2000年10月掲載

雲南省巍山イ族回族自治県にある南詔王国発祥の地

巍山(weishan)は、雲南省大理白族自治州にあり、洱海の南端に位置する大理(下関)から54km南に下ったところにある町である。古名は、邪竜、後に蒙化に改称、現在の巍山の名に至っている。雲南省の中でも非常に歴史のある町の一つで、唐代に勢威を張った南詔王国の発祥の地として知られる。

 この地は、古くは前漢元封2年(紀元前109年)、邪竜県として益州郡に属し、中華人民共和国成立後は、1954年6月国務院の批准を経て、蒙化県から巍山県に改名された。1956年11月民族区域自治の実行により、巍山彝族自治県と永建回族自治県と2つの自治県が新設された。しかし2年後の1958年11月、この2つの自治県は合併し、巍山彝族回族自治県となっている。

 現在の巍山県城文化鎮は、巍山彝族回族自治県の政治、経済、文化の中心となっているが、巍山県城は、明の時代、洪武23年(1390年)に建設された。県城は長さ約1里の四方形で。元の城壁は、高さ2丈3尺2寸、厚さ2丈。城内は、星拱楼(左画像)を中心とし、東西南北に延びる十字型街道が作られ、それぞれ4城門に到達していた。

現在の町は、拱辰楼を中心に開けているが、この北門古楼の軒下には、南北両面に「魁雄六詔」「万里瞻天」と書かれた大きな扁額が掲げられている。(南面の「魁雄六詔」は、清・乾隆帝代に康勷によって、北面の「「万里瞻天」は清・乾隆帝代に黄大鶴の手によるもの)

 巍山の町から東南13kmの地にある海抜2550mの巍宝山(古称:巍山)が、南詔王国の始祖・細奴羅の耕牧の地と言われている。南詔蒙氏は蒙舎詔として建詔後、その実力を蓄え、やがて4代・皮羅閣の代に至り、大理盆地内の白蛮対抗勢力を打倒し、他の五詔をも併合。737年唐朝より雲南王に冊立され、翌738年、太和城(現在の大理太和村)に遷都し、南詔国を建立した。その後5代・6代王の治世時に、南詔は唐と吐蕃の支配下からも脱し、名実ともに独立を果たし王権を確立する。

(主たる参考文献:『新編・大理風物志』雲南人民出版社)

●巍宝山
古称は巍山で、県城から東南に13km離れたところにある。海抜2550mで総面積19.4平方キロ。南詔の発祥の地である。また明・清時代以来、道教が栄え、山上に多くの道教名山でもある。

●歴代南詔王
▼先代: 蒙伽獨
▼初代: 細奴羅(在位653年~674年)
▼2代: 羅盛(在位674年~712年)
▼3代: 盛羅皮(在位712年~728年)
▼4代: 皮羅閣(在位728年~748年)
▼5代: 閣羅鳳(在位748年~779年)
▼6代: 異牟尋(在位779年~808年)
▼7代: 尋閣勧(在位808年~809年)
▼8代: 勧龍盛(在位809年~816年)
▼9代: 勧利盛(在位816年~824年)
▼10代: 勧豊佑(在位824年~859年)
▼11代: 世隆(在位859年~877年)
▼12代: 隆舜(在位877年~897年)
▼13代: 舜化貞(在位897年~902年)

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