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第5信 ラオスから来た中国人
- 2002/7/21
- エッセイ(村山明雄さん)「ラオスからの手紙」, コラム・エッセイ
- 村山明雄
(2002年9月号掲載)
2002年7月21日
国連ボランティア 地下水開発エンジニア
村山明雄
皆様お元気ですか。
妻・淑珍と二人で香港に行ってきました。
さて香港というと中国革命の後、共産党の政治を嫌って大陸から逃げてきた人たちがいる。このように理解している人が多いと思います。だけど大陸からではなく、東南ナジアから難民として逃げてきて定住した人たちも多いのです。
さて今回、わけあって香港に新婚旅行に出かけることになった2人ですが、行く前に親戚・友人に計画を話すと、色々な人から「うちの親戚がいるから是非、訪ねていって」「私の友人が住んでいるから是非御世話になって」というようなやさしい言葉をかけられました。
みんな華僑の人です。私も以前、大学時代、協力隊同期が香港で働いていたのですが、すでに日本に帰国していて、香港には誰も知っている人がいませんでした。したがって今回、香港で御世話になった人は全部、淑珍の友人・知人関係の方で、華僑のネット・ワークの広さには感心しました。
初日は空港に、淑珍の寮都学校時代の先生(女性)が迎えに来てくれました。先生は寮都をやめた後、中国に留学して中国人と結婚してマカオに移り、その後香港に来た人です。寮都の教え子といっても20年以上も前のことで顔は忘れていました。彼女の弟がまだビエンチャンに住んでいて、淑珍の兄と友達なので、先生の弟が連絡してくれたのです。
もう20年以上も香港に住んでいるので、彼女のラオス語は下手で、淑珍とは北京語で会話していました。彼女はルアンパバン出身の華僑で、ビエンチャンにいる弟は完全なルアンパバンのアクセントですが、彼女の喋るラオス語は、ルアンパバンのアクセントというより、中国人がしゃべるラオス語で、語彙もずいぶん忘れているようです。淑珍が「エレベーターが壊れれている」とラオス語で言っても、「壊れている」にあたるラオス語を忘れていて中国語で言い直してやっとわかった。そういった感じでした。
おそらくラオスの華僑は革命以前は家庭ではラオス語より中国語をたくさん喋っていたので、ラオス語の力がそんなになかった、そして中国に行って中国語を勉強して中国人と結婚したものだから、ますますラオス語を喋らなくなった。したがってどんどんラオス語が下手になっていった。こういった点は、日本やアメリカに定住したラオス人とは違います。アメリカでは大きなラオス人のコミュニティーがあるし、日本でも神奈川の綾瀬などには小さいながらラオスコミュニティーというか、ラオス人がいっぱい暮らしているところがあります。こういったところではラオス語を使う機会がありますが、 中国人と結婚した彼女はラオス語を使わなくなり錆びていったのでしょう。
次の日に御世話になった人も、ビエンチャンの私の家の近所のオバサンのお姉さんです。彼女はパクセ出身の客家で、淑珍のお父さんと彼女のお父さんが客家同士の友達で、彼女のお父さんが亡くなる前はよく遊びに行ってたそうです。彼女は難民として香港に定住したそうで、旦那さんもカンボジアの華僑です。したがってラオス語の方も大分忘れているようで淑珍とは主に北京語で会話していました。
この他にも今回の旅行で会う機会がなかったのですが、梅ちゃん(妻の一番下の妹)の旦那さんのお姉さんが香港に住んでいるし。桜ちゃん(長女)の寮都の同級生のお母さんのお姉さんが香港にいます。また義理の兄の友人も香港にいて、今回は会えませんでしたが我々が香港に行くということを聞いて、心配してくれていたようです。
このようにラオスの華僑に聞いたら、かなりの割合で親戚なり友人・知人が香港にいる人がおおいのではないかと思います。またおそらく台湾にもラオスにいた華僑が移り住んでいるのではと思います。事実、淑珍の友人で1人、台湾に住んでいます。
さて、ラオスにいる人が中国に行ってレストランでビックリするのは、ウエイターのお皿の配り方です。静かにテーブルの上に置くのではなく、放り投げると言う感じです。これは忍者が手裏剣を投げるみたい。たぶん、これは静かに置くより放り投げるように置く方が賑やかでいいと思っているのでしょう。以前、中国料理が油がいっぱいでどうしてあんなに油を使うのか、タイの華僑で香港でも仕事をしていた人に聞いたことがあります。これは油がいっぱいでテカテカに光っていたら美味しそうでしょ。このように説明してくれました。またテーブル・クロスもお客が変わる毎に取り替えていました。西洋料理や日本料理みたいに、マナーに五月蝿くないのは本当にいいと思います。日本だとこぼさないように食べないと、そう思いながら食べると料理は美味しくありませんよね。ウエイターの手裏剣投げも、見ていて面白いと思いました。
あと気がついたのは、かなり黒のファッションが多いことです。町を歩いている若い女性で真っ黒の洋服が多いのにはビックリしました。喪服でそのままお葬式にでも行けるようなかっこうです。タイのバンコクでも此の頃多くなったようです。世界的にこのようなファッションが若者の間では一般化されてきたのかと思いますが、中国人・ベトナム人の間では黒は忌み嫌われる喪服ですので、こういった若者のファッションを古い世代の中国人がどのように思っているかでしょう。ちなみに私の義理の父は、以前梅ちゃんが黒い洋服を買ってきた時に怒ったそうです。義理の母もベトナム人ですでに亡くなりましたが彼女も黒の服を嫌っていました。
このことについては小生の「楽しくて為になるラオス語」でもとりあげたことですが。私自身、黒いファッションは好きではありません。やはり黒は喪服ですから、本人が綺麗と思っていても私のように感じている人がいることをお忘れなく。
それでは皆様お元気で。
(C)村山明雄 2002- All rights reserved.
村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著