メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第12回 「少女はなぜ娼婦になったのか」(松井浩 著)

メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第12回 「少女はなぜ娼婦になったのか」(松井浩 著)


「少女はなぜ娼婦になったのか」(松井 浩 著、マガジンハウス、1993年4月発行)

 著者紹介》松井 浩(まつい・ひろし)
1960年、京都府綾部市生まれ。早稲田大学第一文学部在学中からフリーランス・ライターとして執筆活動を始め、1984年3月、大学卒業と同時に独立。1985年12月より3年間「週刊文春」記者。1989年2月より1991年11月までタイ・バンコク在住。現在、フリーランス・ライターとして「ナンバー」「週刊ダイヤモンド」を中心に執筆している。共著に『子供おもしろ新聞プルプル』(ポプラ社)がある。(本の紹介文より・発行当時)

小学校を終えたばかりにして、「家族の幸せ」と引き替えに、みずから進んで身を売るタイの少女たちの生き様を、バンコク、タイ北部、東北部での1年半にわたるインタビューと調査にもとづいて描いた物語。自分の親によって売られていくのでも、騙されて売られていくのでもないのに、わずか10歳を過ぎたばかりの少女たちが、なぜすべてを承知して運命のままにまかせ娼婦になっていくのか?

「家族の幸せ」と引き替えといっても、家族観や経済発展の異なる日本の現在の社会状況からは理解しにくいかもしれないし、また性情報が身近に氾濫し「援助交際」という言葉もありふれたものになり性意識が急速に変わっているかにみえる日本からは、「家族の幸せ」と引き替えに娼婦になることを受け入れるという言い方が、わかりにくいものになっているかもしれない。このタイの少女たちを取り巻く状況や彼女たちの気持ちを、少しでも探るべく、北タイのチェンライ県出身のある少女アリーとその周囲の人たちへの長期取材で本書がまとめられている。ただ著者も本書の「はじめに」で断っているように、家族のために自ら進んで身を売る少女たちの存在は決して稀有ではないが、ここで著されている現実が、タイのすべてだと思われると困ると記している。

  1991年8月、バンコクのニューペッブリ通りのソープランドにマッサージガールとして働く20歳のマリーの生活が、本書の書き出しで描き出される。タイ北部の実家が隣同士で幼なじみである姉妹ティップとウィの3人で、バンコク・ラムカムへーン通りのアパートで共同生活をしている。彼女たち3人の仕事場は、バンコクのペッブリータットマイ(ニューペッブリ)通りにあるソープランド。透明ガラスで仕切られたひな壇で、春を買いに来る気まぐれな男達の遠慮のない視線にさらされる中で、男達の指名を待つのであるが、男の指名を待ちながら目を閉じるたびに、よく子供の頃を思い出す。本書も、タイ北部の田舎の村で貧しくものびのびと育った無垢な幼少時代に戻り、そして幼い身の回りに次々と起こっていった事の様子が綴られていく(タイ人の登場人物間の主たる会話は、なぜか関西弁で展開している)

 アリーは、タイ最北端のチェンラーイ県の県都チェンラーイからビルマとの国境の町メーサイへと北上する幹線道路沿いの小さな集落で、5人兄弟の一番下として1971年6月生れる。アリーの物語は、彼女が11歳、小学4年生(タイの初等教育開始規定年齢より1年遅れて入学)だった1983年初から始まる。アリーの父の姉で、隣村に住んでいるが、親戚の中では金回りが良い方のダー伯母さんが、アリーの家に寄らずに、幼なじみのウィの家を訪ねるのを偶然目撃し、どうしてかと一旦は訝しがるが、同日ウィから、翌月小学校を卒業するウィの姉ティップが、小学校卒業後クルンテープ(バンコク)に住んで仕事をすると聞く。ダー伯母さんのウィーの家への用事のことも、ティップがバンコクでどんな仕事をするのかもわからないまま、数日後、この村に衝撃的なニュースが駆け抜ける。ウィーの家に「テレビアンテナ立つ!」というもので、その2日後には、ウィの家に冷蔵庫が、お目見えとなる。貧しい農家に小学校を卒業する娘がいると聞いただけで、この集落のお店たちが、ウィの家がテレビや冷蔵庫を買えた理由をわかったが、アリーを含め子供たちは、宝くじにあたったからだと信じており、ティップ自身が本当のことを他の人に話すはずもなかった。

  アリーより一つ年上のウィも、翌1984年3月小学校を卒業し、家に残り畑作と田植の手伝いをしていたが、その年の7月には、自分が1週間後バンコクに売られること、そしてティップ姉さんも大きなレストランでウエートレスとして働いているのではなく売られ、その金でテレビや冷蔵庫が買えた事を最近知ったと、アリーに告げる。そして遂に、翌1985年に小学校卒業を控えた13歳のアリーの前にも、ダー伯母さんから小学校を卒業したらウエートレスとして働かないかと直接誘われる。この意味をアリーは既に理解していたが、断らず、その後姉の強い反対もあったが、最終的にわずか13歳にして自ら行く事を決意。タイ・東北部ナコンラチャシーマーの置き屋(この置き屋は建前は食堂で、食堂を装いながら裏で売春をする「曖昧屋」)に1万バーツで売られ、50歳ほどの大柄な地元の中国系の旦那を相手に14歳2ヶ月にして娼婦になる。(処女を抱くことは不老長寿の素に成るという考えもあって、処女は中国人の旦那に高く売れる)

 幼い少女がつらい決心をし、肉体的精神的に苦痛を強いられる苛酷な環境にも家族のためにとじっと耐えるが、その耐えるけなげな姿は、貧しくものびのびした純粋無垢な小学時代があまりにむじゃきなだけに余計哀しい。幼なじみのウィがアリーに自分がバンコクに売られること、また姉のティップも同じように売られその金でテレビ、冷蔵庫が買えていたことを告白する場面、またアリーの姉が、アリーの様子を気づかってダー伯母さんから何か言われたのかと問い詰め、自分自身の時の話もしながらアリーに切々と現実を訴える場面も、特に心打たれる場面であろう。

 それにしても、自給自足に近い形で豊かではないが平穏な生活を送っていた小さな農村社会が徐々に現金収入を欠かせなくなり、テレビ、冷蔵庫などの家電製品、更には車、西洋風の家というような高価な商品の出現で、普通の人々の現金収入への欲が限りなく駆り立てられて変容していく様や、特にこれまで同じと思えた隣の家の物質的な生活が、幼い娘を売ることで急激に変化することを見せつけられると、人はこうも落ち着かなくなりいらいらし、羨望や焦燥の感情が高ぶるのかと思い知らされる。幼い少女そのものが、「商品」として値がつき、金銭的価値で判断されるものとして扱われ、親をはじめとする周囲が「カネ」に隷属せざるをえないのはやはり哀しい。1985年6月、アリーに話をつけたエージェントのダー伯母さんが、ナコンラチャシマの置屋のオーナー宛に「マンゴー熟レル 出荷マツ」と電報を打って連絡をとる場面は、まさに少女が「商品」として扱われている象徴的な表現であろう。

 本書は、長期取材に応じたアリーだけでなく、その友人や家族、関係者らにも取材を行なっているため、ダー伯母さんのような、地元の「商品」になりそうな子に目をつけて、説得する役の「エージェント」と置き屋との関係、親への手付金や契約金の相場、北タイの処女を好むニーズ、売春で得る金額の取り分、娼婦としての一日の仕事の内容など、少女売春の実態もある程度様子がわかるようになっている。またアリーが1987年にナコンラチャシマで2年間働き借金を返済し終えるが、

その後の暮らし、物の考え方の変化、目標・夢などについても終章で紹介している。北タイの村に生まれ育ち、その後娼婦として生きてきたアリーにとって、「日本」がどう映ってきたか、どう関わってきたかということも、日本製品、日本のテレビ番組、日本人の客、働き場としての日本などという観点で触れられている。

 尚、13ページにもおよぶ比較的長い著者の「あとがき」が巻末に掲載されているが、ここでは著者が当初、身を売った少女達が両親のために西洋風の家が立ち並ぶ事でタイ中に知られたタイ北部パヤオ県ドークカムタイから取材を始めようとしたが、取材がうまくいかなかった経緯、インタビュー相手としてアリーをソープランドで客のよびこみをしていたタイ人から紹介してもらった経緯、長期取材の様子や難しさ、東京・大久保界隈のタイ女性たちの話に始まり、タイのエイズの問題に詳しく述べている。

◆1992年始め、タイの新聞に掲載された、タイ北部に住む小学6年の女の子、758人に対するアンケート結果 ≪本書あとがきに引用≫
・79%の少女が「将来、売春婦になってもいい」と答える
・「自ら進んで身を売りたい」という少女は、10人を超える
・この少女たちが、身を売りたいという理由は、重複回答で、「家族のため」50%、「お金のため」50%、「妹弟を進学させたい」30

■本書で紹介されている経済的な数字
ウィの姉ティップ(13歳)を売ることで両親が即得た現金(1983年)1万バーツ(当時の為替レート換算で約11万円)。平均的農家の1年分の収入。サンヨーの冷蔵庫を頭金6500バーツ(約71500円)の頭金を払って購入
ティップがバンコクから実家への仕送り(1983年) 月に500~1000バーツ(約5500円~約11000円)
13歳のウィが売られた金額(1984年)1万バーツ(約11万円)
▼宝くじ賞金(1983年)1等150万バーツ、2等10万バーツ、3等4万バーツ、4等2万バーツ、5等1万バーツ
▼アリーの姉の結婚での新郎側の結納金 1万バーツ(1983年)
アリーの家の家計(1983年当時)12ライ(19000平米)の土地。1ライ(1600平米)あたりの収穫量は約400キロ。米を売って約5千バーツ(約55000円)の収入があり、これにニンニクやイ草の栽培、アリーの姉や兄が入れた金など年間の現金収入は、ほぼ1万バーツ(約11万円)ほど。当時の年収が1万バーツというのは、統計で見る限り、チェンライの農家では平均的な額。
チェンライ県内の米の買い上げ価格(1984年) 一年で最も高くなる8月でも、1トン(脱穀前)当たり2300~2800バーツ(約25300円~30800円)。11月の収穫期には、1500~2300バーツ(約13500円~20700円)と、過去10年の最安価に近い価格を記録
▼アリーの両親が、アリーを売ることで、エージェントのダー伯母さんから受け取った手付金(1985年)5000バーツ(約45000円)
▼アリーの両親への契約金 (1985年)1万バーツ(約9万円)
▼アリーの最初の客(1985年)地元中国系の旦那(処女ということで)5千バーツ(約45000円)。うちアリーが受け取ったのは1000バーツで、残り4000バーツは借金返済の一部と紹介料として置屋のオーナーが取得アリーの一夜の値段(1985年) 初日5000バーツから(約45000円)2000バーツ(約18000円)、700バーツ(約6300円)、500バーツ(約4500円)、200バーツ(約1800円)、1週間後には、30分60バーツ(約540円)に下落。

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