兵としてベトナムと戦っていたが、13歳ころの1986年に、ベトナム軍につかまり、ベトナム軍に加わるか、殺されるかという状況で、No choice(選択肢なし)で、今度はベトナム軍の少年兵となり、かつて、自分がいた軍隊のポル・ポト軍を相手に戦うことになる。ベトナム軍にいた時は、銃を持って戦うだけでなく、ジャングルにも慣れていることもあり、食料を調達したり、さらに地雷を埋めることも仕事で、ベトナム軍での食生活など生活の様子も述べられているが、ベトナム軍にいた時期には、ソ連製モン50地雷やクレイモア地雷、パイナップル地雷など、地雷の話題が急に増える。ベトナム軍がカンボジア農民の家畜の牛を地雷を利用して、搾取する話にも驚くが、やはり一番酷いのは、ベトナム軍もポル・ポト軍もどこの軍隊も、地雷原で、大人の兵士の前を先に少年に歩かせ、人間地雷探知機の役割を担させていたことだろう。ベトナム軍もポル・ポト軍も、たくさんのカンボジアの村を襲撃し略奪し殺害する話や、たくさんの人が地雷で命を落としたりケガをし、地雷の被害や地雷の犠牲になった人たちのその後のことも、見落としていない。アンコール・ワット付近の貴重な彫像を破壊し価値ある古美術品を略奪した責任は、この地区に陣取っていたベトナム軍にあると言い切り、ベトナム軍による膨大な量の森林伐採にも言及している。
1989年の16歳の時、ベトナム軍がカンボジアから撤退すると、今度は、カンボジア政府軍の兵士として、ポル・ポチ軍の残党を相手に戦うことになり、10歳から20歳まで10年間、ポル・ポト軍、ベトナム軍、カンボジア政府軍と、3つの軍隊に所属し、ジャングルでのひたすら戦う生活を送ることになる。カンボジア内戦について、内戦時代の暗黒について、手記をふくめ、いろんなルポルタージュなどの書籍が刊行されてはいるが、まず、本書は、幼いころに戦争孤児になり、少年兵として、ジャングルの生活で、3つの軍隊で、休むことなく戦い続けなければならなかった少年の立場ならではの経験と現実の話が、生々しく語られている点が特色の一つだが、カンボジア政府軍に16歳で初めて、ずっと年下の子供たちに交じり、少年兵として戦争参加しながらも、学校で文字を習ぶ機会が持てたことには救われる。地雷では対戦車地雷の話もあるが、強奪とワイロ、村人たちの強制労働、各地に設置した検問所など、軍隊の酷さについては、話が止まることはない。
こうして、ジャングルの中だけで暮らし、ひたすら戦いつづけることしか知らなかった著者が、別の生き方があるとしったのは20歳の時で、UNTAC(国連軍)がカンボジアにやってきて、何年にもわたって様々な軍隊がカンボジアに埋めた地雷処理を手伝ってくれないかと、カンボジア人に呼びかけ、長年、兵士として地雷を扱った経験があることから、呼びかけに応じ、1993年、UNTACで地雷処理を始めることになったのが、大きな転機。いろんな国の人たちと交わり、英語を学び通訳もすることになるが、UNTACで様々な国の人に会い、いろいろな生き方について見聞きしたアキラー氏が、生き方は自分で選べるのだと分かり、UNTACが1997年にカンボジアから撤退した時に、自分一人で地雷を掘り続けていこうと決断し、更に、初は周囲の冷ややかな視線の中で、1999年には地雷博物館を一人で建ててしまう点が、アキラ氏の更に凄いところで、その決断力や決断力は素晴らしい。このUNTAC撤退後のアキラー氏の考えや行動を知ることができるのが本書のもう一つの特色で、
「パート2 地雷博物館のこどもたち」では、アキラー氏が養育している戦争孤児や地雷被害者の子供たち13名の話が紹介されている。1986年~1992年生まれの、シェムリアップ近郊生まれの子供たちが多いが、それぞれ、幼い時に地雷の被害に遭った時の話、地雷の被害に遭ってからのこと、地雷博物館での生活、さらに将来について、皆が語っている。やはり幼い時に遭遇した地雷の残酷さは悲しいひし、医療設備が整わない中での腕や足の切断手術なども想像を絶するものがあるし、貧乏な村人たちの家族を襲う地雷の悲劇と悲観とともに、地雷博物館への救いの気持ちは十分に伝わってくる。
■目次
◎地雷博物館(カラー写真)
◎ようこそ地雷博物館へ
◎アキラの年表パート1.■マイ・ストーリー(アキラの物語)
❶戦争孤児
こどもグループ/ 父のこと/ 母のこと/ 父と母が殺されたときのこと/ いちばん古い記憶/ ブタの餌を食べた友だち/ バナナを盗んだ男/ 悪い人、良い人/ 教育
➋ポル・ポト軍で
初めての銃/ 泳ぎ/ 友だちの死/ 制服/ 毒入りスープ/ 生け捕り/ 戦車/ ノーチョイス(選択肢なし)
❸ベトナム軍で
ゾウの鼻/ ソ連製モン50地雷/ 毒ガス入り弾倉/ B40手榴弾/ クレイモア地雷/ パトロール隊/ 牛と地雷/ 叔父さん/ 敵と味方/ 村の襲撃/ 地雷の被害/ 友だちと地雷/ 人間地雷探知機/ ベトナム軍による破壊/ サルとクマと地雷
❹カンボジア軍で
AK47をもって通学/ 対戦車地雷/ 奇襲/ 強奪とワイロ/ 強制労働/ 検問所
❺アンタック(国連軍)で
カルチャーショック/ 地雷処理を始める/ 1人で掘りつづけていこう
❻地雷博物館をつくろう
戦争の遺物/ 1人で建てよう/ 泥棒も友だち/ 見張塔/ 地雷博物館オープン
❼ディマイナー(地雷掃除人)
シンプルな方法/ 村の人に頼まれて地雷を掘る/ 仕掛けられた地雷/ カンボジア製の地雷はない/ 赤ちゃんと地雷/ 新たな被害
❽生きること、死ぬこと
わたしの家族/ 戦争中いちばんつらかったこと/ 死ぬこと/ まきぞえ/ お前は敵だ! / 両親を殺した人も友だち/ 人のために生きたい
❾カンボジアの歴史
ラオカン(劇)の練習パート2.■地雷博物館のこどもたち
ダー/ ペル/ ハック/ トール/ スレイ/ ヴィチェット/ ポーイ/ ポイ/ ソーリ/ ソパート/ ラー/ ボーリャ/ ヴォーラック
■アキラQ&A
◎本書ができるまで