コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第47話 「ワニと龍(1)」

タイの説話にみられる「ワニ」と、モン・クメール系のカムー族の説話に語られる「龍」との関係

コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第47話 「ワニと龍(1)」

「ワニと龍」です。火野葦平の「花と龍」ではありません。読者の皆様にはまずタイに伝わる有名な昔話につきあっていただきましょう。

ピチット県にはラムカムヘン碑文にオーカブリと見える古い街があり、そのあたりはたいへん歴史の古い地方です。この県にはチャーラワンという名のワニが登場する古い説話が伝承されていて、地元の人はもちろんタイ人なら誰でもこの説話のあらすじぐらいは知っています。おそらく小学校あたりで習っているのかもしれません。物語は次のようなものです。

「ピチットの街の河の底にはワニの住処があり、きらきら輝く玉があった。ワニはその住処では人間の姿になることもできた。さてワニの王チャーラワンは、自分の住処でウィマーラーとルアンラーイワンの二人の夫人とともに暮らしていたが、ある日、チャーラワンが人間を食おうとピチットの街の船着場付近に上がってくると、そこにピチットの街の王の娘であるタパウ・ケーオとタパウ・トーンが水遊びをしていた。チャーラワンは妹のタパウ・トーンを襲って河の底にあるワニの住処にさらってきたが、いつしか恋に落ちてみずから美男の姿をとり、自分の住処で二人のワニの妻に加えてタパウ・トーンと一緒に暮らすようになった。一方、ピチットの街の王はブラフマンの秘法を授けられた若者クライトーンをさしむけ、クライトーンは河岸に坐りこんで呪文を唱えた。たちまち空は暗くなり河には大波が起こり、巨大なワニが浮かび上がった。クライトーンはチャーラワンを呪縛し、槍を深く刺しこんだ。チャーラワンは住処に逃れて死んでしまう。クライトーンはタパウ・トーンを連れ出してピチットの街に戻った。」

この物語に出てくる二人の姉妹はタパウ・ケーオとタパウ・トーンという名前ですが、「タパウ」とはモン語で、「タ」は尊称、「パウ」は鳩のことです。姉は玉の鳩、妹は金の鳩(ケーオとトーンはタイ語)の意味になりますが、ピチットの街(今の県庁より六キロ離れた古いオーカブリの街)の王が、タイ人ではなく先住民のモン人だったころにこの物語が成立したものかもしれません。ちなみにワニのチャーラワンはサンスクリット・パーリ語で「網の森」という意味があります。そしてワニを倒すクライトーンはタイ語で「黄金の勇気」という意味です。

パンヤーサ・ジャータカのひとつに、ナーガの王チョンプーチットが呪法を使って自分を殺しにきたブラフマンの男を、猟師のブンタリックにたのんで射殺してもらうくだりがあります。インドではブラフマンはナーガを呪法にかけて殺そうとするのですが、タイではワニを呪法にかけるのです。このことは後でもう一度考えてみましょう。

 タイとラオスの北部から雲南省にかけて住むモン・クメール系のカムー族は人口50万といわれています。カムー族の間では龍がしばしば人間の女をさらって自分の妻にすると信じられています。クリスチナ・リンデルが中心となってまとめた『カムー族の民話』という英語の本のシリーズには、たとえば龍の息子が河に仕掛けられた網にかかり、父の龍が網を仕掛けた男を探し出して網を破らせ、息子が自由になったお礼に何でも望むものを差し上げたいと言ったとき、龍に連れ去られて長く河の底で暮らしていたという男の姉が現われ、龍の国の金は人間の国では屑になってしまうと知恵をつける場面があります。また新たに家を建てたとき、新たに村を作ったとき、新たに妻を迎えたとき、一か月は魚釣りをしないというタブーがあります。タブーを破れば龍に食われてしまうのです。クリスチナ・リンデルの民話採取に協力した語り手のひとりは、自分の母方の親戚の男がタブーを破ったために龍に殺されたという話をしたとクリスチナ・リンデルは記しています。この話が真実だとすれば、語り手の親戚の男を食ったのは、想像上の動物である「龍」ではなく、現実の河の猛獣のワニであるに違いありません。カムー族の説話に語られる「龍」はなんとタイの説話に見えるワニに似ていることでしょう。

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