メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第28回 「わたしが見たポル・ポト キングフィールズを駆けぬけた青春」(馬渕直城 著)

メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第28回 「わたしが見たポル・ポト キリングフィールズを駆けぬけた青春」(馬渕直城 著)


「わたしが見たポル・ポト キリングフィールズを駆けぬけた青春」(馬渕直城 著、集英社、2006年9月)

<著者紹介> 馬渕直城(まぶち・なおき) * (1944年~2011年)
1944年東京都生まれ。千葉県立東葛飾高校を経て、1972年に国際基督教大学教養学部社会科学科を卒業。1972年、ベトナム戦争の取材のためラオス戦線・カンボジア戦線へ。当地で、一ノ瀬泰造カメラマン、石山幸基記者らと知り合う。以後、報道カメラマンとして、カンボジアを中心にインドシナ半島の取材を続ける。民主カンプチア解放軍の同行取材、2度にわたるポル・ポトへのインタビュー成功など成果を挙げる。現在、タイのバンコック在住<本書紹介より、本書発刊当時>
*2011年10月29日、千葉県白子町のホテルで入浴中に倒れ、病院で死亡が確認された。67歳歿

本書は、報道カメラマンとして、カンボジアを中心にインドシナ半島の取材を続けた馬渕直城氏(1944年~2011年)による戦場カメラマンの取材30年間の軌跡についての自伝。大学卒業後、報道写真家を目指し、1972年、ベトナム戦争の取材のため、フリーでラオス戦線・カンボジア戦線に入り戦場取材をスタート。1973年にはカンボジアで、一ノ瀬泰造カメラマン、石山幸基記者らと知り合い、フリーの報道写真家として、1973年から1975年4月のプノンペン陥落(解放)までカンボジアに住み、プノンペン解放(陥落)時にプノンペンに残留していて、その様子を取材した唯一人の日本人報道写真家となる。

プノンペン解放(陥落)後、外国人の避難場所となったプノンペンのフランス大使館内で3週間待機後、1975年5月8日、陸路でカンボジア人の妻とともにタイに出国するが、その時にカンボジアからタイに出てきた日本人は馬渕1人だけで、その後、バンコクを基地として取材を続けていくことになる。1983年の民主カンプチア解放軍の同行取材、1979年と1998年と2度にわたるポル・ポトへのインタビュー成功など成果を挙げ、2003年にはシハヌーク国王に謁見した、カンボジア語にも堪能な伝説のフリージャーナリスト。著者は、ベトナム戦争初取材はラオス南部で、その後も、タイやビルマなども取材はあるが、やはりカンボジア取材が主で、本書の見どころの一つとしては、やはり、著者撮影の写真の力は強く、貴重な写真がたくさん本書には掲載されている。

1960年代後半、ベトナム戦争は年を追うごとに激しさを増し、世界中で反戦運動が高まりをみせ、当時、大学生だった馬渕直城氏は、大学入学当初は国際法を学び外交官として海外で働くことを考えていたが、”報道写真家”を目指すようになり、大学卒業後の1972年末に、フリーでインドシナ戦争取材に向かい初取材はラオス南部で、その後、同年12月からカンボジアの戦場取材を始める。第1章では、1975年4月のプノンペン解放までの期間が綴られているが、この章はフリーの報道写真家として、1973年から1975年4月のプノンペン陥落(解放)までカンボジアに住み、主にカンボジアの戦場取材に駆けていく著者の若さみなぎる熱い青春も文章から感じることができる。

この期間では、1973年11月「地雷を踏んだらサヨウナラ」の言葉を残し当時クメールルージュ支配下にあったアンコールワットに向かい消息を断ち後に殺害されたことが確認された報道写真家の一ノ瀬泰造氏(1947年~1973年11月29日)や、ポル・ポト派の支配地域を取材中に行方不明となり、その後、病死が確認された共同通信社プノンペン支局長の石山幸基氏(1942年~1974年)とのカンボジアでの出会いや二人のそれぞれの話が貴重。また、この期間のカンボジア戦争の報道や情報収集の様子も興味深い。プノンペンのケマラ・ホテルは、1970年のロン・ノルのクーデターまでは、南ベトナム解放戦線臨時代表部が置かれていたところで、街の社交葉でもあったが、それがロン・ノル政権樹立後は、各国のジャーナリストや大使館員などが情報交換や情報収集などを目的に常時集まる場所となっていたとのこと。

馬渕直城氏は、1972年12月からカンボジアの戦場取材を始め、フリーの報道写真家として、1973年から1975年4月のプノンペン陥落(解放)直後までカンボジアに住み、1975年4月17日のプノンペン解放(陥落)の直前の1975年4月12日には、当時付き合っていたカンボジア人女性へーン・サイホンさんとの結婚祝いの食事会を挙げることになっていて、この1975年4月17日のプノンペン解放前夜の時期から第2章が展開する。プノンペン解放(陥落)時にプノンペンに残留していて、その様子を取材した唯一人の日本人報道写真家となり、その後、3週間、プノンペンのフランス大使館で妻と共に過ごし、1975年5月8日、陸路でタイに出るが、出てきた日本人は1人だけで、その後、バンコクを基地として取材を続けていく。

第2章では、1975年4月17日のプノンペン解放(陥落)後の外国人の避難場所となったプノンペンのフランス大使館の様子も現場にいた当事者の一人として書かれている。妻サイホンさんは馬渕氏とともに陸路でタイに出たが、家族とは離れ離れになり、家族の消息もずっと分からないままになっていたが、サイホンさん一家の動向については、「その後のサイホン一家」として本書の第2章でも触れられているが、1979年週刊プレイボーイに掲載された三留理男氏の写真・記事を中心に刊行された「チュイ・ポン」(1984年3月発行)の中にも、馬渕直城氏による「妻・サイホン一家の”出カンボジア”」の文章が掲載されている。

ただ、第2章の最後から、”キリングフィールズ”の真実として、馬渕直城氏は、1984年公開のハリウッド映画「THE KILLING FIELDS」(邦題『キリング・フィールド』)を批判するのだが、この映画がポル・ポト派の兵士たちを悪鬼の如く描き出し、彼らによって”大虐殺”が行われたというイメージを世界中に焼き付け、その計り知れない悪影響の大きさを考えると、単なる映画だといって、虚偽を見過ごすことはできないと批判する。第3章に入っても、「仕立てられた”大虐殺”」として、欧米をはじめとする各マスコミは、民主カンプチアを懸命に建設するポル・ポト以下指導部を大虐殺集団に仕立て、それを退治する正義感を演じるベトナムに加担したことになると言い切り、大国の思惑がいろいろ働いていたことも忘れてはならないが、ポル・ポトは悪玉に仕立てられたとか、ポル・ポト派による民衆大量虐殺はなかったかのような主張には、正直、戸惑いを感じてしまう。

本書がいろんな時期についての文章が整理されて編集されていないのではと感じ、読みづらいところがあるのは残念ではあるが、それでも、やはり著者ならではの数々のカンボジア取材の現場報告は、読み応えがある。1976年4月には、タイからカンボジアのポイペットの街へ越境し、新生の民主カンプチア側に8日間拘束された時の様子や、1979年のベトナム侵攻とプノンペン陥落後の1983年に叶った民主カンプチア解放区取材の従軍記がある。1983年の解放軍従軍記は、ポル・ポト派最強の軍と歌われた民主カンプチア南西方面軍タ・モック軍の選りすぐりの隊員ら27名とともに、2ヶ月半かけてベトナム軍占領下のシアム・リアップ州、バッタンボン州と転戦をしながらトンレ・サープ湖まで移動し、プレアビヒア州に抜ける、1千キロ以上の解放区内を取材した解放軍従軍の行軍取材。

また、著者の馬渕直城氏は、2度にわたるポル・ポト自身への直接インタビューに成功しているが、1回目のポル・ポト会見は1979年12月で、カンボジア北西部、タイ国境近くのダングレック山中で。民主カンプチア首相、総指導者のポル・ポトと、同席者は当時、民主カンプチアの副首相兼外務大臣のイエン・サリ。本書のプロローグの一番冒頭にこのシーンが登場。アメリカのABCテレビの取材チームの一員としてポル・ポト派の本拠地に入ったもので、民主カンプチアは、その健在ぶりを世界に示すために、民主カンプチア国連代表部に再三取材申請をしていたアメリカのABCテレビに取材許可を出したもの。ポル・ポト取材の2回目は、ポル・ポト失脚後の1998年1月に、ポル・ポト派最後の拠点アンロン・ベーンで実現。

1998年1月に行われたポル・ポトへの2回目の取材の様子は、本書エピローグに収められているが、このエピローグの章では、ポル・ポト派内部の確執とポル・ポト失脚、その後の1998年4月15日のポルポト死亡、更にポルポト派最後の拠点アンロン・ベーン陥落に至る経緯が詳しく、タ・モクやヌオン・チアへの新体制取材やポルポト死亡の取材の内容含め、非常に興味深い。激動のカンボジア現代史の取材は、他にも1992年のUNTAC報道班で自衛隊取材や、1993年の第1回総選挙取材、1997年のフン・センのクーデター取材、1998年の第2回総選挙取材など、継続的に追いかけている。

また、ポル・ポト派の動向の継続的な取材だけでなく、1999年には伝統影絵スパエック・トイッ取材、2000年にはトンレ・サープ湖の漁業の変化や宝石の街パイリンを取材、2001年には、アキラ地雷博物館や地雷被害の取材、2002年には人身売買など、カンボジアの戦後の混乱とカンボジアの抱える様々な問題も取材していて、それぞれの取材について言及している。他にも、1975年5月に、シャム湾に面した新生カンボジアの沖で、米国籍の商船マヤグェーズ号が領海を侵犯し、民主カンプチアにより拿捕された事件の事も紹介したり、他にも、馬渕氏のタイ人撮影助手兼サウンドマンだったセイニー・ダイモンコン氏の話や、1995年にベトナム南部、メコン・デルタのチャウドックを訪れベトナムの中のクメール人を取材した時の話もあり、また、本書で、ラオスのモン続の取材でも有名な竹内正右氏が馬渕直城氏の友人で、1988年に一緒にビルマ民主化闘争潜入取材を一緒に行ったことも初めて知った。

■著者(馬渕直城)カンボジア関係略年譜
1972年:ベトナム戦争初取材(ラオス南部)/カンボジアの戦場取材始める
1973年:一ノ瀬泰造、石山幸基氏と知り合う/ 国道4号線で負傷
1975年:プノンペン解放取材
1976年:カンボジア越境、8日間拘束/ 沖縄米海兵隊取材
1979年:ベトナム侵攻と難民取材/ ポル・ポト会見(1回目)
1983年:民主カンプチア解放区取材
1985年:タイの9・9クーデター取材
1986年:ビルマで麻薬王クンサーの取材
1988年:ビルマ民主化闘争潜入取材
1989年:タイのクーデターでNBCのN・ディヴィス死亡、著者負傷と誤報
1992年:UNTAC報道班で自衛隊取材/ タイ「暴虐の5月」クーデター取材
1993年:難民帰還、第1回総選挙取材
1995年:ベトナムのクメール人取材、取材中火事に遭遇
1997年:フン・センのクーデター取材
1998年:ポル・ポト会見(2回目)/ タ・モック新体制取材/ 第2回総選挙取材/ ポル・ポト死亡取材
1999年:伝統影絵スバエック・トイッ取材
2001年:アキラ地雷博物館、地雷被害の取材
2002年:人身売買他、カンボジアの戦後の混乱を取材
2003年:シハヌーク国王に謁見

本書収録の著者(馬渕直城)撮影写真
■初の戦場取材(ラオス):北ベトナム軍に対する米軍・ラオス政府右派軍の合同作戦で負傷した農民たち(「毎日グラフ」に掲載)(いずれも1972年12月)
・治療を受ける、米軍のボール爆弾(CBU)で負傷した少年
・ラオス政府右派軍のトラックから降りる難民たち
・今来た村の方向を見つめる少年。手前の兵士の持つのは米国製M-16自動小銃
■ロン・ノル政府軍M-113装甲兵員輸送車と少年(プノンペン南方にて、1973年4月)
■国道5号線トンレ・サープ川畔:プレク・レアンの戦闘で被弾するロン・ノル軍兵士(1973年10月)
■国道3号線の南、プレク・トナオットに出てきた難民の親子:乾季のため川が浅く渡れた(1974年3月)
■首都防衛の重要軍事拠点バセット山防衛作戦で負傷した兵士とその家族(1973年7月)
■国道6号線プレックダムの戦場で逃げまどう報道カメラマンたち。左端著者、右端フランソワーズ(1973年6月、一ノ瀬泰造氏撮影)
■国道2号線ブレク・ホーで兵士たちの作った沢ガニのスープでご飯を食べる一ノ瀬泰造さん(1973年8月)
■共同通信プノンペン支局長石山幸基さん(プノンペン市内の食堂にて、1973年9月)
■プノンペンの目抜き通り、モニヴォン通りを行くロン・ノル政府軍のM-113装甲兵員輸送車。人だかりは映画を待つ人たち(1974年11月)
■プノンペン西方防衛線を退却してくるロン・ノル軍兵士。後方に銃声が響く(1975年4月16日)
■ついにカンボジアから撤退する米軍(1975年4月12日)
■国道5号線沿いのガソリン貯蔵所の被害状況を視察する米軍兵士(1975年4月)
■兵員の足りないロン・ノル軍は子供に弾薬の準備をさせていた(プノンペン、1975年3月)
■解放前に権力を握ろうとしたカンプチア国民化運動(ムービーより、1975年4月17日)
■国道5号線に着いた解放軍。「日本人は良い」と言った(1975年4月17日)
■解放軍を歓迎するプノンペン市民(ムービーより、1975年4月17日)
■仏大使館内の外国人難民を守るムッド・ナリー(女性兵士)(1975年4月)
■フランス大使館内の外国人難民たち:右は撮影を阻止しようとするS・シャンバーグ(1975年4月)
■プノンペン記者クラブの古株たち:右からマレーシアのK・ゲーイ、米国のN・テイヤー、アル・ロコフ、スウェーデンのK・ブラッド(1994年11月)
■タイ・カンボジア国境のオー・チュルー橋のスワンチャイ国境警備司令官(1975年4月、P・センルンルアン撮影)
■国境の橋を渡るサイホンと著者。奇しくも筆者の31歳の誕生日(1975年5月8日、梅津禎三氏撮影)

■目次
プロローグ
ポル・ポト会見ー1979 / 国王の前で
第1章 初めての戦場
報道写真家を目指して/ プノンペン ー1972 /一ノ瀬泰造さんとの出会い /夢の解放区取材へ出かけた石山記者
第2章 プノンペン解放
革命前夜/ その後のサイホン一家/ ”キリングフィールズ”の真実
第3章 民主カンプチアの誕生
「囚われ」の8日間/ 仕立てられた”大虐殺”/ B-52の猛爆の下で
第4章 地雷とODA
セイニーの悲惨な死/ カンボジアの大地に眠る壮烈な2人の魂/ レアッちゃんの夢/ アキラの地雷博物館
第5章 忍び寄るベトナムの影
クムカン老師の予言/ ベトナムのなかのクメール人
第6章 復興のなかで
「不正選挙」の行方/ 揺れるインドシナ/ 人身売買の実態
第7章 クメール王国の残照
世界遺産は誰のものか/ ラオスのなかのベトナム戦争/ クメール文化と日本の古代文化
第8章 解放軍従軍記
兵士たちとともに/ あるクメール・ベトミンの回想
エピローグ
タ・モックの弁明/ ポル・ポトの死
関連略年譜
あとがき

■本書に登場する人物の一部
・ポル・ポト(1925年~1998年4月15日)
・イエン・サリ(1925年~2013年3月14日)
・タ・モク(1926年~2006年7月21日)
・キュー・サムファン(1931年~ )
・ヌオン・チア(1926年~2019年8月4日)
・ソン・セン(1930年~1997年6月10日)
・二ィ・コン(ソン・センの弟)
・シリク・マタク(シハヌークの従弟で元ロン・ノル政府副首相)
・ノロドム・シハヌーク(1922年~2012年10月15日)
・ノロドム・ラナリット(1944年~2021年11月28日)
・ネアック・ブンチャイ(フンシンペック軍総司令官)
・フン・セン(1952年~ )
・ヌオン・ノル(ポル・ポトの通訳兼付き人)
・ソカー(一ノ瀬泰造と仲の良かったシエムリアップの高校生)
・ホルスト・ファース(1933年~2012年、ドイツの戦争写真家)
・ネート・テイヤー(Nate Thayer、1960年~2023年、米国人ジャーナリスト)
・デビッド・ポケット(イギリス人東南アジア史研究舎)
・シドニー・シャンバーグ(ニューヨーク・タイムズ記者)
・ディット・プロン(シドニー・シャンバーグ記者のカンボジア人助手)
・アル・ロコフ(ニューヨーク・タイムズのカメラマン)
・スラチャイ(「カラワン」フォークバンドのリードボーカル)
・岡村明彦(1929年~1985年、報道写真家)
・一ノ瀬泰造(1947年~1973年11月29日、報道写真家)
・石山幸基(1942年~1974年、共同通信社プノンペン支局長)
・新藤健一(共同通信社本社写真部)
・酒井淑夫(1940年~1999年、ジャーナリスト・写真家)
・山田寛(1941年~ 、1972年~74年当時、読売新聞サイゴン支局駐在)
・井出昭(サイゴン解放の戦車部隊を取材したカメラマン)
・桑原史成(1936年~、報道写真家)
・竹内正右(1945年~、ラオス専門家で馬渕氏の友人)
・中野弥一郎(メソットに住む旧日本兵)
・セイニー・ダイモンコン(馬渕氏のタイ人撮影助手兼サウンドマン)
・イン(生ニーの婚約者で、「タイがねぜポル・ポト派を支持するのか」映像制作)

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