2000年9月号掲載

コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」

~地域と時代を越えて~ 海の彼方に日本文化の原像を想う

「古事記」のアメワカヒトと、ビルマのカチン族(雲南のジンポー族)に見る陽気な葬式

『古事記』にアメワカヒコの葬式の話があります。ふしぎなことに『古事記』全編を通じてアメワカヒコの葬式だけが微に入り細に入り描写されているのです。神代の高位の神も人代の偉大な倭王も葬式のハナシはありません。

アメワカヒコというヒトは、高天原の神々が葦原中つ国の平定に向けて差し遣わした貴人で、アメノホヒに続いて葦原中つ国にやってきた二番目のヒトでした。葦原中つ国とは、日本列島のどこか一部にあった地方で、『古事記』では出雲あたりが想定されているような書きっぷりですが、僕は南九州ではないかと思っています。もっと大胆に言えば『魏志倭人伝』に見える句奴国のことじゃないかなあ。しかしここではこのハナシに立ち入ることはよしましょう。

はっきりしていることはアメワカヒコは海の彼方から、日本列島のどこかの地方にやってきたヒトだということです。さて、あるいきさつからアメワカヒコが死んでしまうと、盛大な葬式が営まれました。角川の現代語訳『古事記』を見てみましょう。

「そこに葬式の家を作って、ガンを死人の食物を持つ役とし、サギを箒を持つ役とし、カワセミを御料理人とし、スズメを碓をつく女とし、キジを泣く女の役として、かように定めて八日八晩というもの歌い舞いして遊びました。」

変わった式次第ですね。葬式の家(原文は喪屋)というものを特別に作り、ガン・サギ・カワセミ・スズメ・キジの五種の鳥たちに主要な役割を振り、最後に八日八晩の間、歌って踊って遊んだというのです。

『魏志倭人伝』には北九州あたりの3世紀ごろの倭人の習俗が記されていますが、その中に、葬儀は十余日、喪主は泣き、「他人は就きて、歌舞・飲食す」と見えます。これを『古事記』流の文体にすれば「他人は十余日というもの歌い舞いして飲み食いをかさねました。」となりましょう。『魏志倭人伝』に見える倭人の習俗は、海に潜ったりイレズミをしていたり、いろいろな倭人の中でもどうも古代にはなばなしく活躍した海人族の習俗に焦点が合わせられているのではないでしょうか。してみると、陽気な葬式は海人族の葬式で、アメワカヒコも海人族であったと考えれば、ハナシはひとまず落ち着くのですが。

では、海を越えた彼方の大陸に、陽気な葬式を営む民族がいるのか、と考えたら、いたのですね。ビルマのカチン州に住むカチン族(中国に住む同族はジンポー族と呼ばれる)には陽気な葬式の習俗があります。死人の出た家には4-5メートルの高さの太い竹が1本立てられ、それに竹や木の枝を組付けて「カロイ」という構築物が作られます。カチン族は「カロイ」を立てる理由を、「悲しみを表現するため」と考えているのです。

死人が出た日の翌日の夜から、葬式が終る日まで、毎晩カ・ブンドゥムの踊りが続きます。それはたいてい夕食後、夜の10時ごろから夜中の2時ごろまで、ときには明け方まで、老人たちは大きな焚き火のまわりに集まって酒を飲んではおしゃべりをし、若者たちは男女が群れをなして踊りつづけるのです。

僕は『古事記』に見える「喪屋」は、カチン族の「カロイ」のようなものではないかと考えます。『古事記』にはアメワカヒコの妻の兄に当るアジシキタカヒコネが、感情を害して大刀を抜き、喪屋を切り伏せ蹴飛ばしてしまうハナシが続きますが、竹や木の枝から構築された悲しみの象徴としてのカロイのようなものなら、簡単に刀で切り伏せ蹴飛ばすこともできるというものです。喪屋は少なくとも死体安置所ではないと思います。

陽気なカ・ブンドゥムの踊りを毎晩ともなうカチン族の葬式の模様は、国境を越えて向かい合う中国のジンポー族の民話にも出てきます。1983年に雲南人民出版社から出た『景頗(ジンポー)族民間故事』には、ジンポー族の村のカ・ブンドゥムの騒ぎで眠れないリスとミミズクが、とうとう我慢しきれずミミズクがリスを背中に乗せて村まで飛んで、酒と踊りに加わるハナシが収録されています。

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