コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」 第1話 シルク昔も今も

 コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」

  第1話 シルク昔も今も

〈ジムトンプソンから20世紀初の北ラオスの豪族の家に、更にはヤマトタケルの東征やヤマサチヒコと 「古事記」の世界へ。。。果たして、古代「海人(アマ)族」の役割は?〉

さらさらのタイシルク、インドサラサにはないしっとりした感触。旅行にビジネスにタイを訪れる人たちが、おみやげに買って故国に持ちかえる品物は洋の東西を問わずこの一品に尽きるようです。

スラウォン通りの入り口に構えられたジムトンプソンの店は、今やタイシルクの国際ブランドナンバーワン。絹や生糸はもともとかの有名な『照葉樹林文化圏』の特産物で、タイシルクは王室のテコ入れなどもあって近代化に成功し、時代の先端を行く商品になりました。それどころか村おこし国おこしのシンボルとしてタイシルクの地位はかぎりなく高いのです。伝統の再発見ですね。タイ人は良いものに目をつけたものです。

シルクは衣服に使われるほかに、また賓客を迎えるさいの敷物に使われていました。二十世紀前夜の北ラオスの豪族の家では、客間に上質のシルクが敷きつめられ、座布団のかわりに虎の皮が置いてあったと、この地方を踏査した探検家の岩本千綱が書きのこしています。

ところが日本でもシルクを敷物に使ったことがありました。古い話になりますが、ヤマトタケルが東の国に遠征したとき、海の神の怒りをしずめるために妃のオトタチバナヒメを差し出すはめになりました。そのとき妃をすわらせた敷物にシルクと海獣の皮が使われています。

ヤマトタケルの話がおさめられた『古事記』にはさらにもっと古い話があり、倭王二代目となる前のヤマサチヒコ少年が海のかなたの海神の国を訪れたとき、宮殿の客間にはシルクと海獣の皮が敷かれ、大切な賓客としてその上にすわるようすすめられています。

照葉樹林文化圏はメコンエリア・中国南部から海を越えて日本まで結び付けていますが、海上にあってこの文化圏を結びつける絆の役目を果たした人たちこそ、古代日本で海人(アマ)族と呼ばれた人たちでしょう。シルクの敷物に賓客をすわらせるマナーは、『古事記』の記述を見るかぎり海人族のものであることは疑いありません。それとまったく同じマナーが近代に至るまでなおラオスの山間の豪族の家に伝えられていたことには、国境を越えた照葉樹林文化圏の強い生命力が感じられますねえ。

『古事記』の説話からうかがわれる素朴な照葉樹林文化の色彩は、もともとの日本文化の主要な色合いではなかったでしょうか。その後、日本文化は怒涛のごとくに押し寄せた百済文化の色に染めあげられ、八百年による武家の支配をはさんで、近代以降は西洋文化を受け入れて生活の諸相は根こそぎ一変しました。私たちの島々は二度にわたる渡来文化の大波に表層も深層もすっかり違った色に染められてしまいましたが、一方、メコンエリア・中国南部に住む人たちの間には、百済文化以前の日本の照葉樹林文化が原色のままで今なお生きているというのがこのコラムの主張です。

とはいってもそれは結論を出すのではなく、ちょっとかわった風景を紹介し、みなさんと一緒にしばし立ち止まって眺めてみたいというものです。「山路きてなにやらゆかしすみれ草」の感覚で、海のかなたに日本文化の原像をもとめて筆を進めたいと思っています。

今回はシルクの話でした。タイは六月から十月にかけての雨季を除いて、空気がほどよく乾燥しており、しっとりした感触のシルクを素肌にまとう快感はまさにシルクシャワー。くだんのジムトンプソンの店には、外国人向けに一分のスキもなく都会的にデザインされた、がっしりした体型のシルクのシャツが並んでいます。しかし個人的には、チエンマイのナイトバザールで購入したちょっとダレ気味の山繭のシャツの方が、着心地ゆったりの感じだなあ。

〈2000年1月上旬号掲載〉

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