杜文秀 1823年~1872年

2000年2月掲載

19世紀後半、大理で16年間革命政権樹立

清朝末期の中国では、阿片戦争、アロー号戦争、清仏戦争、日清戦争、義和団戦争と、列強諸国による侵略戦争が相次いで起こると共に、太平天国の乱に代表される農民を中心とした大反乱が起こった。

全国的反乱と社会混乱の状況の中で、19世紀半ばから、雲南、貴州で、イスラム教徒の回族をはじめ、トン族やミャオ族の反乱も決起された。特に清朝は、漢族と回族を分断・隔離する政策をとり、互いに争わせてきた。回族に対する迫害・抑圧が各地での回族蜂起の直接の原因であった。しかしながら、宗教上の対立が問題の根本原因ではなく、官の専横腐敗、地主層の収奪等への怒りが爆発したもので、既成の政治経済社会の矛盾が大きくなり、民衆を抑えきれなくなったためである。

中国各地で起こった回族反乱の中でも、16年にも及び大理政権を維持すると共に、漢民族との協力・対等、各宗教や各少数民tuwenxiu.JPG (107319 バイト)族の保護、農業・商工業の発展重視などの政策を実施し、真に英雄視されているのは、杜文秀である。

『杜文秀帥府秘録』四川人民出版社
1995年、 杜文秀及び関係者の遺稿集)

杜文秀は、1823年雲南省永昌府保山県の金鶏村の農家に生まれる。1845年永昌の回族虐殺事件の際、家族が殺され、裁判を起こし、北京に訴えに出るが、相手にされなかった。

帰郷後も回族への抑圧が続いたため、1856年、杜文秀は、回族だけでなく、白族、イ族、漢族等も率い、蒙化で蜂起し、大理を攻め落とした。同年10月、「総統兵馬大元帥」に推され、大理に革命政権を樹立した。

革命政権では、諸税の廃止や軽減を図り、軍規を厳しくし、農業と商工業の発展に努めた。また文化教育を重視し、民族団結・民族平等を推進した。清軍を各地で破り、全盛期には雲南西部53県を占領した。しかし太平天国革命の失敗で、形勢が逆転していき、1869年の大理軍20万余の大兵力による昆明包囲戦でも大理軍が敗北し、最終的に同治11年12月(1873年1月)、清軍が大理を攻略。杜文秀側の高級将校の寝返りもあって、大理陥落寸前に杜文秀は家族と共に服毒自殺した。残軍がその後も、現在の保山地区西部で抵抗を続けたが、1874年壊滅し、決起以来18年に及ぶ反乱が終結した。

杜文秀元帥府は、もとの大理提督府役所の地に設置されたが、これは現在の大理古城の大理市博物館内の敷地に当たる。(大理・下関の大理州博物館とは異なる)

東洋史・国家史・社会史、民衆反乱・宗教反乱に関する著書・論文を多数発表されている小林一美氏著の『清朝末期の戦乱』(新人物往来社)が詳しい。

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