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コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第49話 「ワニと龍(3)」
- 2004/4/10
- コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」, 企画特集
ラオス語で龍を表す語に、ワニの意味のケーと、マンコーンという2つの言葉があるが・・・
コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第49話 「ワニと龍(3)」
タイ族はインド文化に出会ってマカラ、マンコーンという言葉を得て中国の龍を表現しましたが、海人族はインド文化に出会うことなく、彼ら本来の言葉でワニを想像的にふくらませた観念「ヤヒロワニ」として中国の龍を表現したのではなかったのでしょうか。殷から周にかけての青銅器に現われた龍の像を研究している林巳奈夫は、龍の頭とアリゲータ種のワニについて「龍の造型にあたって、その頭の手本にされたことは、まず間違いないと思われる」(『龍の話』中公新書)と述べています。「ヤヒロワニ」という単語はかなり正確に中国の龍の観念を言い得ているといえないでしょうか。龍はワニの延長上にあるのです。紀元前二世紀の漢の『淮南子』には、燭龍という龍を説明して「龍の身体だが足がない」と記されています。この一句からは、龍には通常足があるという観念がうかがえますね。また中国に端渓の温氏という老婆の伝説がありますが、温氏はある日、谷川で大きな卵を拾って帰ります。やがて卵がかえって1尺ばかりのヤモリのような動物が生まれます。この動物は5尺ばかりに育っていつも老婆について歩くようになります。秦の始皇帝が「それは龍の子じゃ。」と言って老婆と動物を招くことになります(松村武雄編『中国神話伝説集』)。ヤモリにはれっきとした4本の足がありますね。中国の龍(マンコーン、ヤヒロワニ)とインドの龍(ナーガ)を分けるのはまさにこの点で、ナーガすなわちインドの龍に四肢はないのです。
ケー(KAE)という言葉があり、標準タイ語の辞書では一部の地域の方言でワニを表す言葉だといいます。これはラオス語ではワニの意味です。またラオス語では龍を表す言葉に、このケーとマンコーンという二つの言葉があります。これはどういうことでしょうか。タイ族がインド文化に出会ってマカラ、マンコーンという言葉を得た後、その言葉がラーオ族の中に入ったものでしょう。ラーオ族に流れ込んだインド文化は多くがランナー王国からもたらされたものといわれており、1262年、マンラーイ王がヒランナコン王国の都としてチエンラーイの街を築いたとき、北部ラオスにいた多くのタイ族・ラーオ族の首長は、貢物を持ってマンラーイ王の住む街へ赴いたといわれますが、これが後の北部ラオスのランサーン王国と北部タイのランナー王国との交流の露払い、地ならしとなったものと思われます。ちなみにランサーン王国が成立したのは1353年で、マンラーイ王がチエンラーイの街を築いてから、およそ90年後のことです。その間、マンラーイ王は北部タイの文化の中心であったハリプンジャヤ王国を滅ぼしてその文化を継承し、新たにチエンマイの都を築いて膨張した王国をランナー王国と改称しました。ランサーン王国が成立した時代はランナー王国の最盛期で、ランサーン(百万の象)の国名はランナー(百万の田)の国名を多分に意識しつつ考案されたのではないでしょうか。ちなみにメコン河の上流がランツァン(百万の象)江と呼ばれるのは、ランサーン王国の勢力が一時その流域まで及んでいたことを示すものではないかと僕は考えています。
チエンマイにサイウアという刻んだ豚の脂身と唐辛子の入ったソーセージがあります。今日タイの一村一品運動の産品とかで、バンコクのデパートでもサイウアを売る出店が多くなりましたが、以前はチエンマイに旅行したときでもなければ美味しいサイウアを食べることができませんでした。これを1センチほどの厚さで切れば恰好のビールのつまみになります。ヴィエンチャンの街のやや焦げ茶色でやや固めのソーセージしかないレストランでビールを飲んだときのこと、その焦げ茶色で固めのソーセージを何というのか店員に聞いたところ、「サイウア・ラーオ」という返事が返ってきました。これもランナー王国からランサーン王国へと流れる文化の方向を示すもののひとつかな、と妙にうれしくなり、急にラオビールが美味しくなりました。経文を書き表すランナー文字から、庶民的な料理のメニューに至るまで、北部ラオスは北部タイの文化に浴しており、そういう文化の潮流の中で中国の龍を表すマンコーンという言葉が、ラオス語の中にもたらされたのでしょう。