情報DB(歴史人物)「 谷豊」(1911年~1942年)関連記事<朝日新聞1985年4月11日夕刊>

情報DB(歴史人物):「谷豊」(1911年~1942年)関連記事
<1985年(昭和60年)4月11日 木曜日 朝日新聞 夕刊 >


なぜか人気『ハリマオ』 大東亜の英雄 虚像と実像
襲撃や脱走、頭領に ナゾ多い盗賊団”活躍”

(写真)「ハリマオ」が育ったトレンガヌの町並み。右端の白い二階建てビルが谷家の店兼住宅。ベールをかぶったイスラム教徒の女性の姿が見える =昭和8年(1933)ごろ撮影、谷茂喜さん提供
(写真)「ハリマオ」と呼ばれた故・谷豊さん =マレー・トレンガヌで撮影、谷茂喜さん提供

戦時中は「大東亜の英雄」、戦後はブラウン管のスターとなった「ハリマオ」が再び人気を集めている。アクション小説に焼き直されたり、テレビ番組で取り上げられたり、漫画の再出版やアニメ化計画まである。娯楽性ぬきのゲリラ活動を記した実録戦史の出版も。ハリマオとはマレー語でトラの意味だが、「トラは死して・・・」の格言ではないが、いまも息の長い人気が続く。ハリマオの本名は谷豊(たに・ゆたか)。没後43年のことし、肉親や当時の関係者の証言からハリマオの実像と虚像を探った。(宇佐美 雄策記者)

ハリマオの実弟、谷茂喜さん(59)=建設業=が後を継ぐ福岡市南区五十川の実家は博多駅からひと駅、那珂川に臨む農村地帯にある。父親、浦吉さんは農家の次男坊だった。明治44年(1911)、浦吉さんは妻と2歳の長男豊を連れ英領マレー半島東岸の港町トレンガヌに移住、そこで理髪とクリーニングを兼ねる店を構えた。当時、約30人の日本人が住んでいた。商売は繁盛し、昭和初期には白亜の2階建ての店を建てた。

「妹の敵討つぞ」
昭和6年(1931)に満州事変が起き、マレー半島の華僑の間に排日の機運が高まった。7年(1932)11月、トレンガヌでは暴徒が谷家に押し入り、1人で寝ていた妹(当時8歳)の首を肉切り包丁ではねた。茂喜さんや家族は隣家にいて難を逃れ、福岡に引き揚げた。当時、徴兵検査のため郷里に戻っていた豊は、妹の惨殺を聞かされ、「敵を討っちゃる」と単身マレーへ。10年(1935年)春だった。豊は、タイ・マレー国境のジャングルを拠点とするマレー盗賊団に加わり、華僑の商店や銀行などを襲撃、何度か英国官憲に捕まっては脱走を繰り返していた。いつしか頭領となり、部下から「ハリマオ」と呼ばれるようになった。妹の敵を討つため、あえて盗賊団に入ったのかどうか、はナゾである。

諜報組織が動く
ハリマオを世に売り出したのは陸軍参謀本部や中野学校の出身者らがつくった諜報組織「F(藤原)機関」だった。同機関は開戦前夜の昭和16年(1941)10月に設立され、日本軍の南方作戦に備えてタイ・マレー国境などで諜報活動をしていた。F機関の機関長だった元陸軍少佐藤原岩市さん(77)=武蔵野市境南町=は、当時バンコクでハリマオのうわさを聞いて、考えた。「マレー語もぺらぺら。土地に詳しく、自由に英領を歩ける日本人。対英諜報員に使える」と。これがきっかけで、ハリマオはF機関に協力するようになった。ハリマオと何度も接触したF機関員の1人、元陸軍大尉の土持則正さん(69)=宮崎県都城市早水町=は「谷君はきゃしゃで一見ひ弱そうだった。しかし、表情は険しかった。マレー人と同じように腰巻きをし、日本語もたどたどしかった」。ハリマオが手がけた最大のゲリラ活動は、英軍が撤退時に爆破しようとしたベラク・ダムに潜入、火薬を取り除いてダムを無傷で確保したことだという。しかし、ハリマオは長年のジャングル暮らしで慢性マラリアと肺結核におかされていた。日本軍がシンガポール市を占領して約1ヶ月後の昭和17年(1942)3月17日、同市の陸軍病院で死亡。32歳。独身だった。

作られた”英雄”
マレー人の部下3千人を従えて、英軍をゲリラ戦で悩ませたという超人的な姿が描かれてきた。「さぞかし屈強な男と想像していたのに、初めて会った時、そのうわさとの違いにびっくりした。物腰はていねい。私に深々と頭をさげる。その童顔が印象的だった」と藤原さん。身長153センチ。当時、藤原機関長の副官を務め、ハリマオの臨終に立ち会った元陸軍中尉山口源等さん(70)=京都市右京区常盤御池町=は「マラリアがひどく栄養失調状態でした。死後、大本営陸軍部が記者団に発表したほど、実際には大きな成果をあげたわけではない」と話す。山口さんも「戦意高揚の狙いもあって、ハリマオの手柄を誇張し、偶像化していました。同時に英国に対する宣伝戦の側面も持っていた」と証言する。
ハリマオの活躍とその死を報じた昭和17年(1942)4月3日付の朝日新聞には「武勲輝くマレーの虎」の見出しが躍り、「三千のマレー人部下を使って北部英領マレーをまたにかけ、英人や華僑から恐れられていたジャングルの熱血日本青年。郡司探偵としてついに昭南島(シンガポール)に若く散った軍事美談」と紹介されている。このあと、大映が現地ロケで「マレイの虎」として映画化。浪曲、レコードにもなり、一世を風靡した。いずれも決まり文句は「部下の三千人」であった。しかし「今だから言えるが・・・」と数人のF機関員たちは、三千という数字が大幅水増しであったことを認める。陸軍中野学校史にも「実際は百人の部下」とあるが、その百人すらハリマオといっしょにいるところを目撃した人はいない。「いつも周りにいる手下は7、8人。あちこちでかくまってくれるシンパを入れて百人程度だったでしょう」と土持さんや山口さんらはいう。やはりF機関員だった鈴木退三さん(83)=広島市=は「部下はせいぜい3、40人だったと思う。命知らずで無敵のゲリラ団だったわけではない」。
ハリマオが福岡の実母にあてた手紙がある。「お母さん喜んで下さい。豊は真の日本男子として更生し、祖国のために一身を捧げるときが参りました。豊は近いうちに単身英軍のなかに入ってマレイ人を味方にして思う存分働きます。生きて再びお目にかかる機会も、また、お手紙を差しあげる機会もないと思います。お母さん、豊が死ぬ前にたった一言、いままでの親不孝を許す、お国のためにしっかり働けとお励まし下さい」。しかし、この手紙の文案は、山口さんが作ったという。「ハリマオは字が十分書けず、愛国心という概念もなかなか理解できなかった。私が筋書きをつくり、彼の口述のように仕立てたのです。マレー版アラビアのロレンスみたいで、ロマンをかき立てる舞台と材料がそろっていた。われわれも虚実とりまぜるうちに、あれよあれよという間にハリマオ像が定着した」

新しい役づくり
軍事美談のハリマオから、戦後は一転して軍の命令に反逆したハリマオになった。昭和35年(1960)から同36年(1961)にかけて、日本テレビ系ネットで放映された「怪傑ハリマオ」は宣弘社プロダクション(東京)の田村正蔵さん(60)が制作した。最初は、直木賞作家の山田克郎さんが書いた「魔の城」をもとにシナリオをつくったが、途中から独自のストーリーを加えた。あらすじは、日本海軍からインドネシア・ジャワ島に派遣された情報将校が、途中で軍の命令に背いてハリマオとなり、ジャワ独立運動に身を捧げ、現地民衆とともに闘うというアクションもの。テレビと並行して少年マガジンに石森章太郎氏が連載したことから、第二のハリマオ・ブームが起こった。田村さんは「あくまでフィクションですが、戦時中のように忠君愛国のハリマオにはしたくなかった。時代の反映ですかね」という。
昭和17年(1942)大映製作の「マレイの虎」に出演した小林桂樹さん(61)は「あの映画は、もともと『シンガポール総攻撃』という映画のおまけにつくられたのに、こちらの方が大ヒットした。現地ロケが10カ月。私は当時17歳。ハリマオの子分でゲリラ戦で死ぬハッサン役でしたが、台本はすべて実話だと思っていました。いま思えば軍国調に洗脳されていたのです。これからのハリマオは、どんな時代を映すでしょうね」と関心を示す。いま谷家の仏間には、マレーのゴム園で撮った若かりしころの谷豊の背広姿の遺影や、F機関の腕章などの遺品が大切に並べられてある。戒名は「南方院報国日豊居士」。F機関の軍属として戦死扱いを受け、靖国神社に英霊として祭られている。弟の茂喜さんは「華僑の暴動で妹さえ殺されなかったら兄はハリマオにもならず、命も落とさなかったでしょう。妹の首をはねた華僑も、日本軍に殺されたかもしれない。いまとなっては敵が敵を呼ぶ戦争はやってはいかんということに尽きます」と言った。

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