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第17信「桜ちゃんの反省」「寮都学校のレベル、ビエンチャン華僑学校」「ビエンチャン(大きな声で言った方が勝ち」「もらったプレゼントは」
- 2006/1/10
- エッセイ(村山明雄さん)「ラオスからの手紙」, コラム・エッセイ
- 村山明雄
(2006年1月号掲載)
2006年 新春
あけましておめでとうございます
ラオスより愛をこめて新年の御挨拶を申し上げます。
お話そのー1 桜ちゃんの反省
さて進級試験に落ちた桜ちゃん、もう一度小学校3年生をやることになってしまった。ここでパパの雷が落ちることになる。「ちゃんと、勉強しなさい、なにしているんだ、毎日テレビばかり見ていて少しは反省しなさい」
普段は日本語でパパと会話している桜ちゃん、普通の単語はわかるのだが、難しいのはわからない。(当たり前だが)上の会話のなかで一つ単語がわからなくて意味がわからなくなった。「反省」である。
きょとんとする桜チャンにパパはラオス語で説明を試みる。ところがなかなか小学生にわかるように説明できない。「うーん、それは、つまりー、あの」説明に窮するパパ。ということで、パパの怒りの台風は桜ちゃんの頭の上を通りすぎて行ってしまった。
次の日にパパはタイ語の専門家X先生にメールを送って聞いてみた。親切なX先生、日本をよく知っているタイ人に聞いてくれた。
以下、タイの先生とX先生から頂いたメールを抜粋してご紹介します。
日本語の「反省する」に直接あたるタイ語はない。あるとすれば” サムヌック・シアチャイ”です。しかしこの ”サムヌック・シアチャイ”は宗教の言葉のように聞こえます。
この言葉は「反省して罪を悟る」ような意味らしい。ということで、日本人のよく使う「反省する」とは意味が違ってくるらしい。つまり、桜ちゃんが勉強しなかったことは、別に罪を犯したわけでないのでこの言い方はシックリいかないのである。
また日本人がよく言う「----と反省した」はタイ人は「ポム・ルースック・シアチャイ・ティーーーーー」というらしい。この説明を読んで、私もビックリした。というのは、タイ語、ラオス語の「シアチャイ」は日本語では「残念」という意味だと私は理解していたからだ。そうなると、上のいい方は日本人的に解釈すると、「---の件については残念でしたね」ということで、全然「謝っていない」「反省していない」というように解釈できるからだ。
もし通訳が、「この件については残念でした」というように訳したら大きな問題、喧嘩になってしまうだろう。ただ日本語でも「遺憾の意をーーーー」なんていう心のこもっていない責任逃れのフレーズがあるので何ともいえないが。
そして、タイ人は反省会そのものをやる習慣はないらしい。そして、タイ人は自分の心・内面を診断しても、Feel sorry程度に済む。自分をしっかり責めること、内省・自省はあまりしません。
ということらしい。なるほど、これは大いに考えさせられることである。「ラオスからの手紙」のなかでもシェンクアンの空港の職員が自分がチケットをなくしたくせに謝らなかったことなど書いたが、この気持ちよく理解できる。まあ、日本人も口では謝っているけれど、心のなかではどう思っているかこれは謝らないラオス人とオアイコだと思うのだが。
こう書きながら私自身、最近「すいません」という言葉が出てこなくなった気がしているが、これもラオスに長くいるせいかしら。
お話そのー2 寮都学校のレベル、ビエンチャン華僑学校
「昔の寮都はレベルが高かった、いまは中学を卒業しても手紙もかけないのに」ということをラオスの華僑からよく聞く。このごろわかってきたことだが、一面正解であるが、間違いでもある。フランスから親戚(中国人)がビエンチャンに遊びに来た時の話し。彼らはラオス語もできるけれどメインは中国語である。ビエンチャンの我々の方はラオス語が日常会話になっているので中国語が下手になっている。フランスの親戚ももちろんラオス語ができるが、読み書きはできない。本当に簡単なラオス語も読めないのである。ある日、レストランでラオス語のメニューを見せたらほとんど読めないことがわかった。
日本に永住した寮都OGの看護婦さんも同じである。Xさんはラオス語もタイ語も読み書きは駄目。寮都を出て台湾で看護学校に入ったので中国語は上手であるが。お土産にタイの雑誌をあげたら「タイ語もラオス語も読めないので、いらない」と言われた。
昔の寮都はラオス語が週に2時間くらいしかなく、またラオス語を落としても進級できたらしい。ということで、今の寮都とは違う。結局、昔の華僑はラオス語はあまり勉強しなくて中国語だけやったから、中国語は上手だがラオス語は下手。今の寮都は中国語もラオス語も両方ちゃっとやるから、こどもにとって負担が多くて大変になる。結局、ラオス人に比べてラオス語も中途半端、中国語も昔の寮都に比べて下手ということになる。両方マスターするのは大変な努力が必要なわけだ。
ということで我が娘も大変である。
お話そのー3 ビエンチャン(大きな声で言った方が勝ち)
ビエンチャンをアルファベット表記でどう書くか? Vientianeと書くのが一般的のようだが、どうも私は納得できなかった。ラオス語の文字を覚えた人間にとって、このVientianeという綴りはおかしいように思えたからだ。
ラオス語ではVienは末子音が「N」ではなく「G」の発音だと思う。したがって、少なくともViengくらいにしないとおかしいのでは。それからTIANEもこれでは「チャン」の発音には読めない。
長いこと抱いていた疑問である。拙著「楽しくて為になるラオス語」にもこのことは書いてある。(詳しくは同書を参照されたし)
ある日、ラオスの地名をアルファベット表記で書いたら、ある人に「それは間違いだ」と指摘された。腑に落ちないので、言語学を専攻している友人にメールで問い合わせてみた。何故なら、ビエンチャンだって無茶苦茶なスペルではないか、というのが私の考えである。Xさんの説明を以下に要約して紹介する。
VIENTIANEというスペル、はやり仏語の匂いがしますね。
フランス語の「よい」なんて言葉はbienなんですが、最初のVIENはこれと似ています。フランス語ではnの前にe(母音)がくると、nが鼻音化して、ちょうどラオ語のngの発音と近くなるんです。これを無理やりローマ字表記すると「viang」になるんです。
ですから、フランス人的には「あり」なんだと思います。さて、きっとお気づきだと思いますが、それでは何で最後のtianeなんだと思われるかもしれませんが、これも法則がありまして、nの後にeをつけると、前の母音があっても鼻音化しないというお約束があります。ですから、nの音になり、同じnでも後ろのeによって使い分けているんですね。
それから、日本語の「ち」の音ですが、これは実は非常に難しい音で、日本人でも言えない人はたくさんいます。地方のご老人や江戸っ子なんかもそうですね。
ローマ字にしてみると「ち」と「し」はそれぞれchi,shiになりますね。hが入っていて、これは息が漏れることを反映しています。つまり、実は二重子音的な音なんですね。これはフランス語にはありません。ですから、比較的近い音であるTによって表しているんだと考えられます。また、フランス語にはラオ語のciもありません。すると、tをつかって、「ちゃん」、「can」を現そうとするとtanでは「タン」になりますし、canをつかうと「カン」になってしまいます。
ですから、二重母音を使いtianeとかいて「ティアン」と表しているわけです。
そんなわけで、VIENTIANEになったと考えられます。
抜粋ここまで
なるほど、さすが専門家である。
ここまで説明されると、頭の悪い私もよくわかる。
実際にアメリカ人がVIENTIANEを発音するとビエンティアンという音に聞こえる。これでは「蝋燭祭り」になってしまう。またエッチな意味で「たらい回し」になってしまう。(富田先生のタイ語の辞典より。)
さて、この前「千代田」という名前の会社に行った。アルファベットで表記されたスペルを見るとTIYODAになっている。またあのノーベル賞の田中さんで有名になった島津製作所はSHIMADZUである。千代田をTIYODAにするのは訓令式の表記である。このごろアメリカの影響で、日本語をローマ字表記するのにほとんどへボン式を使っているが、この会社は創業当時の登録名を守っているのだろう。島津も創業当時にこのように登録したから、このまま使っているそうである。
西鉄ライオンズという野球チームが昔あった。稲尾、大下、中西、豊田などサムライのいたチームで、日本シリーズで巨人に3連勝したことがある。最近、「獅子たちの曳光」西鉄ライオンズ銘銘伝 赤瀬川隼 文春文庫を読んでみた。このなかでユニフォームを着たライオンズ選手の写真が載っている。ユニフォームにはNISITETUと書かれていた。これも訓令式である。ヘボンではない。
ラオス人で日本に留学した人に、ラオス人の名前をカタカナで表記してもらったら苦労していた。気持ちはわかる。ラオス語の発音自体、日本語にするのは難しい。ベトナム(国名)だって、本当の発音に正確に表記しようとすると、ビイエット・ナームになるだろうし、難しい。
また、さっきのビエンチャンであるが、最近はアメリカ人はVIENGCHANというように表記する人が増えているとか。
さて表記の問題、いったいどうしたらいいのだろうか?
昔、朝市にCDを買いに行った時、小さい声でボソボソと話したラオス語が通じなかった。市場のおじさんに「ラオス語は大きな声で言わないと」と忠告された。そうだ、下手の人でも大きな声で、怒鳴るように威圧的にしゃべれば通じる。ということで、表記の仕方も同じではないか。
どれが正しいかよくわからないから大きな声で、書いたものが勝ちである。結局、こういうことに落ち着きそうである。世の中、何でも大声で言ったもの勝ちのようになってきたのは気のせいではないだろうか。
お話そのー4 もらったプレゼントは
日本に来たラオスの人を御世話した時のお話。
御世話になったお礼ということで、別の人に託けてプレゼントをいただいた。
開けてみてビックリ、なんと黒のネクタイ。札が付いているので見たら礼服用と書いてある。つまり葬式用のネクタイをいただいたわけである。ラオスのお葬式は喪服は黒ではなく、白である。中国人のお葬式では中華理事会の人が黒のネクタイで来ていることも偶には見かけるが、まあ暑い国なので普通のラオス人はネクタイなど普段でも着用しないから、まして日本のお葬式の習慣など知らなかったのだろう。まして華僑だったら漢字がわかるが、その人は純粋のラオ人だったので、意味がわからなかったのだろう。
「ボーペンニャン」気持ちだけありがたくいただこう。そう思って笑い話で終わったが。その後、ラオスでネクタイをいただいた人もまじえて皆で食事をする機会があった。こういうときは日本人の礼儀だと「この前は、プレゼントありがとう」そう言うのがマナーであろう。
ただ、もらったものがもらったものだから、何も言わずにやり過ごした。もちろん、私にネクタイをあげた本人は100%悪意がないのは明らかだが。こちらから「黒いネクタイはお葬式の時につけていくネクタイですよ」とご注進申し上げるのも失礼だと思い、プレゼントのことは何も触れなかった。
ただ、今となっては「注意してあげたほうがよかったかな」という気持ちもある。おそらく日本人がラオスの習慣に反することをしても、ラオス人は「あの人は日本人で、偉い人だから、注意して逆切れされても困るし」ということで何も言わないで「ボーペンニャン」で過ぎることが多いような気がする。
本当に相手のことを真剣に大切な人だと思っていたら、嫌なことでもその場で言ってあげたほうがいいのでは。そんな気がしてくる。
それでは皆様
お元気で。
桜ちゃんのパパでした。
(C)村山明雄 2002- All rights reserved.
村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著