メコン圏現地作家による文学 第3回「業火の海 -タルタオ島の海賊」(ポール・アディレックス 著、野中耕一 訳)

メコン圏現地作家による文学 第3回「業火の海 -タルタオ島の海賊」(ポール・アディレックス 著、野中耕一 訳)


「業火の海  タルタオ島の海賊」(ポール・アディレックス 著、野中耕一 訳、2001年5月、燦々社)

本書は、1994年、ポール・アディレックス氏がタイで発表した第1作『The Pirates of Tarutao』の日本語翻訳版。(ちなみにタイ語版タイトルは、『チョーンサラット・ヘン・タルタオ』)。原著者の本名は、ポーンポン・アディレークサーンでタイの現役の著名な政治家である。プラマーン・アディレークサーン元タイ国民党党首が父親、チャチャイ元首相は叔父にあたるという名門中の名門の出で、今年(2001年)からは、タクシン愛国党党首首班の内閣で副首相を務めている。

 本書の主な舞台は、原題や日本語版表題にある通り、アンダマン海に浮かぶ島、タルタオ島だ。この島はマレー半島西岸のタイ最南端の県・サトゥーン県に属し、150平方キロの広さで、タイ本土(サトゥーン県ラグの町から10km離れたパークバラ港)から22kmの距離にある。島は風光明媚で、1972年にタイ初の海洋国立公園として指定され、1974年にはアダン島、ラウイ島など51島を含む海域まで拡大指定されている。マレーシアの有名観光地となっているランカウイ島から、わずか8キロほど北に離れた島でもある。

しかしながら、マレー語で”古く神秘的”という意味の”タルタオ”の名を持つこの島で、以下のような劇的な歴史的事件が起こったことを知る人は非常に少ない。

■1938年から1947年にかけて著名な政治犯を含む囚人の収容所があったこと。
■1933年の王党派による反革命クーデター後の裁判(1938年)により70名が1939年9月、タルタオ島に流されたこと。
■1939年10月17日、5人の政治犯が、当時英領マラヤに属するランカウイ島への脱出に成功したこと(タイと英領マラヤの間で締結されていた「外国犯罪人引渡し協定」は、政治亡命を求める政治犯には適用されなかった)。
■第2次世界大戦中、食糧不足とマラリヤの蔓延から、周辺地域で、地方高官や有力商人なども巻き込んでタルタオの刑務所所長等が海賊行為に走り掠奪を繰り返したこと。
■タイの第9警察管区(ソンクラ、パッタニ、ヤラ、ナラティワート、サトゥンの南部5県を管轄)が密かに捜査活動を続行して海賊行為の証拠集めを行なったが、結局国内問題として処理できないまま、戦後の混乱した時代の中で、タイ政府の承認のもと、1946年、イギリス軍が海賊を鎮圧したこと。

もちろん本書は、フィクションであるが、こうした数多くの興味深い歴史的事実の上に組み立てられている。

本書の主な登場人物としては、まず次のようなアメリカ人・イギリス人・インド人がいる。
●イギリスの小説家、ジョセフ・コンラッド(Joseph Conrad)の小説『ロード・ジム』(1900年発表)に魅了され東南アジアに自分の領土を持つと言う夢を求めたアメリカの冒険家コリン・カニンガム。彼は父親の反対を押し切って東南アジアでの生活を望み、マニラで財を成し、ボルネオ島のサラワクの首都クチンを経て、ランカウイ島に新たな土地を求めるという男。
●デリーに駐屯していたイギリス士官を父にインド女性を母にもつデビッド・ホーキンズとその仲間。ホーキンズは18歳になって英印部隊に入隊。第8インド歩兵旅団の曹長として、予想される日本軍の進攻に備えてイギリス駐屯地を防衛するため北マラヤのクランタン州の首都であるコタバルに駐留していたが、人妻との色恋沙汰でマラヤの中国人商人の殺人の罪に問われ、営倉での同房のピーター・グラント伍長と一緒にコタバルの軍の営倉から脱走する。
●ホーキンズとグタントの2人の脱走兵を追跡するケビン・ノックス中尉とその部下。ノックスは、イギリスの陸軍士官学校サンドハーストが生んだ模範的な軍人で、1938年後半から第8インド歩兵旅団の第14パンジャブ連隊に移動になっていた。(注:訳者あとがきによれば、この点は事実と異なり、パンジャブ第14連隊は開戦当初は第8旅団ではなく第15旅団の隷下であり、コタバル駐在ではなくジットラ・ライン防衛に張り付いていた)

彼らは第2次大戦の勃発によって、奇しくも全員がタルタオ島に閉じ込められることになるが、そこでは餓えとマラリアで苦しむ囚人の島だった。どうしたら生き延びられるか! タイの中央政府から見捨てられ苦悩する辣腕のタルタオ島の刑務所所長クン・アピパットは、囚人や職員達の食糧と医薬品を確保するために部下たちの海賊行為を黙認していくが、次第に自ら積極的に海賊行為を指揮する立場になっていく。タルタオ島を舞台に展開されるクン・アピパット達の海賊行為に、タルタオ島に閉じ込められることになった上記の欧米・インド人たちは、それぞれ異なった関わり方をしていくことになる。

 本書は、タイ人である著者が、広く外国人にタイや東南アジアのことを深く理解してもらいたいという気持ちから、原著を英語で著したことでもわかるように、第2次世界大戦前後のタイや東南アジアをめぐる情勢のみならず、タイ政治、ムアイ・タイ(タイ・ボクシング)の歴史や技、タイの位階と欽賜名、海のジプシーの生活、サラワクとブルック家などなど、興味深いテーマに色々と触れている。またタイ最南部や北マラヤの各地の地名がかなり多く登場するので、この地域一帯に関心を持つ人たちにはとっては、余計楽しいと思われる。また日本軍の東南アジアでの展開状況の推移が、本書のストーリー展開とも密接にかかわっている点も、注目したい。

 もちろんエンターテイメント小説としてストーリー展開や個々の場面描写についても十分楽しめる。イギリス兵の脱獄・脱走、マレー半島を東西に横断する追走劇、政治犯のタルタオ島からの脱出があり、中盤から海賊行為が展開されていくが、これを阻止しようとするグループやその証拠をつかもうとする側とのせめぎあいなどがあり、終盤には、アンダマン海での決戦・海賊掃討作戦・アダン島での死闘が繰り広げられ、スリルとサスペンスがふんだんに味わえるはずだ。

 タルタオ島の政治犯や脱出劇、タルタオ島の海賊行為に関わる歴史的事実というような大変興味深く気になる点については、原著者によるまえがきやエピローグ、更には訳者あとがきでかなり詳しく補足説明が付けられている。政治犯のタルタオ島からの脱出劇については、脱出を敢行した5人の人物にも興味はあるが(脱獄した人の中に大赦を受け、戦後再び華やかに活躍した人もいる)、脱出せず残留し戦後活躍することになった2人の人物に、より惹かれるものがある。一人はシッテイポン殿下で、農業への関心が強く、タルタオ島でもその知識と経験を生かし、野菜の栽培、家畜の飼育などを行い(1943年にタルタオ島からスラータニのタオ島に移される)、戦後は農業大臣を務め、農業新技術の普及によってマグサイサイ賞を受賞。もう一人はルアン・マハーシット(ソー・セータブット)で、ラーマ7世の時、枢密院の事務局長をしていたが、政治犯として収監後は、将来のタイの世代と世界中の英語を話す社会の重要な懸け橋となるようなタイ英、英タイ辞書を編纂する仕事に、自分の人生を賭け、自分の仕事を完成するために、タルタオ島からの脱出を誘われたものの、島に留まったという人物だ。

 さて、本書(日本語訳)のタイトルであるが、訳者あとがきには、こう記してある。”・・・さて、著者の4冊の小説の底流にはすべて共通して、タイ人一般に見られる善業、悪業によって定まる運命論がある。人生は思いがけない出来事が起こるが、これらはいずれも運命によって定まっていると、彼は自分の人生にダブらせて信じ込んでいるようである。とすれば、小説に描かれたアンダマン海でのさまざまな出来事は、もう逃れることのできない人々の業と業のぶつかりあい、その業火がここに集まった人々を苦しめ焼きつくしたのではないかと思い、本書に「業火の海」というタイトルをつけた。・・・」

ジョセフ・コンラッドの『ロード・ジム』
ポーランド生まれのイギリスの小説家ジョセフ・コンラッド(1857~1924)が1900年に発表した作品『ロード・ジム』。東南アジアの異国の島に住んで波乱に満ちた人生を送った若きイギリス人の物語。日本語訳版は「ロードジム」(新潮文庫、1965年)、「ロードジム」(上・下)(講談社文芸文庫、2000年)あり。ビクター・フレミング監督作をはじめ、何度か映画化もされている。

 【目次】

まえがき
地図(東南アジア全図、南アンダマン海、南タイと北マラヤ周辺)
プロローグ 呪われた神秘の島
(1)政治犯の脱出
(2)憧れのアジア
(3)脱走兵と追跡兵
(4)運命のいたずら
(5)イギリス兵の島送り
(6)奇しき邂逅
(7)島の生活
(8)迫りくる飢餓
(9)生き残り作戦
(10)海賊の誕生
(11)海のジプシー
(12)掠奪作戦
(13)海賊の根城
(14)アダン諸島
(15))ワニの棲む洞窟
(16)『ロ・パーン!』(帆を下ろせ)
(17)真夜中の襲撃
(18)リーベ島の狼藉
(19)アンダマン海の決戦
(20)海賊掃討作戦
(21)アダン島の死闘
(22)イギリス軍の上陸
エピローグ  業火の果て
訳者あとがき

著者紹介
ペンネーム Paul ADIREX  本名 Pongpol Adirexsarn
1942年3月出生
教育:学士(国際関係論レハイ大学)、修士(国際関係論アメリカン大学)
職歴:
1966~68 経済省
1968~73 首相府、中央情報収集局
1977~81 (株)タイ・レザーウェアー会長
1981~83 (株)ローヤル・セラミック会長
政治歴:
1983~86 サラブリ県選出議員
1992~95 サラブリ県選出議員
1992・4~92・9   外務大臣
1995・7~96・11   首相府大臣
1996・11   サラブリ県選出議員
1997・11   農業・農業協同組合大臣
2001・2   副首相

訳者紹介
野中耕一(のなか・こういち)
1934年生まれ
1961
年、東京大学農学部農業経済学部卒、同年アジア経済研究所入所
1965年~67年、タイ国カセサート大学留学
1977年~79年、アジア経済研究所バンコク事務所代表
1979年~80年、JICA専門家、タイ国メイズ開発計画に参加
1983年、「農村開発顛末記」により第20回翻訳文化賞受賞
1990年~92年、タイ国チュラロンコン大学客員研究員
1992年~96年、アジア経済研究所理事
1997年~99年、川崎医療福祉大学客員教授

関連テーマ
●タルタオ島の風土と歴史
●タイの王党派による1933年反革命クーデター
●日本軍とタイ軍との戦闘と(1941年12月8日)タイの米・英への宣戦布告(1942年1月25日)

ストーリー展開時代
1937年~1946年、1975(エピローグ)

主なストーリー展開場所
・バンコク
・タルタオ島  タロ・ウダン湾/タロ・ワーウ湾/パンテ湾/パイン湾
・アダン島/リーペ島/ラウイ島/ブタン島 ・サトゥン ・スラータニ県のタオ島 ・カンタン(トラン県) ・ハジャイ ・クラビ ・ソンクラ
マラヤ北部
・ランカウイ島(クア) ・クアラクダ ・アロースター ・コタバル(クランタン州州都) ・バターワース ・バリン ・スガイプタニ  ・ペナン ・クアラプルリス  ・カンガー
ボルネオ
・クチン(サラワクの首都)
シンガポール

主な登場人物
・コリン・カニンガム(アメリカ人の冒険家)
・サム・カニンガム(コリンの父親)
・ティム・カーティス(サラワク行政庁の副長官)
・ヴァイナ・ブルック(サラワク領主のブルック家)
・アロースター(クダ州)の領主
・デビッド・ホーキンズ(第8インド歩兵旅団所属の曹長)
・ピーター・グラント(イギリス軍の伍長で、営倉でホーキンズと同房)
・ケビン・ノックス(模範的なイギリス士官)
・ジョン・フィツパトリック旅団長
・デビット・ブラウン曹長
・ラチャン(パンジャブ連隊のインド人曹長)
・プレム、チャイ、ビシュヌ(パンジャブ連隊のインド人伍長)
・グルカ兵のアマール曹長
・グルカ兵の伍長・無線担当
・タイ国矯正局長
・クン・アピパット(タルタオ島の刑務所所長)
・プラディト(刑務所次長)
・チム(看守)
・ニット(看守、元盗賊)
・カーン(看守)
・サノ(アピパットの息子)
・商船「シー・ドラゴン号」の船長
・プラヤー・サラパイ海軍大佐(タイ国防省の前次官補)
・プラヤー・スラパン陸軍大佐
・ルイ・キリワット(ジャーナリスト)
・チャレーム・リエムペチャラット(弁護士)
・クン・アカニー(鉄道技師)
・ルアン・マハーシット(ソー・セータブット)
・シッティポン殿下
・タイ人の元曹長だった囚人(一人は東北タイの出身で、ムアイ・タイの元ッチャンピオン)
・バンチョンサック警察大佐(第9管区警察局長)
・チャーン(ソンクラの商人)
・スチャート(サトゥンの商人)
・タムロン(商人)
・マレー人ノクア警察署署長
・山下奉文中将(第25軍司令官)
・クダ州警察本部長
・サトゥン県(タイ南部)知事
・サトゥン警察署署長
・板垣征四郎将軍
・マウントバッテン提督(東南アジア連合軍最高司令官)
・ペローン旅団長(第74英印歩兵旅団)
・ミー(海のジプシー)
・レック(ミーの息子)
・マラティ(レックの妹)
・ヤイ(マラティの姉)
・タム(ヤイの夫)
・ティカ(タイ人と海のジプシーとの混血の男)
・ブルック(ティカの許婚)
・リマ(ティカの妹)
・ドゥワ(リマの許婚)
・チャールズ(ノックスとマラティの長男)
・ピーター(チャールズの弟)

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