情報DB(歴史人物)「 リュシコフ大将入満事件」(1938年6月13日)神本利男関連記事<東京朝日新聞1938年7月2日夕刊>

情報DB(歴史人物):「 リュシコフ大将入満事件」(1938年6月13日)神本利男関連記事 <東京朝日新聞1938年7月2日夕刊>

昭和13年(1938年)6月13日午前5時30分頃、シベリア極東圏の政治行政の中心地ハバロフスクに本部を置く、ソ連極東内務人民委員会(GPU)長官ゲンリッヒ・サモイロヴィッチ・リュシコフ三等政治大将が、単身で、満州との国境線を越えソ連を脱出。満州国図們国境警備隊の琿春分遣隊の警備主任・神本利男(1905年~1944年)が捕縛し、リュシコフ大将はすぐに東京に移送され、神本利男も、国境警備隊主任の職務のままで、東京でのリュシコフ大将の世話役と警護の任のため、東京へ長期出張となる。実際にリュシコフ大将を捉えたのは、琿春分遣隊の2名の朝鮮人警士。この事件については、昭和13年(1938年)7月1日に、陸軍省および満州国新京の満州国治安部が発表し、その報道が翌7月2日の新聞の一面を飾る。また、7月2日には、リュシコフ大将脱出手記全文が号外で掲載紹介される。リュシコフ大将は、昭和13年(1938年)7月13日午後2時から、東京・赤坂の山王ホテル新館ロビーにおいて在京外国新聞記者団と、引き続いて東京新聞記者団と会見。会見の内容は、翌7月14日の新聞にて報道される。

昭和13年(1938年)7月2日の東京朝日新聞夕刊で、事件について初報道>


リュシコフ大将入満事件 身をもって国境突破 フ少佐・自動車で入蒙

【陸軍省(昭和13年(1938年)7月1日正午発表】ソ連邦内に於ける苛烈なる粛正工作ため身辺の危険を感じたる極東地方内務人民委員部長官三等国家保安委員(三等大将に相当)リュシコフ・ゲンリッヒ・サモイロウイチは我が国の保護を求むる目的を以て去る(1938年)6月13日午前5時30分頃琿春東方満蘇国境を身を以て脱出し満州国国境警備隊に収容せられたり、又目下外蒙古に駐屯中なるソ軍第36自動車化組撃師団司令部付師団砲兵部長砲兵少佐フロントヤルマル・フランツエウイチも亦粛正工作の犠牲となるを恐れ本年5月29日外蒙サインシヤンダより自ら自動車を操縦しつつ烏得(ザミンウード)を経て内蒙古内に脱走し来れり【写真の上はリシュコフ大将・下はフロントヤルマル少佐=地図の右はリュ大将、左はフ少佐の脱走場所】

昭和13年(1938年)7月2日正午、東京朝日新聞は、ソ連ゲ・ペ・ウ極東長官リュシコフ大将遁入事件の号外を発行。号外に、「”世界の謎”を白日下に ソ連テロの真相暴露 極東の軍備想像以上」の大見出しと共に、「リュシコフ大将脱出手記」全文を掲載。

「リュシコフ大将脱出手記」全文
身に迫る危機
ソヴェト政府機関の指導的地位にあった私が、どうしてソ聯邦を脱出するといふ様な思ひ切ったことをするに至ったか、それは色々な徴候によって、私自身が粛清の危険に曝されて居るといふ事を直感するに至ったからである。私は近い内に、モスコー勤務として召還せられるといふ通知を受け取ったが、その後間も無く、極東地方党委員会書記スタツエウイチも亦モスコー召還の電報を受け取った。これまでも既に極東地方ソヴィエト執行委員会議長レグコヌラウォフが、莫斯科に召還後捕縛せられて居り、大体指導的地位に在るものの莫斯科召還は、何時も逮捕処刑に終るのが今のソ聯邦の慣例になって居る。

極く最近元レニングラード州内務人民委員部長官ザコフスキー及びウクライナ共和国内務人民委員レブレフスキーが同様に莫斯科に召還せられ、次で捕縛せられた如きはその適例であって、白露共和国内務人民委員ベルマンやスウエルドロフスク州内務人民委員部長官ドミトリエフが莫斯科に召還せられたのも矢張り同様と見ることが出来る。これ等の人々は、何れも今日まで生き残って居た元のチェキストの幹部組で、私も亦此のグループの一人であるから、早晩同じ様な悲惨な運命に陥るであらうと言ふことを直感したのである。

脱出の決意
そこで私は愈々脱走の決意を固め、表面国境方面に公務出張をすると称して脱走することに成功したのである。初め私はグロデコウ方面の国境から脱走しようとしたが、どうも巧く行きさうにないので、遂にボシエツト方面から脱走を決行することに更へて成功した。私はソ聯邦を脱走すると言ふ非常手段を探る前に、色々なことを考へた結果、或は神妙に自分の運命を待って、他の数万の党員やソヴィエト政府勤務者のやうに、国民の敵として、国民の謗りを受けつゝ銃殺に処せらるべきか、或は又こゝで犬死するよりも、これ迄の間多数のソ連人民の生命と数万の人民の利害とを犠牲にしたスターリンの恐怖政治に対する闘争に、自分の終生を捧げるべきか、非常なヂレンマに陥ったものである。それのみならず私は私の脱出が家族や親戚や朋友に禍ひを及ぼして、此等の人々を殺さねばならぬといふことも考へると中々決心を定めることが出来なかった。けれども私はたうとう次の様な結論に到達した。

それは国民の利害休威こそは何ものよりも貴いものであり、従って私が何とかしてスターリンのテロ独裁政治とその欺瞞政策とを暴露することが出来、更に又何とかしてソ連国民の苦難を救ふことが出来るとしたら、どんなことをしても、断然これを敢行しなければならぬといふ強い決心である。殊に今日迄私が国民の前に犯した罪は頗る大きい。それは私が数万の国民を虐殺するに至ったスターリンの欺瞞政策、恐怖政治の積極的協力者であったからである。私の脱出に対してスターリンの忠実な取り巻き連中は定めし私をスパイだとか売国奴だとか煽り、私の日本に居ることを以て日本に操を売ったとか言って居るだらうが、私はこんな見えすいた欺瞞に答へる必要はないと思ふ。私のソ聯邦脱出は一つに以上述べた理由以外に無いからだ。

日本を選んだ理由
私がどうして特に日本を選んだかといふことだが、それは第一に私が極東に勤めて居たといふ地理的理由からであって、私は事実以前から特に日本を撰んで脱出しようと考へて居たわけでは無い。けれども私は斯様な偶然の機会を利用して、窮境に在る私を政治的亡命者として寛大に取り扱ひ、私に隠れ家を与へて呉れる国家に対して深甚なる信頼を寄せようとするものである。

元来自分の国の政権に対して闘争した結果、亡命して来た政治犯に対して色々な国が隠れ家を与へた事実は歴史にも其例が少くない。別に遠い昔に遡らないでも、ポリシェウィキの多数の重要な指導者達達が帝政と闘争して居た頃は、方々の国々に隠れ家を求めて居たではないか。又レーニンそれ自身も長い間政治的亡命者として方々の資本主義国を渉りあるき、自国民の利益の為には資本主義国の物質的援助さへ受けて敢て恥としなかったではないか。

然り、私は正に裏切者だ、けれどもそれはスターリンを裏切ったので、決して自国民と祖国とを裏切ったものでは無い。以上が私のソ聯邦脱出の直接の原因であるが、これだけで決して総てを尽して居るわけでは無い。最も根本的な最も重要な点は別にある。それはこれ迄私自身闘争の題目として居たレーニン主義が、既に党の政策の根本的枢軸たる事実を失って来たと言ふことを確信するに至ったことである。斯うした私の思想傾向は一九三四年末、国家に取って又党に取って真に運命的な、ニコラエフのキーロフ殺害事件から始まったものである。私は当時レニングラードに在って直接キーロフ殺害事件の捜査に当ったばかりでなく、エジョフの指導の下にその後引き続いて行はれた処刑事件や公判事件に積極的に参与したものである。私の関係した事件は
 一、一九三五年の初め所謂レニングラード「テロ」本部(ツエントル)事件
 二、一九三五年の「クレムリン」に於けるスターリン暗殺計画の所謂「テロ」本部(ツエントル)事件
 三、一九三六年八月の所謂トロツキー、ジノウイエフ合同本部事件
等であるが、私は全世界の輿論の前に、責任を以て此等の陰謀事件と称するものが徹頭徹尾実在したもので無く、凡て故意に作為せられたものであるといふことを断言して憚らない。ニコラエフは決してジノウイエフ一派の人間では無い、彼は常軌を逸した誇大妄想狂で、単に歴史的人物に数へられんが為めに遂に身を滅したものであることは、彼の日記を見れば極めて明瞭である。

一九三六年八月の公判で立証せられたと称する事柄の内で、オリベルグを仲介としてトロツキー一派とドイツのゲスタポとが連絡したとか、ジノウイエフ、カーメネフ両名が間諜行為に従事したとか、或は此等両名がトムスキー、ルイコフ及びブハーリンを通じて所謂右翼本部と連絡したとか言ふことは悉く虚構に過ぎない。ジノウイエフも、カーメネフも、トムスキーも、ルイコフも、ブハーリンも、それからスターリンの敵として殺された他の多数の者も、凡てスターリンの亡国的政策に対する反対者だったのである。

スターリンの悪鬼的手段 次々に”陰謀”を創作
唯彼等の弱味はスターリン政権と決定的な闘争を行ふために、党機関の不平分子に働きかけて、大衆を組織するといふ様な真に積極的な闘争手段に出ないで、僅に自分の周囲の狭い範囲のみで、彼これと論議するに過ぎ無かった点にある。従って外国の支援に基礎を置くといふが如きことの無かったことは勿論である。

彼等は決して有能な政治家とは言へない。それが結局彼等自身及び数万の党員並びにソヴィエト勤務者を破滅に陥れたので、此等の犠牲者は決して彼等の一味であったわけでは無く、気の毒にも何時かトロツキー一派や右翼の一派と何等かの関係があったとか、或は何かの問題で反対を述べたり迷ったりしたとか言ふことのある人達ばかりである。

スターリンは斯うした人々を排除するために、キーロフ暗殺事件を利用して広汎なる陰謀又スパイ事件やテロ組織なるものを創作したのであって、自分の政敵や若くは将来政敵となる虞れのあるものに対して、スターリンの採った悪鬼的手段は、何んな老獪な想像力に富んだ者も茫然自失せざるを得ない程である。而もそれは凡ゆる悲劇の要因となったスターリンの病的猜疑心のみによるものではなく、スターリンが自分の政敵であるトロツキー一派や右翼の一派の外に、凡て将来政敵となるべき危険性を有するもの全部を処断せんとする決心を採ったが為めである。

党の元勲槍玉
粛正工作の徹底振りは、ソ聯邦の指導階級の極く狭いグループ、即ち共産党政治局員の内でさへ先づルズダークが、次でコシオル、エイヘが逮捕せられるに至った事実でも想像することが出来よう。此等の人々は殆ど全部が十月革命や国内戦に参加した党の元勲である

スターリンに取っては対内的にも対外的にもその冒険政策を具現するため、自分には何等の主義も無く唯盲目的にスターリンの意志を遂行する人間のみが必要なのである。スターリンは国民の関心を国外に転換させるために、戦争によって活路を見出さんとして居る尨大な赤軍を創建して狂的軍備拡張を行ふために、莫大な国民の資材を費したり、国民の愛国心を喚起するために凡ゆる手段を以て宣伝を行って居るのは一つにこのためである。

戦争危機を口実
二百万の常備軍、百に余る狙撃師団、数千台の軍用飛行機、それに国民大衆の膏血を搾ったウラル、クズバスの大工業地帯等々、これ等が悉くスターリンの求めんとする進攻戦争のためで無くて何であらう? 彼は此等の事を正当化するために、戦争と侵略との危機が切迫して居ると称して国民を脅威し、エジヨフを通じて国内及び全世界の輿論の前に恰かも日独及び其他の諸国がソ聯邦に対し最も幻想的な陰謀を企てて居るかの様な公判事件まで作為させて、之を立証しようと努めて居る。従って此等の公判は、対内的にも対外的にもソ聯邦が自己の防衛の為に、全力を挙げて軍備を強化せざるを得ない所以を知らせる目的を持って居るのである。

こゝで少し横道へ外れさせて貰ひたい。それはモスコーの公判に出席した外国人が、何時も「古い政界の巨頭達が公判廷で何うしてあんなに覚悟をきめて到底信じられない様な陳述をするのだらうか」といって驚いて居ることについてである。これは極めて単純な問題で、重要人物が逮捕せられると、凡てモスコーのルビヤンカ監獄で、当局の思ふ通りの陳述をすることに同意する迄残酷な拷問が行はれるからである。それでも被告は時々舞台監督を困らすことがある。今年行はれた最近の公判事件でクレスチンスキーが、予審の陳述を覆へさうとした事などがそれであるが、矢張り彼も直ぐ様当局の思ふ通りの態度に還らされて了った。

極東赤軍実に四十万 空軍二千台を配備
元来スターリンは随分思ひ切った冒険政治家だが、彼の対外冒険政策の内で特に注意すべき事は日ソ間の問題である。国内特に極東では、国民に対して恰も日本が対ソ攻撃を準備して居るといふ様な感想を与へることに一生懸命である。事実スターリンは始終反日策謀を廻らして居る蒋介石に、軍需品を供給したり指揮官を送ったりして頻に対支援助を与へ、或は孫科と秘密交渉を行って、支那事変の拡大と日本の戦力の消耗を画策すると同時に日本が支那に深入りして戦力を消耗し切った場合、極東軍及び太平洋艦隊による一撃を準備することを怠っては居ない。極東軍だけでも約二十七万、狙撃師団約二十、これにザバイカル軍管区及び私の部下だった内務人民委員部軍隊を加へれば、バイカル湖以東に総計約四十万、狙撃師団約二十五の赤軍を擁し、国境に二千に近い軍用機を集中し、浦潮ナホドカ、オリガ等の各地に大小九十余隻の潜水艦を待機させ、今尚頻に之を強化して居る狂的事実は何よりの其の証據である。

対蒋援助の正体
之によって始めてソ聯邦の対支援助の真意を説明し得るのであって、国際的義務に就いての虚偽の声明や、支那国民に対する友情的援助と言ふ様な言葉では到底説明し得るものではない。支那は現在では単にスターリンの冒険政策の道具に使はれて居るに過ぎない。果して支那国民に対して真の同情を有するや、否やは、最近極東地方で行はれた支那人の大量検挙の事実によっても立証出来る。支那人で逮捕せられたものの数実に一万一千人、強制移住を命ぜられたものの数八千人といふ事実がこれである。即ちスターリンの真意は、使ふだけ使って弱り切った支那を徐ろに赤化の対象物としようとするに外ならないのである。スターリンの信を措き得ない分子に対する残酷な粛清工作は、赤軍内部に対しても同様頗る広汎な範囲に亘って行はれてゐる。軍管区司令官軍団長及び師団長の大多数は既に逮捕せられて了った。此事実は、国内における一般の大量検挙が国民に与へた影響と同様、当然軍の政治的傾向や、軍紀や、訓練にまで影響を及ぼさずには置かなかった。

粛正は戦争準備 激化する民衆の不満
粛清工作は前述べた様に、スターリンが政治的危険人物を片付ける為のみのものでは無く、一面戦争準備の為の重要な手段ともなって居るのだ。スターリンは青年層に多大の期待をかけ、粛軍工作によって欠員となった地位を填める為に、目まぐるしい程の抜擢昇進を行って之れで彼等を籠絡しようと努めて居るが、斯う言った部類に属するものでも、国内や党内の一般情勢と全然隔絶することは不可能であって、此等の層にも亦不満は逐次に浸潤して来て居る。エヌ・カ・ウエ・デ(内務人民委員部)に就いても略同様で、指導的地位にある古参幹部は、大多数が赤軍同様に虐殺せられ、青年層の抜擢も亦頗る頻繁で、当機関の勤務者中からも頻に新人を抜いて来て採用して居る。エヌ・カ・ウエ・デで特に目立つのは、必ずしも古くからの勤務者に対してのみならず、中級幹部(士官級)にも亦粛清工作が及んで居ることだ。此等の者は逮捕すると間も無く、把にして免職した上、強制労働所に送られるのである。スターリンの演説や公表文書には、到る処に「国民の敵」ソ聯邦の建設に微力な妨害を加へんが為に、憐れむべきグループを作って居ると宣伝せられて居るが、若し事実そんなに微力だとしたら、この「憐れむべきグループ」が、数十万の党員や、ソヴィエト勤務員や、赤軍指導官や、インテリや、農民及び労働者や果ては共産党政治局員やによって構成せられてゐる事実を何と見るべきか? 又国家の一般的経済状態や、勤労大衆の生活水準が一向に改善せられずして、大衆の間にスターリンに対する明白な不満が内在して居る事実を何と釈明すべきか? 此等の事実は当然次の事によって説明せらるべきである。

 一、国家の集約化、工業化に関する政策を誤り、而もこの亡国的政策によって国内に不満を漲せるに至った事実を、スターリンは所謂「国民の敵」のなせるわざとして、自ら失政を之に転嫁しようとして居ること。
 二、国家国民の利害よりも、スターリン政権自体の利害の方が重大とせられて居ること、即ちプロレタリア独裁なるものは、とうにスターリン個人の独裁に変って居るのであって、従てスターリンはその独裁政権存続の為めには、凡ゆる欺瞞的弾圧手段に訴へて居るのである。
 三、スターリンの施政は全然国民の利害と背馳し、且国家の発展を害するものであること、即ち国内ではテロが横行して、凡ゆる自由意志と個人の言論とが弾圧せられて居る。広く伝播して居る「党及び国内に於ける一般的批判と自己批判の自由」なるスローガンは、今や好ましからざる分子に対する粛清の武器と化した。結局国民はスターリンを「天才」? として賞讃する唯一の権利を有するのみである。

スターリンは何時も「政治家に取っての最高の義務は其の国民の為に働くにある」と強調して居るが、其の実彼は数十万の国民の子を殺して居る。而も其の虐殺は、全世界に宣伝せられたあの「民主主義」憲法の採用後行はれたのである。

断乎闘争せん
ついでながら、憲法の民主主義なるものが如何なる性質のものであるかは、直ぐ様国民の脳中に感ぜられたのである。憲法発布後間もなく吹き起こった新たな粛清の嵐によって、数万の人々が大部分は別に何等の確定的な罪もなく、唯信用出来ないといふことのみによって極めて微々たる嫌疑の下に捕縛せられ、而も欠席裁判で判決せられた事実が即ち之である。スターリンが国民の前に犯した罪悪は、到底枚挙にいとまが無いが、以上の簡単な記述によっても十分諒解出来ることゝ思ふから此の辺で止めて置く。

次に私が考へて居る将来の政治的計画についていへば、何うしても「スターリンのテロ政策」と断乎たる闘争を行ふの必要があるといふことである。スターリンが前代未聞の残酷且大規模の弾圧を行ひ、国民も亦これによって非常な恐怖状態に陥って居るに拘らず、国内の凡ゆる人民層の間には不満が段段に昂まりつゝある。前述べた様にスターリンは外国の侵略及び帝政復活の危険性を宣伝して国民を脅かして居る。其の為に凡ゆる公判事件を利用して、資本主義国では到底思ひも寄らぬ様な刑罰を国民に課して居るが、この事が国民大衆に非常な影響を与へて居ることは疑ふべくも無い。

亡命の印象
最後に日本へ来ての私の第一印象を附言すれば、次の二つである。即ち支那事変中といふのに一般の生活状態に何等平時状態と変りが無い事が、初めて日本に来た新鮮な私の目に直ぐ映じたこと、是れが一つと、ソ聯邦の各新聞ははっきりと日本の経済状態が逼迫して居るとか、生産品や商品の値段が恐ろしく高いとか、此等が市場から段々姿を消して行くとか書いて居るに拘らず、事実は食料品や其他の商品が豊富で然も値段の安いこと、これが二つである。

昭和13年(1938年)7月14日の東京朝日新聞で、前日の山王ホテルでの記者団との会見報道>

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