メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第9回 「ベトナム難民少女の十年」(トラン・ゴク・ラン 著、構成 吹浦忠正)

メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第9回 「ベトナム難民少女の十年」(トラン・ゴク・ラン 著、構成 吹浦忠正)


「ベトナム難民少女の十年」(トラン・ゴク・ラン 著、吹浦忠正 構成、中央公論社、単行本:1990年4月発行)

著者紹介:トラン・ゴク・ラン
1963年、南ベトナム(ベトナム共和国)チョロン生まれ。1979年、香港難民
キャンプを経て、同年末、日本に定住。群馬県桐生市立相生中学に入学後、苦

アジア福祉教育財団の資料によれば、現在のインドシナ難民総数は約144万人、うち日本で定住許可されたインドシナ難民は約1万人ということだ。現在ではインドシナ難民の存在について多くの日本人が忘れかけている感があるが、本書が書かれた10年前の1990年時は、前年1989年に「ボートピープル・ラッシュ」があり、あわせて数多くの”偽装難民”の日本上陸と強制送還が大きくクローズアップされていた頃だ。ちなみに、インドシナからの難民流出は、(1)1975年のプノンペン、サイゴンの相次ぐ陥落直後(2)カンボジアを追放されたポルポト政権を支援する中国とベトナムとの関係が悪化して、中国系ベトナム人が大量に中国になだれ込んだり、危険を冒して海路脱出した1979年頃 (3)1989年の「ボートピープル・ラッシュ」と、3回ピークがあった。

本書は、1978年、15歳でベトナムを出国、翌年香港の難民キャンプを経て日本に定住、その後苦学の末、1990年に大学医学部を無事卒業したベトナム難民少女の実話である。サイゴン陥落前後の町の様子、著者家族の国外脱出、渡航の場面、日本定住後の生活など、多くの人に読んで知ってもらいたいと思えるものであるが、中でも子供なりにクラスで共産党支持者ぶりっ子をしあうとか、級友が段々と日がたつにつれ少なくなっていくなど、国外脱出前の時期に著者が通う中学校のクラスでの様子は、特に印象的だ。本書は、テレビドラマ化され、1992年6月、テレビ朝日系で「ベトナム難民少女」(主演:斎藤由貴)として放映されてもいる。

  著者トラン・ゴク・ランさんは、1963年、南ベトナム(ベトナム共和国)チョロンの同慶大道で洋品店を営む海南島出身の中国系ベトナム人の家に7人兄弟の一番末っ子として生まれる。サイゴン陥落(解放)の1975年4月30日の2日前に、チョロンの文荘小学校を卒業。1978年3月、南部ベトナムで商業の社会主義化と農業の国有化が布告され、1978年9月には著者の家が没収されてしまう。その翌日から家族はばらばらに隠れ家に暮らす事になるが、父親は、家を明渡す前、家族で国外に出る決心をし、計画を立て国外脱出する用意を始めていた。

  そして1978年12月、15歳の著者は、姉と共にベトナムの田舎娘の服装で、国外脱出を手配するグループに従い、中部のダナン近くまで向かいそこから小さな木造船に乗り祖国脱出をする。約1ヶ月海を漂い翌1979年1月、香港に到着。1ヶ月程度待たされ下船許可される。香港上陸後、最初は刑務所に収容されたが、エリザベス女王の誕生日である4月21日にチュービリー難民キャンプに移送される。難民キャンプからの外出許可で羅字をの組み立て工場で作業員として働き、やがて英語を教える夜学の語学学校にも毎日通うようになった。定住希望国についてはアメリカ、カナダが第1、第2希望で2人の兄がサイゴン陥落以前から住んでいた日本は第3希望であったが、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のスタッフの紹介で、日本への定住を日本総領事館に申請。定住許可が下り、1979年10月末、日本に到着する。

  このように当時15、16歳の著者にとって、定住国への到着まで小型の船での国外脱出から刑務所・難民キャンプでの生活というものは、大変ではあったが、彼女も認めるように1度で国外脱出でき非常に運が良い方だ。他の人のケースは、国外脱出する前に騙されたり役人に捕まったり、また上手く脱出できても嵐、水や食料の欠乏その他で命を落す人が多かったことは、広く知られていることである。更にやり切れないのは、海賊による難民船の襲撃で、本書でも取り上げられている未成年少女や女性の強姦の体験談・報告は余りに悲惨だ。

  難民のケースは、国外脱出・渡航は非常に危険でリスクの高いものであるが、無事上陸・定住許可がおりても、言葉もできず慣れない土地での入国後の生活がまた大変だ。著者の場合、本人の努力は言わずもがな、「難民を助ける会」相馬雪香会長)の方や、受け入れ学校の先生や同級生等、周囲の支援や理解もあって、1979年11月21日、群馬県桐生市立相生中学3年1組に入学後、県立桐生女子高校、更に聖マリアンナ医科大学医学部入学、そして1990年、同大卒業と学業に励む事ができている。

本書の内容は、重く深刻なテーマで色々考えさせられるものではあるが、著者の明るさや頑張りが伝わり、こちらが励まされたりもする。日本に来てからの生活の様子や感想などの書き方もさわやかだ。尚、本書の作りの特徴としては、著者による綴りだけでなく、編者・吹浦忠正氏(本書発行当時:「難民を助ける会」代表幹事)に加え、著者の家族や関係者の証言、書籍・新聞からの引用があり、当時の情勢や状況を立体的に理解できるよう、工夫が凝らされている。

関係年表 (本書より抜粋・編纂)
1963年(0歳)ラン、南ベトナム(ベトナム共和国)チョロンで誕生(8・13)
1973年: ベトナム戦争終結のためのパリ和平協定調印(1・27)
1975年(12歳):
ラン、チョロンの文荘小学校卒業(4・28)
ズオン・バン・ミン大統領、全面降伏。サイゴン陥落(4・30)
1976年: 統一国家としてのベトナム社会主義共和国発足(7・2)
1977年: カンボジアがベトナムと断交(12・31)
1978年:
南部ベトナムで商業の社会主義化と農業の国有化布告(3・23)
中国がベトナムに華僑の大量帰国について抗議(5・24)
ベトナムはコメコンに加盟し、ソ連寄りを明確化(6・29)
中国、ベトナムへの援助を全面停止(7・3)
(15歳)トラン家没収され、一家は隠れ家に四散(9・17)
ソ越友好協力条約調印(11・3)
トラン四姉弟、ダナン近郊から船出(12・10頃)
ランの父母、ブンタウから船出、マレーシアへ(12月)
ベトナム軍、カンボジアに大攻勢を開始(12・25)
1979年:
プノンペンがベトナム軍により陥落。ポル・ポトらタイとの国境地帯へ(1・7)
ラン4姉弟、香港着(1月初)
トランの父母は、マレーシアから空路で来日、兄の住む桐生へ(この頃)
中越戦争開始。中国軍、ベトナムに越境して全面攻撃(2・17)
中国軍、ベトナムより撤退開始(3・5)
(16歳):トラン4姉弟、成田空港着、桐生へ(10・29)
ラン、桐生市立相生中学3年に入学(11・21) 翌年再履修
1981年(17歳):ラン、群馬県桐生女子高校入学(4月)
1984年(20歳):ラン、聖マリアンナ医科大学医学部入学(4月)
1989年:7年ぶりに、ジュネーブでインドシナ難民国際会議(6月)
(26歳):ラン、日本国籍を取得(9月)
ベトナム軍、カンボジアから全面撤退(9・26)
1990年(26歳):ラン、聖マリアンナ医科大学卒業(3・10)

●難民を助ける会
在日難民救済・支援のNGO。在日難民支援以外に、カンボジア、ラオス、ミャンマー等での難民支援活動を展開。本書著者も、「難民を助ける会」の設けた「難民救援奨学金制度」で就学支援を受けた。同団体のホームページ

■関連ワード■
・定住インドシナ難民 ・難民受け入れ ・障害難民 ・ボートピープル ・「偽装難民」 ・「経済難民」 ・「外国人労働者」 ・日本における「ヒトの国際化」 ・1951年の「難民条約」 ・「出稼ぎ難民」 ・難民定住促進センター ・チュービリー難民キャンプ(香港) ・UNHCR(国連難民高等弁務官事務所) ・定住希望国調査票 ・内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議 ・ODP(合法出国計画) ・MDM(世界の医師団) ・イヴ・モンタン(仏シャンソン歌手) ・ビドン島(マレーシア東海岸の元無人島) ・ビドン島看護活動 ・海賊の横行 ・病院船「光の島」号 ・クーシュネル博士 ・シラク首相 ・中国系ベトナム人 ・「タオ(船)」 ・「ホア(華)」 ・サイゴン ・サイゴン川 ・チョロン(ショロン) ・提岸(タイゴン) ・サイゴン陥落 ・パリ協定 ・ジュネーブ協定(1954年) ・グエン・カオ・キ(元副大統領) ・グエン・バン・チュー(元大統領) ・ドイ・モイ  ・チュン・ニュー・タン(元臨時革命政府司法大臣) ・南ベトナム解放戦線 ・ズオン・バン・ミン(南ベトナム大統領) ・北ベトナム人民軍の金星紅旗  ・臨時革命政府(RPG) ・同慶大通り(ダムカン) ・「陳興道」大通り  ・テト(旧正月)   ・テト・トゥルン・トゥ (中秋の祭) ・「新経済区」 ・「バク・ホー(ホーおじさん)」   ・バクシー(博士) トラン・フー・トラング(ベトナム革命の英雄) ・サイゴン大学  ・中越関係  ・カンボジア戦線  ・貨幣の切り替え  ・VOA ([アメリカの声」放送) ・歌「ブンビク・サイゴン」(サイゴン、永遠の別れ) ・ベトナム特有の軽三輪乗合自動車ランブレッタ   ・ノンラー(編み笠) ・アオババ(作業衣)  ・ダナン(地名)  ・ホイアン(地名)  ・ファンラン(地名)  ・カント(南部の地名)  ・ヴァンケン(サイゴンの船上レストラン) ・フータ(乗馬クラブの高級レストラン)  ・フーティユ(温麺)  ・モグ(ビーフン) ・ソーイ(葉で包んだおこわ)  ・ニョクマム(調味料)  ・カン・リ(南ベトナムの人気歌手)

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